「努力することなく自然に呼吸を見守る」

Facebook清水 友邦さん投稿記事 「努力することなく自然に呼吸を見守る」

満月の17日に開催された札幌ワークショップから帰って来ました。

満員を超えて増やしたのでスタッフが部屋からあふれるほどでした。

主催されたさおりさん、鴫原さん、参加されたみなさんありがとうございました。

復習です。

「鼻先の呼吸を感じる 鼻の中を通る呼吸を感じる 体の中に入る呼吸を感じる

努力せずに自然にあるがままに呼吸を見守る」

来週は「百姓屋敷わら」でワークショップがあるので岡山へ向かいます。

毎日瞑想をしたグループは体内のインフルエンザ抗体数が遥かに多いという米ウィスコンシン大学の報告があります。

瞑想をすると、体内のインフルエンザ抗体を増やし免疫力をアップさせるというのです。

瞑想効果の科学的な根拠

https://hotnews8.net/health/benefits-of-meditation

「遺伝子レベル」で免疫システムが向上?

https://forbesjapan.com/articles/detail/13553/1/1/1

マインドフルネス瞑想は企業研修で使われ「今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れることである」と説明されています

マインドフルネス瞑想をすると心のコントロール・制御ができるようになる

ストレスが軽減されて心が穏やかになる

ポジティブ思考になる 集中力が増して、学生の成績がアップ、幸福度がアップ

と説明されています。

「マインドフルネス瞑想で得られるのはリラックス状態でもなければ、神秘的な超越体験でもありません」と断っている指導者もいます。

瞑想を指導する団体や講師によって瞑想の説明もやり方も違うので混乱すると思います。

瞑想の方法も動く瞑想と 動かない瞑想 言葉を唱える瞑想 誘導でイメージをする瞑想

対象に集中する瞑想 集中をせずあるがままに観る瞑想など様々あります。

瞑想法には異なるたくさんの種類があります。

教わる人々と教える人々の意識の段階が違うのでやり方も教え方も異なるのです。

「瞑想」のメデ ィテーションと「薬」のメディスンは似ていて、どちらも真ん中、中心と言う意味のメディがついています。

薬は症状によって処方箋が異なり薬を間違えると症状が悪化し場合には死に至ることもあります。このように薬は使い方を誤ると毒になったり健康に導くこともできます。

瞑想も同じで探求者のマインドの状態にあった瞑想技法を使用しないとカルト団体に入信した信者のように自我が強くなって苦しんでしまうこともあります。

瞑想は心を静めて無心になること、何も考えずリラックスすること、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことと説明されています

それは瞑想ではなく瞑想技法のことを指しています。

瞑想は未来に向かって努力する事(doing・すること)ではなく、今ここにあるがままで(being・あること)いることです。

瞑想技法(doing・すること)は瞑想(being・あること)ではないのです。

瞑想をすることはできないのです。マインドフルネスは 仏教用語のヴィパッサナーのことです。マインドフルネス瞑想もヴィパッサナー瞑想も名前は違いますが元は同じです。

ヴィパッサナーは物事をあるがままに見ることで、常に変化している呼吸を観察して物事の諸行無常を洞察して涅槃に達すると説明されています。

ニルヴァーナ(涅槃)は煩悩が吹き消された状態です。

通俗的なマインドフルネス瞑想は段階を踏んで目的に向かうように説明しますが、究極の教えは出発地(煩悩にまみれた凡夫)が目的地(すでに仏である)なのです。

今の自分は能力がないのでマインドフル瞑想を努力してやり遂げて能力を得ようとするとマインドの罠にはまります。マインドは常にいまここにいません。

ほとんどの人々が物心ついてから絶え間のない思考の中にいます。

努力して瞑想している間は思考が動いているので深いサマーディ(三昧)が起きないのです。今ここにあるときは無境界です。

マインドに同化すると二元性の世界が展開します。

石をなげると水面がゆれるように、思考を使って自己の本性をみようとすると、思考自体が曇りとなって見えなくなります。

言葉は思考を使うので自己の側面について語ることはできますが、自己そのものを語ることは出来ません。思考で自己の真実を知ることはできません。

思考が静まり心が深く沈黙した時、体全体が領解(りょうげ)します。

利益(ごりやく)を得る私がいないとき本当の私に気がつくのです。


Facebook篠崎 朗さん投稿記事【神社、仏閣はお願いをしに行くところではない⁉️】

神社⛩に行ったら、お願い事をしてはいけません。これは覚えておいてくださいね。

神社は、お願い事をするところではないのです。「うちの息子が大学に受かりますようにお願いします🤲」とお願いしても、それはあなたのご先祖さまに願っていることを忘れないでください。そのご先祖さまは、大学に行っていないかもしれませんから(笑)。

それに、今さらそんなことを急に頼まれてもできません。神社⛩に行ったら、そんなふうにお願い事をしてもだめです。「息子は大学に行く年まで無事に生きてこれました。ありがとうございます」—こう、お願い事をするのならばいいのです。

つまり、感謝を忘れないことです。

感謝を口に出して言うと、もう一回、感謝をしたくなるようないいことが必ず起きます。

日本は言霊の国だから、言ったことに魂が入ります。

感謝をすると、もう一回、感謝をしたくなるようなことが起こる、そうすると、また感謝をする。

だから感謝をしている人は、ずーっといいことが起こるようになっているのです。

ところが、「ああしてください」「こうしてください」と言うのでは、ある意味、不平不満を言っているのと同じです。

ぐちや泣き言、不平不満を言うと、またぐちや泣き言、不平不満を言いたくなることが起こります。

日本は言霊の国ですから。

だから、不幸な人はエンドレスで不幸なのです。

もう嫌なことが、次々へと起こる。

そういうのを「魔寄せ」といいます。

魔を寄せ付ける人。

あなたの周囲にも、魔寄せみたいな人はきっといるでしょう。

ぐちとか泣き言とか、願い事とか、そんなことばかり言っている人。感謝がない人です。

感謝から始まらない人は、方角などを気にするかもしれないけれども、どこの方角に行こうが不幸が待っています。

あなたがいるところがだめなのに気づかない。

魔寄せであり、嫌な臭いのもとみたいな人です。

『普通はつらいよ』斎藤ひとり

感想・・・私は斎藤ひとりさんのファンとか信者でもないのですが(笑)

すごく良いことをおっしゃっていますね!

私も神社⛩で願い事をしていました。

宮司さん教えてくれたらいいのにね^_^



コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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