http://www1.tlp.ne.jp/k-hamauzu/sea.html 【日 本 海ーその海と生物ー】 より
6 国連海洋法条約ーその歴史的背景と概要ー
1国連海洋法条約成立の時代背景
元来海洋は、一国家の領有するものではなく、全世界の人々の共有する財産であり、海洋とはそのような特徴と性格を持っているものである。
15世紀以前の古い時代では、例え一国が広大な海の領有を主張したとしても、それを独占支配する能力は未だなく、又その必要もなく海洋は自由であった。しかし15世紀後半にスペインとポルトガルによってローマ法王アレクサンドル六世の裁定により世界の海洋が二分され大西洋上のケープヴェルデ諸島の西方約661Kmの子午線西経46°30′より東側(アフリカ・アジア地域)で発見される陸地はポルトガル領とし、西側(南北アメリカ新大陸地域)で発見される陸地はスペイン領とするというものであった。(トリデスラス条約1494)1)
その後16世紀半ばには、オランダ・イギリスが進出し先の二国と衝突し、海洋は自由であると言うオランダのグロチュウス(Hugo Grotius 1583~1645 )の『自由海論』が次第に支持されるようになり、広域支配よりも完全に守れる範囲を領海として定め、あとは公海とする「広い公海・狭い領海」として全ての国家、全ての人々の自由で共通のものとしておいた方が得策であると言う考え方が大勢を占めていった。そこから「海洋自由の原則」が確立していったのである。
しかし第一次世界大戦後から海洋に関連する技術の開発はめざましく、第二次世界大戦終結直後の1945年(S20)9月28日、米国のトルーマン大統領は、
「大陸棚の海洋底とその地下の天然資源に関する米国の政策」
「公海の区域の沿岸漁業に関する米国の政策」
という二つの海洋・漁業施策に関する”トルーマン宣言”なるものを発表した。2)
この宣言は大陸棚の海底と地下資源に対して、その管轄と管理を主張したものであり、又大陸棚の上の海域にその米国に近接する公海の区域に於ける生物資源の生産力の維持保存に付き自国が特別の利害関係を有すると言う主旨のものであつた。
この宣言出されるとこれが引き金となって、主としてラテン・アメリカ諸国が、まず海洋200海里の主権を主張した。
海洋はこの時代(第二次世界大戦後)から、船舶・航空機の発達、石油等の海底鉱物資源の採掘技術の発達、大陸棚の生物資源の独占等、容易に海洋を支配出来る状況が整ってきたものであり、広大な海洋の領有支配を沿岸国が主張するようになって来たのである。又新しく独立した国家のナショナリズムの高揚も国土周辺の海洋の主権を主張するようになってきたという時代背景がある。
ここでは海洋の新秩序を確立するための、国連を中心とした協議の経過と、1982年(S57)に採択され成立し「60ケ国の批准と1ケ年後」の発効用件を満たして1994年11月16日発効した通称「国連海洋法条約」(正式名称は「海洋法に関する国際連合条約」という)について述べる。
2条約成立の歴史的経過
旧国際連盟は、かつて国際法典編纂会議の議題の一つとして領海に関する立法を企画した。すなわち、1924年(T13)旧国際連盟総会の議決により国際法典編纂促進専門委員会を設け、1927年には事務局内に準備委員会を発足させ、領海の幅・領海の持つ権利の性質と内容等の調査を実施している。その中で"領海"について17ケ国(米国・英国・豪州・カナダ・南ア・日本・独国etc.)が領海3海里であるとしている。又4海里はアイスランド・ノルウエー・スェーデン・フィンランドの4ケ国で、6海里ブラジル・イタリー・チリー等12ケ国、12海里がポルトガル・旧ソ連の2ケ国であった。
1930年国際連盟国際法典編纂会議の第二委員会(領海関係)に於いて各国代表は領海の幅をどうするか、接続水域を設けるか否か、について検討協議を行ったが、条約として纏め法制化することは出来なかった。法典化に失敗したことは、諸国の領海拡張を加速することになり、例えば、1932年比国は所属する諸島の全ての範囲の海域を領海とした。又メキシコは1935年に3海里から9海里に拡張した。
第二次世界大戦後国際連合の設立に伴い海洋秩序の国際法典の成立をはかるべく1951~1956年に国連に於いて検討協議が行われた。
1)1958年(S33);第一次国連海洋法会議が開催。
