https://kigosai.sub.jp/001/archives/3227 【冬椿(ふゆつばき)晩冬】より
【子季語】寒椿、早咲の椿
【解説】寒椿、早咲き椿ともいわれる。冬のうちに咲く椿の総称。凛とした姿は茶人好みでもある。
【例句】
うつくしく交る中や冬椿 鬼貫「七車」 堅にする古きまくらや寒椿野披「野披句集」
冬つばき難波の梅の時分哉 召波「春泥発句集」
火とぼして幾日になりぬ冬椿 一笑「あら野」
赤き実と見てよる鳥や冬椿 太祇「新選」 火のけなき家つんとして冬椿 一茶「享和句帖」
寒椿つひに一日のふところ手 石田波郷「風切」
https://ameblo.jp/yujyaku/entry-12784920998.html 【山茶花も終わりぽつぽつ寒椿】より
山茶花も終わりぽつぽつ寒椿( さざんかも おわり ぽつぽつ かんつばき )
今日も、昨日に続いて「寒」のつく植物を取り上げたい。取り上げるのは「寒椿(かんつばき)」。「椿」は木偏+春なので、基本的には春の花木であることは間違いないのだが、今、近辺でも所々で花が咲き始めている。
同じ仲間で冬の代表的な花木といえば、すぐ思い浮かぶのが「山茶花(さざんか)」。10月末頃からいろんな種類の「山茶花」が咲き継いできた。しかし、ここにきて、そのほとんどが散ってしまった。
本日の掲句は、そんな変化をみて詠んだ句である。「寒椿」は特定品種を示すものでなく、冬季に咲く「椿」の総称。「冬椿(ふゆつばき)」ともいい、冬の季語になっている。
ところで、よく聞かれることだが、「山茶花」と「椿」の違いは何なのか。もとより花期が違うことで判別できるが、早咲きの「寒椿」とは咲く時期が重なるので、花だけ見ると、とちらなのか迷うことがある。
その場合、最も確かな見分け方といえば花の散り様である。「山茶花」は。花びらが分かれて散るが、「椿」は花ごと付け根から落ちる。だから、樹下を見れば、どちらであるか凡そ見当がつく。
それから、もう一点注目したいのは、花の咲き方だが、「山茶花」は木全体を覆うように一気に花を咲かすが、「椿」は、少しずつパラパラと花を咲かす。もちろん例外はあると思うが・・・。
話は戻って、「寒椿」に関しては、過去に以下の句を詠んでいる。
【関連句】① 山茶花と替わる頃合い寒椿 ② 寒椿ちょっと控えてしとやかに
③ お社に雪ぬくぬくと寒椿
①は、冬の終盤に詠んだ句。冬を代表する「山茶花」の花は終わりを迎え、様々な椿の花が咲き始めている様子を詠んだ。
②は、「山茶花」と較べ、控え目で淑やかな感じがする寒椿の印象を詠んだ。
③は、昨年の今頃に詠んだ句。赤い「椿」の花を、白い綿のような「雪」が覆った光景は、寒いというよりもぬくぬくと温かい感じがした。
*お社(おやしろ):神を奉ってある神殿や建物などを丁寧に言う言い回し。
「寒椿」「冬椿」を詠んだ句は非常に多い。以下には、ネットで見つけた句からいくつか選んで掲載した。(過去に掲載したものを除く。)
【寒椿の参考句】
くれなゐのまつたき花の寒椿 /日野草城 ふるさとの町に坂無し冬椿 /鈴木真砂女
わが頭内外淡し冬椿 /藤田湘子 今は寄る船なき浦の冬椿 /福田蓼汀
いまここが天国地獄寒椿 /平井照敏
https://www.haijinkyokai.jp/reading/garden_3.html 【俳句の庭/第3回 「雪椿」に乾杯!! 小島 健】より
小島 健
1946年新潟県生まれ。俳人協会常務理事、日本文藝家協会会員、「河」同人会長。NHK学園専任講師。石田波郷門・岸田稚魚、角川春樹に師事。句集に『小島健句集』他。著書に『大正俳句のまなざし』(NHKラジオ講座テキスト)『いまさら聞けない俳句の基本Q&A』他。これまで「毎日新聞」「東京新聞」の俳句時評、「NHK俳句」等連載執筆。NHK「俳句さく咲く!」に1年間出演。俳人協会新人賞、角川春樹賞等受賞。
♪ 花は越後の~ 花は越後の雪椿 ♪
さて、皆さん、この曲、ご存知でしょうか? 越後・新潟出身の歌手、小林幸子さんのヒット曲「雪椿」!(星野哲郎作詞)
石いわ走る水脈みおの昏くれゆく雪椿 石沢蟹城子
おや? 上句は早春の雰囲気? そうなんです、私は長い間誤解していました。雪椿は冬椿や寒椿の親類で、冬季、雪にもめげずに懸命に咲く椿と!
ところがですね。雪椿は歳時記的には、何と「春」の部に分類されています。つまり、雪椿は椿の一種類で、春の季語! ああ......。雪椿は東北・北陸の深雪地帯の山地の四月~五月頃に咲く花。雪解け後に開く山茶花に似た赤い花、ってわけです。
意外と雪椿の例句は少なく、ならば一句と......。
忍耐や花は越後の雪椿
だめだ、こりゃあ! 幸子さんの歌の盗作だね。
ぶあつうて越後の山や寒椿 小川軽舟
赤き実と見てよる鳥や冬椿 大 祇
こちらは寒椿、冬椿。前句、分厚い越後の山は雪国に住むと肝を据えた人々の心情が重なります。後句、冬椿は時としてかようなフェイントもかけます。「ばかだねえ」と笑う中に、優しい憐憫の情も窺えましょうか?
