http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/oinokobumi/oino32.htm 【笈の小文
(和歌の浦)】 より
和歌
行春にわかの浦にて追付たり(ゆくはるに わかのうらにて おいつきたり)
「行く春」は永遠の別離を象徴する。もう再び今年の春に会えないかと思っていたら、なんと和歌の浦に来てみれば晩春の景色が残っていて再会できた。「春」という季節であり時間を、去っていく旅人として擬人化して、ここで彼に再会したとする時間観念がおもしろい。
和歌の浦三断橋あしべ茶屋跡の句碑(牛久市森田武さん提供)
和歌の浦三断橋(同上)
https://youshowhm.exblog.jp/15651533/ 【和歌の浦】より
あしべ屋跡地に建つ芭蕉の句碑です。 「行く春に 和歌の浦にて 追いつきたり」 元禄元年 四十五歳
「今まさに 海の彼方に遠ざかろうとする春に、和歌の浦の海辺ぎりぎりの所で追いついたよ」
上の句を詠んだ芭蕉は対岸の紀三井寺を訪れました。
「見上げれば 桜しもうて 紀三井寺」 芭蕉 この句は芭蕉が桜を見たくて紀三井寺を訪れたのに、時期遅く桜が散った後であった為に、この句が生まれたようです。
Commented by hal7541 at 2011-05-30 07:46 x
おはようございます。
むかしの方々の季節に対する感性はお洒落だったのですね。。。
今でこそ桜前線などと季節の移り変わりが図式化されますが、そんな時代ではないですよね?季節に追いつく。。。素敵です。季節にはいつも置いて行かれます。。。
Commented by risaya-827a at 2011-05-30 08:52
おはようございます^^
芭蕉さんも、今、この地に立って見たら、その変貌にビックリ仰天かも? (笑)
今も風景は素敵ですが、芭蕉さんの見た風景はもっと違っていたでしょ?
桜が見たくて・・・とは、旅をしつつも、大いに風景を楽しんでいたのですね!!!
やっぱり凄い人物ですね♪
Commented by vimalakirti at 2011-05-30 16:28
こんにちは。
どちらの句も、気取らずに気持ちがストレートに吐露されていて、たぶんこういうところが芭蕉らしいのだろうなと感じました。49歳の芭蕉さん、よ~く歩かれましたねぇ!
Commented by mokonotabibito at 2011-05-30 19:54
芭蕉の足跡はその句の内容とともに良いものですね。
季節に追いつくという表現は素晴らしいです。
行く春や 芭蕉の句碑に 思い馳せ どんな旅だったのでしょうね。
Commented by youshow882hh at 2011-05-30 22:11
hal さん、こんばんは。コメント ありがとうございました。
もう再び今年の春に会えないかと思っていたら、なんと和歌の浦に来てみれば晩春の景色が残っていて再会出来た。 というのですね。
たったの17字ですが、俳句の中に奥深いものが秘められているのを感じます。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2011-05-30 22:15
理彩也さん、こんばんは。コメント ありがとうございました。
芭蕉が今の景色を眺めれば何と言うでしょうか。
自然を失いつつある和歌の浦の風景に失望するかも。
昔は鉄道もなくはるばる歩いてここまで来たのでしょう。
足腰が丈夫だったのですね。ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2011-05-30 22:21
みどりさん、こんばんは。コメント ありがとうございました。
満49歳で亡くなった芭蕉が和歌の浦に来たのは亡くなる4年前の45歳の時でした。
日本各地を歩いて足腰が丈夫な芭蕉でも、「人生僅か50年」 だったのですね。
日本各地に芭蕉の句碑がいくつ建っているでしょうか。
ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by youshow882hh at 2011-05-30 22:27
模糊さん、こんばんは。コメント ありがとうございました。
「季節に追いつく」 という表現に芭蕉の偉大さを感じますね。
「行く春や 芭蕉の句碑に 思い馳せ」・・・秀句ですよ。
芭蕉が亡くなって300年余り。
芭蕉は日本史上最高の俳人の一人ですね。ポチ・ポチ♪ ありがとうございます。
Commented by 周坊 at 2011-05-31 00:42 x
ゆーしょーさん こんばんは。
「桜しもうて」というのは面白い表現ですね。
ただ桜が終わっていたというだけでなく、も少し早く来ればよかった、しまったというニュアンスもあるのですかね。