この会議に於いても、領海の幅を決める事が出来ず、海洋は自由か否かと言う国際法の基本原則の問題を未解決のまま将来に残す事となった。しかし領海の法的地位・領海を決める場合の基線・湾・島・低潮時隆起・無害航行権等について規定することが出来た。
2)1960年(S35)第二次海洋法会議。
3)1973~1983年(S45~58)第三次海洋法会議。
1976年(S51);深海底の問題等を除き実質的な条約草案が完成。米国・カナダ・EC・旧ソ連が排他的経済水域を設定(1977年から施行)。
1977年(S52);日本国も「漁業水域に関する暫定措置法」を公布{1977(S52)7月1日}より施行。
ところで我が国は、1633年(寛永10)江戸幕府により鎖国令が出されてから開国まで国を閉ざしていたため、その間の230余年間、対外的にほとんど問題は無かったわけであるが、明治維新の開国により、領海法等の法的整備が必要となり1871年(M4)太政官布告第546号により、着弾距離説を注書して「およそ3海里、陸地から砲弾の達する距離」としたが、翌1872年(M5)同布告第130号を公布し正確な数値を示し「海里は緯度1度の60分の1をもって1里と定め、陸里16町9分7厘5毛」とした。(1海里は地球の緯度1度の60分の1の長さを言い、1,852mである)。これ以来1977年(S52)の100年余り「領海3海里(約5.6Km)」を国是としてきたのであるが、旧ソ連との漁業交渉に当たり、同じ土俵に乗らなくては不利を生じる事から、取りあえず暫定的に公布したのである。これにより日本国は「領海12海里(約22.2km)」へと移行したのである。
1982年(S57);国連海洋法会議に於いて「国連海洋法条約」を採択。
1983年(S58);我が国、同条約に署名。
1993年(H5)ガイアナが60ケ国目の批准国となり、1年後の発効が決定。
1994年(H6)11月16日「国連海洋法条約」(本文320条・9付属書)が正式に発効した。
3条約の概要3)4)5)
1)領海[第2~54条](Territorial Sea)
範囲を12海里とする。直線基線を用いることが出来る。領海内に於ける「無害通行権」を認める。国際海峡については特別の通過通行権を認める。
瀬戸内海は歴史的水域の"内水"として国際的に認知されている。ロシア極東のピョトール大帝湾は1957年(S32)以来、チユメン・ウラ河口とポポロトヌイ岬を結ぶ湾口115海里の陸側水面を内水と定めて、この基線からさらに沖合に領海12海里を設定している。我が国はこれを認めていない。
2)接続水域[第33条](Contiguous Zone)
領海に接続する水域(24海里以内=領海12海里+12海里)であって、領海内に於けると同様に通行・財政・出入国管理・衛生上の取り締まりを行う。
3)排他的経済水域[第55~75条](EEZ Exclusive Economic Zone)
範囲を200海里とする。(1海里=1,852m、約370km)沿岸国はその水域に於ける天然資源、その他の経済的な主権的権利を有する。沿岸国はその排他的経済水域に於いて漁獲可能量(TAC Total Allowable Catch)を定めると共に、生物資源の保存及び管理に関する措置を講じなければならない。
4)大陸棚[第76~85条](Continental Shelf)
大陸縁辺部の外縁までの区域(最大350海里、約648km)とする。天然資源の開発は、沿岸国の主権的権利とする。
5)内水[第8、50条](Internal Waters)
内水は領土と同じ性格を持ち、基線の陸地側の水域としている。
6)公海[第86条](High Seas)
いずれの国の排他的経済水域・領海・内水・群島水域にも含まれない海洋の全ての海域を言う。
7)深海底[第136~155条]・その他。
深海底及びその資源は人類共通の遺産と位置づけ深海底鉱物資源の開発は国際的な管理下に置く。海洋環境の保護・保全・海洋の科学的調査、海洋技術の開発・技術の移転等に努める。
註
1)飯島幸人著 『航海技術の歴史物語』 成山堂書店 2002
2)今田清二著 『公海漁業の国際規制』(INTERNATIONAL REGULATION OF HIGH SEAS FISHERIES.) 海文堂文庫302、 1959
3)(財)日本海運振興会・国際開運問題研究会編 『新しい海洋法』―船舶通航制度の解説―成山堂書店1995.
