読書メモ 俳句のいのち

https://blog.goo.ne.jp/rokuai57/e/d7f150f251b8406b33b6893bcea5d885  【読書メモ『俳句のいのち』(森澄雄 角川書店 98年2月)】 より

 森澄雄の句に接したのは、ごく最近のことで、この夏びわ湖に吟行をしたときが初めてである。なにしろ”近つ淡海”が大好きなひとなので、びわ湖にまつわる句もたくさんあって、勉強させてもらった。それ以来森澄雄の本、とくに随想をさがしているけれどなかなか見つからない。

古書店でみつけた、この本『俳句のいのち』は平成10年の著書なので、かなりの晩年に書かれたものである。まだまだ元気な時のもので、読んでいて印象に残る文が少なくない。

(芭蕉という男)

「時おり、こうして芭蕉の句が、まるでむこうからやってくるようにやってきて、ふかぶかと胸のしみることがある」と書いているように、芭蕉には相当の思い入れがあるようで一節、90頁近くを費やしている。この節の芭蕉の句を引用しながらの文は、森澄雄の俳論を展開しているようで、俳句の初心者の私には共感を覚えるものがある。

 ”子規の近代は、芭蕉のもっていた無常も造化も切り捨てたが、それはそれとしていいとしても、現代俳句は未だそれにかわる大きな思想も哲学も持ち得ていないのではないか。ことに戦後の俳句は自我の定着という方向にその新しさと鋭さを増したが、この「行く春を」(を近江の人とおしみける)のもつ芭蕉のおおらかで豊かな呼吸を失ってきたこともまた事実であろう。 ぼくは度重なる近江の旅の間、この行く春を惜しんだ芭蕉の一句を話さず持ち歩き、また「去来抄」の「湖水朦朧として春を惜しむに便有るべし」の一句を呪文のように胸につぶやいていた。いわば、この芭蕉がもつ、やさしく、しかもはるかなものを抱え込んだその豊かな呼吸を、もう一度自分の作品の呼吸として呼び込んでみたかったからだ”

  「米のなき時は瓢におみなえし」(芭蕉)

”「この句を学者や注釈者は、芭蕉庵の俗塵を払った簡素で清貧な生活がうかがえるというふうに解釈してしまう。いかにも観念的なきれいごとの解釈だが、それでいいのか・・ぼくには「をみなえし」が何ともいい。「をみなえし」は、一名粟花といって、そこか米とも似通うイメージがあって、「をみなえし」を挿すところが何ともうまいと思う。何度も腹を減らした経験があって、いまも腹をならしているかも分からない。そうした人生の辛酸を経てきた上での「をみなえし」にはそうした男のやさしさがある。単に「芭蕉庵の清貧な生活」では足りないだろう。やはり人生を知った者の、やさしさ、そしてユーモアがあり、芭蕉の句としてもいい句だと思う。こういう句は、子規以来の写生句には絶対出てこないと思う。・・・

そういう意味で、近代の子規が唱えた写生だとか、虚子がいった客観写生だとか、そういうものは俳句の全幅、俳句を覆う方法として僕は信じない。しかし、虚子はたとえば、<去年今年貫く棒の如きもの>にしろ<龍の玉深く蔵すといふことを>の句にしても、これはいわゆる客観写生ではない。虚子は大人物だから、そういうことを十分心得て写生を説いた。虚子のいう写生は、信じてもいいけれど、その末流のもの、見ては写すだけのこまごました写生をぼくは信じない。

一句の抱える世界、つまり<米のなき時は瓢に>という、大きな人生で何かを包むような詠み方を忘れた、と同時に、<米のなき時は瓢にをみなえし>には、ある種の滑稽と、大きな人生の味を包んで、切ないものがあるけれども、現代俳句はおおかた人生的な詠み方が消えてしまった感じがする。写生も必要だろうが、いわば自然なり人生を大きく包んで、この句の「をみなえし」のような切なく、余裕のあるやさしさ、そういう詠い方が現代の俳句にあってもいいと思う”

 芭蕉の句だけでなく、古い俳諧の句の引用もある。好きな其角の<小傾城行きてなぶらんとしの昏(くれ)>という句に関連して、こんな事を語っている。

”謡曲「現在江口」に「小傾城どもになぶられて・・」という文句があってて・・・・それにしても若い傾城、お女郎さんを<行きてなぶらんとしの昏>というのが何ともいい。<行きてなぶらん>に遊び心も浮き世の所作もいっしょに出てうまいし、それに<としの昏>に華やぎとあわれもある。許六は、「普子が風伊達を好んで細し」(俳諧問答)と言っているが、このほうがよっぽど有り難い。単なる俳句つくりではなく、浮き世をよく知った男の作品だ。

冗談のようだけど、人生を見渡し、人生を渡っている男の思いがしみこんでいる。そこに俳諧の面白さがあろう。芭蕉はじめ古俳諧には近代の単なる写生を超えた、いわば人生で詠んだ深さと面白さがある。滑稽にも遊びにも大きな人生がある。”

 森澄雄は、こんな調子でひろやかな俳諧の世界への憧れを語っている。

(同時代のひとたちのことー無頼としての花鳥諷詠)

 虚子の花鳥諷詠について、俳句の対象を単なる花鳥風月に狭く限定するのでなく、もっと大きな思想としてつかまなければ、俳句そのものが見えてこないだろう、として歌人前登志夫の言葉を引きながら、こんな事を言っている

 ”歌人の前登志夫氏が「諷詠というのは、ぼく好きなんだ。風に触れて詠うというのは、いい言葉です」とある時言ったが、この言葉に感銘した。それもやはり大きく造化につながっていく言葉であろう。「風に触れる」ということは、いわゆる人間探求派の真面目さからは出てこない。風の感触を楽しんで遊ぶというところがないと、花鳥の、そして造化の生きた大きな空間はつかめないだろう。人間探求派は、主として生活の苦しみや悲しさにポイントを置いて詠んできたから、意識が非常に狭くなったが、諷詠というのは、悲しみよりむしろ、喜びも悲しみもふくめて、もっと大きな世界をもつ言葉だ。無論、生活の上には、悲しいこと、苦しいこと、いろいろあるが、風に触れるということに、そこに解放されたよろこびがあり、むしろ深く人間存在の根本にふれてゆくところがある。言ってみれば、そこに一種の無頼の精神がなければ喜びとならないし、もっと大きく人生を遊んでおかないと、喜びとはならないだろう”

 虚子の<龍の玉深く蔵すといふことを>という句に関しては、別途これを引用・解説して”俳句は「深く蔵すべき」もので、多くしゃべるものではない・・”と語っている。

なかなかに懐が深く、また味わいのあるエッセイを楽しませてもらった。

 たまたま4年程まえに生地の姫路で開かれた特別展<森澄雄の世界>の開催記念の冊子を手に入れることができ、この詩人の全貌を知ることもできてより深い興味を覚えた。また縁があって、ある俳人から、さらに古い『俳人句話ー現代俳人たち風貌と姿勢』を拝借して読んでいる。これらのことについては、またの機会に譲りたい。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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