https://enkieden.exblog.jp/28148552/ 【シュメールとユダヤの関係】より
世界最古の文明はメソポタミアで始まった。旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典であるが、旧約聖書の最初に記されている「創世記」はシュメール神話の影響を強く受けている。
創世記に記される最初の人は「アダム」で、私見では4、600年ほど前のメソポタミアの王だと考えている。
アダムの10代目が「ノアの方舟」で有名なノアで、4、300年ほど前の人である。ノアの11代目がアブラハムで、4、000年ほど前の人である。
「メソポタミアのウバイド人」をご参照ください。
アブラハムはメソポタミアの都市国家ウルで生まれ、母はシュメール人であった。アブラハムはシュメール人の耕す農地周辺で遊牧を生業としていた。メソポタミアでは遊牧民をヘブル人(ヒブル人)と言っていた。後にユダヤ人がヘブル人(ヘブライ人)と呼ばれるようになる。
シュメールは、4、000年ほど前に東方(イラン方面)からやって来たエラム人に滅ぼされてしまったので、メソポタミアで生活できなくなったアブラハムは父のテラや一族と共にカナン(パレスチナ)に向かって移住を始める。父は途中のハラン(トルコ)で亡くなった。
アブラハムはカナンに住み、妻はシュメール人のサラと、サラの召使いのハガルであった。サラの産んだ子孫がイスラエル人(ユダヤ人)になり、ハガルの産んだ子孫がアラブ人になった。アブラハムは更にケトラを妻とした。
アブラハムと妻のサラは、ヨルダン川西岸地区のヘブロンにある「マクペラの洞穴」に埋葬された。この洞穴はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地となっている。
シュメールが4、000年ほど前に滅び、その後、鉄器で有名なヒッタイトがアナトリア(トルコ)に出現、中近東一帯を制した。「ヒッタイトより1、000年古い鉄の塊」をご参照ください。
シュメールの彫刻に「太陽紋」が多く見られるが、日本の皇室の「菊花紋」と同じである。
シュメール人は自分の国を「キエンギ(葦の主の国)」と呼んでいた。日本は「豊葦原の瑞穂の国」と云う。シュメールと日本は「葦の国」です。
日本語とシュメール語はどちらも膠着語で共通している。
日本とシュメールの共通性を初めて指摘したのは、元禄3年(1690年)に日本に来たドイツ系オランダ人医師・博物学者のエンゲルベルト・ケンペル(1651年-1716年)であった。シュメール人が祖国滅亡後、日本列島に大挙移住したと提唱した。
日本の磐座(いわくら)にシュメール文字が刻まれていると云う。熊本県阿蘇郡南小国町の「押戸石の丘(おしといしのおか)」をご覧ください。
山口県下関市の「彦島八幡宮」にもペトログラフがある。
アブラハムとサラの子孫でシュメールの血と文化を受け継いだイスラエル人(ユダヤ人)も日本の文化に大きな影響を与えている。
ユダヤ人は陸のシルクロードを通り、また海のシルクロードを渡って西アジアから東アジアにやって来た。そして、終着点は日本列島であった。
欧米人は日本に来ると、カルチャーショックを受ける人も多いが、ユダヤ人は逆に同質性を感じる人もいるようだ。
「日ユ同祖論」には同意しないが、日本人とユダヤ人の遺伝子には近い部分がある。
「ユダヤ人のY染色体遺伝子」と「東夷」 をご参照ください。
https://chicchic8.exblog.jp/27345742/ 【シュメールと須弥山】より
シュメールと須弥山(インド神話のメール山、スメール山、su-は「善」を意味する接頭辞)の語源は同じなのか?と思ってちょっと調べてみたけど、同じかもですね。あっさり(笑)。
世界中に共通する言葉があるのはやっぱり偶然ではないようで。
シュメールと須弥山(シュミセン)とスメラミコト(天皇)は同じルーツだろうと思われます。
スメラミコトはシュメールから来た人という意味で、分かるのですが、なぜ、曼荼羅の中心の山(須弥山)が同じなのか…。頂点という意味だから?誰が決めたの?地球上で最も古い魂と言われるアメノミナカヌシ?