一つひとつ雪を窪めて落椿 石垣青葙子
上句は春の椿を雪とともに詠み込んだ作。ウーン、その観察力の確かさよ! 赤と白の鮮やかな色彩感覚と構図にも、大きな拍手!
さあ、皆さん、雪椿や雪に関する椿のように、何事にも耐えて花を咲かせましょうね。まずは雪椿に乾杯!
https://miho.opera-noel.net/archives/3260 【第六百四十八夜 星川和子の「寒椿」の句】より
茨城県守谷に転居して、平成15年に生まれたのが「円穹俳句会」であった。東京時代の私の旧友の片山和子さんご夫妻が声をかけてくださり、守谷市中央公民館、中央図書館が主な句会場となって14名から最終的には20名の句会を行うことが出来た。
星川和子さんは「円穹俳句会」の最初の会合から出席されていた。もの静かな方だが、作品はときに激しく情感豊かで私たちを魅了した。
星川和子さんの、父は植物学者の渡辺清彦、夫は東北大学教授で農学者の星川清親という素晴らしい環境の中で、和子さんは、植物に触れ俳句を学んでいた。
ある時、亡くなった父と夫の遺した膨大な植物画と著書や文章、そして和子さんがお二人の思い出を書いた文章を纏めたものを書籍にしておきたいということで、私たちは自費出版のお手伝いをした。それが『植物画随想』である。
今宵は、星川和子さんの『植物画随想』に添えた俳句を紹介させて戴こう。
■1句目
寒椿柩に収むベレー帽 (かんつばき ひつぎにおさむ ベレーぼう) 【寒椿・冬】
99歳10ヶ月、数えの百歳で亡くなった父・渡辺清彦は、最後まで入院もせずに娘の和子さんが看取っての大往生であった。生前は、愛用のベレー帽を被り藜(アカザ)の杖をついて散歩にでかけていた。杖のアカザは荒れ地に自生する草で、夏には1・5メートルほどの長さになり、干して杖にしたという。
亡くなったのは、寒椿の美しい頃。父・渡辺清彦氏の蔵書『図説熱帯植物集成』の大きな1冊が、わが家に贈呈されている。
■2句目
けもの径先越されたる蕗の薹(けものみち さきこされたる ふきのとう)【蕗の薹・春】
大むかし、人々は山野に生える植物の葉や根や実をとって食糧にしていた。このときに、人間によって栽培される野菜と野生のまま放置された山菜とが分かれたのである。いわば山菜は野菜への栽培化試験に落第した連中なのでである。
蕗の薹(フキノトウ)、野蒜(ノビル)、蓬(ヨモギ)など、仙台で暮らしているころの散策の途中の収穫であり、夕食にはさっと湯がいて灰汁抜きをして食べたという。
掲句の「先越されたる」は、鹿や猪などけものの往来の道であるが、けもの達も蕗の薹を食べるのか、他の山菜好きの人間に先を越されてしまったのか、この日は思うほど収穫できなかった、ということであろうか。
■3句目
いつせいに揺れて藤棚輝きぬ(いっせいに ゆれてふじだな かがやきぬ)【藤棚・春】
円穹俳句会での最初の吟行は手賀沼であった。何台かの車に分乗して守谷から30分ほどで着いた。ここの藤棚は、大通りにある入口から手賀沼の湖畔に向かって一直線に続いている。丁度満開でよい具合に垂れて揺れている、と、風がきて一斉に揺れはじめた。
藤棚の下をずんずんゆくと、湖畔の漣が輝きながら近づいてくる。湖畔沿いの道を曲がると田んぼがあり、田植え機が動き、雉(キジ)が鳴いていた。和子さんは、田んぼの中にお玉杓子を見つけてうれしそうに声を上げていた。
■4句目
こだはりは葛の花より始まりぬ(こだわりは くずのはなより はじまりぬ)【葛の花・秋】
円穹俳句会での作品だ。短冊が回ってくると、句会の人たちの「えっ! どういう意味かしら?」という声が順にざわめきとなってくる。この句会では、選句した句について、各自が感想を述べ合い、選ばなかった句の問題点などを指摘し合った。
もう20年前のことで、朧であるが、「葛の花」の繁茂する咲き方とどこか繋がるようなものが自分の心の中にもあって、それが「こだはり」ではないか、という鑑賞だったように思う。
■短歌:ツクバネ
拾ひ来しツクバネの実を投げ上げる 回りて飛ぶを孫ら喜ぶ 渡辺清彦
(ひろいきし ツクバネのみを なげあげる まわりてあそぶを まごらよろこぶ)
お正月の羽根つきの4枚羽根の形をしている葉っぱだ。これは可愛い! 和子さんから戴いて、今も棚に飾ってある。 植物が好きで、植物画が好きで、1つ1つを大切にしながら過ごしていらっしゃる方と友人として知り合うことができた。私の宝ものである。
和子さんの父の短歌であるが、ツクバネをどうしても紹介したかった。仙台青葉山の農学部を散歩したときに見つけ、和子さんと孫に、くるくる回しながら何度も空へ向かって投げてみせたという。
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