Facebookごとう 孝二さん投稿記事
「イザナギとイザナミの国生みに込められた陰陽和合のメッセージ」
このイザナギとイザナミの国生みの話はけっこう有名です。
古事記に興味を持たれた方が、古代日本の歴史書に、こんな描写があったのかと驚かれた方もいるかも知れません。しかし、それにもちゃんとメッセージが込められています!
《口語訳》
イザナギが、イザナミに「汝の身はいかに成れる」と尋ねると「我が身は成り合わざるざるところ一つ在り」と答えると するとイザナギは「我が身には成り余りたるところ一つ在り
汝の成り合わざるところに挿しふさぎて国土を生み成さんと思う。如何に?」と提案した。
要約しますと、
二柱は互いの体の違いに気付き、ミトノマグワヒ=夫婦の交わり。
国生みの為の神事によって国を生む方法を、イザナギが提案する!という流れですね。
このまぐわいには、もう一つ大切な意味がありまして「互いの役割や特性を補い合う」
という事です。
「あなにやし えおとこ。」(ああ〜なんて素晴らしい男性なんでしょう!)「あなねやし えおとめ」(ああ〜なんて素晴らしい乙女なんでしょう!)とお互い賛美しながらまぐわい
(国生み)を行いました。
この宇宙は陰陽の和合で成り立ち、陰陽の和合ですべて産まれています。
日本最古の書物である古事記のイザナギとイザナミの国産みの篇にもありますように
お互いを祝福して、国産み、神産みが始まりました。
イザナギとイザナミが初めて出会ってお互いを祝福しあった言葉が、あなにやし えおとこ
あなにやし えおとめです。『あぁ、なんてすばらしい男性でしょう。あぁ、なんてすばらしい乙女でしょう。』と、お互いをただ純粋にすばらしいという祝福の言霊で慈しみ、生命の尊厳を貴んだ喜びの心を、皆さんの意識の奥から思い出して、異性に祝福の言葉を送っていきましょう。
痛みからの祝福や、奪うための祝福に慣れてしまっていたら、
どうぞイザナギとイザナミの記憶を思い出させてくださいと願っていくとよいですよ。
地上の生き物は、鳥も動物たちも昆虫も、あちこちであなにやしえおとめ〜♡あなにやしえおとこ〜♡オスとメスが愛を響き生命を謳歌し、繁栄させていく喜びに満ち満ちています。
それを喜ぶよう自然が木々が微笑みの祝福で揺れています。
喜びの産み出す異性の存在があってこそのワクワクの自然を皆さんでさらに喜び、祝福を送っていきましょう。
男性がいてくれてありがとう!!女性がいてくれてありがとう!!男性がいて女性も存在価値があり、女性がいて男性も存在価値があります。
陰陽の考え方からも、性質の違う二つの気をもつ男女神が、互いを補い合いながら国の国生みをしてゆくという事がこのシーンから読み取れます。
男女は平等ではあるけれども、決して「同質」ではなく、性別による役割や特性の違いをしっかり見定めそして互いにそれを補い合い、生活してゆく事の大切さを説いているともいえます。宇宙の本質は陰陽和合のエネルギーなのです✨
https://kusaba-kazuhisa.com/works/201910/ 【結び イザナギ・イザナミ】より
新しい時代に突入し、どのような時代 になるのか、神話を巡って考えてみました。
神代の時代、まずはじめに出てくるのがアメノミナカヌシという「見えない」神様です。この、見えないというところがすごく重要で、見えない神様がどんどん出てくるのです。タカムスビノカミ、カミムスビノカミ……。
私たちが生きるこの世界には、物を造化する目に見えない働きがあるということは、科学の世界、現代物理学の量子力学が証明していますが、それと非常に符合しています。
その「見えない神様」の世界から、最初に「見える」神様として形を現されたのがイザナギ、イザナミです。
この二神が国を産んでいき、現象というものを起こしていきます。
国産みをする時、立派な神様をお産みになるまでにはいろいろなことを試み、様々なことをやられます。
そして、皆さんがご存知のように、「私にはあまっているところがあって、あなたには足りないところがある、それを合わせてみよう」ということになります。これを私はまぐわい、性の儀式なのだろうとずっと思っていたのですが、これこそが「和合」であり、ここに「大調和」の大きな鍵が示されていると気づきました。
「ワンネス(oneness)」を理想とする人たち は、「みんな同じで、一つだ」と思いがちです。しかし、「ワンネス」の世界が、実はどういうふうに創られているのか。それは互いに違うものが組み合わされ、一つの大きな「和合」の世界=「大調和」の世界が成り立っているのです。
「ワンネス」とは全体のことであり、全体とは「違いの集合」にほかなりません。神話には、そういうメッセージが込められているのではないかと思うのです。みんなが「それぞれ、違う」ということを認識することの大切さを伝えていると思うのです。
