Facebook相田 公弘さん投稿記事 ありがとう探し、幸せ探し
先に「ありがとう」を100回言うと、脳はありがとうの合理的な理由探しを始めるのです。「ありがとう」を言った人は、一日中ずっと「ありがとう探し」をして、脳が「ありがとう」に満ち溢れながら一日を終えることになります。
同じように、「あー、幸せ」を沢山言うと脳は幸せ探しを始めます。
私達は、目の前の現象をどう思うか、どう感じるかであって、幸せという名の現象が宇宙に存在するわけではありません。
トイレに「きれいに使って下さってありがとう」という貼り紙をしてあると、まだ使っていないのに、この貼り紙が目に入ったとたんに、この言葉に応えないと合理的な答えにならないので、きれいにして出てくることになります。
「ありがとう』という言葉は、心を込めなくても、言っただけですごい効果があります。
感謝の心というのは、”謙虚さ”なのです。
人間関係においては、すごく不機嫌な人、投げやりな人、非常に否定的な人、攻撃的な人がいます。
そういう、自分にとって、つらい立場の人がいます。それは、決して悪い存在ではなくて、
自分を高めてくれる為の素晴らしい人なのです。
私達は、幸せの真っ只中に居るのにそれに気が付いていない。悩み苦しみは執着から生じているのです。もともと、人間は大したものではありません。
「自分が大したものではない」と思っていたら、誰かが何を言っても動じません。
「バカじゃないの」と言われたら、「そのとおり、バカなんです」と答えれば、どこにも問題が生じません。
私のテーマは普通の人であり続けること。
(中略)
「正観さんと会って、どんなことがあっても動じなくなりました」と言われることが、とても嬉しいことです。
良い事が起きているわけではない。起きている事は全部中立なのです。
「それを自分が楽しく感じるようになりました。逆に、何がおきても怒鳴るようなことがなくなり、どんなことが起きても動じなくなりました。一喜一憂しなくなりました」
というのが、本当に現象がとらえられてきたということです。
※「心がなごむ秘密の話」小林正観 著 宝来社より
https://kyobashi-treasury.com/%E5%8F%A4%E6%9D%A5%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E7%9F%A5%E6%81%B5%EF%BC%9A%E4%BA%88%E7%A5%9D%EF%BC%88%E3%82%88%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%8F%EF%BC%89%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88/ 【古来からの知恵:予祝(よしゅく)について考えてみた】より
今週の金曜日にある神社様にお参りする機会を得ました。
その参拝行事の中に「予祝」といわれる行いがあることを知り、興味を持ちました。
予祝とは、字のごとく予めお祝いをすること
よしゅく【予祝】(以下、コトバンクより)
“あらかじめ祝うこと。前祝い。”(出典 小学館)
“豊作や多産を祈って,一年間の農作業や秋の豊作を模擬実演する呪術行事。農耕儀礼の一
つとして〈予祝行事〉が行われることが多い。あらかじめ期待する結果を模擬的に表現する
と,そのとおりの結果が得られるという俗信にもとづいて行われる。小正月に集中的に行わ
れ,農耕開始の儀礼ともなっている。一種の占いを伴うこともある。庭田植(にわたう
え),繭玉(まゆだま),粟穂稗穂(あわほひえぼ),鳥追,成木(なりき)責めなど地方
色豊かなものが多い。”
(出典 株式会社平凡社/世界大百科事典 第2版)
古代人の素晴らしい知恵
古来日本では予祝という前祝が年中行事の中に組み込まれていたとのことです。
花見などはその典型で、秋の五穀豊穣を春に前もって祝うことで、秋の豊作を体感し、現実のものとしたいとする行事です。
古代から日本列島は、台風、地震などに頻繁に襲われていたはずで、古代人の不安を和ら
げ、秋の豊作への期待を育む、そして日頃の労働の疲れを癒すには、とても効果のある行事
だったのは間違いありません。
今でこそ機械化が進んだ稲作ですが、古代にはそうした機械もなく、手で1本、1本植えて
いったわけですが、苦労して植えた稲も水の管理もままならない水田ではちょっとした日照
りで枯れてしまったことも多かったことでしょう。
そうした緊張や収穫の不安を和らげ、秋の豊作を祈るには花見などは、絶好のチャンスだっ
たのだと想像します。
https://kigosai.sub.jp/001/archives/17928 【田遊(たあそび) 新年】より
