反閇(へんばい)

https://ameblo.jp/seikuzi/entry-10047288097.html 【反閇(へんばい)】より

陰陽道や密教の呪術を実践するときおこなう歩行法で、たとえば左足をすり足で前に出し、次の右足を先の左足に引き寄せて前に出す。足下に悪星を観じ、これを踏みしめることで、吉をまねくという。

 もとは中国の道教における「兎歩」を源流として、本来は一歩一歩が、北斗七星の九星(弼星・輔星をプラスして考える)を意味し、その形に歩く。中国古代王朝・夏の兎王は激務の末に下半身が不随意となり、それでも足をひきずりながら各地を回って治水事業に奔走した。治水は即ち土木と呪術である。王自らが水神に向うとき、当然足を引きずらざるをえなかった。そこで、その英雄的仕草そのものを後年の呪術にとりこんだのではあるまいか……というような話が「荀子」にあるそうな。

 王権と結びついた宗教であるから、北斗星や北極星、妙見信仰といった思想をもつにいたるわけだし、ミシリミシリ、スリスリとお上品にもなるのであろうが、もとはそんな理屈やお行儀はなくて、もっとハデにどしんどしんと土地の霊を鎮めるというような意味があったのであろう。

 そこで『古事記』でも特に有名なエピソード。

 スサノヲが母恋しとワンワン泣いてばかりいるので、父・イザナギ があきれて、根の国行を許可する。スサノヲは姉・アマテラスに挨拶していこうと、ノッシノッシと高天原へ。アマテラスはこれを侵略と勘違い、ミシリミシリと「堅庭は向股に蹈みなづみ、沫雪なす蹴散かして」雄たけびして完全武装して待っていた。このあと天安河誓約あって宗像三女神 やオシホミミ(ニニギの父)が生まれる。そのあと増長したスサノヲは機屋を壊すなど大暴れ、たまらずアマテラスは天岩屋にこもってしまい、世界は真っ暗、禍事が大噴出。こまった神々はオモイカネを中心に考えに考えて、鏡・勾玉を造ってアメノウズメ は樽をひっくり返してその上にのってドシンドシンとストリップした。やんやの喝采に気になってアマテラスがちょっと戸を開いた隙に朝潮もといタヂカラヲが引っ張り出して……。

 こうして、今仮に擬音を表現したが、ノッシ(地より天への侵略)、ミシリ(天の地への威嚇)、ドシン(禍への鎮め)というふうに、神事に足踏みは必要不可欠だったといえる。これは神事に必ず付随する<踊り>に「ステップ」というものがある理由であろ。

 たとえば、お能「翁」では、まずシテで、素顔の<翁太夫>が「とうとうたらりたらりら……所千代までおはしませ……鶴と亀との齢にて」と<異国言葉>で謡い、控えていた若者<千歳>がそれに答える形で足拍子高らかに舞う。つづいて翁太夫は白い翁面をつけて<翁>=神へと変身し、おめでたい呪文を謡い舞う。「千秋万歳の喜びの舞なればひとまひ舞はう万歳楽」。 

 翁が面を取り、舞台から下がると、それまでならなかった太鼓が弾むように加わって(これを「揉み出し」という)、<三番叟(三番三)>が「喜びあれや」と走り出す。<面持>と狂言ふうの問答あって「この色の黒い尉が今日の御祈祷を千秋万歳めでたいやうに舞ひおさめうずることはやすう候。あどの太夫殿には重々ともとの座敷へ御直り候へ」……「あどの太夫」は面持ちの名前だが、もともとは前段の白式尉のことであろう。飛びあがったり奇声をあげたりして揉舞を終えると、三番叟がいよいよ黒式尉の面を被って、鈴を振りつつ種まきの所作が行われる。

 白・黒双方の翁の舞・足運びは他の能とは異なっており、もっと以前の猿楽の片鱗を残しているのだ、といわれる。その足ふみこそ反閇である。これは稲の豊作を祈る=千歳万歳を寿ぐ、宗教的舞なのである。

