https://www.hongwanji.or.jp/mioshie/story/000574.html 【月の光に照らされて -名月はながめる人の心にこそある】より
よび続けの仏さま
お彼岸も過ぎ、日暮れも一段と早くなり、夜空にはお月さまや星が輝く季節となりました。名月もこの季節ならではの美しさです。お月さまは、私がどこにいようと、必ず付き添い照らし見守ってくれているように感じます。
しかしながら、その美しさがわかる人は、ながめることのできた人だけです。親鸞聖人のよき人、恩師である法然聖人は、
月影(つきかげ)のいたらぬ里(さと)は なけれども ながむる人(ひと)の心(こころ)にぞすむ
と詠(うた)われました。
月の光は、野山や里をくまなく平等に照らしていても、その月をながめる人でなければその美しさは心に伝わらない、という意味です。「月影」は仏さまの光。「ながむる」とはみ教えを聞く「ご聴聞(ちょうもん)」のことです。
親鸞聖人は、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に「『聞(もん)』といふは、衆生(しゅじょう)、仏願(ぶつがん)の生起本末(しょうきほんまつ)を聞(き)きて疑心(ぎしん)あることなし、これを聞(もん)といふなり」(註釈版聖典251ページ)と示されています。
何を聞くかというと、阿弥陀さまが、必ず救うと誓われたご本願を建て、この私のために「南無阿弥陀仏」の六字となってよび続けていらっしゃったとお聞かせいただくのです。ところが、月と同様に、阿弥陀さまの大慈悲(だいじひ)に照らされていても、ながめる心、すなわち「ご本願の生起本末(しょうきほんまつ)」を聞くことなくしては、その美しさや有り難さが心に宿ることはありません。
親鸞さまもそのご生涯を通して、「人間として生まれてきた悲しみ」を解決する道は、自力修行で解決できるものではなく、「南無阿弥陀仏」と照らされ届けられている六字の名号(みょうごう)のいわれを疑いなく聞く以外に、この私が救われていく道はないことを示されました。
「まことの保育」を
また、『教行信証』には、王である父を殺し母をも殺そうとしたアジャセ王子が、お釈迦さまの「月愛三昧(がつあいざんまい)」(同279ページ)によって、その深い罪から救われていく姿が示されています。ここでも、お釈迦さまの光明が月の光にたとえられています。親鸞聖人もアジャセ王子が救われた姿に、わが身の救いを重ねておられたことでしょう。
この愚かな身にも平等に、分け隔てなく照らす月の光によって、夜道でも安心して歩むことができるように、煩悩の尽きることのない「わが身」が照らされていることによって、安心して人生を歩んでいけるのです。
妙好人(みょうこうにん)として知られる因幡(いなば)(鳥取)の源左同行(げんざどうぎょう)は、次の法座に誰を講師に呼ぼうかと相談されたとき、「誰でもよい、ご本願のいわれと、源左お前を必ず助けるということさえお聞かせいただければそれでよい」と答えたそうです。
「ご聴聞」の場は人を選ぶのではなく、話される「み教え」を再確認する場であったのです。せっかく人間として生まれてきて、阿弥陀さまのご本願に照らされていながら、その月をながめることもなく「ご聴聞」もせず、もったいないことであったと気付かされ、ご本願を聴聞する場にこの身を置くことが何より大切なのです。
今、社会は高度成長期から、成熟社会へ移行しています。成熟社会を生きる私たちは、「ものの豊かさ」から「存在の豊かさ」を再確認する時代にあるといいます。
私が勤める保育園は、北海道小樽市にある小樽別院の新光(しんこう)地区の説教所に開設されました。今年で創立51年を迎える、園児100人あまりの保育園です。まことの保育(仏教保育)の実践は、時代が変わっても変わることのない事柄と、時代の変化とともに変えていく事柄とがあります。
保育園では、お参りの時に手を合わせ「仏参(ぶっさん)」をします。そして「みほとけさま! いつでもどこでも そばにいてくださってありがとうございます」と「奉讃文(ほうさんもん)」を全員で唱和しています。
どんな子も、どんな時でも、いつでもどこでも月の光のように照らし見守ってくださる阿弥陀さまの「存在」を伝えていくことが、保育の使命であり、いつの時代であっても変わることはありません。
阿弥陀さまは、すべてのいのちの「存在」に、救いの光を照らし続けてくださっているのです。
https://ameblo.jp/duoren/entry-11017465166.html 【月の光が照らすもの】より
一昨日12日は、中秋の名月でした。昨日も十六夜の月。天候の加減で、満足に見えない年も多いのですが、今年は二日とも本当に美しい満月を見ることができました。太陽の光を受けて、反射で光っているはずが、まるでやさしい光を自分で放っているような明るい月でした。
月は昔から、日本人の心に様々な思いを抱かせてきました。平安時代の貴族たちは月を愛でるために池に船を浮かべたり、笛を吹いたりして季節を楽しんだようですね。月を歌った童謡も多く、こちらはどちらかというと寂しい歌が多いですが。そして、宗教、信仰の世界にも月はいろいろな形で登場します。
曹洞宗の御詠歌の中に、お釈迦さまが亡くなった時のことを歌う御詠歌があります。「不滅」という副題を持つこの御詠歌は次のように歌っています。
ひとたびは 涅槃の雲に 入りぬとも 月はまどかに 世を照らすなり 世を照らすなり
お釈迦様の体は、涅槃に入られた(亡くなられた)けれども、その教えは、ずっとこれから先も、世の中を照らし続けてけているのです、という意味です。お釈迦様の教えを月にたとえています。確かに、世の中をあまねく、分け隔てなく、慈悲深く照らし続けるのに太陽は今一つ似合いませんね。
私の寺は曹洞宗なので、浄土宗、浄土真宗系の阿弥陀様を信仰する教えは、さほど勉強していないこともあり、今一つ分からないでいます。でも最近、その教えの端っこが少しわかった気がしました。中日新聞に連載されている五木寛之の小説「親鸞」を読んでいた時のことです。
罪人としての罪を許され、関東地方へ布教に行った先で、民衆に語りかける場面です。人々は親鸞に様々な質問をします。「南無阿弥陀仏と唱えたら、病気が治るのか?」「金持ちになれるのか?」「悪いことをしても許されるのか?」「亭主の浮気が止むのか?」しかし親鸞はそのすべての質問に、首を横に振ります。そして、実際に自分にあった出来事を話して聞かせます。
重い荷物を背に負って、真っ暗な夜道を、あるところを目指して歩いていた。足は疲れ、背の荷は重い、道は暗闇でよく見えない。ほとんど絶望の中を疲れた足を引きずってとぼとぼと歩いていた。その時、雲間から月が出て、あたりを照らしてくれた。すると、不思議なことに、自分の足取りが軽くなった。荷の重さは同じなのに、荷が軽くなったような気がした。目的地までの距離も同じなのに、近くなったように思えた。
月の光は阿弥陀様の光ということでしょう。阿弥陀様が足元を照らしてくれたのです。なるほどと私は思いました。南無阿弥陀仏と唱えることによって、夜道ならずとも、いつでも自分の足元を照らしてもらえるということでしょうか。
今は、月が出ていなくても、街灯や、街ならネオンサインもあって、迷わずどこにでもいけます。しかしそんなものがなかった昔は、月の光は本当にありがたく、おもわず手を合わせたくなるものだったと思います。そんな様々なことを考えさせられるほど美しかった今年の満月でした。
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