https://www.asahi.com/edua/article/14345533 【季語を通して身の回りの豊かさを知る 日本俳句教育研究会に聞く、「俳句」を学ぶ意義】より
夏野 かおる
五・七・五で季節を写しとる「俳句」。最近ではインターネットで気軽に応募できる賞も増えており、伝統と革新が共存している芸術ジャンルと言えるでしょう。語彙を伸ばすきっかけにもつながる「俳句」の教育的効果について、日本俳句教育研究会に聞きました。
話を聞いた人八塚 秀美さん 日本俳句教育研究会事務局長
(やつづか・ひでみ)松山市在住。愛媛大学大学院教育学研究科修了。愛媛大学附属高等学校国語科非常勤講師。教壇にも立ち、学校現場での小さな文学体験に寄与する「俳句」の魅力を実感する日々を過ごす。カルチャースクール・セミナー講師経験多数。
季節を愛する俳句、人間を見つめる川柳
——まずは「俳句」と「短歌」の違いについて、改めてお伺いできますか?
どちらも詩歌の形式です。万葉の昔から人々が詠んできた詩歌ですが、作者が詠みたい内容によって、選びとる表現形式の違いです。
短歌と俳句のもっとも明確な違いは音の数です。短歌が五・七・五・七・七の31音で詠まれるのに対し、俳句は五・七・五の17音です。自由律俳句など、このルールからはずれるものもありますが、原則としてこのような認識でよいかと思います。
——五・七・五のリズムは川柳にも共通しますが、両者の違いは「季語」の有無という認識で大丈夫なのでしょうか?
研究者によって多少立場が異なりますが、単純化して申し上げるなら、作り手の意識が「季節や自然」と「人間」のどちらに向いているか、でしょうか。
俳句は、季語そのものにじっくりと向き合って詠んだり、作り手の感情を季語に託したりする文芸です。あくまでも意識は季語のほうに向いているのが俳句というわけです。
一方の川柳は、興味の対象が「人間」。季語には意識をおかずに、世間のことや身の回りの人を面白く描写していく、 第一生命保険が実施している「サラリーマン川柳」などをイメージしてもらえば分かりやすいですね。
川柳として詠まれたものでも、良質な俳句としても成立する作品がたくさんありますので、明確な境界を設けるのは難しいですが、おおよそこのような違いになろうかと思います。
「短い」特徴が国語教育に好適、「主体的・対話的で深い学び」の題材に
——小中高の国語の授業では、「俳句」と「短歌」を学ぶことがあります。学校教育において、これらの韻文はどう位置付けられているのでしょうか。
学校教育において国語科がめざすのは、端的に言えば、「思考力、想像力、言語感覚を養う」ことです。
この目的のもと、教員は「説明文」「物語」「詩」「短歌・俳句」など、幅広い題材を用いて授業を行うのですが、とりわけ「短歌・俳句」には、言語文化の継承という意味合いも込められているように思います。
学校の教育課程を決める元となる学習指導要領を例に出すならば、「伝統的な言語文化」を学ぶ中で、「言葉の豊かさに気付き、理解を深める」という流れの中に位置づけることができると思います。
つまり、「短歌・俳句」を見ると、これらは歴史ある韻文というだけでなく、表現者としての作者が、いかに「言葉」を意識的に使って作品を生み出しているかを感じ取りやすい教材だということです。しかも、31音や17音と短く、鑑賞に時間を取りません。
中でも俳句は、17音と短いおかげで、児童・生徒が気軽に創作に取り組める。伝統文化を理解し、表現に親しみ、自ら創造するにあたり、非常に適した教材と言えるのです。
——八塚さんは学校やカルチャースクールで小中高生に俳句を教えているそうですが、俳句を学ぶことで、子どもたちにはどのような変化がありましたか。
「鑑賞」の側面から俳句の魅力を挙げると、良質な作品を多く共有できることが挙げられます。私の授業では毎回、「今日の一句」を紹介しているのですが、こうした取り組みができるのは「短い」特徴を持つ俳句ならではの良さ。継続して多くの作品に出会うことで、興味関心がかき立てられ、文学を作品として鑑賞する楽しさを手に入れられるのです。
「創作」の側面で言うと、借りてきた教材(有名な俳句など)で指導するのもちろんよいでしょう。ただ、やはり、自分たちの俳句を通して学んでいるときの方がより能動的で、好奇心を持って取り組んでくれるように思います。
同じ題材であっても、生まれる作品は人それぞれ。ときには友人の思いがけない一面を発見し、リスペクトの心が生まれることもあるでしょう。教員から一方的に指導するのではなく、相互に学び合うことができる俳句は、まさに学習指導要領の示す「主体的・対話的で深い学び」に適した教材と言えます。
――実際に学校ではどんなふうに俳句が教えられているのでしょうか?