【子季語】
春鍬/安女/太郎次/尺太郎/尺次郎/よねぼ/よねほう/よなんそう
【解説】
正月にその年の豊作を予祝して行う神事芸能。社寺の境内などで、田打ちに始まり、ささらでの鳥追いなどを経て、収穫に至るまでの一連の田行事を太鼓や歌に合わせて演じる。地方によって形式や呼び名が異なる。
http://dairo.main.jp/?p=2053 【餅花(もちばな) 新年】より
花餅、餅穂、餅手鞠、餅の花、餅木
【関連季語】
小正月、繭玉
【解説】
柳や水木などの枝に紅白の餅をちぎって付けたもの。豊作を祈り小正月に飾られる。
【分類】
『俳諧初学抄』(寛永18年、1641年)に所出。
【実証的見解】
餅花は豊作の予祝行事として行われる。予祝とは、その年の豊作を前もってお祝いすること。豊作のお祝いをしてしまったのだから、本当に豊作にしてもらわないと困るということ。養蚕の盛んな地域では、餅花ではなく繭玉を飾って、繭の豊かな収穫を祈った。
【例句】
餅花や柳はみどりはなの春 西鶴 「桜川」
餅花や昔ながらの箱障子 抱一 「屠龍之枝」
餅花やもつれしままに静まれる 松本たかし 「松本たかし句集」
餅花の小判動かず国の春 正岡子規 「子規句集」
餅花や今戸の猫にささげばや 芥川龍之介 「澄江堂句集」
しだれつつ末の末まで餅の花 長谷川櫂 「富士」
https://parole.laboratorio.ltd/n/n12ac8da93a9a 【花芽吹き 水流れ清き 予祝頃なり】より
執筆:富山和樹
はなめぶき みながれきよき よしゅくコロナり
桜が咲き始め、明るいニュースが多くなってきました。
コロナに対しては安心しつつも慢心せずといった所ですが、吹き送り、水に流し、春という予祝の季節に感謝しつつ、新たな気持ちでスタートする意味を込めております
https://www.hodaka.org/spring/5008 【春の予祝行事】より
荒技にカメラたじろぐ事祭
春ごとのカメラたじろぐ砂つぶて
今日は河合町廣瀬大社の「砂かけ祭り」の日だ。
ホームページにあるように、この行事は農耕作業が順調に進み稲が無事に育つように五穀豊穣を祈願するお祭りである。あらかじめ祝福することでそのことの実現を祈る、いわゆる「予祝」の「お田植え祭」、「春祭り」として、「春ごと」「事祭」に類する祭である。
砂をかけ合うのは雨の少ない大和盆地にあって、よく雨に恵まれますようにという意味があり、砂が飛び交えば飛び交うほど縁起がいいとされるので、その激しさは半端なものじゃない。たとえ見物の傍観者であっても容赦なく砂を浴びせられるので、この日は雨合羽などで頭から完全防備のかっこうで臨まないと大変なことになる。
まして高価なカメラなど下手すると壊されかねない荒っぽさなので、レンズの部分だけ目出ししてあとはビニールなどで覆うなどの対策が必要。
掲句の「事祭」や「春ごと」は関東などではあまり聞かれない季語なのかもしれない。当地では既に1月の頃から各地の神社でそれぞれの「御田植祭」(おんだまつり)が行われるが、この廣瀬大社の御田植祭は別名「砂かけ祭り」の方が有名で「大和の奇祭」のひとつとしても広く知られている。
追)神社ではなくて「大社」でした。さすが勅願の社だけありますね。
https://note.com/konohana_sakuya/n/naee1ec99935c 【「予祝」という祈り方で不安を突破しよう】より
日々の報道やさまざまな情報に接して少なからぬ不安や恐れが生じるのは自然な心の動きです。動揺する自分をダメだと思わなくても大丈夫です。
不安や恐れを抱くと人は思わず手を合わせ、祈るものですね。
その時、多くの人は「無事でありますように」「コロナが一日も早く終息しますように」と、このように祈るのではないかと思います。
それを、これからは「私も私の大切な人たちも無事でした、ありがとうございます」
「コロナが終息しました。ありがとうございます」このように祈りましょう。
これを「予祝(よしゅく)」といいます。いうなれば、幸運を先取りするわけです。
だまされたと思って、このように祈ってみてください。
私は毎朝毎晩、あるいは不意に不安が生じたときにこのように祈っています。
日本人は雨乞いなどで、実際に雨を振らしてきました。祈りには絶大なパワーがあります。
たくさんの人が、このように祈ることが大切です。神棚や仏壇がなくても、神社仏閣に行かなくても祈りは「すぐ」「その場で」「いつでも」できます。
今から、みなさんで始めませんか?
ぜひ、ご一緒に、お願いいたします。
今日もあなたは無事に過ごせます。大丈夫。安心、安心。
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