Facebook清水 友邦さん投稿記事
中央集権が確立される前の古代の日本は隼人(ハヤト)熊襲( クマソ)肥人(クマビト)土蜘蛛(ツチグモ)国樔・国栖(クズ)八束脛(ヤツハカギ)佐伯(サヘキ)古志・高志(コシ)粛慎(ミチハセ)蝦夷・毛人(エミシ)と呼ばれた数多くの異なった言語、文化、生活習慣を持った集団で構成されていました。
九州には大和朝廷に従わなかった土蜘蛛と呼ばれる古代日本の先住民がいました。
「この人、つねに穴の中に居り。故、賤しき號(名)を賜ひて土蜘蛛といふ」(風土記逸文摂津國)土蜘蛛とは狩猟採集をして竪穴式住居に住む、背が低く手足が長い縄文の末裔の人々でした。
肥前風土記に「肥前の国に大勢の土蜘蛛がおり、景行(けいこう)天皇(紀元前13年~紀元後130年)の命令に従わなかったため、 退治された」と出てきます。肥前国風土記に出てくる土蜘蛛のほとんどは景行天皇に誅殺されています。
佐賀県佐賀市大和町東山田の佐嘉川上流に土蜘蛛のオホヤマダメ(大山田女)・サヤマダメ(狭山田女)がいました。
この地に荒ぶる神がいたので、この土地の支配者「大荒田」が、二人の土蜘蛛に占わせて、荒ぶる神を祀ったら、静まりました。そこで二人の女性は崇められ感謝されて「賢女(さかしめ)」と呼ばれました。それが佐賀の地名の由来となったと言われています。
土蜘蛛が賛辞を贈られる例は珍しく、オホヤマダメ(大山田女)・サヤマダメ(狭山田女)は人々から尊敬される偉大な女性シャーマンだったのでしょう支配者の大荒田が敬意を払った様子が伺えます。
宗教や文化が異なる先住民が征服されると文化の破壊と虐殺が起きますが、文化が近い民族の場合は、税を収集するだけで文化を破壊せず社会構造は温存されました。
支配者の大荒田も土蜘蛛のオホヤマダメ(大山田女)・サヤマダメ(狭山田女)も田がつくところからこの地では古くから稲作をしていたようです。
またこの地区には嘉瀬川を護る水神様を祀る與止日女(よどひめ)神社があります。
別名 豊姫(ゆたひめ)」「淀姫(よどひめ)」世田姫(ヨタヒメ)豊玉姫(トヨタマヒメ)とも言われています。
荒ぶる神だった與止日女命(よどひめ)を祀った與止日女神社は肥前国一の宮になっています。
この地域の土蜘蛛は比較的平和に融和していったようです。
佐賀県唐津市見借(みるかし)の海松橿姫(みるかしひめ)という名の土蜘蛛は景行天皇に従わないので誅殺したという記述が肥前国風土記に出てきます。
景行天皇が豊前国の宇佐(大分県宇佐市)にいたときにハヤキツヒメ(速来津媛)は率先してこの土地の情報を報告して土蜘蛛を捕らえさせたという記述が出てきます。
速来津姫(ハヤキツヒメ)の名前は早く天皇に服属したという意味に取れます。
三種の玉を天皇に献上したとありますので、この地域の女性リーダーだった速来津姫(ハヤキツヒメ)は平和的な解決を望んで近隣の同族を説得して戦いを避けたのかもしれません。
長崎県彼杵郡(そのぎぐん)浮穴郷の 浮穴沫媛(ウキアナワヒメ)は天皇に逆らったので滅ぼしたと書かれています。
日田市天瀬町五馬市に玉来神社(たまらいじんじゃ)がありますが景行天皇と土蜘蛛のイツマ姫(五馬媛)を祭神としています。
風土記では昔、五馬山に土蜘蛛がいて、名をイツマ姫(五馬媛)といったという簡単な記述しか残されていません。土蜘蛛のイツマ姫(五馬媛)が景行天皇と一緒に神社に祀られているのは異例といってもいいと思います。ほとんどの土蜘蛛は天皇に誅殺されているので全国でも土蜘蛛を祭る神社は見当たらないので神社に祀られている土蜘蛛はおそらくイツマ姫(五馬媛)だけかもしれません。イツマ姫(五馬媛)は人々に尊敬された女性リーダーだったのでしょう。
イツマ姫(五馬媛)を祀る玉来神社は現在の日田市ですが古墳や遺跡がある古代から栄えていた地域です。戦前に日田の古墳から金銀(きんぎん)錯嵌(さくがん)珠龍文(しゅりゅうもん)鉄鏡(てっきょう)が出土しました。卑弥呼の時代の鉄鏡なので卑弥呼か後継者のトヨのものではないかと邪馬台国論争の舞台にもなっています。
豊後国風土記に景行天皇が熊襲征伐後に日田にやってきたとき、ヒサツヒメ(久津媛)という神が人の姿をして出迎え、地域の状態を報告し、それによってヒサツヒメ(久津媛・比佐津媛)の郡というようになり、訛って日田郡というようになった由来が書いてあります。