 やがて儀式から切りはなれて芸能化し、狂言、歌舞伎の所作として残ってゆくのであった。見栄をきったりしてキャーカッコイイ! と本来の意味は忘れられてゆく(零落してゆく)。

 また、相撲のスリ足・シコも反閇の名残であるという。

 相撲がもともと神事であることは耳にタコができるほど紹介されているが、河童や天狗と相撲をとったとか、狸に騙され相撲をとり続けたとか、そういうのも本来は神事であったのが零落したのであろ。スポーツ化世俗化して相撲の意味そのものが希薄になったせいか、近年ではイロイロお騒が事件がおきておる。→相撲つながり「野見宿禰 」)

 スポーツといえば、大昔、ちょっとだけ弓道を習ったことがあるが、あのときもすり足の作法があったように記憶するが、そういうふうに、過去の宗教的意味をもった名残が現在の生活にも、ほんらいの意味を忘れて残っているものがほかにもたーくさんあるらしい。そういう事物を掘り起こしてときには古人の労苦に思いをはせる余裕をもてたらいいな。


https://blog.kuruten.jp/ka-on/339002 【反閇 ヘンバイ    跛行 ハコウ】 より

『安倍晴明占術大全 -簠簋(ほき)内伝金烏玉兎集-現代語訳総解説』

2000〜(2004 3刷) 藤巻一保 訳・解説

「禹歩と反閇」  P290〜

反閇(へんばい)は陰陽道の鎮めの呪法に欠かすことのできない呪術的作法の代表

反閇とは、地霊や邪気を祓い鎮め、その場の気を整えて清浄することを目的とした呪術儀礼全体をいうが、狭義には、その際に用いられる独特の歩行法(足さばき)のことも反閇といい、中国式には「禹歩(うほ)」と呼ぶことも少なくない。

禹歩の足さばきは『抱朴子ほうぼくし』に出てくる

呪者はまず両足をそろえて成立し 次に右足が前 左足が後ろの形をとる

次に左足を右足の前に出し 右足を前に出し 両足をそろえる

以上を禹歩の第一歩とする

次に こんどは右足から前に出し 左足を前にし 両足をそろえる

以上を禹歩の第二歩とする

第三歩は第一歩と同じ足さばきを行う

足を3回運んで一歩とするので、合計9回の足さばきとなる。これを道教では「三歩九跡法(さんぽきゅうせきほう)」と呼んでいる。なぜ九跡を踏むかというと、北斗七星の数を踏むため(踏斗とうと)と、道教では説明している。北斗七星そのものは七星だが、道教や陰陽道では、弼星と輔星という二つの星を加えて九星とする。そこで、道教を受容した日本の陰陽道では、この三歩九跡を「九星反閇」と呼んでいる。

禹歩のルーツは明らかではないが、その歩みが足の不自由な者の跛行はこう(足を引きずる歩き方)に似ていることから、伝説の聖王・禹王の跛行をルーツとする説がある。それによると、禹王は治水事業などを精力的に行って山河を徒渉(としょう)した。そのために足を病んで跛行するようになった。その姿を禹王の巫術を受け継いだ後代の巫覡ふげき(巫は巫女みこ、覡は男巫だんぷ)が模倣したというのである。

星野紘(ひろし)氏の『歌垣と反閇の民族誌』に、藤野岩友氏が台湾の劉枝萬(りゅうしまん)氏から聞いたという話が出てくる。それによると、台湾の道士は今でも「殆ど片脚をひきずって進む」という。台湾では禹歩といわず「歩罡踏斗ほこうとうと」というが、罡は「天罡てんこう」という北斗七星の異名のことなので、歩罡踏斗は、結局、北斗の形に歩むという意味になる。つまり、禹歩を、理屈では道教の後づけ理論にもとづいて北斗の形を踏む呪的歩行法としているにもかかわらず、実際には、星とは無関係な跛行神話が伝承されているわけである。

