http://blog.livedoor.jp/hokkaidouhe/archives/252592.html 【白雲木】
道庁の南口の門の前に白雲木の並木がある。斗南病院があり、HBCがあるところだからすぐにわかるが、ちょうど、白雲木の実がなっていたところだった。
別名「オオバチシャ」。「チシャノキ」はエゴノキの別名。
エゴノキに比べて、葉が大きいが、枝の茂りは少ない。
当園での購入の際は、枝葉がほとんどない一本の幹であった。
白い花が房状になり、多数垂れ下がる。これが「白雲木」の由来。
なお、「オオバエゴノキ」はエゴノキの一変種。
たしかに、白雲木の名の由来のとおりに、白い実がなっていた。春先にはきれいな花が咲く。
札幌の街路樹ということもあって、よく名前を聞くが、実際どんな樹木なのかは知らなかった。中国・清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の弟の溥傑(ふけつ)(1907~94)が新婚時代を過ごした千葉市稲毛区稲毛の旧邸で、かつて宮中にしか植えることが許されなかったといわれるハクウンボク(白雲木)が植えられているそうだが、北海道人の我々とは直接は関係がない。むしろ道庁南門に植えられている並木と言った方がよほどなじみがある。
八月のコスモスの短歌会で白雲木の歌が提出された。
木の花はうつろひやすし一雨ののちほろほろと白雲木散る
散るのは白雲木の花のことだろうと思うが、花を見たことがないので風情が分からないが、写真を見ると白い花が房状に垂れ下がって小さな白い藤の花のようでもある。(写真はインターネットから、お借りしました)。その名の通り、樹木は大きなビルの街路樹などによく植えられ、大志を抱く人の心を表しているようだ。道庁南門前の白雲木はまだ小ぶりな木であるが、これからどのくらい大きくなるだろうか?
コスモス短歌会では10月に全国大会を札幌で開く。ちょうどといえばいいのか、宇宙では国際宇宙ステーションの無人宇宙船(HTV)が日本実験棟の近くにドッキングした。これから2015年まで毎年続くというから、相当の荷物が宇宙へ運ばれるのだろう。
最近は朝の配達の仕事で夜明け前の秋のオリオンを眺めることが多いので、なんとなく「銀河鉄道の夜」のことなど思ったりする。明け方の五時くらいでも、オリオンはこうこうと輝いている。ちょうど、学校の中の新聞の配達が終わるころで、なかでは、研究者たちが夜の明けるころまで電気をつけて仕事をしていることがある。まるで、天幕のプラネタリュームの中にいるようなきれいさだ。
恵迪寮はもう寝静まっているころだが、言わずと知れた恵迪寮というのは、「都ぞ弥生」の寮歌がつくられたところで、今年は、明治四十五年の歌ができたときから百年目である。だから寮の歴史というのは、意味のあることになる。寮の短歌など作ったことはないが、なんとなく懐かしく作ってみたくなった。
恵迪寮百周年
緞帳のごとオリオンは空にあり秋冷いたる石狩の野に
札幌にかつてクロユリ・エンレイソウ明治四十五年の寮歌のなかに
農学の伝統ありて友垣の「都ぞ弥生」は楽しからずや
蛮殻(バンカラ)は今も残りて若者のストーム幾つ肩を組みつつ
https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20090706&tit=%94%92%89%5F%96%D8%82%CC%89%D4&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%94%92%89%5F%96%D8%82%CC%89%D4%82%CC 【季語が白雲木の花の句】より
孫悟空白雲木の花と馳す
大串 章