『日本書紀』の景行天皇の巻によると、豊国のカムナツソ姫(神夏磯媛)は、天皇の使者が来ると賢木の枝に八握剣と八咫鏡と八尺瓊勾玉をかけ、船の舳先に素幡(白旗)をたてて帰順したことが出てきます。三種の神器を持っていたカムナツソ姫(神夏磯媛)は山口県から福岡にかけての地域の首長でした。
山口県防府市富海の国津姫神社と福岡県田川市夏吉の若八幡神社はカムナツソ姫(神夏磯媛)を祀っています。
『日本書記』(神功記)に、山門(やまと)県で土蜘蛛のタブラツ姫(田油津媛)が天皇の軍に誅殺されると、軍を起こしていた兄の夏羽は逃げたとあります。福岡県の山門(やまと)を治めていた兄妹はカムナツソ姫の孫かひ孫だったようです。
福岡県みやま市に女酋長の宇津羅姫(うづらひめ)の墓があります。
ここは昔宇津と呼ばれる川の合流点で黒崎から岩津の高田行宮に至る航路を宇津良姫うつらひめが景行天皇を守護して案内したという伝承が残されています。
天皇に帰順しないものは土蜘蛛にされて誅殺され、従うと媛の敬称がつきました。
日田のヒサツヒメ(久津媛・比佐津媛)神は神の尊称まで受けています。
そのほかに別府のハヤツ姫(速津媛)、由布院のウナグ姫(宇奈岐日女)福岡県八女郡のヤメツ姫(八女津媛)の名前が残っています。
土蜘蛛のリーダーは土蜘蛛八十女人(大勢の女性土蜘蛛の意味)と呼ばれたようにほとんどが女性達でした。
縄文時代から出土する土偶はほとんどが女性像です。そして世界を見ても古代は母系社会で女神信仰だったことが明らかになっています。
母系社会の子供は母親の一族が育て家と財産は娘が相続します。男性と女性は一緒に生活しないで夜だけ女性の元へ男性が通いました。家に父親はいないので一家の主人は女性でした。
九州では早くから稲作が行われていましたが縄文から続く母系社会の伝統を継続していましたので族長は女性が多かったのです。
縄文時代は母系社会で女性が主導権をにぎっていました。
それで土蜘蛛には女性リーダーが大勢いたのです。
弥生時代の3世紀ごろは女性シャーマンの卑弥呼が「まつり(祭り)」をして「まつりごと(政治)」は男性だったことが『魏志倭人伝』に書かれています。
戦争をするのは男性でしたので軍事リーダーは男性でした。古代は男性と女性が入れ替わり王として即位していましたが古墳時代になると徐々に女性リーダーは姿を消していきました。
祭祀も男性が独占するようになり聖地の女人禁制が現れました。
室町時代あたりから男性が祭祀と政治を完全に独占するようになりました。
古代においては女神が最高の神でした。
それが戦いが始まると男性原理が優位になり
女神・女性は憎悪の対象になって引き摺り下ろされてしまいました。
そこには、愛を受けれとれなかった男性による母なるものへの投影があったと見ています。
分離敵対する男性原理が優位になり世界中で戦いが起きて現在にいたっています。
https://ameblo.jp/avante-ryuayu/entry-12129256367.html 【能、狂言、漢方とお山のはなし】
昨日は、妹っちと甥っ子とで、『子供と楽しむ能と狂言』を見に行ってきた。甥っ子のお受験も終わり、無事合格で晴々しい気持ち🎵🎵
肩肘はる古典ではなく、舞台始めに皆で「高砂や」を唄ったり、抽選に当たった子供が能面を付けてもらったり、その解説を聞いたりで程よくリラーックス。
更に取っつきやすく、最初は分かりやすくて面白い、狂言の『附子』。主人がいう恐ろしい『附子(猛毒のトリカブト)』の壺に、お砂糖が入ってることを知り、留守を預かる太郎冠者と次郎冠者は全部食べてしまう。言い訳に家宝の壺と軸をわざと壊し、死んで詫びようと附子を全部食べたが死ねません!と帰ってきた主人に泣き真似をするという笑い話。
附子とは、ぶす、またはぶしと読み、サスペンスもので殺人事件に利用されるトリカブトのこと。漢方では主に鎮痛などに利用される薬草でもある。
花が鳥の鶏冠に似ているからとか、雅楽の装束の鳥兜に似ているからとか。英語ではmonkshood=修道士の頭巾とかhelmet flowerと言うらしい。
一方、漢方で使う附子は、母根の周囲につく子根のことで「母に附く子」が語源とか。母根も利用され、こちらはその形から「烏頭(ウズ)」と呼ばれるそう。そういえば、里芋の親芋もカラスの頭風!?富士山は、山麓に附子が自生している「ブシの山」が語源という説もあるから驚き!!
