俳句が俳句であるために ①

https://ameblo.jp/akira-shinobu2244/entry-12117669940.html 【俳句が俳句であるために…(1)俳句定型とは何か?】より

ご機嫌いかがですか?俳句マイスターの しのぶ日月 です。

いよいよ私のお話も佳境に入り、今日から先の五回に亘って俳句が俳句であるためにと言う観点から、俳句の原点を探ってみたいと思います。

(1)俳句の定型とはなにか?(2)なぜ、季題=季語は存えているか?(3)韻文律と掛け算運動とは?(4)切れ字は今も響いているか?(5)比喩が秘する驚きの表現とは?

話の順序としては、概ねこの様な展開になるものと思います。俳句の淵源にどれほど肉迫出来るか解りませんが、細部に探求のメスを入れていきたいと思います。

俳句の成立の過程を省みる事は、俳句が俳句で在る事の原点に触れる旅であり、その骨格の理解・発見の旅であります。

今まで俳句の実作しかされてこなかった初心者や中級者からすれば、俳句の骨格分析にどれ程の重要性を感じておられるかはいささか心もとない点はあります。

が然し、俳句が俳句で在るための根本原理の仕組みが理解出来れば、あなたの句は今までと違ったクオリティーの高い、芯の通った句姿になる事請け合いです。

あなたが本格的な俳人を目指す意志ならこれからの部分は謂わば核心に触れる部分でもありますので、繰り返し読んで充分な理解を深めることをお勧めします。

(1)定型とは何か?

あなたはこれまで学校の授業で、「俳句」の起源や様式の変遷について、一体どの様に教えられて来たか、覚えておられますか?

何とは無しに、松尾芭蕉が俳句の祖で、明治になって正岡子規がそれを再興したと、云うような理解ではありませんか?

でも実は、芭蕉は「俳句」の祖ではありませんし、子規が再興した訳でも無い事を、あなたは既に知って居られますね?

正しくは『俳句』の語と様式を作った祖は子規で、明治期以前には「俳句」という言葉さえありませんでした。

おや、怪訝な顔をされていますね?

