葦原中国

https://plaza.rakuten.co.jp/yfuse/diary/201504280000/ 【シュメル人が支配した国は「葦原中国」だった!】より

記紀が記す古代日本とシュメル人の類似性は、シュメル人が自分の国のことを何と呼んでいたか、に見出すことができます。

実はシュメルという呼称はアッカド語で、シュメル人自身は自分の国を「キエンギ」と呼びました。「キ」は大地、「エン」は主人とか、主という意味で王の称号にもなっています。そして「ギ」は「葦」の絵文字から発達した楔形文字です。大まかな意味は「葦を主とする大地の国」でしょうか。

シュメル人が住んだ土地は、その名が示すように湿地に葦が生い茂るメソポタミアの大地でした。葦は割いて筵(むしろ)状に編み込んだり、湿地帯の泥は粘土にして土器を制作したり、あるいは固めて乾かし煉瓦にして使ったりしたはずです。だからまさに葦原を主とする大地でありました。自分の国家をそのように呼ぶのも当然ですね。

ここまで聞いたらだれでも、ほかにそのような呼び名で自分の国を呼んでいた人たちを思いつきますよね。

そう、日向族のアマテラスたちです。彼らは日本のことを葦原中国と明確に呼んでいました。アマテラスはこう言いました。「葦原中国はわが子、オシホミミが統治すべき国である」と。

で、葦原中国(葦原中ツ国とも書きます)はどういう意味かというと、「(稲の生育に適した)葦の生い茂る湿原の中央の国」です。まさに「キエンギ」を直訳したら「葦原中国」となります。

すると、なぜアマテラスたちが「葦原中国」にこれほどまでにこだわったかも、なんとなくわかってきます。彼らはそこに「故郷の国」を夢見たのではないでしょうか。その遠い昔の国はどこであったかというと、正統竹内家の口伝が正しいとすると、「キエンギ」、すなわちシュメル人が支配した古代メソポタミアです。

これらをすべて偶然として片づけることはできます。

でも、古代日本人とシュメル人という2民族間におけるこれだけの類似性、相似性は、世界広しと言えどもなかなかないのではないかとも思えますよね。

となると、ここで一つの世界古代史のシナリオが浮かび上がって来ます。


シュメルの長(祭祀王)がスメラミコトと呼ばれた

正統竹内家の口伝ではシュメル文明に関連して、次のような伝承があるのだそうです。

沈む太陽を追いかけるようにして、縄文時代に日本から大陸に渡ったグループはスメル族(シュメル族)と呼ばれました。彼らはメソポタミアの地に都市文明を築き、シュメル最大の都市を「スサ」と名付けます。その王は「スサの王」、すなわち「スサノオ」としてシュメル文明の中では政治と軍事を司りました。つまり、スサノオは政治・軍事王の称号だったというんですね。

一方、祭祀王はシュメルの長という意味で、スメルミコト、すなわち「スメラミコト(天皇)」と呼ばれたのだそうです。

そんな風にもっともらしく言われても、駄洒落とかオヤジギャグの類の話に聞こえますよね。でも本当にそのような伝承があるのだと竹内氏は言います。

それで私も、その伝承に矛盾がないかどうか、あるいは何かその伝承を裏付ける傍証などがないかどうか、一応調べるわけです。

するとやはり、天皇家とシュメル文明の相似性という面で、面白いことを発見します。

一つは、シュメルの王家や女神の紋章にはよくロゼット紋様と呼ばれる、中心から花弁が放射状に出る花の紋様が好んで使われることです。

中心から花弁が放射状に出る花の紋様と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。そう、あの16菊花紋(16日章菊形紋)、天皇家の紋章ですね。実際にメソポタミアから出土された石板(ナラム・シンの戦勝記念碑)や円筒印章印影図の紋様を見みると、まさに日本の皇室の紋章と同じなので驚かされてしまいます。