これまで歴史の中では、「俺がこうだから、お前もそうだろう」という主張が繰り返されてきました。「私の正義が世界に通用する」「私の答えが正しい」と誰もが思っているのです。そうではなく、「みんな、違うのだ」ということを理解して初めて結び合え、「和合」や「調和」が生まれる。そういうことが神話の中で示されている、と私の中で腑に落ちたのです。
「今こそ、それを描かなければ」と思い立ち、今回『結び イザナギ イザナミ』という作品を創らせていただきました。
人は本来、生まれ育った環境や積み重ねた経験によって、価値判断や視点がそれぞれ違うわけです。この「違う」という当たり前のことを忘れて、「みんな同じだ」と思ってしまうところに、争いや諍いが生じたり、孤独感に陥ったりと、問題が起きてしまうわけです。
「われこそは正義」「私の神様が絶対正しい」と主張し、戦争が繰り返されています。人間の脳の構造や癖がそういうふうにさせているのです。
しかし、そもそも正義とは何か。誰にとっての正義か。
価値判断や視点が人それぞれに違うということを理解しないと同じテーブルにはつけません。理解して初めて同じテーブルにつけ、手を結ぶことができるのです。
人それぞれ違う視点、観点を持っているから、実は同じものも違って見えている、ということを意識し合って、そこから結んでいけば理解の上に立った強い絆となり、この世界にも平和=調和が生まれるはずです。そういうことをイザナギ、イザナミの神話は語りかけている気がします。
新しい時代はそれぞれの違いを理解し、そこから生かしあう方向へと共に向かって世界を創っていかなければいけないのです。
「キミ」と「ムス」
戦後、私たちは国歌「君が代」の歌詞の内容(意味)について誰からも教わりませんでした。学校教育では、音楽の教科書の最後のページに「君が代」が載っているだけです。今もそういう状況のままです。
この「君が代」の原典は『古今和歌集』にあります。「君」というのは、憧れの女性であったり男性であったりしますが、当時はとても大切な人のことを「キミ」と呼んでいました。
イザナギとイザナミの、最後の音を足すと「キミ」になります。「和合」した男女、社会を構成する二つの違いが「和合」した形を、1300 年前には「キミ」と呼んでいたのではないかと思うのです。だから、君が代も「高砂」と同じように、祝い唄としてずっと歌われていたのではないでしょうか。
そして「君が代」は、「千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」と続き、
「ムス」という言葉が出てきます。タカムスビノカミ、カミムスビノカミの中にも出てくる「ムス」という大事な言葉。
もち米を蒸気でムシたら、柔らかく食べられるようになります。このように新しいものが誕生するということが「ムス(生す・産す)」なのです。
だから、男の子が生まれれば「ムスコ」であり、女の子が生まれれば「ムスメ」です。
「和合」して命を繋いでいったら、ムシてくる。そこには目には見えない神、タカムスビノカミ、カミムスビノカミの働きがあります。男女の中のことだけでなく、私たちの世界にもあるのです。
違いというものを理解して、しっかり結びをしていくことが、これからの時代に必要なのです。
よく、「多様性」という言葉が使われますが、いろんな違う考え方や思想があって当然です。生い立ちも違うし、生活習慣も違う人たちの集まりなのですから。
それを認識した上で、みな、「いのち」という一つの大きな流れの中にいることを自覚してこそ、初めて「和合」し、「大調和」という理想の世界が現れるのではないか、 と思います。
「淡路結び」と「大調和」
イザナギ、イザナミが国を産んだ時、最初に誕生した島は、「淤 お 能 の 碁 ご 呂 ろ 島 じま 」と神話に記されています。
これは今の「伊 い 奘 ざ 諾 なぎ 神 じん 宮 ぐう」が鎮座している淡路島だと考えられています。
私は『結び イザナギ イザナミ』の中で、鉾の先に結んだ紐を描き込んだのですが、これは「淡路結び」と呼ばれる結び方です。熨斗袋に使われたり、お祝いの時に使われる水引の一つで、かなり古くからあるもので、麻糸で作られていたそうです。
欧米なら「リボン結び」にあたるのですが、「リボン結び」は両端を引っ張れば解けてしまいます。しかし、この淡路結びは、両端を引っ張るとどんどん締まっていき、結び(絆)がより強くなっていくのが面白いと思いました。
そして、この「淡路結び」は、二つの丸が結ばれことで、もうひとつの丸が生まれるつくりです。つまり三つの丸からできているのです。二つの世界が結ばれて、そこから新しい世界が生まれるということを象徴しているようで、非常に興味深く、鉾の先に描かせていただきました。
神話というものはどの国にもあって、「これは現実なのか、本当の歴史なのか」とみなさん考えるのですが、私にとって、それはどういうことでもいいことです。
