日本人が世界に誇れること

Facebook相田 公弘さん投稿記事「日本人が世界に誇れること」

日本の日常生活にある豊かな「ありがとう」の感謝表現は、他の国とは異なります。

実にさまざまな、感謝を表す言葉があるのです。

「すみません」「ありがとう」「恐縮です」「おそれいります」「助かりました」

「お世話になりました」「ご馳走様でした」「お疲れ様でした」

長年日本にいても、その場その場で使い分けられる「感謝の表現」の複雑なニュアンスに戸惑うことがあります。

ちょっとしたおじぎなど、感謝を表すジェスチャーもたくさんありますし、

お土産やギフトの文化に含まれる「感謝の心を表す行為」にも、深い意味や歴史があるようです。

日本人の社会では、ビジネスでもプライベートでも、感謝の気持ちを表すことが基本的な習慣となっています。

「お礼の気持ち」をどのように表すべきかという「課題」を、無意識のうちにこなしてしまっているのです。

もちろん他の国にも、「家族を大切にする」「社会活動を行う」などの素晴らしい共通認識がありますが、「ありがとう」を中心に考えると、必然的に「我」ではなく、「相手」がフォーカスされます。

相手のためにどのように言えばいいか、どのように動けばいいか、何を差し上げればいいかを日常的に考えるようになると、自己的ではなく外向きな視点をもつようになるでしょう……

わたしの子供たちが小さいころ、よく横浜の市営バスを利用していました……

お年寄りたちのほとんどが、バスを降りる前に運転手さんに向かって「ありがとうございます」と声をかけていました。

目的地まで無事につれていってくれた運転手さんへの、「お礼」の気持ちを、当たり前のように、何気なく言葉にしていることに心を打たれました。

そうした文化が、子供たちにも根づいていることを、わたしは誇りに思います。

先日、子供とタクシーに乗り、十歳になった娘が下車する際に、無意識に運転手さんにちょっとしたおじぎをし、「ありがとうございます」と丁寧に言ったのです。

その瞬間、母親としてとても穏やかな気持ちになりました。

これからも日本人のお礼の心を、親子ともども、どの国へ行っても、大切にしていきたいと思います。

※出典:RuthJarman白石著「日本人が世界に誇れる33のこと」あさ出版2012年5月22日発行

飲食店でも、店員さんへ「ありがとう」を言う人は美しいですね。

たとえ心の中で深く感謝しても言葉か態度に出さないと相手には伝わりませんから

ちゃんと言葉にしていきます。

今日も素敵な1日をお過ごしください(*^-^*)



卑屈やコンプレックスは 自分と他人を区別し、無智ゆえに「自分だと誤解している自分」だけを愛する自我執着によると言われます。

縁起の法ではすべては相互に依存し 他から独立した固定した実態は無いと教えられ、観音菩薩の教えでは 全てのものは仏の胎児であり、仏になる存在だと教えられました。

これが本来の自己イメージのはずです。

宇宙の有機的な相互作用はよく 小宇宙といわれる人体に譬えられます。

目には目の役割があり 排泄物には排泄物の役割があり 善悪を超えて 優劣を超えて 全体のバランスを保ちます。

然し排泄物にはなりたくないと思っている方は多いのではないでしょうか?

それでも自業自得、カルマの法則に従えば 顕在意識の願いを超えて自らの願いが 自らを排泄物に仕立て上げているといえます。

昔 結婚式に参列した時 新カップルへのはなむけの言葉として「胸のオシャレなハンカチではなく 足元の雑巾になる喜び」という話を聞いたことがあります。

雑巾は一見汚く、胸の飾りには決してなりません。然し穢れをふき取り、全てを浄化してゆきます。黙って耐える奉仕の心を象徴します。

言いかえれば愛するものの幸せを自らの幸せとする 喜びを生きる姿とも言えます。

ハンカチも雑巾も自らが選択する役割です。

唯識論では 全てのものは心の現れであると説きます。

排泄物であることもハンカチであることも 心の現れであるということです。

言いかえれば自分だと信じている通りに 自分が現れてくるとも言えます。

「自分だと信じている自分」は「自己イメージ」とも言いかえられます。

イメージがどれほど 自分の存在そのものを規定しているか見てみましょう。

アメリカで死刑囚に対してした実験があります。

被験者として応募した全員に目隠しをし 手首に刃物で切ったような刺激を与えます。(もちろん実際はきっていません)まるで手首から血のしずくが滴り落ちることを連想させるように 水滴が落ちる音を聞かせると 全員死んでしまったという報告です。