俳句の特長を全面的に活かした事例として挙げられるのは、愛南町立家串小学校(愛媛県)の実践です。これは、宮沢賢治の物語である「やまなし」、伝記「イーハトーヴの夢」に加え、児童自身が選んだ宮沢作品を“並行読書”し、感想を俳句で表現するという活動です。単元の終わりには、それぞれが作った俳句を「俳句対決」の形で鑑賞し合ったそうです。
(構成的グループエンカウンターのプログラムの一つに入りそうです)
この実践が優れているのは、国語科の三領域である「話すこと・聞くこと」 「書くこと」「読むこと」を別々に高めるのではなく、「読み取ったことをもとに話し合う」「話し合ったことをもとに文章を書く」など、それぞれの言語活動を相互に関連させていること。俳句をきっかけに、三領域のスキルが「スパイラル状に高まっていく」事例として、非常に有意義な実践ではないでしょうか。
季語はあとからつければいい、気軽に詠める「取り合わせ」の技法
——俳句は憧れの趣味であるものの、なんだか難しいイメージがあります。
慣れておられない方だと、五・七・五のリズムを守って、季語も入れて、誰も発見したことのない感動を詠みあげなければ、と気負ってしまいますよね。そんな方に、ぜひ知っていただきたいことがあります。それは、俳句の作り方には2つある、ということです。
1つ目の作り方は「一物(いちぶつ)仕立て」。対象となる季語をひとつ選び、じっくり観察して詠む方法がこれで、多くの方がイメージされる作り方ではないでしょうか。
しかし「一物仕立て」は、慣れていない方にはハードルが高いものです。そこでおすすめしたいのが、もう1つの作り方である「取り合わせ」。好きな12音(俳句のタネ)を用意し、残りの5音で季語をつける方法です。
「取り合わせ」なら、身の回りから12音の言葉を見つけてくるだけで気軽に一句詠むことができます。本やドラマ、友達のおしゃべりなど、意外なところから俳句のタネが見つかることも。私の実体験では、小さな息子に言われた「ママなんか大っきらい」すら良い俳句のタネになりました(笑)。
——そんなに自由でいいのですね。ずいぶん気楽になりました。
趣味の俳句を作るにあたっては、音数を厳密に守るよりも、オリジナリティある俳句のタネを発見する方が大切です。1音多くても、少なくてもいい。良いことだけでなく、哀しかったことも良質の詩になる可能性を持っています。見つけた言葉はどんどんメモをとり、ストックしておくとよいでしょう。
俳句のタネが見つけられたら、どんな季語をつけるか考えます。このときに選ぶ季語で、印象がガラッと変わるのが俳句のおもしろいところです。たとえば、実際に子どもが持ってきた俳句のタネに、「ぼくのシャツ墨汁まみれ」というものがありました。書道の時間を切り取った、おもしろい12音です。これに「夏の雲」をつけるか、「梅雨曇(つゆぐもり)」をつけるかで、大きく解釈が変わりませんか?
——確かに。「夏の雲」だと子どものエネルギー、「梅雨曇」だとシャツが汚れたことへのネガティブな心情を想像します。
そうなんです。季語が感情を代弁してくれるから、残りの12音は本当に自由でいい。「季語を入れなくちゃ」と思うときゅうくつですが、「季語があるから、もう3分の1は出来上がっているようなものだ」と捉えると、ずいぶん気楽になるのではないでしょうか。
賞をねらうなら歳時記を用意、趣味ならネット検索でもOK
——季語はたくさんあり、覚えるのが大変です。探すのによい方法はありますか。
季語は「歳時記(さいじき)」にまとめられています。基本的には、歳時記をめくって探すのがよいでしょう。
歳時記にはいろいろあり、気軽に始めるなら子ども用の分かりやすいもの、保護者と兼用するなら文庫版がおすすめです。難しい言葉にワクワクする!というお子さんであれば、辞典のように厚みのあるものを1冊用意してもよいかもしれませんね。見たこともない季語がイメージをかきたて、思いもよらない一句が生まれるきっかけになるかもしれません。
無料で使えるものですと、副会長の夏井が配布している一覧表も便利です。ご自由に印刷し、家の壁に貼るなどしてお使いください。
夏井いつき俳句チャンネル:https://youtu.be/OK9fUAjO1DQ
——最近はインターネットでも季語が気軽に探せますが、そうしたものを利用してもよいのでしょうか?
趣味として俳句を楽しまれるならOKです。ただし注意点として、ネットに掲載されている季語には比較的新しいものもあり、季語かどうか解釈が分かれる場合があることを知っていただければと思います。
新しい季語は、審査される先生によっては「季語ではない」と判断されることも。指導を受けたり、賞に応募したりする予定があるなら、安いものでよいので歳時記を1冊お手元に用意していただくのがよいかと思われます。俳句なら、親子ゲンカも思い出に変わる
——自宅で楽しめる趣味として、子どもと俳句にチャレンジしてみようかなと考えている保護者にメッセージはありますか。
俳句に親しむと、身の回りの豊かさに目を開かされることがあります。思いがけない言葉が「いい句になりそうだ」と思えたり、季節ごとに降る雨の名前を覚えたり。歳時記で知った草花を見かけて、「こんな植物だったんだな」と感じ入ることもあります。自然とともにある日本文化の奥ゆかしさや、自分自身の感性に気づくきっかけとして、俳句はとてもよい教育になるのではないでしょうか。
最近ではインターネットで気軽に応募できる賞も増え、アマチュアでも句を評価してもらいやすい時代になりました。保護者の方には、お子さんを手伝っていただくとともに、ご自身でもチャレンジしていただければと。俳句のすごいところは、いつもなら腹の立つ言葉ですら魔法の詩に変えてしまうこと。私の言われた「ママなんか大っきらい」だって、「夕立や」とつけるだけで、ユーモラスな句に大変身します。こんな体験ができるのは、句作ならではの魅力だと思うのです。
子どもの成長は速く、あっという間に大人びた言葉遣いになってしまいます。ぜひ今のうちに、お子さんの言葉から俳句のタネを探してみてください。書き留めておいた俳句たちが、いつの日かホロリとくる思い出のアルバムに変わるかもしれませんよ。
ぼくはたねおにいちゃんはめ子どもの日 (「第5回夏休み句集を作ろう!コンテスト」八塚陽向 小2)
(編集:野阪拓海/ノオト)
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