出発が遅かったのですねきっと、だから急いで来たところ和歌の浦で春のしっぽまでは掴まえたけれど、やっぱり紀三井寺の桜はみそこなったわい。ということではないでしょうか。
Commented by youshow882hh at 2011-05-31 22:24
周坊さん、こんばんは。コメント ありがとうございました。
「桜しもうて」 という表現、・・・俳句らしいですね。
漢字で書けば 「桜仕舞うて」 ですかね。
芭蕉はよほど桜の名所・紀三井寺の桜を見たかったのでしょう。
見られなくて残念!・・・を、そこは芭蕉、優しく「桜しもうて」ですからね。
憎いですね。
https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519940069.html?frm=theme%3Cbr%3E 【和歌の浦】 より
○今回は、松尾芭蕉の「笈の小文」から、『芳野紀行』第十五回で、和歌浦の話。
和歌(浦)
行春にわかの浦にて追付たり
○『行春』は芭蕉にとって、頗る気に入った文言であったようだ。芭蕉には『行春』に関する句は三つあるが、そのいずれもが秀句である。
々埆佞砲錣の浦にて追付たり 「笈の小文」(元禄元年三月末)
行春や鳥啼き魚の目は涙 「奥の細道」(元禄二年三月二十七日)
9埆佞魘畊召凌佑叛砲靴澆韻蝓 岷醋」 (元禄三年三月下旬)
○『行春』の『行く』とはどういう概念であろうか。「岩波古語辞典」に拠れば、
【行き】実際的に、心理的に、その人の現在地を離れて、或いは現在地を経過点として移動するのが
原義。「来」は反対に現在地を終着点として移動する意。
○芭蕉が云う『行春』とは、もちろん時間の概念であろうと思われるが、いまいち、その概念を明確にすることが難しい部分がある。『々埆佞法拔腓任蓮△修譴法慊匹ど佞い拭戮噺世ぁ◆忰行春や』句では、それで、『鳥啼き魚の目は涙』すると言い、『9埆佞髻拔腓任蓮△修譴髻惷畊召凌佑叛砲靴澆韻蝓戮噺世Α
○だから、「行く春」とは、『惜しむ』べき対象であり、『啼き・涙する』べきものであることが分かる。しかし、「行く春」に『追い付く』と言う感覚は、いまいち、はっきりしない。この点について、岩波古典文学大系本「芭蕉句集」と「芭蕉文集」では次のように訳している。
・春の暮にうち霞む海辺に出て来て、やっと行く春の風光に接することができた。
「芭蕉句集」
・吉野や高野の山路を歩いてきて、今このうち霞む海辺へ出て、しみじみ暮春の景を味わい得た。
「芭蕉文集」
○この訳であれば、「行く春」には、どこか広い世界でないと出合うことが出来ないことになる。そういう茫漠とした世界が必ずしも「行く春」の必要条件であるとも思えない。たまたまここではそういう世界が広がっていたに過ぎないのである。
○芭蕉が『々埆佞砲錣の浦にて追付たり』と表現する『行く春に』とは、単に今の時間がまだ春の内であったと言うに過ぎないのではないか。『追ひ付き』と言う表現も、何とか春のうちに見たいと思っていた和歌浦の風光を目にすることに間に合ったことを素直に喜ぶ感情に過ぎない。その証拠に、『わかの浦にて追付たり』と、芭蕉は切れ字として、完了の助動詞『たり』を使用している。
○毎年恒例の年末行事に、「行く年来る年」と言う概念がある。本来は大晦日の晩に、心静かに「行く年」を顧み、思い懐かしむとともに反省し、間もなく来るべき「来る年」を心して迎えるための行事であったのであろう。だから、「行く春」も、本来は「行く春」だけではなくて、「行く春来る夏」と、「来る夏」を伴った概念ではないか。意識としては、あくまで春の喪失を悲しむことにあるのだけれども、潜在的には、夏の到来を期する感覚がひそむ概念である。
○芭蕉と万菊丸は吉野で三日間、存分に桜狩りを楽しんだ後、高野参拝を行い、その後、和歌の浦に遊んでいる。古来、和歌の浦は歌枕として知られる。何でも聖武天皇は特にこの地を気に入り、何度も行幸に及び、守戸まで置いたと言う。
○「万葉集」巻六・雑歌に載せる山部赤人の和歌浦の歌は頓に知られる名歌である。
若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦邊を指して鶴鳴き渡る ( 919)
○神亀元年甲子(724年)冬十月五日、聖武天皇の紀伊國行幸に同行した山部宿禰赤人の作った長歌と反歌二首の中、最後の反歌が上記の和歌である。この和歌が歌っているのは「和歌浦」ではなく「若の浦」である。元々は「弱浜(わかのはま)」であったらしい。それが和歌浦と改名したのは、平安になってからのことである。ここに鎮座まします玉津島神社はお陰で敷島の道の神になった。
○芭蕉が和歌浦で何としても見たかったのは、『霞海暮春』の風情であったのだろう。それが芭蕉を強迫して和歌浦に『追い付き』させたのであろう。芭蕉は元気なホトトギスの声を聞き、花橘の匂い、卯の花の咲く和歌浦を愛でるわけにはいかなかった。それが『追い付き』の表現となったのである。時間に追われて歌枕に急ぎ行く、俳諧師と言う職業もなかなか大変である。
0コメント