「言葉」の語源

https://shizen-kome.com/ida/index-1524 【言葉には、なぜ葉という文字を使うのか?】より

こんにちは!自然栽培米専門店ナチュラルスタイルの井田敦之です。

私は、自然栽培米を普及していますが、自然栽培米農家さんの特徴の一つとして、「言葉」を非常に大事にしています。

今回は、「言葉」について考えたいと思います。

普段から当たり前のように使っている「言葉」という漢字。しかしなぜ【葉】の文字が入っているのでしょうか?

葉っぱを言葉の比喩に使ったとして有名なのが、平安時代に紀貫之(きのつらゆき)が執筆したと言われている「古今和歌集仮名序」です。

原文の始まりは「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」。

現代語訳すると「和歌(大和歌)は、人の心を種として、葉っぱのように生い茂っている言の葉である」。

そして原文の序文には、下記のようなことが書かれています。

「人は見たり聞いたりして思ったことを言葉として表現している。花の間で鳴いている鶯(うぐいす)や水に住んでいる蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、それぞれ歌を詠んでいる。力を入れずに天地を動かし、目に見えない死者の霊の心にも訴えかけ、男女の仲をなごませ、猛々しい武士の心も慰めるのは歌である。」

言葉の力が綴られていますね。

美しい心から美しい和歌が生まれ、美しい和歌は国を安泰にする力があると言われていました。

自然界の葉を見てみると

樹と人間私は、植物を人間に例えて考える事がよくあります。なぜなら、そうすると道理が良く見えてくるからです。

例えば、一本の木を見てみましょう。

根っこは、その人の考え方や心、目に見えない部分。幹は、体やその人の器。枝葉は、外部への行動と交流です。

今回取り上げている「葉」は、交流を表しています。

自然界での葉の役割は、水分(蒸散)や気体(光合成、呼吸)の出し入れですね。つまり、外界と接して交流している場所です。

人間でいうなら、人と接する際の「行い」や「言葉」ということになります。

言葉には目に見えない力がある

井田の活動

植物が光合成で二酸化炭素を吸って酸素を世の中に供給しているように、私たち人間も言葉を通して目に見えない何かを世の中に供給しています。

言葉は、私たちが外の世界と交流する重要な手段なのです。

自分は、「どんな世界を創りたいのだろうか?」「どんな世界を次の子供たちに残したいのだろうか?」

それぞれの人の心から出てきた言葉を、世の中に与えていく。

そう考えると、言葉によって世界を創っているのと同じです。

自分が、どのような言葉を普段話しているのか?どのような言葉を世の中に与えているのか?意識されると良いかもしれませんね。

新しく芽生えた葉は徐々に枯れ、また次の年には、新緑の若い葉が芽生える。木は年々成長してゆきます。

私たちの言葉も、その時々に合った言葉を世の中に発していくことで、木と同じように自然と成長していくのだと思います。

「言葉によって世界を創っている。」

何気なく日々使っている言葉には実は想像以上に大きな力があります。


https://note.com/chise2021/n/n44b4fdba828b 【日本語探究 「言葉」の語源】より

他の事を調べるためにネット検索をしていると、ふと目に付いたものに日本語の語源を見つけました。

そう言えば新しくマガジンも作った事ですし、今後、不定期で記事にしていきたいと思います。まずはその大元である「言葉」の語源について調べてみました。

そもそも言葉の語源は次の通りだと考えられています。

言葉の語源は、「言こと」+「端は」の複合語である。

古く、言語を表す語は「言こと」が一般的で、「ことば」という語は少なかった。

「言こと」には「事」と同じ意味があり、「言こと」は事実にもなり得る重い意味を持つようになった。

そこから、「言こと」に事実を伴なわない口先だけの軽い意味を持たせようとし、「端は」を加えて「ことば」になったと考えられる。

語源由来辞典

私たちが口語や文語として使っている言葉には、それぞれに語源があります。

今回はまず、「言葉」はどこからきたものなのか調べてみました。

そう言えば当たり前すぎて考えた事がなかったと、あらためて思い、調べてみると「和歌」に繋がりました。

「言葉」にどうして「葉」を使うのか

「ことば」の表記の編纂は以下の通りです。

・奈良時代ー「言葉」「言羽」「辞」(万葉集)

  ⇩

・平安時代ー「ことば」(古今和歌集、土佐日記)

      「詞」(枕草子

  ⇩

・室町時代ー「言葉」(徒然草)

はっきりと「言葉」となったのは室町時代ですが、その発端は、それより前の平安時代の古今和歌集の冒頭の序文にありました。

やまとうたは ひとのこころをたねとして よろづのことの葉とぞなりける

紀貫之きのつらゆき

なぜ「葉」なのかのシックリくる解説は見つけられなかったので、我流に解釈してみます。

上記は一粒の種から木が成り、葉が茂る様子を表しているのですが、それになぞらえて、一つの木を「それぞれの思い」と見立て、たくさんの葉がつくように「様々な表現がある」という事でしょうか?

