https://mainichibooks.com/books/humanities/post-343.html 【金子兜太のことば】より
著者 石 寒太
あわてず、あせらず、たっぷり生きる。98歳、生涯現役の俳人が遺した力強く、心に響くことばが一冊に!
"俳句があるかぎり、日本語は健在なり"
"物事を成就させるのは、「運・鈍・根」ですね"
"死ぬのが怖くないか? と問われたら、「死ぬ気がしなかった」と答えます"
戦後俳壇のトップランナーとして70年間活動をつづけ、生涯現役のまま、2018年2月20日に98歳で逝去した金子兜太。その力強く、心に響くことばの数々が一冊に。故郷の記憶、戦争と平和、人間の存在といのち......俳句を探求し、自由を愛した俳人が遺した珠玉のメッセージ集です。
金子兜太とおなじく加藤楸邨を師に持つ俳人であり、兜太の盟友でもあった石寒太が、長年の交流の中で胸に刻まれたことばと俳句を選びぬき、ていねいに解説しています。
目次
まえがき 第一章 産土へ 第二章 戦争、そして平和 第三章 俳句のために生まれてきた 兜太俳句二〇句鑑賞 第四章 兜太の日常 第五章 人間の存在といのち
あとがきにかえて 金子兜太略年譜
プロフィール 金子兜太
かねこ とうた/1919年、埼玉県生まれ。俳人。
俳人の父、金子伊昔紅の影響で早くから俳句に親しむ。27年、旧制水戸高校に入学し、19歳のとき、高校の先輩、出沢珊太郎の影響で作句を開始、竹下しづの女の「成層圏」に参加。加藤楸邨、中村草田男に私淑。加藤楸邨に師事。43年に東京帝大経済学部卒業後、日本銀行に入行するが、44年に応召し出征。海軍主計中尉、のち大尉として南太平洋トラック島に赴任、終戦を迎える。米軍捕虜になったのち46年帰国。47年、日銀復職。55年の第一句集『少年』で翌年、現代俳句協会賞受賞。62年に俳誌「海程」を創刊し、後に主宰となる。74年日銀退職。83年、現代俳句協会会長(2000年より名誉会長)。88年紫綬褒章受章。97年NHK放送文化賞、2003年日本芸術院賞。05年チカダ賞(スウェーデン)を受賞、日本芸術院会員に。08年、文化功労者、正岡子規国際俳句賞大賞。10年、毎日芸術賞特別賞、菊池寛賞。15年度朝日賞。著書に、句集『蜿蜿』(三青社)『皆之』『両神』(日本詩歌文学館賞。以上、立風書房)『東国抄』(蛇笏賞。花神社)『日常』(ふらんす堂)の他、『金子兜太選集』4巻(筑摩書房)『金子兜太養生訓』(白水社)『小林一茶 句による評伝』『わが戦後俳句史』『語る 兜太 わが俳句人生』『いま、兜太は』(岩波書店)など多数。2018年2月、逝去。
著者について
石 寒太
いし かんた/1943年、静岡生まれ。本名、石倉昌治。1969年、雑誌「寒雷」に入会、加藤楸邨に俳句を学ぶ。元「俳句αあるふぁ」編集長。現在、雑誌「炎環」主宰、毎日文化センター・朝日カルチャーセンター・NHK俳句教室講師。日本文藝家協会・近世文学会・俳文学会・現代俳句協会会員。
著書に、句集『あるき神』『炎環』(花神社)『翔』『石寒太句集』『生還す』『以後』(ふらんす堂)『夢の浮橋』(光書房)『風韻』(紅書房)、評論・随筆に『山頭火』『こころの歳時記』『いのちの一句 がんと向き合う言葉』(毎日新聞社)『尾崎放哉 ひとりを生きる』(北溟社)『山頭火の世界』『俳句日歴』『宮沢賢治の俳句』(PHP研究所)『わがこころの加藤楸邨』『ケータイ歳時記』(紅書房)『「歳時記」の真実』(文春新書)『俳句はじめの一歩』『おくのほそ道謎解きの旅』『芭蕉のことばに学ぶ俳句のつくり方』(リヨン社)『心に遺したい季節の言葉』(KKベストセラーズ)『仏教俳句歳時記』(大法輪閣)『芭蕉の晩年力 求めない生き方』(幻冬舎)『芭蕉の名句・名言 読んで、聞いて、身体で感じる』(日本文芸社)『命の一句』『恋・酒・放浪の山頭火 没後七十年目の再発見』(徳間書店)『吉行あぐり102歳のことば』(ホーム社)『宮沢賢治 祈りのことば』(実業之日本社)『加藤楸邨の100句を読む』『宮沢賢治の全俳句』(飯塚書店)『よくわかる俳句歳時記』(ナツメ社)『宮沢賢治幻想紀行』『宮沢賢治の言葉』(求龍堂)など多数。
https://bunshun.jp/articles/-/5386?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=relatedLink 【98歳“俳句レジェンド”金子兜太が語る「俳句にはアウトサイダーが必要だよ」】より
芸人も、外国人も、破格の俳人も みんな自由に遊べばいい
御年98歳。「銀行員等(ら)朝より蛍光す烏賊のごとく」「酒止めようかどの本能と遊ぼうか」など、数々の名句を生んだ俳壇の最長老、金子兜太さんが文春オンラインのインタビューに応えてくださいました。俳句の海外事情からノーベル賞、そして俳句の未来まで、一言一句が貴重なお話を伺いました。
◆
もう100を超えてるような気がしてます
――98歳になられましたが、先生はよく「自分の歳は7掛け」とおっしゃっています。まだまだという感じですか。