「俳句と云えば芭蕉でしょう?」と、言いたげな表情をされていますが、実は芭蕉さんの生きていた江戸時代は、『俳諧の連歌(連句)』と言っていました。

平安時代の宮廷で始まった和歌の連歌が時代を経て、その形式を残しながらも通俗的な内容に変化させ、江戸時代初頭に流行したのが「俳諧の連歌」でした。

荒木田守一や松永貞徳・西山宗因に代表される初期の俳諧は、洒落や滑稽と云った通俗的な内容が専らとなりました。

こうした傾向のアンチテーゼとして、侘び寂びと云った新規の風情を取り入れたのが松尾芭蕉の「蕉風俳諧」でした。

つまり、芭蕉さんは「蕉風俳諧の祖」だった訳です。

『俳句』は五七五の十七文字一句で完結した作品世界を表現していますが、俳諧は発句の、五七五に付けて更に下の句の「七七」を詠み添えます。

この様に「五七五」の部分と、「七七」の部分が掛け合いされて一韻の世界観が生まれます。

そして更に、連続して三十五回の韻を重ねていき、三十六歌仙で一巻の作品が完成されます。

つまり一巻の「歌仙」は三十六の、「五七五・七七」の相互に連関しながら展開していく、物語的な連続した世界観を表現している文芸なのです。

俳諧の世界ではたった一つの例外を除き常に「五七五」は、前後の「七七」と何らかの関連性を及ぼし合っています。

その様な俳諧の世界で、唯一の例外とされたのが、「発句」または「立句」と呼ばれる、巻頭の五七五の存在です。

常に前後の文節と意味を通わせ、雰囲気を同じくし、共振する事で統一性を図っている俳諧の中にあって、唯一、発句は独立・完結した表現を貫いてきました。

「発句は言い切るべし、およそ切れざるは立句ならざるなり。」という言葉があるように、句が独立している事が発句の大前提でした。

こうした発句の完結性に着目したのが子規で、連句から発句のみを切り離し、彼はこれを『俳句』と命名したのです。

この様に「俳句」の誕生の過程をたどると、「五七五」の十七音が定型となった理由がよく理解できると思います。

五七五の短い韻律の中で完結する短詩が明治の新しい時代のスピ-ド感と相俟って社会に受け入れられたのは、やはり歴史の必然ではなかったかと思います。

俳人の仁平勝氏が俳句総合誌で「俳句が十七音の定型詩だと言う人がいるが私はそうは思わない。俳句は五七五の定型詩である。と、私は言いたい。」

旨の文を書いていたが、その意をさらに要約すれば次の意ではないかと思う。

十七音で有る事が俳句定型の総てである様に言う人がいるが、そうではない。実は「七五調・五七調」という古来より日本語の中で育まれてきた固有のリズム(韻律)が何より重要である。と、仁平氏は述べているのです。

俳句の五七五の定型の根底には、当然、五七五の韻文律が前提として認識されて居らねばならず、それに併せて発句特有の言い切る姿勢が定型成立の理では無いかというのです。

この様に俳句定型の成り立ちに遡って分析を深めていくと、当然、「自由律」の事についても触れる必要があります。

自由律の作品を、まるで俳句ジャンルの一部分であるかの様な捉え方をしている俳句媒体を見かけたりするが、俳句の成立過程を省みる程に否と言う他ない。

発句と自由律を並べてみれば、その違いは子供にも理解できるはずです。

俳句は定型を墨守するところから発し、自由律は定型を持たない処から発す。

よく似た短詩の中にあっても、分類の上では全く質を異にする以上、矢張り両者は分けて論じられるべき性質のものだと私は思います。

また、見かけの全く同じ「川柳」に関しては、その成立の基に「発句と平句」「立句と雑の句」と云う厳然たる相違があるのを見過ごしてはいけません。

同じ十七文字でも、言い切る「俳句」と言い切らなくてもよい「川柳」の違いは実はとても大きいのです。

季に捉われることなく表現できる川柳には、俳句と異なる表現域がありますが、季題の象徴性や意味性を重層的に活用して表現する俳句とは長短があります。

この様に「俳句」を細部に分析してみると、両者はよく似た同じ様な顔付をしていても、実はその中身は、全くの他人だという事がよく解ります。

俳句と川柳の差が、同じ部落の遠い親戚だとすれば、自由律との差は言語を異にする外国の人位の違いはあるでしょう。

兎に角、仁平勝氏の言を真似るならば、「俳句は五七五の韻文律に根差した、

十七音の伝統的有季題の定型詩である」と、言うべきでありましょう。


https://ameblo.jp/akira-shinobu2244/entry-12118073966.html 【俳句が俳句であるために…(2)なぜ季題=季語は存えるか?】 より

前回に続きまして本日は、「俳句が俳句であるために…」(2)なぜ、季題=季語は存えるか?と云うテーマで進めたいと思います。

前回では、俳諧の連歌(連句)に於ける発句から「俳句」が生まれた事をお話ししました。

それは発句の五七五の韻が、当時の日本語での詩表現のリズムに合致していた事や、十七文字で完結するという簡便性が新しい時代の要求に支持されたのです。

そして明治期の新体詩運動の中で、外国からの借り物ではない事が支持を得て、短歌と並び準国産の短詩形としての地位を得たのではないかと理解しています。

連句の発句では、一句で言い切る完結性と並び、座に対する一期一会の「存問」が、欠かせない要素でした。

あなたも句会などで友人と会うと、先ず気候の挨拶に始まるのと同じ様に、連句の発句では必ず季の詞を用いて存問(挨拶)をするのが当然の礼儀でした。この「季の詞」が「季題=季語」です。

「季題」と「季語」の間には、相互にさしたる意味の違いはありません。

俳壇の傾向としては、作品を文語旧仮名遣いで書いている派の方が概ね「季題」という呼称を用いています。そして、現代語で書いている派の多くの方たちが「季語」と呼んでいる様です。

一見しますと、「季題」の語感は少し古めかしい感覚を覚えた方もあるかも知れませんが、実は用例としては「季語」の方が遥かに古い呼び方なのです。

私は、日本の詩歌に於ける五七五の韻文律の働きを重視する立場から、自己の句を敢えて伝統的な表記をしています。ですからこれまで意識して、わざと「季題」と云う呼び方に撤してきたので、このブログでも、この先も『季題』という呼び方で通したいと思います。

