https://gendaihaiku.gr.jp/news/news-15095/ 【第42回兜太現代俳句新人賞は、百瀬一兎氏「火の聲」に決定いたしました】より
当協会は、3月1日(土)、第42回兜太現代俳句新人賞(50句)の最終選考会を、「日本記者クラブ」にて公開の形で開催し、最終候補3作品について活発な討議を行い、下記のとおり最終決定致しましたのでご通知申し上げます。なお、今次の応募総数は70編でした。
◎第42回兜太現代俳句新人賞 百瀬一兎 「火の聲」50句
なお、佳作として次の2篇が選ばれました。
島田道峻「放鳩」50句
宇都宮駿介「象の耳」50句
◎受賞者のプロフィールは、次のとおりです。
◇百瀬 一兎(ももせ いっと) 本名 百瀬 晴輝(ももせ はるき) 千葉県千葉市在住
メールアドレス:itto.momose(at)gmail.com
略歴
1997年(平成9年) 9月8日 千葉県にて出生
2020年(令和2年) 独学で俳句を始める
2024年(令和6年) 「炎環」に入会、石寒太に学ぶ
◇入賞句抜粋5句
溽暑鬱々ドクターフィッシュたかる 秋暑し竜のにほひの情事せり
この猿の腰掛から街が腐る からつぽの牛舎あをあを返り花
さくらさくら祖母を燃やした火はどんな
◎選考委員(順不同)
小林恭二、穂村 弘(以上2名は、特別選考委員)
杉浦圭祐、瀬間陽子、董 振華、仲 寒蟬、成田一子、堀田季何
◎表彰式
本年11月3日(月・祝)東京都台東区「東天紅」上野店にて開催の令和7年度第62回現代俳句全国大会(午後1時より)の席上にて顕彰することを予定しております。
*お問い合わせ 一般社団法人現代俳句協会事務局 電話03-3839-8190
メールアドレス:gendaihaiku@bc.wakwak.com 以 上
https://www.enkan.jp/kanta/words/ 【寒太独語】より
「炎環」主宰・石 寒太による俳句の箴言を毎月ご紹介します。
2025年3月(No.144)
俳句は時分の花 と世阿弥は言っている。その時々を詠む。二十代は二十代の句を、
八十代は八十代の句を、自分の年代でみえたものをその時々にとらえるのだ。
回想したり、背のびしてもダメ。いまの、きょうのものを、一瞬にしてつかみとるのだ。
2025年2月(No.143)
うまい俳句と、いい俳句はちがう。うまい俳句は作者名が、なくてもいい。いい俳句には、その人がいなくてはダメ。俳人格とその顔がみえること。
その人だけの、生きてきたたしかさが、みえてこなければダメ。他のだれでもない。その人そのものの俳句。
2025年1月(No.142)
いい俳句は、すっきりとした姿でととのえられる。上五から入って下五までぎくしゃくした句はいい俳句ではない。複雑な内容でも単純に、わかりやすいことばで美しい調べで仕上げる。
俳句には、難しいことばや内容はいらない。
2024年12月(No.141)
一般的なものを詠んでも、ふつうの俳句にしかならない。その作者の人生、その生き方がでない俳句は、俳句ではない。
だれでも感ずる、誰にでも通じる句ではなく、これだけは、拙くても私だ!そういう「私」が一本通っている。それがあなただけの俳句。
2024年11月(No.140)
俳句は、こころの燈がともっていなければできない。自分の燈のないところに、俳句は生まれない。生きる道を照らす燈がなければ、中心のある俳句にならない。
人生の燈が、軸となり、ものを見る視座、考える根となる。それがその人の俳句だ。
2024年10月(No.139)
「合点がいく」という。俳句の「合点」はつくられた句の、佳しという句に、「朱点」をつけること。分からない句には、レ点を入れない。
自分で納得のいく句、それに、「合点」をつける。その眼力を高めることだ。
2024年9月(No.138)
忌日の句が、いくつもつくられる。が、忌日を安易に、 歳時記から拾うのではない。
取り合わせではない。テーマとしなければ、その人生と自分の句が、 ひとつとならなければ、忌が季と通じ合わない。詩の対象として合致すること。
2024年8月(No.137)
十七音の定型。それは型を生かすこと、ただ、型におぼれると平明になる。
その危険からのがれるには型を学び、迷えばもとにもどる。それが稽古。
これを常にくり返すこと。新たに生かす稽古が大切。
2024年7月(No.136)
「取り合せ」は、俳句のひとつの方法。ふたつのものやことを、配合すること。表面では、 一見気づかないが、 底で通じ合っている。それを一気に結びつける。失敗すると、離れすぎ。合いすぎると、付きすぎ。それは、長い経験でできる。