孫悟空とは、また懐しや。いまでは漫画化やアニメ化もされていて、誰にもお馴染のキャラクターだが、作者や私の子供時代には、その活躍ぶりは活字の世界の中にしかなかった。ということは、誰もがそれぞれに固有の孫悟空像をイメージしていたので、世界中には無数の孫悟空が「存在」したわけだ。だから悟空がキント雲に乗って空を馳せ回るといっても、この雲のイメージも、それぞれに違っていたはずである。『西遊記』の原文にキント雲の色や形状の説明がなされているのかどうかは知らないけれど、愛すべき猿の妖怪が乗るのである以上、あまり邪悪な印象を与える黒雲を想像する子供はいなかったのではあるまいか。作者もまた、真っ白な雲に飛び乗り如意棒を携えて空を行く颯爽とした姿に憧れていたのだろう。そんな少年時から幾星霜の時を隔て、たなびくように白い花を咲かせた白雲木(はくうんぼく)を眺めているうちに、ふと孫悟空を思い出し、これぞあのキント雲ではないかと、膝を叩いたときの句だ。楽しい句だが、それにとどまらず、二度と戻らぬ子供時代への愛惜の情も滲んでいて、読者の心をしんとさせる。なお、私の手元の歳時記に「白雲木」の項目は見当たらないが、この木は「エゴノキ」と同属であり、花期(初夏)も形状(白雲木のほうが葉が大きくて丸い)もよく似ているので、当歳時記では夏の季語に分類しておく。俳誌「百鳥」(2009年7月号)所載。(清水哲男)
https://blog.goo.ne.jp/marbo0324/m/201005/4 【一年後の、浄智寺の白雲木の花】より
昨年、母の葬儀を終えた翌日、5月5日に浄智寺を訪れた。小雨そぼふる日だったが、満開の白雲木の花が、悲しみに沈み、疲れきっていたぼくを迎えてくれた。まるで、花好きの母の魂が乗りうつったかのような見事な咲きっぷりだった。
(昨年5月5日の白雲木の花)
で、今日、1年後の白雲木の花をみたくなり訪ねてみた。寒い日が続いたりしていたから、開花も遅れているのではと思いながら、山門をくぐった。
葉は青々と繁っているが、花の姿がみえない。やっぱり、予想はあたってしまった。
でも、見上げると、花房がみえる。しかし、ほとんど蕾だ。それに去年に比べると、房の数も少ない。
ようやく、一、二輪、開いている花房をみつけた。今日が”開花宣言の日”といっていいかもしれない。でも、ありがとう、開花して出迎えてくれて。去年は本当にどうもありがとう、あんな素晴らしい白雲木の花ははじめてだったよ。一週間後にまた来るからね。いっぱい花を咲かせておいてね。
https://ameblo.jp/kamakurakannon/entry-12672180321.html 【三度目でようやく「浄智寺の白雲木」を観まれました。】より
4月18日(金)に友人が長らく研鑽してきた鎌倉彫の展覧会が「鎌倉芸術館」で開催されました。其処で、友人等を誘って鎌倉彫の作品を観てランチをして、午後は浄智寺に回って「白雲木」を観る事にしました。昨年はゴールデンウィークに建長寺に上って牡丹を観てその帰路浄智寺に回ったのでしたが「白雲木」は既に散ってしまっていました。其処で1週間後の4月25日(金)に妻を誘って浄智寺に上りました。前週より蕾は膨らんでいたのですが、まだ満開には日数がかかりそうです。其処で5月1日今度は一人で浄智寺に行く事にしました。今日は三度目で漸く観られた浄智寺の白雲木を照会します。
「白雲木」はエゴノキ科の高木です。樹形も葉形も「なんじゃもんじゃ」に似ています。
これは深大寺の「なんじゃもんじゃの木」です。「白雲木」と同じ頃にさきます。花の形だけが違います。
「白雲木」は臨済宗の寺院に良く植えられています。仏教には「三代聖樹」が尊ばれます。「無憂樹」「印度菩提樹」「沙羅双樹」の事で夫々「無憂樹/釈迦生誕樹」「菩提樹/釈迦が悟りを得た」「沙羅双樹/釈迦涅槃樹」とされています。
これがインドの無憂樹です。
これは京都の真如堂の百日紅です、「無憂樹」として植えられたものでしょう。
何れもインド北部の樹木で樹木に託して人間の生き様を説いたモノです。仏教はインドから中国を経て日本に伝わります。当然インドと日本では植物の植生が違います。日本では三代聖樹に似たイメージの樹木が崇められます。「無憂樹」は日本では「百日紅」「菩提樹は桑科の大木で日本では天竺菩提樹と呼びシナの木」が適当です。