4)外務省経済局海洋課監修 『国連海洋法条約』[英和対訳] (財)日本海洋協会発行 成山堂書店(発売元)1997.
5)漁業水域研究会編 『漁業水域に関する暫定措置法の解説』 新水産新聞社1982.
7 佐渡海峡と佐渡島の活性化
佐渡海峡は佐渡島姫崎と信濃川河口左岸を結んだ線と佐渡島沢崎と越後米山崎を結んだ線で囲まれた海域を言う。面積約3,000平方キロメートル、海峡北部は本州側大陸棚が大きく張り出し(約40キロメートル)その先端は佐渡島との距離が数キロメートルと狭く北方両津湾沖に抜ける細い地溝状をなしている。海峡南海域は、佐渡海嶺が小佐渡山脈,小木半島と延び、更にその先は米山崎に向かって佐渡堆にまで達している。佐渡堆は越後側大陸棚と近接し、その南西斜面は切り立った断崖となって富山舟状海盆と境をなし、佐渡海峡を明瞭に区分している。
海峡中央部は"佐渡海盆"と呼ばれ、水深500m台のお椀の底のような平坦な海底形状をしており、その面積は海峡面積の約1割を占めている。佐渡海峡の形は丁度日本海全体を1/400程度に縮小したような相似形をしている上に、岸深の沿海州と佐渡前浜・日本海側の大陸棚張り出しと海峡内越後側の張り出し・日本海が小さい海であるにも関わらず水深が深い事(最深部3,796m)と海峡内も538m(註1)と深い事・双方とも海底がお椀状になっている事等いずれもよく似た海底地形を成している。
ところで日本海は有名な芭蕉の句にあるように"荒海"の代名詞のように言われているが、これは冬期の北西の季節風が強く、小さな台風が毎日吹いているようなもので、おまけに対馬暖流の暖かい海流とシベリア下ろしの寒風が接する事によって大雪をもたらすので、ことさら日本海に面した裏日本を暗いイメージにしている。
しかし本当に日本海は大暴風が吹き荒れる荒海なのだろうか。私はそれほどでもないと思っている。それは太平洋側の台風と比較してみればよくわかる。南太平洋上で発生した台風は発達しながら日本列島を襲い多大な被害をもたらすが、日本海に抜けると殆ど勢力を失い温帯性低気圧になるのが通例である。{稀に1954年(S29)台風15号(別名洞爺丸台風、同船だけでも乗客乗員1,314人中遭難犠牲者1,155人を出した)のように日本海に入って再び勢力を盛り返し風速毎秒45mにまで発達して猛威を振るった事例もあるが}
すなわち、1968年(S43)から1990年(H2)までの22年間の新潟気象台発行『新潟県気象月報』のデータをみると瞬間最大風速が毎秒30mを超えたのは外佐渡相川でも27回(発生率0.5%)に過ぎない。しかも毎秒40m上の大暴風は一度も起きていない。{最大でも1982年(S57)9月に毎秒34.2mを記録}最も発生率の高いのは毎秒10~20mで45%を占め、毎秒20~30mの強風も14%にしか過ぎない。このように毎年台風の襲来で多大な被害をこうむる太平洋側に比べて日本海は何と穏やかなことであろうか。"荒海"という汚名を返上したいものだ。
更に佐渡海峡内に目を向けると佐渡前浜海域が周年穏やかな海域である事がデータからも裏付けられる。外佐渡相川で最大風速を記録した同日の佐渡前浜羽茂の最大風速を比較してみると平均で58%減少している事がわかる。勢力が半分以下にまで衰えているのである。
更に私の冬期の前浜地先での波浪観測結果{1981年(S56)12月16日から翌1982年(S57)3月21日までの69日間}を解析してみると波浪は著しく弱く最大有義波高は1.76mで0.5m以上の有義波高(註2)の発生率は4.9%にしか過ぎない。このように佐渡前浜海域は地形的に大佐渡・小佐渡の二重の高い山脈(大佐渡山脈には日本の島嶼では最も大きな山脈が連なっている。最高峰は金北山1,172m・次が妙見山1,042m)に守られ冬期でも温暖で、あたかも越後の"小関東"と言った気候環境なのである。その上対馬暖流第一分枝流が海峡内に流入し北上しているため、海水温は暖かく前浜地先では冬期でも表層が10℃以下になる事は殆どない。
