http://redstone.fc2web.com/3ta/ta13.html 【高く心を悟りて、俗に帰るべし。】より
松尾芭蕉
「古人や師の心を学んで風雅の誠を心高く悟り、そこから日常の生活に目を向けるべきだ」という松尾芭蕉の教えである。
「風雅の誠」は俳諧の根本理念を指し、これを体得すれば卑近な事柄を句にしても俗におちいらない。
この言葉は芭蕉の門人、服部土芳の俳論書『三冊子』にある。
(1644~94 江戸時代の俳人)
https://kuribayashinoburogu.at.webry.info/202106/article_10.html 【高野公一 芭蕉の天地 不易流行】より
該著の最終章を抄録致します。4回にわたるご愛読を感謝いたします。
第九章 天地とともにある俳諧―不易流行論の原像
最終章は芭蕉の言「不易流行」について充てられている。この言葉の真意を芭蕉は丁寧には説明していないらしい。「不易流行」に関する一次資料が二つしかなく、いずれも論理的な説明はない。去来が残した間接的一次資料や、弟子たちが芭蕉から聞いたことを書き残したものなどを隈なく調べると、出羽三山で芭蕉を世話した図司呂丸の
花を見る、鳥を聴く、たとへ一句にむすびかね候とても、その心づかひ、その心ち、これまた天地流行の俳諧にて、おもひ邪なき物也。……変化を以てこの道の花と御心得なるべく候。ここに天地固有の俳諧あり……
があった。ここでは「天地流行の俳諧」「天地固有の俳諧」として「天地」の言葉が出て来る(第三章にも「天地」という言葉が出てきた)。
芭蕉没後、去来が其角に宛てた書状では、「千歳不易」「一時流行」なる言葉があり、「天地」の替りに「風雅のまこと」という言葉が使われている。
弟子の土芳は『三冊子』に
師の風雅に、万代不易あり。一時の変化あり。この二つに究り、その本一つなり。その一つといふは風雅の誠なり。
とあり、「風雅の誠」は「誠の俳諧」のことであるとする。
「不易流行」という言葉は、芭蕉が弟子に向かって実作上の態度を言って聞かせたのだろうが、論理的でないし、弟子たちもそれを後世に論理的に伝えることが難しかったようだ。その理由を高野は、「芭蕉は理論家であるよりは実感派であり、哲学者であるよりは詩人であった」という。この「不易流行」なる言葉は、『ほそ道』の旅(小生は特に、「息絶身こごえて」の実経験から「天地」との接触意識を強くした出羽路の旅を思うのだが……)を踏破した者の実感から得た奥義のようなものであり、弟子たちはその旅を経験していないが故に、そのままの言葉を伝えたものの、肌で真意に近づいていなかったのかも知れない。
芭蕉の「不易流行」は世界観であり、俳諧観であった。その一体性の認識であった。新しくかつ時代を越えてゆく俳諧こそ、芭蕉が追い求めてきたものであった。その秘義を悟り得たのは旅の賜物だった。それは冷静な「論」よりは元来、どこか喜びの「信仰告白」に似ていたはずだ……と高野は結論づけている。
該著を一読し、渾身の高著であることを深く認識し、小生もいっぱしの芭蕉通になったような気がした。有難う御座いました。
https://ameblo.jp/redgod1956/entry-12649861298.html 【風雅の誠】より
パパが好きな言葉は「風雅の誠」なんだ。松尾芭蕉が最初に使った言葉でね。その意味は
私心を捨てて大自然と一体となった、永遠不変の境地のこと。
「不易(ふえき)流行」の根底にあって、それを生み出すもとになっているとされる。
つまり、古いものを無くしてしまうのではなく、煮詰まったら古いものに戻って、価値を受け継いで、未来に反映して、夢や希望を生む。いい言葉だろ?
ゆのちぃは 、Miyabi が好きだしな^^
でもね、ゆのちぃこれだけじゃ、ただの理想論。大切なことが一つ抜けている。それを考えてごらん。
話変わるけどね今は世界がものすごい速さで動いてるね。これからの世界は180度、ガラリと変わるよ。今までは、例えば一人の牧場主がいて家畜を柵の中で放し飼いにしている。
その家畜たちは、柵の中では境界線のない、家畜の種類も、エサも様々だ。
じゃれあったり、喧嘩したり、交尾したり・・これが自由(と思わされている)だ。
ただし、柵の中の世界でね。
牧場主は、そんな家畜を柵の外からコーヒーでも飲みながら眺めている。
じゃあ、これからはどうなる。古代に時を戻そう・・と言うことになるw
牧場主は退場し柵は取り払われて、家畜たちは小さなグループを作ったりして、自然の中で生活する。
人々は共存共栄で助け合い、その中から実りあるものを得るようになる。
そこからゆっくり平和的なルールができるよね。古代から「渦巻き」は生命の印だった。
縄文土器に渦巻き模様が多いのはそのためだ。今の世界を破壊するのは容易いことだけど
そこから立ち直るのは大変なんだ。優れた2人のリーダーが必要なんだよ。
1人は、偏りのない思想を持ち、将来の方針や理想を語れる人。もう1人は、その理想を形にすることができる人。
中枢に立つ人は、2人とも信仰心や心のよりどころを持っている、ブレない人でなければならない。
私利私欲、つまり「今だけ、金だけ、自分だけ」の拝金主義者ではダメ。
反対に外側は、いろんな人がいてもいい。
渦巻きの真ん中さえちゃんとしていれば、渦は崩れない。
パパは二つ大切なことを言ったね。
一つめは、今までは一握りのエリートが、大多数の人を支配するタテの関係(グローバリズム)これからの世界は、相手を認めながら共存共栄するヨコの関係(ナショナリズム)だよ。
二つめは、その世界を最初に作る人に求められる条件があって、中道(思想に偏りがない)と信仰心(心のよりどころ)だねあと、もう一つ大切なことがある。
「たまり場」だ。思いを共有できる空間わかりやすく言えば家族だ。
0コメント