このように、禹歩は、そのルーツも原初的な意味も不明というしかないのだが、道教では、禹王および北斗七星に結びつけて、自家の秘宝とした。たとえば、道教教典の一つである『洞神八帝元変法どうしんはちていげんぺいほう』では、禹歩が以下のように説明されている。

「禹歩というのは、夏(か)王朝の禹王が行った術で、鬼神(きじん)を召し出して使役するための行歩法である。これをもって万術の根源とする。昔、大禹(だいう)が治水を行おうとしたが、川の深さを測ることができなかった。そこで海若(かいじゃく)という神や地の神たちを召し出して治水土木の方針を決した。その際、常に活用したのが、この歩行法である」

これによると、禹歩は巫術の一種である使鬼神法(しきじんほう)であるとされている。中国の巫覡が大禹に習って禹歩を用いて神懸りするというのは、こうした伝説からきたものとも考えられる。

禹歩のルーツについては、『歴世真仙體道通鑑れいせいしんせいたいどうつがん』に、「(諸神が)禹王に玉書(ぎょくしょ)、霊宝五符(れいほうごふ)、治水の真文(しんぶん)、および罡(こう)を歩んで鬼神を弾劾(だんがい)したり召喚(しょうかん)する法を授けた」とある。

やはり鬼神使役と関係づけられており、その際の呪的歩行が「歩罡」、すなわち北斗を踏むことだと説明されている。

「陰陽道の反閇」   P292

同じ「三歩九跡法でも 陰陽道では 神懸りと禹歩(反閇)が結び付けられた様子は見えず 陰陽師も道士と同じく北斗を踏むが それにより

“場を鎮める”“その場から鬼神・疫神などの凶神を排除する”

といった趣が がぜん強い

反閇は 直接道教から出たものというより「もともと中国の遁甲式占とんこうちょくせんに従属する祭法の反閇局法に由来するもの」(小坂眞二)で そこに道教の種々の呪法が組み合わされて成立したのだという

遁甲式占は、古代中国王朝で採用されていた三種の占い盤を用いた占い(太一たいいつ、奇門遁甲きもんとんこう、六壬りくじん)の一つで、陰陽(いんよう)の変化に乗じて人目をくらましたり身を隠し、吉をとって凶を避ける術といわれ、日本では陰陽寮がつかさどった。反閇という陰陽道呪法が、占術に由来するという小坂氏の意見は、大いに傾聴に値する。

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ほか 「具体的な次第を記した平安末の『小反閇作法』」など 

いろいろありますようで…

「小反閇作法」

1 これから歩を運ぶところの門に向かい、出行の事由を玉女神に申し上げる。

2 五気を観じ、臨視目する。

五気は木火土金水の五行のことをいい

臨視目は道教の養生を目的とした瞑想法のことと思われ

瞑想法には多種多様なバリエーションがある らしい

「修法におけるイメージ操作」という藤巻氏によるフレーズ…

洗いなおしたほうがいいと思われるものは 

そうしたほうがよろしいのかもしれませんので

みなおして たどる きざむ というような作業を 

また するのではないかと

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跛行…

跛 - ウィクショナリー日本語版 - Wiktionary

「足」+「皮」

「皮」は頭のついた獣のかわ+「又(=手)」で動物の皮を引きはがす様、又は、斜めに身にまとう様で「斜め」になるものを意味。足を引きずり体を斜めにすること。

・片方の足が不便で うまく歩けないこと

・跛行(ハコウ) 

びっこを引いて歩くこと。釣り合いの取れない状態で進むこと。

巫(ふ、かんなぎ)は 巫覡(ふげき)とも言う

神を祀り神に仕え、神意を世俗の人々に伝えることを役割とする人々を指す。女性は「巫」、男性の場合は「覡」、「祝」と云った。「神和(かんな)ぎ」の意。-Wikipediaより

奇門遁甲 きもんとんこう  中国の占術。「式占」の一種である。

Wikipedia

式占 しきせん

占いの一種である。特徴は占うにあたって計算を行うときに、式盤(しきばん)あるいは栻(ちょく)と呼ばれる簡易な器具を使用するところにある。

wikipedia

 

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