日本の皇室がこの文様を紋章として使用した背景には、かなり深い意味がありそうですね。

シュメル文明においては、山の頂の上に描かれているなど、その使われ方を見ると、太陽の紋章のように見えます。

太陽信仰と関係がありそうです。

それはそれとして、実は記紀が描く古代日本とシュメル人の間にも驚くべき類似点があることにも気づきました。

シュメル人と日本人の文化的相似性について

イムホテプが謎の人物であったように、シュメル人(シュメール人)もまた、謎の民族です。

しかし、スメル、シュメル、スメラミコト、スサの王という「駄洒落」的相似性のほかに、シュメル人の築いた文明には古代日本を連想させる要素が非常に多いのでびっくりします。

たとえばシュメル語は、日本語と同様に膠着語といって、日本語の「てにをは」のような接辞を持つ言語であったことがわかっています。ところが、当時のオリエント世界のどこを探しても、シュメル語に近い言語は見つかっていないんです。だから、どこから来たのか全くの謎なわけです。当時の日本の縄文人がどのような言語を話していたかは定かではありませんが、もし今の日本語に近い言語を話していたとしたら、シュメル語との類似関係が見いだせるかもしれないわけですね。ということは、古代メソポタミアのシュメル人と古代日本人とのつながりが出てくるわけです。

また、言語同様に文字にも日本語との類似性が見出せます。現在、最古の文字はシュメルで生まれたとされています。そのシュメル語を表記する楔形文字は、日本の「万葉仮名」のように、文章の中で表語文字と表音文字の両方を使い分けているんですね。今日、世界で使われている文字の多くは、英語などに代表される表音文字で、しかも多くは一つの文字が一つの音を表すアルファベッドのような単音文字です。その中で、シュメル語や日本語のように表語文字(日本語の場合は漢字)と表音文字(ひらがなやカタカナ)を混ぜて使い分ける言語は非常に珍しいと言えるわけですね。

さらに、日本の「縄文文明」がそうであったように、シュメル文明もまた古くから土器文明であったことがわかっています。紀元前5000年~同3500年ごろのウバイド、エリドゥといった遺跡からは濃い茶褐色の紋様を特徴とする「彩文土器」が出土しています。そしてこの土器文明と密接に関連していますが、シュメル人の社会では現代の日本がそうであるように、ハンコ社会であったことも知られています。人類最古のハンコとされるスタンプ印章は、紀元前7000年の北シリアの遺跡から見つかっています。それがシュメル人による最古の印章なのかどうかは不明ですが、スタンプ印章はシュメル文明とともに開花します。印章は石を加工して作られ、それを粘土に押して刻みます。つまり、石と縄の違いがありますが、縄文土器の文様の付け方と同じですね。

現代において印章文化圏は、日本、中国、香港、マカオ、台湾、韓国、北朝鮮、ベトナム、インドネシア、ラオス、マレーシア、シンガポールなどに広がっています。日本へは中国を経て伝わったと考えられていますから、これらの国々をたどって行けば、確かにメソポタミアに行き着くと考えることはできます。

ということは、古代日本人がシュメル文明を築いたかどうかという問題は別にして、少なくとも日本はシュメル文明の影響を多大に受けているのではないか、という推論が導き出されるわけです。昨日紹介した『シュメルーー人類最古の文明』の中で、三笠宮祟仁親王は次のようなはしがきを寄せています。

「私がまだ子供だった頃には、ヨーロッパ文明の源泉はギリシャ・ローマだと思われていました。しかし今ではシュメル文明こそが、真の源泉だったことがわかってきました。しかも、そのシュメル文明は西方ばかりでなく、東方にも伝播し、シルクロードを経て日本にも到達しています。たとえば、シュメル人の残したデザインのモティーフが、正倉院(奈良)の宝物の中にも見られるのです」

シュメル文明は、当然の成り行きとして、次のエジプト文明に影響を与えた可能性が強いんですね。シュメル文明がイムホテプによってエジプト文明に伝播されたとしても、矛盾はまったくないわけです。さらには三笠宮親王が指摘しているように、海と陸と草原のシルクロードを経て、かなり古い時代の日本に伝播されたとしても不思議ではありませんね。