更に佐渡海峡は越後側からの適当な大陸棚の張り出しと平坦な水深500m以深の佐渡海盆を有し、越後側中央部には大河津分水が開け毎秒250トンという大量の栄養分の多い河川水が流入している。
そのため海峡内は有用な水産生物資源が豊富で、特に幼稚仔魚の一大揺籃場となっており、この海域が生物資源の再生産の重要な役割を果たしているのである。
表層は対馬暖流の流入のため温暖で低層は冷たい海洋深層水が滞留している事により、暖流系の回遊魚(マイワシ・マサバ・マアジ・トビウオ・サヨリ・クロマグロ・ブリ・するめいか等)・寒海性の回遊魚(マダラ・スケトウ・ニギス・ハタハタ・アブラツノザメ等)・中底層魚{カレイ・ヒラメ類(ヒラメ・タマガンゾウビラメ・マガレイ・マコガレイ・ムシガレイ・ヤナギムシガレイ・ソーハチ・ヒレグロ・アカガレイ・ナメタガレイ・ウシノシタ等)・カナガシラ・アカムツ・キツネメバル・クロソイ・マダイ・チダイ・ヒゲソリダイ・アンコウ・ホッケ・ハツメ・イシナギ・メバル・アマダイ・イシモチ・アイナメ・キス・ムツ・ヤナギノマイ・タチウオ・カワハギ・ずわいがに・べにずわい・けがに・ばい貝・ほっこくあかえび・もろとげあかえび・とやまえび・くろざこえび・くるまえび・まだこ・みずだこ・やりいか・ほたるいか等}まで豊富に生息しており豊かな生物資源の宝庫となっている。
私は1970年から1975までの6ケ年間底曳網による佐渡海域周辺の冬期の漁業資源調査を従事したが魚種・数量共に豊富な事・産卵のために回遊してくる寒海性の底魚類の産卵場となっていること(マダラ・スケトウ・アブラツノザメ等)・寒暖両流の幼魚・稚魚が多く生息している事等を明らかにする事が出来、その結果を『新潟県沿岸海域に於ける底魚類の生態資源に関する調査報告書Ⅰ~Ⅳ』として取り纏めた。
それらの知見をもとに佐渡海峡の特徴をまとめると、
1) 海峡内は温暖で冬期の季節風の影響を殆ど受けない。
2) そのため海峡内では周年操業が可能である。
3)冬期でも暖かく表層でも10℃以下になる事は殆どない。
4)水深が深く500m以深海域が10%を占め低層の水温は3℃以下と冷たい深層水が滞留している。
5)越後側から中央部に大河津分水河口が開け、栄養分の多い河川水が大量に流入している。
6)河川水が大量に流入するという事は陸上由来のプラスチック等の分解されにくいゴミ(註4)も蓄積される事をも意味する。
7)前浜地先には幼稚魚の揺籃場となるホンダワラやアマモ等が繁茂し、海藻類の群生が見られ成育環境に最適な環境を有している。
8)そのため海峡内が有用水産生物資源の宝庫となっている。
9)外佐渡海域の冬期は常に北西の季節風が吹き、"小型台風"が襲来しているような状況にあるのに対し海峡内はその勢力は半減し穏やかな海況を呈している。
等の事が言える。
これらの佐渡島の特性から今後の抱負を述べると、
佐渡海峡を水産資源の再生産海域と位置づけ、資源保護海域として保護していく施策を推進していかなければならない。資源管理と種苗放流・ゴミ汚染防止対策等を積極的に行い、この恵まれた海域を汚染することなく大切に守っていかねばならない。
今後佐渡島では冬期の観光客の誘致を積極的に進める方策を工夫すべきである。私は新幹線で訪れる湯沢町・魚沼市・小千谷市等スキー場を持つ市町村とタイアップして、訪れるスキー客に佐渡島まで1~2泊よけいに足を延ばしてもらい、美味しい冬場の"新鮮な地魚"{甘えび(和名;ほっこくあかえび)・ずわいがに・べにずわい・深海ばい貝(大越中ばい・つばい・加賀ばい・ちじみえぞぼら・加茂湖産牡蠣)・マダラ・ノドグロ(和名;アカムツ)ブリ・やりいか・するめいか}を賞味してもらってはどうかと思っている。