これは、自己の作品上に於ける立ち位置を明確化させる意味合いもありますが、日本語文法を厳格に用いると云う、自分自身への戒めの現れでもあります。

謂わゆる「季題」の歴史を辿りますと、古く「古今和歌集」にたどり着きます。

例えば季題の「花」は、現代では「桜」の事を指しますが、古く平安の世では、「梅」の代名詞であったります。

この事一つ取っても、季題が歴史的に生ものであること事を感じます。

また、季題の語彙の変遷を調べるると、季の「本意・本情」の普遍性にも夫々の時代による語彙の変化がみられます。

単に「雨」とだけ言えば、誰も特段の季感を覚えたりすることはありません。

「雨」は年中何時でも降ります。

しかしこれが一度「春雨」「夕立」「時雨」「寒の雨」の様に固有の季題で呼ばれると、日本人ならすぐに相応しい景の様子を瞬時に思い浮かべるでしょう。

この季題ごとのイメージの違いが、季題に於ける「本意・本情」の違いを解り易く、端的に表していると言えます。

例えば「寒の雨」という季題には厳しい冬を表現する意味ではなく、身近に訪れるであろう春を心待ちにする気分が、その語彙の根底に無くてはなりません。

何故かと言いますと、厳寒であれば本来なら雪になるべき景が、降雨になっているのは、「寒中の暖」を意味します。

嗚呼、有り難い。春がもう、隣まで来てる。と、云う言外の感興を素直な気持ちで、作品の根底に感じればよい訳です。

将にこの、根底に感じ取る感動こそが、俳句作品を貫く急所であり、季題の本意本情に表現される処の核心部なのです。もし、季題の本意・本情からズレると最早、意図する感動は起きません。その場合は、季題の斡旋が適切ではないという事で、結果としては次の適切な季題の斡旋を考えるべきでしょう。

俗に「季題が動く・・・」と云うのは、将にこの様な場合を指す言葉です。

歳時記には気候風土に関する季題だけでなく、農事や祭事などの習俗・行事等の様々な季題が集められていますが中には時代によって変化する場合も有ります。

例を上げるなら、昭和の世では春だった「天皇誕生日」が平成ではクリスマスの頃に変わったのがよい例です。

亦、9月1日の「震災忌」などは、先の阪神大震災や、東北大震災の経験が鮮烈過ぎて、「震災忌」のみの季立では鑑賞する上での判断が難しくなりました。

然しこの様な例があるからと言って、季題の重要性に一分の疑義もありません。

季題の用法に変化があっても、各々の時代に幾重にも刷り込まれた、季題に秘めた歴史が何よりも大切で、それが詩語の本意・本情を規定するのです。

有季の対極として、時に無季俳句を提唱する人もありますが、若い時にそうした冒険的な句も書いた者としては、とても今は皆様に勧める気にはなりません。

自身の過去の無季作品も含め、大方は俳より以前に、ただの詩としても他者の鑑賞に耐え得る句が少ないのが現実です。

同人誌やネットでたまに無季の作品を見る事もありますが、そうした句の大多数は矢張りとても正視出来ない作が多く、私としては一部の天才を除いては、一般的に無季句の作品は勧めません。