しかし、シュメル人と古代日本人、そして天皇(スメラミコト)の類似性はこれだけにとどまらないんですね。

それは記紀を読むと、よくわかります。記紀の中で、恐ろしいほど一致する記述に出くわすからです。

「シュメール」は本当は「スメル」だった

ところで、なぜ「シュメール」と日本語で呼ばれるようになったかご存知でしょうか。

本当はシュメルとか、スメルが発音的に近いんです。それがどういうわけか、「シュメール」と長音記号を入れて表記されるようになりました。

実はこれには理由があって、「高天原はバビロニアにあった」とか、天皇のことをスメラミコトというが、それはスメルのミコト、すなわちスメルの王のことであるとか、スサノオはシュメルの首都スサの王のことであるといった俗説が戦前や戦中に横行したため、時のシュメール学の権威であった京都大学名誉教授の中原与茂九郎氏が混同されないようにわざと「シュメール」と音引きを入れて表記したからなんです。当然、この「俗説」がどこから来たかは、だいたい想像できますよね。そう、既に紹介した、明治・大正期の日本史研究家・木村鷹太郎氏の「新史学」です。

だけど「シュメール」という表記は間違っていることに変わりありませんね。シュメル、もしくはスメルがアッカド語の原音に近く、正しい表記なんです。でも権威ある学界の人たちは俗説が大嫌いですから、嘘の表記になってもいいから、「シュメール」にしてしまったんですね。で、この裏事情は当事者の中原氏から皇族で歴史学者の三笠宮崇仁親王が直接聞いて、我々に伝わることとなりました。詳しくは小林登志子氏の『シュメル--人類最古の文明』(中公新書)をお読みください。

中原氏の気持ちもわからなくはありません。そりゃそうです。「スメラミコト」と「スメル」は似すぎていますし、スサノオをスサの王としてしまっては、もうダジャレを通り越して、悪意(あるいは善意)さえ感じられますよね。

ところが、今紹介した「木村氏の俗説」は、ほとんどそのまま正統竹内家の口伝にも伝わっているから、話はますます面白くなります。しかも、シュメル(スメル)を調べれば調べるほど、記紀に描かれた古代日本との関係が深まってしまうんです。もう勘弁してくれよ、と私でも思ってしまいます。でも、まずはシュメル人とは何者だったのかを見てみましょう。

イムホテプはシュメール人だったのか

古代エジプトで初めてピラミッドを建設したとされるイムホテプは謎の人物です。

彼が登場したのは、紀元前2600年ごろのエジプト第三王朝の時代。

王族の出身でもないイムホテプは、まさに彗星の如く現れ、建築、設計、土木、医術などの分野でその天才ぶりをいかんなく発揮しました。太陽神ラーの神官となり、ジェセル王の宰相としても活躍した超人的な存在でもありました。

ところが彼が何者なのかはまったくわかっていないんですね。いったいどこから来たのか、人種的には何人なのかも不明です。まさに突如現れた天才としかわかりません。

ただ、ここで大事なポイントは、彼の知識と知恵が当時の古代エジプト文明の科学を凌駕していたことです。彼は全く新しい方法で、ピラミッドを建造します。すなわち、それまでは王墓などの建造物には日干し煉瓦が使われていましたが、これに代わって、切り出した石材を積み重ねる方式を採用しました。強度がまったく違いますから、これにより巨大ピラミッドの建造が可能になったわけです。

彼の知識は治水においても多大な貢献をしました。ジェセル王から水不足による深刻な飢饉対策を求められ、ナイル川を氾濫させる方法を説いたという記録が残されています。

こうした彼の知恵と知識がどこから来たのか、という問題を考えた場合、その一つの考え方として、古代エジプト文明以前に栄えた文明から来たのではないかと見るのも理に適っていますよね。4500年前の古代エジプト文明以前の文明と言えば、メソポタミアに開けたシュメールのメソポタミア文明です。