金子 自分としてはもう100を超えてるような気がしてます。まあ、それを7掛けで70歳ですか。こっちはもういい加減だから、そんな気持ちです。
――戦後前衛俳句をリードしてきた先生は、季語についても柔軟な考えですよね。「妻よおまえはなぜこんなに可愛いんだろうね」などの愛妻句をたくさん作った橋本夢道や、「後ろ姿のしぐれて行くか」などの自由律俳句を残した種田山頭火など、「え、これも俳句なんだ!」という世界も先生はよく評されていて。
金子 俳句は自由。遊びの要素があってこそのものだと思っているんですよ。
――遊びといえば、以前『文藝春秋』では「外国人句会」という企画を3年にわたって開催しまして、先生には日本代表、宗匠としてお力をいただきました。
金子 あれは懐かしい。くだけた会で楽しかったね。参加者はいろんな国の人がいたけども、中国人作家の楊逸さん、非常に家庭的な人で覚えています。それから学者の姜尚中さんでしたか、いい男。詩人のアーサー・ビナードさんは好きな男だったなあ。こちらも気軽に冗談言いながら楽しくやりましたが、みなさん日本語が達者でうまいんだ。
――先生も点数が入らないと悔しそうな顔をされて……。
金子 ハッハッハ、悔しかったね。あれは一種の他流試合。だからこちらも軽い敵愾心を持って臨みました。「俺は遊んでねえぞ」っていう本気を出しつつね
ノーベル賞「もっと外交せねばいかんと思ったな」
――俳句は海外にも独自の文化として広がっています。「外国人句会」の他にも、これまで海外の方と俳句について語る機会はありましたか?
金子 EUの大統領をやっていたファンロンパイさん、彼が俳句をなさるんです。それで外務省に呼ばれた会合だったか何かで、ちょこちょこっと話したことはありましたね。それから、スウェーデンの人が俳句に関心を持っていて、私が軽いアドバイスをしたこともありました。スウェーデンというのはノーベル賞の国だから「金子くん、お前を推すから頑張れ」とでも言ってくれるかと思ったんだが、一言もそんなこと言わないんだ。これは私も、もっと外交せねばいかんと思ったな(笑)。
――ノーベル賞といえば、スウェーデンの詩人で文学賞を受賞した、トーマス・トランストロンメルは、俳句詩という「5・7・5」を踏まえた3行詩でも評価が高いのだそうですね。
金子 イエス、イエス。この人について語れとスウェーデン大使館に呼ばれたことがありましたね。海外の俳句詩というのは、アメリカのイマジズムの影響が強い。イマジズムというのは映像主義とでも言うのかな。例えば、エズラ・パウンドというイマジスト詩人が第2次大戦後にアメリカからヨーロッパに渡って、随分と俳句の種を蒔いてくれたんです。俳句というのは映像と相性がいいんでしょうな。
――先生はアレン・ギンズバーグ、ジャック・ケルアックと並び称される「ビート・ジェネレーション」詩人の一人、ゲーリー・スナイダーと交流がおありなんですよね?
金子 いやいや、一応形だけはね。あれは大物ですよ。西海岸、カリフォルニアのイマジスト。愛媛県がやっている正岡子規国際俳句賞ももらっている人ですね。彼は自然をどう詩の言葉にするか考えている人間で、東海岸と西海岸の自然の違いについて話を聞いたこともありました。
俳句はオーソドックス面(づら)したやつじゃダメなんですよ
――俳句は世界でも類を見ないほど短い「定型詩」です。俳句の世界の最長老として、この日本独自の文芸である俳句は、これからどんな道を歩んでいくと思われますか?
金子 うーん、俳句というのはたしかに「日本独自」の文化ではあります。しかし、その独自ということが何なんだ、ということを絶えず自問自答しなければ道は開かれていかないでしょう。むしろ海外では俳句を体系的に「詩論」として立派にまとめておかなきゃならんという動きもあるようですがね。最近では、俳句というのは非常に独特な光を持ったものだと再評価する向きもあるようだけど。
荒凡夫(あらぼんぷ)とは小林一茶の言葉。本能のまま、「生きもの感覚」で生きること
荒凡夫(あらぼんぷ)とは小林一茶の言葉。本能のまま、「生きもの感覚」で生きること
――18歳で句作を始め、句歴80年を超えた先生ですが、やはり「独特の光」というものを俳句に感じますか?
金子 いや、そこに関してはあんまり自信がないね。どうも私は臆病者なんだ(笑)。
――俳句は若い層にもじわじわと広がりを見せています。毎年夏に行われる俳句甲子園は20回大会を迎えましたし、最近ではピースの又吉直樹さんや、フルーツポンチの村上健志さんら、俳句に親しむお笑い芸人の方もいるんです。
金子 大いに結構。俳句というのはオーソドックス面(づら)したやつじゃダメなんですよ。むしろ、さっきの橋本夢道しかり、神戸で活躍して『神戸』という小説も書いた西東三鬼しかり、俳句にはユーモア精神が必要で、だからこそアウトサイダーが俳句の世界を活性化してくれる部分もある。冗談から駒というやつだ。だから海外にも、若い世代にもどんどん広がっていってほしい。俳句で遊んでくれる人たちがいる限り、未来は明るいと思いますよ。
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