アーティストとして哲学していくことは理性優先の世界とはまた別個であり、囚われなく神代からのメッセージを感覚的に受け取り、創造のエッセンスとしてインスパイヤされるのです。そういう意味でも、日本の神話は素晴らしいものです。
想像力を持てば、どこまでも本質に近づけるところに『古事記』をはじめとする、数々の神話の面白さがあると思うのです。古代から続く、私たちの感性の中に「ある」はずのものの再発見でもあります。
今回の作品『結び イザナギ イザナミ』は、男女のまぐわいで国を産むという神話から、それぞれの違いを理解し、「結ぶ」ということで「和合」「大調和」の世界が生まれるという気づきを表現させていただきました。
「結び イザナギ イザナミ」にひとつの詩を添えました。
ことなり の ことわり 和合なり 互いに欠けのありてこそ むすびとなって いのちが生まれ 互いに違いのありてこそ 理解となって 知恵が生まれる 万物は異なりあって
からみあい つながりあい
響きあい
おおいなるひとつの中に ざわめきあう (いのちの声の豊かさ) 大調和なり
豊饒なるかな ことなり の ことわり 結びて開き 開きて結ぶ (麗しきこの世界)
https://ryuusuijyoudou.hatenadiary.org/entry/20090212/1234453346【陰陽和合の法則】より
陰陽和合という言葉があります。性質が違うものが相互作用することで、思いもよらないものが生まれるということです。日本が和の国だと言われるのは、陰陽和合の和からきているかもしれないと、思うことがあります。
陰陽 - Wikipedia
陰陽(いんよう)とは、古代中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つに分類する範疇。陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる。
f:id:ryuusuijyoudou:20090212013452p:image陰陽を表す太極図
原初は混沌(カオス)の状態であると考え、この混沌の中から光に満ちた明るい澄んだ気、すなわち陽の気が上昇して天となり、重く濁った暗黒の気、すなわち陰の気が下降して地となった。この二気の働きによって万物の事象を理解し、また将来までも予測しようというのが陰陽思想である。
受動的な性質を「陰」、能動的な性質を「陽」に分類する。具体的には、影・暗・柔・水・冬・夜・植物・女などが「陰」であり、光・明・剛・火・夏・昼・動物・男などが「陽」である。これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する陰と陽の二気によって消長盛衰し、陰と陽の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる。
重要な事は陰陽二元論が、この世のものを善と悪に分ける善悪二元論とは異なると言う事である。陽は善ではなく、陰は悪ではない。陽は陰が、陰は陽があってはじめて一つの要素となりえる。あくまで森羅万象を構成する要素に過ぎない。
戦国時代末期に五行思想と一体で扱われるようになり、陰陽五行説となった。
特徴
陰陽互根
陰があれば陽があり、陽があれば陰があるように、互いが存在することで己が成り立つ考え方。
陰陽制約
提携律とも言い、陰陽が互いにバランスをとるよう作用する。陰虚すれば陽虚し、陽虚すれば陰虚する。陰実すれば陽実し、陽実すれば陰実する。
陰陽消長
拮抗律とも言い、リズム変化である。陰陽の量的な変化である。陰虚すれば陽実し、陽虚すれば陰実する。陰実すれば陽虚し、陽実すれば陰虚する。
陰陽転化
循環律とも言い、陰陽の質的な変化である。陰極まれば陽極まり、陽極まれば陰極まる。
陰陽可分
交錯律とも言い、陰陽それぞれの中に様々な段階の陰陽がある。陰中の陽、陰中の陰、陽中の陰、陽中の陽。
人は日々の生活に追われると、目の前の問題を解決することにとらわれてしまい、狭い世界に閉じこもりがちになります。その世界に詳しくなるというのもある程度必要ですが、そればっかりになってしまうと、世界そのものが変化したときに、取り残されてしまいます。
現状維持は、精神の退化、あるいは行動の退化という側面があります。危機が来ても危機だと気付かない、危機に対策を立てられない、そんなことが起こります。
そんな精神と行動の退化を防ぎ、危機を乗り越えるためには、自分と違う存在と出会うこと、つまり陰陽和合をすればいいのです。
自分と違うものから刺激を受ける、そこから感じたものを相手に返す。その繰り返しで、一人の想像力では思いもよらなかったものが生まれて育ちます。その新しいものの中に新しい時代を生きる力があります。
現在の状況は混沌(カオス)に近くなっていっていますが、こんなときこそ陰陽を分ける。つまり物事を見極めて行動するべき時だということです。
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