私がしょっちゅう登る金剛山には、この地で最初に見つかったトリカブトの一種、『カワチブシ』が秋にたくさん咲く。河内地方の附子ということで、花の名前を説明するときは、この狂言のストーリーを必ず話す。
エンヤコラセーェの「河内節」と違うのん?とほぼ100%ボケが入るのが、ザ・関西なのだけど、ここは「河内附子」が正解。
狂言同様の読み方で、「河内ブス」という名が付いていたら、これまた違う展開のボケが登場するに違いない愛すべきザ・関西(笑)! ところがこれはこれであながち間違いでもなく、附子を口にすると運動性神経(=顔面神経)が麻痺するので顔面の表情がなくなることから転じて、『ブス』と呼ばれるようになったという説があるそう。
ちなみに、米倉涼子の『ドクターX』で、伊東四朗扮する「毒島(ブスジマ)教授」のブスは、トリカブトの毒を代名詞的に使ってのこと。
とまぁ、金剛山に行くと、トリカブトネタとネタ振り(=関西人)には事欠かない🎵
大人も子供も大爆笑の狂言のあとは、ちょっとレベルが上がる能、『土蜘蛛』。こちらは話の設定そのものが暗くて、会話も難しく理解しづらい。そして「イヨォーオッ」「ポンッ」というお囃子方の緊迫感に圧倒されそう💦
主人を苦しめる病の元凶『土蜘蛛』を追いかけて葛城山に行き、悪者を退治するというシンプルなストーリーで、土蜘蛛が応戦するときにクモの糸に見立てた、ゴダイゴのモンキーマジックみたいな白い紙シャワーをシャワ~~っと投げるのがこの題目の醍醐味!私たち観客にも飛んできて、子供たちはそれを集めるのに大はしゃぎ!
話が分かりづらいために事前にあらすじの説明を受けるのだけれど、担当のかたは、「大阪と奈良の県境にある葛城山に土蜘蛛は住んでいて」と仰った。子供向けのために話はそこまでだったけれど、私はもう少し深めたい。
土蜘蛛とは、本来は天皇に従わなかった日本各地にいた土豪のことで、古事記や日本書紀には頻繁に登場するらしい。後に妖怪扱いされ、中央政権に従わない悪者退治として、この手の話が生まれたのだと思う。
『土蜘蛛』の舞台となる葛城山とは、大和葛城山(関西には葛城山がいっぱいある!)のことで、東麓の一言主神社や、金剛山山麓の高天彦神社にはそれぞれに『蜘蛛塚』がある。ちなみに昔、金剛山は葛城山と呼ばれていた。高天の蜘蛛塚はメチャクチャ見つけづらいところにあり、人気の金剛山にあっても知らない人は多い。
先日歩いた高尾山のすぐ東にある明神山を起点に二上山、葛城山、金剛山など金剛山地の東側は、古代の豪族「賀茂氏」発祥の地で、天皇なんぞはどこ吹く風~~の聖地化された場所がたくさんあるがゆえ、怖れられた地であった。
賀茂族を主神とする高鴨神社は「上賀茂神社」「下鴨神社」の総社だし、高天彦神社がある高天は、ここがあの「高天原」だ!という伝承がある。託宣の神さん、一言主神が鎮まる神社もあれば、役行者が生まれたのもこの葛城の地。金剛山地で修行をして空をも飛べるようになったスーパーヒーロー、役小角。修験道と金剛山地は切り離せない。
神様だけでなく超能力者とも関わりのあるこの地は、神聖化されるほどに畏れられ、妖怪が棲む悪い場所として、標的になってゆく。それが魔物『土蜘蛛』の生まれた所以なのだろう。
昔、ガイド本を仲間で出版したとき、担当だった大江山もそうであった。力を持つほどに畏れられ、何かを悪者にまつりあげて退治することで平和を手に入れたように錯覚させる。文化というのは、このような、ある種の洗脳的?な技法により、政治戦略に利用されてきたのかもしれない。
あるいは、病気や自然災害など身に振りかかる理不尽なことを、妖怪などの悪さと捉え、それを退治して気持ちの安寧をはかる、一種のガス抜き的な存在として、現代に脈々と続いているのかもしれないな。
ザックを持たない文化活動の1日だったけれど、能・狂言ともに、身近な山を深めるのによい素材であったことがとても嬉しかった。誘ってくれた妹っちに感謝感謝!!
0コメント