Facebook・西尾仁さん投稿記事【本当に有るもの、本当に無いもの。】
①本当に有るものとは、永遠に失わないもの、絶対無くならないもの、不滅なるもの、つまり①『いのち』のことをいいます。
②本当に無いものとは、時が来れば失うもの、朽ち果ててしまうもの、消えて無くなるもの、つまり②『物質』のことをいいます。
②形あるものは、必ず無くなりますので本当に無いものです。
①形の無いものは、絶対無くなりませんので本当にあるものです。
その定義からいえば、②私達の肉体は必ず無くなりますから、本物で無いことになります。
しかし①意識(いのち)は絶対無くなりませんから、本当にあることになります。
①その絶対無くならない「意識・いのち」こそ、本当の私達なのです。
◆今思っている私が、今考えている私が、実在する『いのち』の私です。
今まで私達は、①『いのち』が思い考えていたのに、②肉体が思い考えていると勘違いしていたのです。
①思えるのは、考えられるのは、『いのち』しか無いのですから、みな 『いのち』の仕業だったのです。
形に騙されないで下さい。実在とは、形の有る無しでは無いのです。
◆生きているとは、形の有る無しではないのです。
①今私と思っている意識こそが、本当の私なのです。
本当に有るもの、すなわち意識です。本当に有るもの、すなわち『いのち』です。
それこそが本当の私なのです。本当に①有るものと②無いものを見分けるキーポイントは、
「意識が①有るか②無いか?」「永遠に①無くならないか?、②無くなるか?」であります。
【時空間は、夢幻の世界である】
時空間は、夢幻の世界です。肉体は、時空間を見聞するために用意された五感を備えた宇宙服なのです。私達は、魂を成長させるために時空間に出てきました。
しかし、あまりにも時空間に慣れ親しんだために、本当にある世界のような錯覚に陥ってしまったのです。
生きる苦しみも、老いる苦しみも、病む苦しみも、死ぬ苦しみも、みな夢(3次元+時間の世界への投影)の中で五感を通して感じるできごとです。
学校で勉強することも、社会に出て働くことも、結婚して子供を設けることも、みな夢(3次元+時間の世界への投影)の中のできごとです。
私達は今、"人間だ、個人だ、肉体だ"と夢を見ている真っ最中というわけです。
七十数億人全員が、夢(3次元+時間の世界への投影)を真実と思い込み、夢(3次元+時間の世界への投影)の虜になっているのです。もうそろそろ夢から覚めたいものです。
では、どうすれば目覚めることができるのでしょうか?
それは瞑想です。神は時空間から一時避難させる手段として、瞑想を用意されたのです。
①瞑想している時は、時空間から真実の世界へ抜け出していますので、目覚めているのです。
反対に②夢(3次元+時間の世界への投影)の虜になっている時は、幻の世界におりますので、眠っているのです。
すなわち、①瞑想している時は生きており、②夢の虜になっている時は死んでいるのです。
瞑想して下さい。瞑想している内に、やがて目覚めます。
◆目覚めは(『いのち』の自覚は)、時空間から抜け出した証しなのです
かとうはかる 著「真実はひとつ」より(抜粋、追加)
https://www.ningenclub.jp/blog02/archives/2016/04/post_1650.html 【潜象界と現象界をつなぐ】 より
熊本や大分の皆様はお元気にお過ごしでしょうか。にんげんクラブの会員の皆様ならきっと乗り切ってくださると信じて、いつものようにウィークリー・レポートをお送りさせていただきます。
先日、久しぶりにKan.さんにお会いしました。2014年の「舩井☆SAKIGAKEフォーラム」にご出演いただいて大好評でしたし、にんげんクラブでもセミナーを開催させていただいたことがあるのでご存知の方も多いと思うのですが、以下簡単にご経歴をご紹介させていただきます。
道教(タオ)に伝わる覚醒のための秘術「クンルンネイゴン」の正統な継承者。長年にわたり呼吸法の実践指導にあたる傍ら、世界各地の偉大な覚者、神秘家、シャーマン、武術家らと親密に交流を重ね、数々の秘術を体得する。
2005年、クンルン・マスターであるマックス・クリスチャンセン氏と運命的出会いを果たす。2010年にはクリスチャンセン氏より、タオイストの究極の状態と言われるゴールドドラゴンボディの達成を認められ、正式にクンルンネイゴンマスターの称号を受ける。