五七五の短い表現域で一句を完成させねばならない俳句の場合、矢張り季題の持つ本意・本情の資援は今後も大切です。

「季題によって語らせる」という表現法に拠る以上、季題の重要性が今後も増すのは明白で、時代ごとに新しい意味を貼り重ね、その存えを望むばかりです。

季題の事も、文法の事も考えず発想の儘に、自在に言葉を手繰ればさぞ詩性の高い句が生まれるのでは、と思いがちですが、それは凡人の悪しき思い込みです。

我々非才な凡人は、定型の厳しい制約の中で、呻吟しながら言葉と格闘するからこそ、僅かに鑑賞に耐え得る作品に近付けるので、気儘は怠惰な駄作のみです。

季題の本意・本情を擬えるのではなく、現代の詩情に即した新しい視点で本意・本情の表現域の幅を少しでも広げる事が出来れば、それは望外の幸せです。

十七文字しかない表現域の中で、無限のイメージの増幅効果を生み出してくれる源泉が「季題」であり、言うなら定型の殻を破り創造を助ける触媒なのです。

もし、「季題」を遣わずに表現するなら俳句はとても窮屈で、一部の才能に恵まれた者以外の大衆にはとても痩せた詩形になるに違いありません。

季題の斡旋もまだ儘ならないのに思い上がって、他者の鑑賞に耐え得る無季の句を書こうなどと云う論外な考えにはせぬよう、最後に重ねて申し添えておきます。


https://ameblo.jp/akira-shinobu2244/entry-12118927121.html 【俳句が俳句であるために…(3)韻文律の掛け算運動とは?】 より

さて、きょうは「俳句が俳句であるために…」の(3)韻文律の掛け算運動とは?と云うテーマで進めていきます。

様々なメディァシーンで公開される俳句や詩歌が、多くは韻文に依って表現されているのを、皆様は気付いていましたでしょうか?

ニューミュージックが盛んになった頃から散文的な訳詞が多くなり、日本人シンガーソングライターなども散文で歌詞を書く人が増えてきました。

でも、音楽以外では「五七調・七五調」のリズムの影響はまだ至る所に残っている様子で、標語やCMのキャッチコピーなどは今も七五調のものが多い様です。

(1)の定型の処でも少し触れましたが五七五の俳句定型は、日本語の文語文法が持つ固有の韻文律(リズム)と強い影響を及ぼし合ってきました。

然しこの五七五と云う調子は、日本語の古い韻文律にはよくマッチするのですが現代の散文で書く日本語には、まったく調子の取れない厄介な代物なのです。

私は、若い頃は専ら現代語表記の、俳句作品を書いていましたが、その頃はよく定型の中に言葉を収めるのに四苦八苦した覚えがあります。

しかし、十年ほど前から文語旧仮名遣いの表記に改めてからは、全くそのような不自由な思いをしたことは有りません。

この様な経験からも、俳句定型が如何に韻文性に優れているかという事がよく解ります。

言い換えれば古日本語が如何に音楽的な要素に溢れているかという事の証左でもありますし、それに比べて散文は如何に非音楽的な存在であるかが解ります。

正月の「歌会始」で披講される短歌の調べを聴いていると、「五七五」のリズムが持つ音楽性の妙なる風韻に、時には思わず心が癒されたりします。

句会に於いても、清記で回って来た時にはさほど良いと思わなかった句が、披講されて、改めてその句の良さを気付かされて再確認したりする場合もあります。

この様に俳句などの詩文芸に於いては、言葉や定型が持つ固有の韻文律に括目しない手はありません。

自由律の作品をよく分析してみると、自由なリズムと云いながら、その実、俳句程の韻律を感じないのです。その原因は多用される、散文的表現にあるのではないかと思います。

矢張り詩歌に於いては韻文律の持つ訴求力は大きく、俳句は短詩であるからこそ尚の事、韻文の力を軽視してはなりません。

韻文にはその内包する音楽性の力もあって、声に出せば文字で表現された以上の世界を表現する事も可能です。

私はこれを、韻文律による、言語の掛け算運動と、呼んでいます。

この掛け算運動が最も効果的な働きを見せるのが韻文で、散文では余りその効果はありません。むしろ散文は加減算の世界で、短詩よりは長詩、詩よりは小説の表現により向いており、軍配は自ずから明らかです。

つまり俳句は、散文を以ってしては、とても小説に勝つ術はないのです。

何度もくどいようですが、五七五の定型は日本語の韻文律を最も有効的に表現させ得る詩形ですので、その韻文性を更に掛け算運動で充分に活用するべきです。

詩的飛躍を誘うには韻文の掛け算運動に勝る、ものは無い。十七文字の短詩の中で、一編の小説にも勝る内容の表現を可能にするには、将にこの方法が最も有効な手なのです。

散文的な表現になりがちな初心者にとって、常に韻文律を心の中に感じながら句を詠む、これが私の一番のお勧めです。



コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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