泰山木

https://www.canadianrentalhousing.com/hanakotobaziten/post-1183/ 【泰山木の開花時期、花言葉、名前の由来、エピソード】より

タイサンボクのプロフィール

一般名:泰山木(タイサンボク) 学名:Magnolia grandiflora  科名:モクレン科属名:モクレン属 原産地:北アメリカ 樹高:5~20m 花形:9~12弁花 開花時期:5~7月

泰山木の花言葉

泰山木の花言葉は、「前途洋々」、「希望に満ち溢れている」、「壮麗」、「威厳」、「真の輝き」、「自然の愛情」です。

泰山木は樹高が高く、その梢の枝先に大ぶりの白い花が上向きに天を向いて咲きます。「前途洋々」、「希望に満ち溢れている」という花言葉は、その様を表しているようです。「壮麗」、「威厳」、「真の輝き」は、泰山木の花のイメージを表現しているようです。厚みのある花弁は、1枚1枚が手のひらよりも大きく、輝くような白色です。その花弁が集まった花は、馥郁とした香りを放ちます。花は、6枚の花弁と3枚の萼片から成っていますが、どちらも白いので見分けがつかず、9枚の花弁があるように見えます。ただ、花弁の数は一定しておらず、9枚~12枚のものもあります。花弁の真ん中に、たくさんのおしべとめしべが円錐状についています。開花すると40~60cmほどの大きさになる花は、日本の樹木の花としては、最大級です。美しいのですが圧倒される大きさです。

名前の由来

泰山木は、北米が原産地です。今でも、アメリカ南部を象徴する木といわれており、ミシシッピ州とルイジアナ州の州花に指定されています。日本に伝えたのも、明治の初頭に来日した当時のアメリカ大統領であるブラント夫妻で、大統領夫人が植樹された木が、日本の最初の泰山木となりました。英語では、サザン・マグノリアと呼ばれています。科の学名にもなっている、Magnoliaーマグノリアという名は、フランスの植物学者ピエール・マニョル氏の名前にちなんだものです。

泰山木という名前は、その花や木が大きく立派なことから、中国の名山「泰山」になぞらえたためといわれています。または、大きな杯のような形の花を咲かせるため、「大盃木」と呼ばれていたのが転訛したという説もあります。

泰山木のエピソード

泰山木の花は、俳句では夏の季語になります。5月~7月に咲くため、日本ではちょうど梅雨時に花を咲かせます。杉田久女の詠んだ「長雨や泰山木は花堕ちず」という句は、梅雨時の日本の原風景を表現しているようです。高浜虚子の「昂然と泰山木の花に立つ」という句は、圧倒されるほど巨大な泰山木に負けない心意気のようなものを感じます。

香りも味も特別な泰山木の花びら

泰山木の花の花びらは肉厚で、馥郁とした香りがあります。この花びらは食べることもでき、食べると甘い味がします。大きな花をとって、透明感のある不思議な白さの花びらを食べるというのは、ちょっと不思議な経験です。大きくて柔らかくて良いにおいのする花びらを口に含むと、花蜜に似た甘みが口中に広がります。むしゃむしゃ食べる感じではありませんが、なんだか得した気分になります。泰山木の木は「壮麗」で圧倒されるのですが、泰山木の花は、「自然への愛情」を私に感じさせてくれます。ハッとするような上品な美しさに目は喜び、触るとその特別な触感が気持ちよく、香りに魅せられ、味覚も満足する、そんな素晴らしい花、五感のすべてを使って味わいたい花です。


https://ameblo.jp/masanori819/entry-12600573902.html 【一日一季語 泰山木の花(たいさんぼくのはな)  【夏―植物―初夏】】より

泰山木の大輪真白香しく 桂敦子

今いる板橋区に引っ越しをしてきて十年。昨日ふと、隣接するマンションの庭に咲いている泰山木の花に気がついた。

残念ながら、香りまではこちらに届いてきませんでした。

【季語の説明】

泰山木はモクレン科の常緑高木で、六月ごろ直径一五センチほどの白い大輪の香り高い花を、空に向けて開く。葉は長さ一二~二五センチの長楕円(だえん)形で、艶(つや)がある。庭木・街路樹として栽培され、宝珠形の蕾(つぼみ)は茶花として用いられる。北米原産で、明治初期に渡来した。

・北アメリカ中南部を原産とするモクレン科の常緑樹。5月から6月にかけて咲く花は直径10センチ~20センチとかなり大きく、圧倒的な存在感を持つ。花には万人受けするような芳香があるが、特に咲き始めは香りが強い。

・樹形も雄大であり、一般家庭よりは公園や寺社のシンボルツリーになっていることが多い。

・タイサンボクの葉は肉厚で冬でも光沢を持つ。裏面が黄色っぽく、遠目でも判別しやすい。

【例句】

泰山木錆びし花びら撒き散らす 小林螢二   暮れてゐる途方を泰山木の花    梅田津

泰山木高きに香り夜の静寂    吉田眞弓   朝光の捉ふ泰山木の白      隅田恵子

天を向く雄心泰山木の花     田所節子

【小春の語源など】

「泰山木~大きく開くこの花も神々しく白い。

〈蕾は白蠟/半開が白磁椀/満開時 紛うかたなき白牡丹〉は泰山木を愛でた堀口 大学の詩の一節だ。」

今日の隣家の庭には、まさしく、甘く芳しい香りを漂わせながら、この詩に例えられている白牡丹のように大きな花を咲かせていました。

【朴の木の花と泰山木の花の違い】

●朴の木

モクレン科の落葉高木で学名はMagnolia obovata

日本原産だそうです。

開花は6月で、いい香りがするそうな。

●泰山木

これもモクレン科ですが常緑高木で学名はMagnolia grandiflora。北米原産だそうです。

花は朴の木より大ぶりで、開花は5~7月頃。

いい香りがすると書いてありましたが、隣家からの香り、私は感じませんでした。

葉っぱは15cm〜20cmと朴の木よりは小さめ。

細長くて表面はつやつやとした光沢があり、裏には毛が生えているので表とは色が違うそうです。


https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19980626,20040517,20100522,20120510&tit=%91%D7%8ER%96%D8%82%CC%89%D4&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%91%D7%8ER%96%D8%82%CC%89%D4%82%CC 【季語が泰山木の花の句】より