シュメールというのはもともとアッカド人が使ったシュメール語を話す人達という呼び名だそうで、アッカド人、北東のスバル人へと知覚された関係を示すそうです。スバル人?プレアデスか?
シュメール人自体は自分たちのことを「ウンサンギガ(黒頭の民の意)」と呼び、その土地を「キエンギ(君主たちの地の意)」と呼んでいたらしい。
ネット上を探ってみると「シュメール=須弥山=スメラミコト」について考えてた人はやはりいて、下のブログでは言葉「sumer」の「su」が各国でどう使われているかが説明されています。
インド・ヨーロッパ語族という言い方があるように、インド人(アーリア人の言葉→サンスクリット語)とヨーロッパ人の言葉は祖先が同じだったので元々、共通の言葉でした。
エジプトのピラミッドは、現地では、ピラミッドと呼んでいませんでした。ピラミッドという語は、元々、古代ギリシアの角錐形のお菓子の名前でした。そのお菓子に形が似ているので、後に世界的に、そう呼ばれるようになりました。古代エジプト人は、メルmerと呼んでいました(ブリタニカ国際大百科事典)。
⑨須弥山とシュメール
ピラミッドってメルだったの?
竹内文書の「年三月円十六日、詔して、吉備津根本国(きびつねもとつくに)に大綱手彦(おおつなてひこ)、天皇霊廟(すめらのみことたましびょう)、亦名メシヤ、日の月、月の神、造主神(つくりぬしきがみ)、日来神宮(ひらみっと)」にもピラミッドという名前が出てきますが…。相当古くからあるお菓子なのですかね。ピラミッドという名称はギリシャ人が名付けたのか?
エジプトのピラミッドも「神話」によれば「世界山」。古代エジプト人や古代インド人が呼んでいたメルmerはマラヤ(malaya)やマレーシア(malaysia)はサンスクリット語で山国という意味(コンサイス外来語辞典、三省堂)。メルmerは、山。su・merは高い・山と解釈すると、世界山の意味になる。シュメール文明は古代インド人にとっても、高い山(世界山)のように、理想とする憧れの土地だったと考えるのが自然。
世界地図を見ると、シュメール文明(メソポタミア)の周辺に、sumerやmerを使った地名があちこちにあり、ヒマラヤ、マラヤ、クメール(カンボジア)、スマトラ、サマリア、ソマリア、サマルカンドなど。ヒマラヤはインド人が須弥山の見本とした山脈で、アンコールワットのあるクメールkhmerはsumerのsの音がkに変わるとできる。ボロブドゥール寺院のあるインドネシアのスマトラも含めて、シュメール文明への憧れから世界山を表す言葉としてsumerを取り入れたと考えると、須弥山からスメラミコトを取り入れたように、納得できる。
…なるほど。メルは山で、スメルは高い山(世界山)だったんですかね。
追記:国之常立神(コノハナサクヤヒメのお母さん。天之常立神が過去で、国之常立神は今)とアクセスしていたという出口王仁三郎や古神道によると、ス(須)は、中心、中央という意味があるそうです。
統まる(スマル→すばる)という言葉があり、集まるという意味だそうで、そこから統べる(集めて統治する)という言葉ができたのではないかと思われます。恵比須さま(蛭子さま)にも須が入っていて、七福神は、室町時代、籠目の仕組みでインドから天三神、中国から寿三神を日本に招い(集め統率し)たものなんだとか。七福神を図形で表すと、三角形を重ねた籠目文様の真ん中に蛇の目で、真ん中の蛇の目が恵比須様らしい。籠目の仕組みって何でしょう?マカバ?