また薬のプラシーボ効果はあまりにもよく知られていることです。

全てのものは心の現れであると言われる以上 100% 望めば叶わないことはないとも言えるわけです。

逆に望まないのに 現象として 生じていると見えることは 潜在意識が望んでいることが形になったと考えられるわけです。

潜在意識、マナ識には自覚できない信じ込み 色眼鏡、仮面がひそみ続けます。

パーソナリティという言葉をご存じですね。その語源はペルソナ、仮面、役割という意味です。

社会に生きる以上 役割を負い、仮面をつけ続ける必然性があるわけです。乳児として、子どもとして、大人として、男として、女として、日本人として、、、、、、数えあげるときりがありません。

ですから潜在意識と顕在意識が真反対の願いを持っていたら 顕在意識の願いは決して決して叶わないということです。

潜在意識と顕在意識が乖離していて 顕在意識で頑張れば頑張るほど 心のアクセルとブレーキは同時に踏まれ続け 卑屈コンプレックスから 無気力にさらに自責の念、自己嫌悪、自殺と行きついてしまいます。

卑屈コンプレックスを超えるには 優劣に対する視点変更、マナ識の浄化、カルマの清算、自業自得の知恵が大切だと言えます。

それにより 誤った自己イメージから解放されるとも言えます。

優劣に対する視点変更は 「競争原理に従えば劣って見える人」が 「共生原理に従うと優れて見える人になる」そんな視点変更ともいえます。

自己一致、自分を愛すること(足るを知る=自分の役割個性を知り 利他のために生かす道を歩むこと)がベースにあれば 卑屈コンプレックスの罠にはまらずに済むのではないでしょうか?

【NLP~リフレーミング】

リフレーミング(枠組みを変える)には意味のリフレーミングと状況のリフレーミングがあります。

ゲシュタルトでいえば図地反転・視点変更と言えるのかもしれません。

リフレーミングをすることで、私たちは物事の考え方の枠組みを変え、今までとは別の角度から、物事を見て、解釈することができるようになります。

例えば、営業成績が芳しくないとして、その事実を「どうしてできない?」ではなく「どうすればできる?」とプラスの考え方を持つ事によって、選択の幅を広げ、自分自身の可能性をさらに広げる事ができます。

意味のリフレーミング 例

長所=短所    即断・即決=短気   慎重=優柔不断

性格のリフレーミングの仕方をご紹介します。

あなたの欠点は?できるだけ沢山挙げてみてください。

次は「欠点と思っていることに隠された長所」を探して下さい。

例えば優柔不断が欠点と思っているとします。

隠されていることは?

「優しい」「慎重」「熟慮」…色々考えられると思います。

「それは素晴らしい私は優しい」と言ってみましょう。

自分で数えあげた欠点の全てに隠された長所があることが納得できるまで続けましょう。

次は欠点の反対語を考えます。

「優柔不断」が欠点と思っている人は「即決即断」を理想的なことだと思い込んでいるかもしれません。

その理想に潜む 一番避けたいことを探します。

「独善」「独りよがり」「孤立」…これも色々考えられると思います。

「それはいけませんね。独善的な人」と言ってみましょう。

性格は個性であり 長短がないこと、単なる好みであることが納得できるまで・・・・

誰かと一緒にやってみると ありのままの自分を愛し受け入れる手助けに なりますよ。

自分の想念、信じ込みから自由になり 本来の自分を取り戻す喜びを体験してください。

状況のリフレーミング例

水害⇔サハラ砂漠 (昔は水害で肥沃なデルタ地帯が生まれた。)

人に対するストレス⇔山の中で人に会う

雨が降った時に嫌だなと思う方が多くいるかも知れません。しかし、水不足の農家の方にとっては、これ以上ない恵みになります。

「今の悩みや心の制限は、別のj状況においては強みや自信にできる」ということが分かってきます。

状況により、意味が変わってくるということを理解することで、不必要に悩むことなく、可能性にフォーカスすることができるようになります。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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