https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/14716678 【徐福伝説 〜不老不死を求めて〜 | わかやま歴史物語】 より
和歌山県南部に位置する新宮市は、太平洋の大海原に面し、沿岸を黒潮が流れる温暖な地。そんな新宮の熊野川の河口近くにある蓬莱山は、こんもりと半球型の美しい形をしていますが、今から2200年ほど前、これを見てここに上陸したといわれているのが徐福(じょふく)という人物です。徐福は秦の始皇帝の命で、東方海上の三神山にあるという不老不死の仙薬を探すために、3000人の童男童女を引き連れ船出。何日もかけた大航海の末にたどり着いたのが、日本の熊野地方とされています。徐福一行はこの地で「天台烏薬(てんだいうやく)」という生薬となる植物を発見しましたが、温暖な気候、美しい風景、さらには土地の人々の温かさに触れ、ついに熊野を永住の地と定めます。そして田畑を開墾しただけでなく、農業や漁業の技術、さらに捕鯨などを伝えたといわれています。徐福に関する伝説は日本各地で伝えられ、中国でも実在した人物として1980年代頃に学術発表されました。徐福ゆかりの地が注目されていますが、なかでも新宮は徐福渡来の地として数多くの伝承資料が残っており、悠久の時と遼遠の海を越えた歴史ロマンを感じることができます。
中国大陸からはるばる海を越えてやって来た徐福は、熊野灘でこんもりとした蓬莱山を発見し、上陸したと伝えられます。その麓には阿須賀神社が鎮座しています
徐福が最初に日本の土を踏んだ地点とされる場所は、蓬莱山のほど近く。徐福上陸の地の記念碑があります
http://blog.livedoor.jp/bxnrq970/archives/50006181.html 【不老不死と輪廻転生】より
私はずっと死について考えていた。
どうせ死ぬのだから、一生懸命生きてもしょうがない、だとか、つまらないことも考えた事がある。
しかし、実は人は不老不死だった。
ただ、そのことを自分自身で知らないだけなのだ。
さて、人は死ぬといったいどうなるのだろうか?
宗教的な思考から離れ、科学的知識にそって考えると、一切何も残らない、つまり無になるのだろう。
そう、人は死んでしまうと、全く存在が消え去るのだ。
しかし、本当にそうだろうか?
仏教の創始者、仏陀はとある木の下で瞑想し悟りを得たという。
悟りとは人によって諸説あるだろうが、理論理屈を超越し、いきなり真理を体得することだと思っている。
つまり、仏陀は悟りによってこの世界の真理を得た。
その悟りとは、諸行無常。
簡単に言うとこの世の全ての物はずっと同じ状態にはない、ということらしい。
この仏陀の悟りに出会ったとき、私はとある疑問を持った。
その疑問とは「しかし、死は無というずっと同じ状態なのではないだろうか?」
もしも、仏陀の悟りが本当に真理であるなら、死すら永遠ではないということになる。
もちろん、こんなことは私が最初に疑問に持ったわけでも、考えたわけでもないわけで、仏教の思想の一端に輪廻転生があるのでも判るだろう。
ただ、私は仏教徒でもなく、ましてや他の宗教のバックボーンがあるわけでもない。
だから、簡単には死が永遠でないということを納得できなかった。
そんなある日に出会ったのが、イアン スティーヴンソンという学者が書いた「前世を記憶する子どもたち 」という本だった。
この本には前世と称する、つまり赤の他人の詳細な記憶を持った子供たちの実例がたくさん書かれている。
しかも、著者はちゃんとした学者で調査もかなり詳細に行われている。
この本に出会ったとき、私は背筋を雷で打たれたような衝撃を受けた。
なぜなら、仏陀の悟った内容と、この本の内容がピッタリと一致するからだ。
そう、人の死はただの肉体的な死であって、精神は、次の肉体でもって引継がれるのだ。
そう、人は死ぬ。
しかし、心は死なないのだ。
ただ、人はそれを思い出すことができない。
しかし、ここに前世の記憶を持った子供たちの実例がたくさん書かれている。
それはまさに光明だった。
不老不死。
この言葉が脳裏に浮かんだ。
もしも、今の私の記憶、感情、人格をしっかりと確保したまま死ぬことができたら。
そして、記憶と感情と人格を持ったまま新しい人生を送ることができるなら、それはまさに不老不死ではないだろうか?
その日から、私の人生のライフワークの一端に不老不死の研究が加わった。
ただ、一般に言う不老不死とは違う。
あくまで、輪廻転生を基本とした不老不死だ。
最近はアンチエージング(老化防止措置)などが話題になることがおおい。
遺伝子も解明され、老化のメカニズムも解明されつつある。
さらに、冷凍睡眠なる技術もアメリカでは現実になりつつある。
だけど、そんな方法で数千年、数万年の時を人が生きることができるとは考えられない。
しかし、輪廻転生を基本とした不老不死が可能であればどうだろうか?
江戸時代の人間から見れば現代はファンタジーだ。
鉄の塊が宇宙に行き、戻ってくる。
水の中に潜ったままいつまでも活動できる潜水艦もあれば、数百人を載せた鉄の塊が空を飛ぶ。
しかし、これから数千年先、数万年先の未来はいったいどうなっているだろうか?
もしも、人類が愚かでなければ、きっと星々の世界に飛び立ちまるでSFのような技術が当たり前の物になっているのではないだろうか?
私は、それを自分の目で見てみたい。
だからこそ、輪廻転生を基本にした不老不死をライフワークにして、いつか死が来るとき、次の新しい人生を夢見て笑って死ねるようになりたいと思っている。
このブログは同じような志を持っている人が集まればと思い開設しました。
同じような事を考えたことがある人、何か情報など持っている人がいましたら、ぜひ教えて下さい。
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