スメラミコトは最高の存在である天皇の意味。
ラテン語のsuper(高い)の最上級summus(最高)の女性形が名詞化してsumma(総計)という言葉ができ(ローマ人はギリシア人と同じように、コインを下から上に積み、それを下から上の方へ数え上げていく習慣を持っていた)、summusから英語のサミットsummit(頂上)ができた。su・merは”神々の住む最高の山”の意味。
すべてのセム語族にとって、神を表す語エル(エール)elまたはerから旧約聖書における神の呼び名の一つ、エロヒムができ、エロヒムがなまってイッラーフができ、それにアラビア語の定冠詞アルをつけてアル・イッラーフになり、アラビア語の神アッラー(アラー)ができた。ヤコブの別名イスラエルは神に勝つという意味で、アブラハムとハガルの子イシマエルは神は聞くという意味。天使の名前、ミカエル、ラファエル、ガブリエルにもエルが入っている(図説大聖書 講談社1981年)。
セム語族のエル(神)はシュメール文明のsu・merのsuとさらにmも取った形erにつながるのではないか?エル(elまたはer)は、すべてのセム語族で神を表す言葉で、少なくとも、ヨーロッパの言葉には、このエルが、神または神がかりのような意味で入り込んでいる。天使の名前ミカエル、ラファエルから、イタリアルネッサンスの巨匠ミケランジェロ(ミカエル・エンジェル)ラファエロの人名ができた。また、エンジェル(angel)、celebration(祝典、祭典)やceremony(儀式、式典)フランス語のエクレールeclair(稲妻)(つづりはairと少し違うが、エールと発音することは同じ)、electric(電気の)、thunder(雷)、ギリシア神話のエロスerosにも、erやelが入っている。
そうなのかも。merとel。
『消えたシュメール王朝と古代日本の謎』という本では
シュメール民族発祥の地を中央アジアのコタン(アイヌの「集落」または「部落」のこと)の里だとしている…そうです。
現在のチベット高原の北側に横たわる崑崙山脈と、南側に聳え立つヒマラヤ山脈は、スメル族にとってもっとも天に近い神々の山であり、天宮(アラカ)であった。
現在その最高峰は、エベレスト山(8,850m)となっているが、かつては崑崙山脈の西麓にあった、コタン城の南側に位置するカイラース山(現カンリンポチェ山)が最高峰で、高さは9,060mもあり、ヨーロッパ人がエベレストを世界一としたのは誤りだ、とも指摘している。このカイラース山が、現在も多くの人々から尊崇されているスメル山、すなわち「崇高なる霊山」である、というのも、スメル山というのはいわゆる仏教世界の「須彌山」のことであり、まさに神話と伝説に彩られた聖なる山だからだ(妙高山もスメル山を指している)。
そして、シュメール人がメソポタミアを訪れる前に住んでいたと思われる古代インドでは、こうした「須彌世界説」のスメル山麓に住んでいた民族を「崑崙族」、別名「クメル族」と呼んでいた。
この部族全体を統括した部族が「スメル族」なのである。
スメル「崇高なるメル族」。これが「シュメール」の語源となったのではないか。クメル族とは「地上のメル族」という意味になる。
カイラス山は、仏教(特にチベット仏教)、ボン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教で聖地とされ、聖地とする理由は様々であるが、例えば、ヒンドゥー教ではカイラス山をリンガ(男根)として崇拝し、ポン教では開祖のシェーンラップ・ミヨが降臨した地としている。カイラス山の周囲の巡礼路を、チベット仏教徒は右回りに、ボン教徒は左回りにコルラと呼ばれる巡礼行為を行う。一周約52kmある巡礼路は、ゲルワ・グーツァンパが開いたといわれている…そうです。(wiki)
崑崙山(こんろんさん)は中国古代の伝説上の仙人がいる山だそうですが、崑崙山脈とは中央アジア地域にある約3000kmに及ぶ大山脈で、標高6000m以上の高山が、200峰以上連なっている。新疆ウイグル自治区タクラマカン砂漠の南、チベットの北部、中国の西部にあたる。 …そうです。(wiki)
カイラス山と崑崙山がシュメール人にとっての天宮…。
確かに一番高い山からエネルギーは流れている(龍脈)という話はあるのですが…。
木村鷹太郎(1870 - 1931)説では、
「日本人の祖はアラブまで入ってきたギリシヤ人が、日本列島へ移り住んだものである」として、アレキサンダー大王が、現在のマレーシア連邦からベトナムまでを植民地にした際、つまり当時のアラブの主都のスサを攻略したとき、強制的にギリシヤ語を使わされた人々が追われ、逃散して西南アジアまで逃げ、そこから黒潮暖流にのって、日本列島へ漂着した…と説明しています。
アレキサンダー大王(紀元前356年7月20日〜紀元前323年6月10日)の影響もあるにはあると思うのですが、マレーシアからベトナムまで植民地にしたって?