更に今まで最も厳しく過酷な冬期の北西の季節風を自然が与えてくれた"恵みの風"ととらえ風力発電エネルギーとして活用したいものである。更に周辺海域に於ける潮流波浪発電・海洋深層水(註3)温度差発電(既に前浜松ヶ崎で取水されているが、大規模に発電用として増設する)・バイオマス資源発電(ホンダワラ類等の海藻を原料としたメタン発酵による発電)等も考えられる。
1)冬期スキー客を佐渡島まで呼び込む誘致運動(新鮮な活魚の地魚提供可能)を、スキー場を持つ市町村と連携し合って進める。
2)風力発電を大規模に進める。
3)潮流・波浪発電を開発する
4)海洋深層水温度差発電(夏期)の技術開発を行う。
5)バイオマス発電の技術開発を行う。
今まで北西の季節風を冬期の厳しい自然の厄介ものとして見てきた視点から、恵みの天然資源と思考を変革すれば利活用はたやすい事である。関東方面からのスキー客は県境の山深い地域に限られているが、1~2泊伸ばす事で佐渡島まで来て戴き、美味しい地魚を賞味して戴いてはどうだろうか。世界遺産への登録運動も良いが、まずは"利風・利魚・利海"に力を注いではどうか、特に冬期の北西の季節風はまさに天からの"恵みの風"である。これを利用しない手はない。佐渡は"宝の島"である。冬の日本海には"波の花"も咲いている。
註1佐渡海峡内の最深部
1)水深;538m
2)位置;N 37°46′54″
E 138°30′06″
3)発見年月1952年(S27)6月
4)発見機関;第九海上保安本部測量による
(2014年1月17日 第九管区海上保安本部「海の相談室」より)
註2有義波高
連続観測値の高い方から1/3だけの値をとりその平均値をいう。
註3海洋深層水について
2004年(H16)佐渡前浜松ヶ崎地区で取水施設(毎時50トン)が完成し現在深層水を原料にした化粧水の製造・更には、ほっこくあかえび・ずわいがに・あわび等の畜養も行われ、対岸の長岡市寺泊ではホテルでこの深層水を使った"深層水風呂"としても利用されている。
註4佐渡海峡内のゴミ調査
私は1970~1971年にかけて底曳網による底魚資源調査に従事する中でビニール等の合成化学物質がどの海域でどのくらい入網するかを調べた(昭和45年度 新潟県沿岸海域における底魚類の生態資源に関する調査報告書Ⅰpp316~319)。その結果中央部佐渡海盆の最深部・長岡市寺泊大河津分水河口付近・新潟市信濃川河口付近に多く分布している事が判明した。中でも中央深海部のゴミを回収する事は困難である事、底魚類の産卵成育にさまたげとなる事は必然であり、憂慮される汚染の実態が明らかになった。このゴミは河川を介して流れ込むものが80%を占め、海上での直接的投棄は極少ないのである。陸上由来のゴミは河川に流れ込む前にはたやすく回収できるが一旦海に入ると回収は困難である。河川への流入を防止する事が海の汚染を防ぐ事につながる。
引用・参考文献
1)『日本全国沿岸海洋誌』日本海洋学会 沿岸海洋研究会編 東海大学出版会1985
pp1017~1042
2)『新潟県気象月報』新潟気象台発行
3)『新潟県沿岸海域に於ける底魚類の生態資源に関する調査報告書Ⅰ~Ⅳ』―佐渡海峡内禁止区域の底魚類の漁業生物学的調査研究報告―浜渦清(執筆 取り纏め)新潟県水産試験場1970~1975
4)『創立百周年記念』新潟県水産海洋研究所編・発行 1999 pp234~236
5)『佐渡海峡底曳禁止区域の漁業生物学的調査報告』日本海区水産研究所1962
6)『智慧の函』―経済雇用問題論集― 2008年号 特定非営利活動法人 新潟県経済雇用問題研究所 pp76~141
7)『新潟県栽培漁業センター業務・研究報告書』 第6号 新潟県栽培漁業センター1983 pp69~98
8)『水産にいがた』「日本海水圏を考える」第280号(1990 4月号)~第297号(1992年1月号)
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