おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな

http://www.basho.jp/senjin/s0606-1/index.html 【ぎふの庄ながら川のうがひとて、よにことごとしう云ひのゝしる。まことや其興の人のかたり伝ふるにたがはず、浅智短才の筆にもことばにも尽くすべきにあらず。心しれらん人に見せばやなど云ひて、やみぢにかへる、此の身の名ごりおしさをいかにせむ。

おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉 芭蕉 (真蹟懐紙・夏・貞享五)】より

鵜飼の一夜が更けて鵜舟が帰りゆくころは、あれほど鵜飼をおもしろがっていた心が、そのまま悲しく切ない思いへと変わってゆくことだ、という意。全体が謡曲「鵜飼」の詞章〈おもしろのありさまや、底にも見ゆる篝火に……〉〈鵜舟にともす篝火の消えて闇こそ悲しけれ〉等による表現だが、そうした典拠を必要としないところまで彫琢された描写が作者の力量である。前書には、場所が岐阜長良川で、そこの鵜飼は見物人を集めるほど世間で知られていたこと、その興趣は世間の評判通りで筆舌に尽くせないこと、だから情趣を解する人に見せたいものだと思いつつ帰途につくが、名残惜しく去りがたい思いを禁じ得ない、という心持ちを述べる。なおここにも古典から「あたら夜の月と花とを同じくはあはれしれらん人に見せばや」(信明・後撰・春)、「鵜舟のかゞり影消えて、闇路に帰る此身の、名残りをしさを如何にせん」を織り込むことに注意したい。結論的には、文章と句が独立しつつ支え合って、芭蕉の志した俳文という様式はこれかと思わせるほど句文融合した作品としてよい。

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/others/ubune.htm 【鵜 舟(貞亨5年6月:45歳)】 より

 岐阜の庄長柄川*の鵜飼とて、世にことごとしう言ひののしる*。まことや、その興の人の語り伝ふるにたがはず、淺智短才の筆にも言葉にも尽すべきにあらず*。「こころ知れらん人に見せばや」*など言ひて、闇路に帰る、この身の名残惜しさをいかにせむ*。

おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな  芭蕉 印(おもしろうて やがてかなしき うぶねかな)

ほとんど謡曲『鵜飼』を下地にした句。それだけに作為を感ずるが、句単独の深みは大変なもの。芭蕉作品中の最高傑作の一つ。

この際、「又やたぐひ長良の川の鮎鱠」とも詠んだ。

 なお、この作品は、松永貞徳の「おもしろうさうしさばくる鵜縄哉」の影響下にもある。

長柄川:<ながらがわ>。岐阜長良川のこと。古来鵜飼漁で有名。

世にことごとしう言ひののしる:世間では大変評判になっている、の意。

淺智短才の筆にも言葉にも尽すべきにあらず:<せんちさいがくの・・>と読む。学の無い私には書き表すことも言葉で説明することも不可能です、の意

「こころ知れらん人に見せばや」:源信明の歌「あたら夜の月と花とを同じくは心知れらん人に見せばや」(『後撰和歌集』)から引用。

闇路に帰る:謡曲『鵜飼』中、「・・・・鵜舟のかがり影消えて、闇路に帰るこの身の、名残惜しさをいかにせん・・・・」から引用。ここに闇路はあの世を指す。石和の笛吹川で禁断の殺生をしたために地獄におちた亡霊が、朝の到来とともにあの世に帰る無念を表す。


https://haiku-textbook.com/omoshiroute/ 【【おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!】

日本には著名な俳人に詠まれた、数多くの作品が残されています。

また、日本ならではの風物詩をテーマにした名句も多く存在します。

今回はそんな名句の中でも、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」という松尾芭蕉の句をご紹介します。

嵐山の夏の風物詩、鵜飼を見に行ってきました。

おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな

幻想的なかがり火を眺めながら、ふと芭蕉の句が頭に浮かびました。 

本記事では、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」の季語や意味・表現技法・鑑賞文など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」の季語や意味・詠まれた背景

(長良川鵜飼 出典:Wikipedia)

おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな(読み方 : おもしろうて やがてかなしき うぶねかな)

こちらの作品は、日本を代表する有名な俳人「松尾芭蕉(まつお ばしょう)」が詠んだ作品になります。それでは、早速こちらの俳句について詳しくご紹介していきます。

季語

こちらの俳句の季語は「鵜舟(うぶね)」で季節は「夏」を表します。参考までに「鵜舟」とは、鵜を使い鮎を漁獲する鵜飼の際に使用する船のことです。当時鵜飼は、漁獲するための1つの手段でした。現代では観光ショーの1つとして楽しまれています。

意味

こちらの句を現代語訳すると・・・

「鵜飼は風情がありおもしろいものだ。しかし時間が経つにつれて鵜舟ねいうものは、悲しいものである。」という意味になります。

鵜飼は、5月から10月の期間におこなわれる鵜という鳥を使って鮎を採る漁獲方法のこと。主に岐阜県長良瀬川地域を中心に現在でも行われています。

鵜飼は夜間にいざり火を焚きながら行われるため、とても幻想的で風情があります。

そのような情緒溢れるシーンを芭蕉が詠んだ作品です。

こちらの句は・・・

「鵜飼はいざり火を焚き、とても風情があるものである。また、鵜たちが次々と鮎を捕る姿もおもしろいものだ。それだけに今までの楽しいひと時が終わってしまと、寂しい気持ちになってしまう。」と解釈できます。

さらに見方を変えると・・・。

鵜が鮎を捕獲する様子は、大きな生き物が小さな魚を闇雲に飲み込んでいるに過ぎません。ただ黙々と鵜匠の指示に従い、殺生を繰り返す鵜たちの哀れな様子も盛り込まれています。

この句が詠まれた背景

こちらの俳句は、芭蕉が1686年に岐阜を訪れた際に、長良瀬川で行われた鵜飼を見学して詠んだ作品です。

鵜飼を題材にした数多くの作品の中で、最も秀作と言われています。

現在でも長良瀬川の鵜飼遊覧船乗り場付近に、こちらの句が刻まれた句碑が残されています。


http://koshisha.com/daily/?p=2397 【おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉  芭蕉】より

実に深い句です。人間は鵜飼を楽しみます。しかし、よく考えれば、鵜に鮎を捕らせ、しかもその鮎を鵜が食することを許さない訳です。人間の傲慢さに思いが至って出来た句でしょう。俳句では、面白いだとか悲しいという感情は出すべきではないと言われますが、この句は、この2つがなければ成り立たない句です。(氷室茉胡)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000