シュメールはチグリス、ユーフラテスという大河に挟まれた地域でしたから、治水の知識を持っていたとしても不思議ではありません。ということは、イムホテプが持っていた知恵と知識はシュメールのそれを継承したものであった可能性があるわけです。

シュメール、シュメル、スメルーーーシュメールとはスメル(スメラミコト)族のことであった、と誰か言っていました

そう、実はイムホテプがシュメール人だったとすると、正統竹内文書の口伝の内容とも整合性が出てきてしまうんですね。

どのような口伝の内容だったかというと、氷河期が終わったことによって起きた大洪水後に最初に文明が開けたのは今から1万2000年前の日本だったというんですね。その証拠としては、確かに青森県の1万6000年前の大平山元遺跡からは炭素年代測定では世界最古ともいわれる土器が見つかっています。文明の定義にもよりますが、それから4000年後に「縄文文明」が開花したとしても不思議はありませんね。

で、その後「古代縄文日本文明」がどうなったかというと、口伝では大陸に渡ったグループがいたというんですね。そのグループ名は「スメル族」。その初代の王の名前を取って「オオゴトオシオ朝」と名付けることもできるそうです。その彼らがどこに行ったのかというと、それがシュメールであったのだと竹内氏は言います。

人工山・ピラミッドを建造したのはミケイリノだった!

明治・大正時代に、日本を世界文明の起源と位置づけ、かつて日本民族が世界を支配していたとする「新史学」を熱烈に唱えた木村鷹太郎という日本史研究家がいました。とにかくすべてが日本中心で、ギリシャ神話も日本神話が起源になってしまいます。イザナギはゼウスで、スサノオはペルセウス、アマテラスは女神アテナといった具合です。

ここまで徹底していると逆に関心してしまうのですが、いかんせんほとんどの学者は相手にしないわけです。

私も当初、ずいぶんダジャレ好きな歴史研究家だな、ぐらいにしか思っていませんでした。

ところが正統竹内家にも、オヤジギャクのような伝承が伝わっているのだそうです。

その伝承の一つが、神武の兄の一人とされるミケイリノの話です。竹内氏によると、ミケイリノは全国各地に人工山・ピラミッドを造っていたというんですね。で、ミケイリノというのは世襲名で、建設大臣のようなものだとも言います。その証拠に、エジプトのピラミッドを建造した王は「ミケイリヌス」であると伝わっているではないか、これは決して偶然ではない、と。

ずいぶん大胆な説だなと思いつつ、一応調べてみました。

この該当するエジプトの王とは、ギザの三大ピラミッドのうち第三ピラミッドを建造したとみられるメンカウラー王のことです。この王について、ギリシャの歴史家ヘロドトスがミケリヌス(Mykerinos)という名で伝説を残しているんですね。つまりメンカウラーのギリシャ語読みがミケリヌス。確かにミケイリノと非常によく似ています。

これは偶然でしょうか。竹内氏は「偶然ではない」と主張しているわけです。

私はその可能性は否定しません。しかし、ピラミッド第一号とされるサッカラの階段ピラミッドを建造させた王はジェセル王であり、実際にピラミッドを設計、建造したのはイムホテプであるとされています。彼らも「ミケリヌス」の称号を持っていたという証拠は今のところ出てきていませんね。また、ギザの大ピラミッドを造らせたクフ王と「ミケリヌス」の関係もよくわかっていません。メンカウラーがカフラー王の息子で、クフ王の孫ではないかということがわかっているぐらいです。

このままでは、ミケイリノ=ピラミッド建造者説は分が悪いわけですが、イムホテプという謎の設計士兼建築士の存在を調べると、必ずしも口伝が荒唐無稽であると断定することはできないんですね。

スサノオの「オロチ退治」に隠された本当の秘密

このように記紀を正統竹内家の口伝や中国の記録などで読み解いていくと、神武以降ならかなり正確に日本で何が起きたのかがわかってきます。神武以前でも、スサノオとアマテラスの「誓約(政略結婚)」があったとみられる紀元前1世紀後半ごろからの歴史なら何となくわかりますね。つまり記紀を読めば、紀元前2世紀ごろからの日本の姿がおぼろげながら見えてくることになります。