 壷に咲いて奉書の白さ泰山木

                           渡辺水巴

珍品だ。というのも、まずは句の花の位置が珍しいからである。泰山木の花は非常に高いところ(高さ10メートルから20メートル)に咲くので、たとえ自宅の庭に樹があったとしても、花を採取すること自体が難しい。したがって、多くの歳時記に載っている泰山木の花の句に、このように近景からとらえたものは滅多にない。ほとんどが遠望の句だ。この句は、平井照敏編『新歳時記』(河出文庫・1989)で見つけた。で、読んですぐ気にはなっていたけれど、なかなか採り上げることができなかったのは、至近距離で泰山木の花を見たことがなかったからである。遠望でならば、母校(都立立川高校)の校庭にあったので、昔からおなじみだった。ところがつい最近、東大の演習林に勤務している人に会う機会があり、その人が大事そうに抱えていた段ボール箱から取り出されたのが、なんと泰山木の純白の花なのであった。直径25センチほどの大輪。そして、よい香り……。近くで見ても、一点の汚れもない真っ白な花に、息をのむような感動を覚えた。そのときに、この句がはじめてわかったと思った。作者もきっと、うっとりとしていたにちがいない。なお、「奉書」とはコウゾで作られた高級な和紙のことをいう。しっとりと白い。(清水哲男)

 応援歌泰山木は咲かむとす

                           草深昌子

季語は「泰山木(たいさんぼく)の花」で夏。はつなつ讃歌。爽快な句だ。近所の学校からか競技場からか、元気あふれる応援歌が聞こえてくる。天気は上々なのだろう。見上げると、泰山木の花が大きなつぼみを今にも開こうとしていた。応援歌を聞いて下うつむく人はあまりいないだろうから、作者の視線の方向には無理がなく、お互いに何の関係もない応援歌と泰山木とがごく自然にしっくりと結びついている。「咲かむとす」の語勢も良く効いていて、ものみな生命を吹き上げるこの季節の喜びをしっかりと表現した佳句だ。実に、気持ちが良い。私の通っていた高校には立派な泰山木があったので、掲句を読んだときにすぐ思い出した。が、当時の私は精神的にかなり屈折した(ひねくれた)状態にあったので、句のような情景があったとしても、素直には反応しなかったろうとも思われた。何を見ても何があっても、暗いほうへと心が傾いていってしまっていた。なかなか素直になれない。よくよく考えてみると、つい最近まで多少ともつまらないことに拘泥する癖があったと思う。いや今でも癖は抜けていないかもしれないのだけれど、ようやく掲句の作者と同じ心持ちになれるようになってはきており、これまでの屈折の時期を客観視できるようにもなってきた。ずいぶんと長い間、素直さを獲得できないでいたことに、下世話に言えば大損だったと舌打ちしたい気分だ。素直になれることも、きっと才能のうちなのだろう。『邂逅』(2003)所収。(清水哲男)

 泰山木の花に身を載せ揺られたし

                           林 昌華

子供の頃住んでいた病院の官舎のすぐ近くに、広っぱ、とよばれていたグランドがあった。父は脊椎損傷の専門医で、その病院は元、傷兵院と呼ばれ戦争で車椅子の生活となった患者さん達が暮らす療養所だった。グランドは、昼間はテニスコートやアーチェリー場として使われ、夕方からは、学校から帰った官舎の子供が集まって遊ぶ広っぱになった。そこに泰山木の大木があった。官舎は古かったが広い縁側があり、朝夕二十数枚の雨戸を開け閉めするのが私達子供の役目で、毎日泰山木の木を見て過ごした。花を間近で見ると、ふんわりと空気を包むような形の花弁は大きくほんとうに白く、初夏の広っぱの匂いがした。患者さん達は皆車椅子を上手に操りスポーツを楽しみ、私達官舎に住む子供とよく遊んでくれた。思い出すのは優しい笑顔ばかりだけれど、戦争で傷を負い一生をその療養所で送ることを余儀なくされたのだったとあらためて思う。掲出句の心地よさは叶わぬ願いでありどこか極楽浄土も思わせる。泰山木の花の思い出は、療養所の広っぱと父の思い出でもある。『季寄せ 草木花』(1981・朝日新聞社)所載。(今井肖子)

 泰山木けふの高さの一花あぐ

                           岸風三楼

大きな樹木に咲く花は下から見上げても茂る葉に隠れてなかなか気づかないものだ。俳句をやり始めたおかげでこの花の名前と美しさを知ったわけだけど、今ではこの時期になると職場近くにある泰山木の花が開いたかどうか昼休みに確かめにゆくのが習慣になった。木陰にあるベンチに弁当を広げながら、ああ、あの枝の花が開きかけ、2,3日前に盛りだったあの花はまだ元気、枝の高さを追いながらひとつひとつの花を確かめるのも嬉しい。青空の隙間に見えるこの花の白さは美しく、名前の響もいい。原産地は北米で、渡来は明治以後とのこと。「一花あぐ」という表現が下から見上げる人間の思惑など気に掛けず天上の神々へ向けて開いているようで、超然としたこの花の雰囲気を言い当てているように思う。『岸風三樓集』(1979)所収。(三宅やよい)





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