にんげんクラブでは、こだまゆうこさんがKan.さんやマックス・クリスチャンセン氏のクンルンネイゴンのワークショップ等にたびたび参加して、その模様をにんげんクラブのHP「こだまゆうこの熱海伊豆山通信」というブログの中で紹介してくれています。一時期、こだまさんはちょっとこのお二人にのめり込み過ぎかもしれないなと危惧していたこともあったのですが、改めてKan.さんにお会いしてその魅力を再確認させていただきました。
そこで、Kan.さんのいずれも2013年に出版されたご著書時空を超えて生きる―潜象界と現象界をつなぐ』(ナチュラルスピリット)と、『問題は解決するな』(VOICE)を改めて読み直してみました。すると、3年前の私にはとても理解できなかった深い世界に触れられていることが感じられました。もしかすると、今回Kan.さんと再会できたのは、私にまたお付き合いさせていただく準備ができたからかもしれません。
私は2013年ごろから、今の私たちにとって「次元の壁を超える」ことがとても大切であるということに気が付き始め、「舩井☆SAKIGAKEフォーラム」や「舩井フォーラム」のテーマとして意識してきました。
ちなみに今年の「舩井フォーラム2016」は残念ながら聖者サイマー女史にご参加いただくことはできなくなりましたが、これから5年ぐらいの間は平和を実現するために大勢の人(象徴的に144,000人と言っています)で一緒に「祈る」ことをテーマにしていきたいと考えています。
特に今年は黙示録などの予言や、空海弘法大師が八十八ヶ所巡礼などで四国に掛けたと言われている「封印を解く」ことを目的にしていますが、そのための具体的な方法論もやはり次元の壁を超えることではないかと感じています。
Kan.さんに、最近私が感じ始めている現象を認識と世界、見る方と見られる方に分けて考えると次元の変容が分かるようになるというお話をさせていただいたところ、当たらずといえども遠からずですね、という感覚で、方向的には間違っていないということを確認していただきました。
そして、次元を超えて行く時に大事なのは、ゼロ次元の感覚というかゼロそのものになることだと思うようになってきたと言うと、ゼロになることとは、すなわち潜象界に入ることですよというアドバイスをいただいたのです。「潜象界」というのは、とても難しい概念のようです。『時空を超えて生きる』から引用させていただきます。
(引用開始)
思考と感情と肉体の奥にあるものを突き詰めていくと、自然に潜象界に行き着きますが、そこにあるものを短絡的に、真我やアートマンと称してしまうと、とたんに潜象界ではなく、「大いなるもの」になってしまいます。
「大いなるもの」は、ぎりぎり潜象界を感知できますが、本来、潜象界は何も感じないし、何もない世界ですから、実感することはありません。でもそれは確かにあって、ぎりぎり潜象界を感じることのできる場所があるのです。
アートマンが一人歩きすると、人はアートマンを追い求めるようになります。
でも、本当の意味でラマナ・マハルシ(1879~1950。インドの覚者、南インドのティルヴァンナマライにある聖なる山、アルーナチャラで生涯を過ごす)と共振するなら、アートマンも落ちなくてはいけません。ラマナは厳密にはアートマンとは言いませんでした。あったのは沈黙です。
「アートマンですか?」と聞くと、否定でも肯定でもなく、沈黙になって、共振するものだけがわかる世界になるのです。
アートマンを追いかけるとどうなるでしょう?
アートマンがわかったといって、陶酔世界に入ってしまいます。梵我一如の世界は、人間が味わえるオプションの一つですから、体験してもいいのですが、それが究極かといえば、それはやはりアートマン幻想であり、ラマナがいちばん陥ってはいけないといっていた陶酔世界です。そこをもってすべてとすると、いつの間にか陶酔世界の人になってしまうのは否めません。
(引用終了)
どうも、「時空を越えて生きる」、つまり次元を使いこなすためには潜象界が分からなければならないようです。改めてKan.さんの伝えてくださる世界をじっくりと学んでいきながら、潜象界を感じ、それを表現していくことに挑戦していきたいと思います。もはや誰にとっても他人事ではない地震のような自然災害の際にも、この潜象界を使うことができれば、強い味方になるような気がしています。
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