ところが、記紀をどう読んでも、出て来ない日本の歴史があるんですね。それが紀元前2世紀よりも古い、今から約2500年~1万2000年前の縄文時代の歴史です。当然先史時代ですから、わかるわけがないではないか、と思われるのも、無理はありません。

それでも口伝と神話の端々、古史古伝、それに想像力を使えば、ほんのかすかですが、先史時代の歴史が見えてくるんですね。

実は、私が本当に明らかにしたいのは、この歴史なんです。

口伝、神話の端々、古史古伝、それに想像力を駆使して、今から約5000年前に人類が何を成し遂げていたかを浮き彫りにしていきます。

まだその方法をすべて明らかにするわけにいきませんが、その触りとして挙げられるのは、スサノオの八岐大蛇退治に隠された真実です。既に説明したように、あれは後に出雲の王となるスサノオと越国王・オロチとの間の戦闘と和睦、政略結婚の歴史が神話化したものです。しかし、あの神話の言葉の端々には、読者が想像もできないような歴史的事実が隠されているんですね。しかもそれは、古史古伝の「竹内文書」と併せて読まないと浮かび上がらない真実なんです。

私が「竹内文書」を読み解いているうちに発見した東経137度11分の羽根ラインもそうです。正統竹内家の口伝では、5000年前の越の国には磨き上げたヒスイを通信手段に使った「ヒスイ王国」とも呼べる「謎の組織」があったことが示唆されているといいます。この二つを組み合わせることにより、私たちが歴史で習った縄文時代のイメージとはまったく違う姿が現れるのではないでしょうか。

それらもいずれ、このブログで取り上げたいと思っています。

とりあえず、次のテーマは「越の国と古代日本のピラミッドの謎」でしょうか。


https://www.asahi.com/event/DA3S14820455.html 【日本と重なる、この世の始まり 「国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展 天地創造の神話」】より

 古代エジプトと、日本の神話の世界。時代も場所も異なる壮大な神々の物語に重なり合うところはあるのか――。東京・両国の江戸東京博物館で、約3千年にわたる古代エジプトの名品約130点を展示している「古代エジプト展 天地創造の神話」にちなみ、監修者の近藤二郎早稲田大学文学学術院教授と、古事記の研究で知られる古代文学研究者の三浦佑之さんが対談。神話の類似点や相違点を語った。

 ■生と死、コントラストくっきり 展覧会監修者・近藤二郎さん/来世との境の「戸」、古事記にも 古代文学研究者・三浦佑之さん

 近藤 展覧会は天地創造の物語だけではなく、古代エジプト人の精神世界や死生観、思想、宗教にも焦点をあてて掘り下げました。

 三浦 面白いと思ったのは、小さな副葬品の「シャブティ像」=[1]=です。埋葬された人にかわって農作業をする人形だそうで、死後の世界も働かされるのか、こりゃつらいなと。死後の世界観への考え方が、日本の神話の中の世界と違うのかなと思いました。印象的だったのは木棺や、冥界の指南書の「死者の書」=[2]=などにびっしりと書かれていた文字(ヒエログリフ)で、文字の威力を感じましたね。

 ――エジプトの気候が思想にどう影響しましたか。

 近藤 古代エジプト人は緑豊かなナイル川流域に住んでいました。砂漠や高地もあり、国土にコントラストがはっきりしています。晴れているから毎日、朝日と夕日が見られ、太陽が再生の象徴になっています。すべてが二元論的に考えられました。生と死、南北などが明快な世界です。

 ――古代エジプトと日本の神話の相違や類似点は?