これは藤沢の遊行寺の「菩提樹」です。樹下の石は座禅石で6月に花が咲きます、
向こうの寺務所棟の庭で「菖蒲園」が公開されます。観ての通り「シナの木」です。
最後が涅槃樹である「沙羅双樹」です。日本では「沙羅双樹」を「夏椿」としている寺院が多い様です。
光明寺の釈迦涅槃図横たわった釈迦の周囲には弟子や動物が集まって嘆き悲しんでいます。
四方を白い花を咲かせた夏椿が囲んでいます。
でも夏椿は中低木で幹も細いのが多いのです。他の聖樹が何れも高木で樹形もピラミッド型で幹は太く逞しいのです。「夏椿」は「涅槃樹」は不適当と感じた人が多かったのでしょう。浄智寺では「白雲木」を深大寺では「なんじゃもんじの木」を植えたのでしょう。5月1日は前日の夜半から強風が吹いていました。浄智寺の「白雲木」の親樹は曇華殿(仏殿)西側の平和塔の脇に在ります。西側の谷戸道を登れば「葛原ヶ丘」から「源氏山」等に行くハイキングコースですから、ハイカーが横目に「白雲木」を眺めて行きます。最近はそんなハイカーを誘って「オーガニックコヒー店」が出る様になりまあした。「自家製天然珈琲」と看板していますので「蒲公英珈琲」でも出すのか思って先週妻と戴いたら普通の珈琲で珈琲豆を自分で焙煎しているとの事でした。
鎌倉石を積んだ石段が美しい浄智寺参道。真直ぐ上って突き当りに「白雲木」の親樹が在ります。
これは浄智寺の仏殿(曇華殿)の本尊で中央に阿弥陀如来左に薬師如来右に弥勒如来が祀られています。
浄智寺は鎌倉五山の一つで格式の高い寺院です。円覚寺の貫主朝比奈 宗源師も浄智寺の出でした。私がサラリーマンだった昭和54年朝比奈宗源氏に亡くなられ葬儀に参列しようと円覚寺に上ると葬儀は浄智寺で催されました。施主は朝比奈宗源氏の御子息で、毎日新聞の編集責任者で居られました。浄智寺には「権威よりも筋を大切にすることを教えられまあした。浄智寺の山並びにある東慶寺は井上禅定師が居られた寺ですし、昭和の名禅僧を輩出した「鎌倉市山之内」です。「青雲の志」は慣用句です。白雲木は青空と緑の葉を背景に白雲の様に咲く花の意味でしょう。五月晴れの日に「白雲木」は輝いて咲きます。
白雲木の先には曇華殿の甍が見えます。
「白雲木」の北側には「柏槇」の老木が在ります。
白雲木」は「平和の塔」の脇に在ります。
推測するに朝比奈宗源かその師が先の戦争で亡くなった人の慰霊にこの党を建立し、
戦没者慰霊の為に「白雲木」を植えたのでしょう。
「平和の塔」に散華した「白雲木」の落花
「白雲木」は「エゴノキ」科の樹木です。良く実が稔ります。この「白雲木」も実生の苗を多く生んだのでしょう。浄智寺ではこの「白雲木」の親樹から実生した子木を境内に植樹しまあした。駐車場脇のトイレにも石段脇の竹林にも子木を植樹しました。更に方丈庭園にも植えました。子木の中で一番良い環境だったのが方丈庭園でした。山蔭でも南面しているので一番育ちが良く。樹形もピラミッド型で「浄智寺の箱入り娘」の様です。箱入り娘もソロソロ18歳。花は親を凌ぐ美しさです。
これは「浄智寺」の方丈庭園に自生している「白雲木」です。多分上段の親樹の子供でしょう。
これが方丈庭園の庭に咲く「白雲木」です。
方丈の茅葺屋根を背景に咲く「白雲木」です。
大風で方丈庭園の地面を覆った「白雲木」の落花
「浄智寺の仏殿」に祀られているのは「薬師如来/過去仏」「阿弥陀如来/現世仏」更に「弥勒如来/未来仏」です。鎌倉時代の信仰は「阿弥陀如来」に向けられました。所謂三世を夫々に救済する如来を祀っています。白雲木も同じで過去の樹木が在ったから、今盛んな親樹は花を咲かせ。その花が未来の子を産むのでしょう。悩み多い人生ですが、三世に渡る命であって、自分は過去からバトンを受けて未来に繋ぐ役割だと思えば、「生きる意味も価値も明らかになって悩む事も無いのでしょう。 【了】
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