2024年6月(No.135)
俳諧の 「俳」も 「諧」もおかしみである。詩的美は、哀愁であり、滑稽である。それが、 自然ににじみ、 表れる。それが詩。それが俳諧。いまは俳句。
2024年5月(No.134)
俳句は、ただ詠むのではない。句の品格が大切。定型とは、磨き抜かれた型。一句の中には、型がなければ、本当の俳句ではない。古典に学ぶ。いい俳句の型を修練する。それが俳句の「風格」だ。
2024年4月(No.133)
見なれた風景の中に、俳句をとらえる。空想は、俳句にはなりにくい。詩は、常に現実に、その中から生まれる。それをとらえて、はじめて普通の俳句(詩)になる。それが、あなたの詩(俳句)だ。
2024年3月(No.132)
高邁な言葉より、日常の言葉を。雅な言葉より、平凡な言葉を。きらびやかな言葉より、身のまわりにそう言葉を。そんな言葉を使って、 俳句をつくる。それがあなたの、 俳句。
2024年2月(No.131)
芭蕉は、「きのふの吾に飽く」といった。昨日よりも今日。今日よりも明日。明日より、未来を見つめながら一句を。それが生きた証しとなる。あなたの俳句人生。
2024年1月(No.130)
いち日まい日に感謝、身辺の季感を確かめ、それを俳句に。いまを生きる。それが、あなたの俳句人生。あなたの俳句として残り、生きた俳句になる。俳句をつくろう!
2023年12月(No.129)
俳句は一期一会。表現することばも、一期一会。中古や再生ではない。この一期に、この一会。その表現が、あなたの俳句。生涯の一句になるのである。
2023年11月(No.128)
俳句は、考える想像だけでは、類想、類句に。そうではなく、足でつくる。考えるより、歩く。「犬も歩けば」俳句かな。とにかく歩き眼で見、足でとらえること。
2023年10月(No.127)
季語の有効性を問う。「歳時記」に載っています。そう答える人がいる。「歳時記」は、時代とともに、常に動いている。新季語は生まれる。が、珍季語は、一時のもの。
歴史と充分な体験、そして洗練に耐えて生まれる。自分の体感と季感が、ひとつになってこそ、本当にその俳人の季語になるのだ。
2023年9月(No.126)
群れない。慣れない。頼らない。ひたすら、自分ひとりの、俳句に命を懸けること。つづければ、必ず、自分の、俳句になる。あきらめない。それがあなたの俳句。
2023年8月(No.125)
子どものころ、はじめて知った、あの感動を、あなたは忘れていないか。それをとり戻したい。芭蕉も言っている、「俳諧は三尺の童にさせよ」。長く俳句をすると忘れてしまう。
あのわくわくした、はじめてのこころを。
2023年7月(No.124)
「○○のやうに」「○○のごと」「○○に似し」と、比喩表現にしてしまう人が多い。
比喩はうまく使うといい。が、何でもこれを多用すると、易きについて、クセになる。
なるべく断定して、自分の句にすること。即物的に、自分のことばに、彫り込むこと。
安易に流れないこと。じっと我慢することだ。
2023年6月(No.123)
「きのふの吾に飽く」これは芭蕉のことば。とどまっていたら、何も始まらない。
一歩前に踏み出そう。それが新たな俳句を、生み出すのだ。そこから、あなたの、新しい俳句が、はじまる。
2023年5月(No.122)
名句をつくるには、秀句を読む。俳句の勉強は、それにつきる。
「温故知新」(古きを温ねて新しきを知る)古典でもいい、現代俳句でもいい。
となりにいる、俳句ライバルでも、いい句はいい。
2023年4月(No.121)
観念より事実 抽象より具象 思いより言葉。身近なものを、自分の眼で、体で体感する。
それがそのまま、あなたの俳句になる。思っているだけでなく、過去や未来より、眼前のいまをつくる。
2023年3月(No.120)
俳句をつくる。一歩一歩進む。ただただ平凡に、俳句をつくる。それだけではすまない。
次第に、句の中に作者が投影されてきて、「われ」がみえてくる。作者の顔が出てくる。
その人の生きて歩んだ軌跡が、あらわれてくるのだ。そのうちに、俳句がないと、生きられなくなる。俳句は生きる証。その人の人生そのものだ。
2023年2月(No.119)
俳句づくりのたのしみは、どんな句ができるのか、自分でも分からないところ。
物をよく見、事に即し、自分のこころを句に投影する。
そこに、俳句の快もある。つくってみないかぎり、自分で前もって予測できないところ。
その楽しみのために、つくるのである。
(以下略)
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