 近藤 世界の始まりは混沌(こんとん)としていて、原初の海の「ヌン」がありました。具体的な海をイメージしたというより、ナイル川であり、地中海でもあったのでしょう。

 三浦 古事記では、泥の海から葦牙(あしかび)のように萌(も)えあがってきたものが、人の誕生を語っています。何もない所に葦の芽が出てくるイメージが最初の生命として意識されたのですね。黄泉(よみ)の国(死者の国)に行ったイザナキが人のことを「青人草(あおひとくさ)」といいますが、青々とした人である草は、枯れてもまた生えるととらえ、種が落ちてもまた芽吹くように循環的な生命を意識していたのではないでしょうか。

 ――神々と人の関係は?

 三浦 日本の神話では高天原のアマテラスオオミカミの子孫が地上におりてくる天孫降臨という、垂直的な構造がありますが、それ以前の時代では、海から神々がくるという水平的な構造がありました。古事記は、その二重構造が織り交ざっています。古代エジプトはどうだったのですか。

 近藤 神々が住む世界と、人間が住む世界が同じところにあると考えられていました。ただ、次元が違うという感じですね。死者の楽園は葦原、「イアル野」と言いますが、現世と同じところにあると考えられていました。ナイル川が流れ、ナツメヤシが生える現世と同じ楽園が死後もあるのです。現世は仮の世界で、死後の世界が本物だと考えられていたのです。

 三浦 現世と来世をつなぐものとして興味深かったのは「クウイトエンプタハの偽扉(ぎひ)」=[3]。日本の神話でも「戸」は異界との境界として度々、登場します。イザナキが黄泉の国からイザナミに追いかけられて逃げる時も、この世との間に大岩を置いて「事戸(ことど)」を渡し、絶縁しました。「言葉による戸」、別れの言葉を言ったのです。

 ――エジプトでは再生に備え、肉体を保存するためにミイラが作られました。

 近藤 死の世界である砂漠が人の住む所に隣接しています。死はすごい恐怖だったのでしょう。古代エジプト人はたくさんの神様を創造し、護符を並べ、再生のオシリス神=[4]=と同じように木棺の顔を緑色にし=[5]=、さらに「死者の書」も作るなど、死後の再生に力を注いでいます。

 三浦 再生にかける情熱はすごいですね。日本の古代の人たちがそこまで死後の世界に情熱を燃やしたかというとよく分からない。湿潤な気候の中で、人間は死んだら腐ってなくなるというのが、自然に分かっていたのでしょうか。

 近藤 死を見つめることは生を見つめること。コロナ禍の今だからこそ、展覧会で生死について考える良い機会になると思います。(聞き手・山根由起子)

     *

 こんどう・じろう 早稲田大学文学学術院教授、同大エジプト学研究所所長。1951年、東京都生まれ。76年から40年以上にわたってエジプト各地で発掘調査に従事。著書に「ものの始まり50話」「エジプトの考古学」「古代エジプト解剖図鑑」など。

     *

 みうら・すけゆき 千葉大学名誉教授。1946年、三重県生まれ。千葉大学、立正大学教授など歴任。「口語訳 古事記(完全版)」で第1回角川財団学芸賞受賞。著書に「古事記を読みなおす」「読み解き古事記 神話篇(へん)」など多数。長女は作家の三浦しをん。

 <古代エジプト神話> 宗教都市ヘリオポリスにおける創世神話では、原初の海ヌンに自力で出現した創造神アトゥムから、大気の神と湿気の女神が生まれた。オシリス神話では、弟セト神に殺されたオシリスが妻イシス女神によりミイラとして復活する。古代エジプト人は太陽は西に沈んだ後、船に乗って冥界を東へと旅し、毎日再生すると考えた。

 <古事記(712年)・日本書紀(720年)の神話> イザナキとイザナミの兄妹神が神々を生んで国土を創成する。火の神を生んで死んだイザナミをイザナキが追って黄泉の国に探しに行く。スサノオのあまりの傍若無人ぶりに、姉神のアマテラスオオミカミが天の岩戸にこもる神話や、スサノオのヤマタノオロチ退治、海幸彦と山幸彦の神話などがある。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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