古代ギリシアの一国であったマケドニア王国のアレキサンダー大王は、アリストテレスに学び、ペルシア軍に勝利し、エジプトを征服、インドに侵攻。東方遠征の経路はこんな感じだったらしい。
アレキサンダー大王はペルシア語・アラビア語などのイスラム世界、東方世界でも人気で、イスカンダル双角王(イスカンダル・ズルカルナイン)と呼ばれ、生涯と東方遠征を素材として伝説化され、地中海地域と西アジアを中心に、インドや中国やエチオピアにまで、各地で語り継がれました。東南アジアへは、イスラム教の商人たちから伝えられたんじゃないだろうか…。しかし、神農や神武天皇は角があったと言われてるけど、アレキサンダー大王にもあったとは。
サンカ生活体験記などの著書がある八切止夫(1914 - 1987)によると、
今は故意にシュメールと呼ばせるが、スメラ山脈の並ぶ今のアブダビ海沿岸は、当時はスメルと呼称(ラテン語読みで『スメル』)。
アラビア語の活字がないので ローマ字方式で並べておられるが、私がベイルートへ行っていた時は、うろ覚えのサンカ語で日常会話は通用。約二年いまのイランのヤスドでも話が通じた。
戦前、スメルと日本の関連の研究は盛んに行われていた様で、天皇の称号「スメラミコト」を「スメラ」(統(ス)べる=治める)と「ミコト」(尊い人)に分解され、その意味が解釈された。
とか。サンカ語がベイルート(レバノンの首都)で通じたとは!へー!ホントに!?
私の妄想によると、日本とメソポタミアの文明に共通点が多いのは、スターゲートのようなワープゾーン的なものがあったんでしょうか?諏訪湖とガレリヤ湖が繋がってた説がありますね。
山が神々のワープゾーン説はあるかも。富士山、ウルル(エアーズロック)、ヒマラヤ、キリマンジャロ…。山は神様がいると言われるのはそれが所以かも。突如として高い山があったりするのは、神様(次元が違う宇宙人)が作ったピラミッドなのかもですね。
気になるのは時系列。一般的にはシュメール → 日本みたいな認識ですが、日本の古史古伝によると日本 → シュメールみたいな感じです。
インドの方はどうやって文明が伝わったのでしょう?シュメール → インダス?
日本には空海が伝えた以前にもサンスクリットなどが伝わっていたんでしょうか?
沖縄辺りは、空海以前にも交易が盛んだったのは想像できる…。
インダス文明は、高度な文明だったようですが、紀元前2000年頃、突如として滅んだらしい。
色んな滅亡説がありますが、古代核戦争説というのもあり、もしかして…。
今の文明はノアの洪水(1万年前)後だと思うのですが、洪水後にも今より高度な文明が発達していて、古代核戦争があったのかも。
古代核戦争で思い出すのが、フランスと国境地帯にあるスイスのジュネーヴ郊外の欧州原子核研究機構、CERN。世界最大規模の素粒子物理学の研究所で、そこの研究がかなりヤバいらしい。パラレルワールドも破壊してしまうんだとか…。パラレルワールドを破壊って?CERNはヒッグス粒子を発見した機関でもあるのですが、「人工知能の進化は人類の終焉を意味する」と警告していたホーキング博士は、CERNについても「ヒッグス粒子というのは非常に不安定なのに、実験によってヒッグス粒子を安定な状態に近づけてしまうと、真の真空状態が生じて光の速度で膨張しはじめて宇宙が崩壊する」と警告していたらしい。宇宙を破壊って!
核が破壊する物って、計り知れません…。
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