「たくさんの葉」というのは、豊かさの象徴でもあり、「言こと」は「葉」のように無限の表現があるというイメージを、実に粋な例え方をしています。

確かに、「言ことの端は」は心のない口先だけのように感じ、「言ことの葉は」はちゃんと幹や枝という心があってそこから発せられたものという重みを感じます。

口語は同じでも漢字にするとその意味は大きく違ってきますね。

「言葉」の語源は諸説ありますが、一般的な言語として定着した理由は紀貫之きのつらゆきのこの捉え方が元であると思えるのです。

そして、かつては「ことば」という読みに対して、いくつもの漢字が当てられていたとは面白いですね。

私が目に留まったのは奈良時代に見られる「言羽」です。

「言」に「羽」が付いて飛び交う様が想像でき、「噂話」や「意見交換」、「井戸端会議」など、いろんな情報が行き来していたのが伺えませんか?

そう思うと、ネットのある現代も、昔の時代も、情報の流れ方は違っても、「言葉」というのは羽が生えているように、どこまでも飛び、広がっているという本質は何も変わっていないのですね。

和歌は政治の必須アイテム

そもそも和歌とは、漢詩に対して、上代から行われた日本固有の詩歌。五音と七音を基調とする長歌・短歌・旋頭歌せどうか・片歌かたうたなどの総称。平安時代以降は主に短歌をさすようになった。やまとうた。

コトバンク

大河「鎌倉殿…」の中でも、3代・実朝が和歌を勉強しています。

この頃の「和歌」は単に教養を付けるというもだけにとどまらず、政治の重要なアイテムとして必須でした。

「言葉」の語源となる紀貫之きのつらゆきの序文で始まる「古今和歌集」は10世紀初めの平安時代に編纂されたもので、それまでの奈良時代の古代国家からのちょうど変換期でした。

元々の「古今和歌集」の編纂目的は単に文化的な意図だけではなく、人や神々をも動かすほどの「力」をもつと伝えられていました。

要するに和歌は、「世直し」のための大きな力を持つもので、政治を執り行うためには欠かせないものだったのです。

ですから、3代鎌倉殿にはラッキーにもその才能があって、朝廷と和歌でのやり取りをしていたのですね。

政治だけでははなく、男女間のラブレターや、兄弟や友人などとのやり取りにも使われるなど、コミュニケーションをとるための重要なツールでした。

美しい「ことば」の言い回し

画像

引用元は全てコトバンク

しかしながら、言い回しが回りくどくてシュールな表現が多いため、現代人の私には、何が言いたいのかチンプンカンプンのものがほとんどです。

その言い回しの中から、「ことば」に関して綺麗な意味のものを集めてみました。

🌱ことのはの緑

「ことのは」の「は」を「葉(は)」にかけて) 歌道が栄えて衰えないさまを、常緑樹の緑にたとえていった語「言葉」そのものをさらに強調した言い方でしょうか。

歌道だけでなくあらゆる道や世界の発展に使えそうですね。

🌱言葉の花

美しい表現のことば。美麗なことば。巧みな表現。真心のこもったことば。誠実なことば。

誠実な言葉という意味があるなら、うわべのお世辞で言うのではなく、心の底から出た言葉なのですね。

場合によっては言葉遣いが荒くても真実の言葉であるなら、それも「花」だと言う事です。

昔の人も飾らない表現のほうが真実らしいと思っていたのですね。

🌱言葉の玉

ことばの美しさを玉にたとえていう語。美辞麗句。

要するに、「おべんちゃら」や「お世辞」の事ですが、いくら美しい表現で言葉にしても、言われた方は誰に言われたかによって、取り方は違ってきます。

🌱言葉の露

言葉が美しく・はかないことを、すぐに消えてしまう露にたとえた語。

菊の節句(重陽の節句)に詠まれた詩歌を、菊の露にたとえたもの。

夢や目標が実現しなかったりしたら、「露と消える」といいますから、「露」という語に「はかない」という意味があるのでしょう。

「菊の露」に例えたなんて、美しいシーンを切り取りましたねぇ。

🌱言葉の塵ちり

文章、詩歌などの表現、ことばづかいの欠点。

ちりのように、ことばの数が多いこと。

よく喋る人や、文章中の無駄な言葉は、全て「塵」になりゴミということですか。少しでもゴミは捨てたいものです。

🌱言葉争い

口げんか。口論。言い争い。

「言葉戦い」ともいう。

売り言葉に買い言葉の口喧嘩のことで、決して良いものではないのですが、この表現だと、なんだか柔らかい言葉になりますね。

🌱言葉種ことのはぐさ

和歌、和歌の草稿。話のたね。ことぐさ。

「noteの言葉種に困る時がありますよね~」という風に、題材を言葉種に変えるだけで、なんだか雅びです。というか、ギャグになってしまいますね。

🌱言葉風ことのはかぜ

その和歌の与える印象。和歌の姿。和歌の風体。

不思議な事に、同じ題材を書いても書き手によってその内容はガラリと変わります。

〇〇風ランチ、△△風デザインとかも同じ使い方ですね。

日本人の豊富な想像力とセンス

だいたい「ことば」に「葉」の字を使ったり、「露」や「玉」などを組み合わせて、ちょっと遠回しに美しく表現するなんて、書く方も凄いですが、それを読み取る方も凄い。

私にはまるで「連想ゲーム」のようなものです。

おそらく昔の日本人は、奥ゆかしさを美徳とする習慣があったので、「言葉のイメージ」として捉え、自分の気持ちをイメージとして映像化し、受け取った方もそのイメージを映像として捉え、真意を探ったのでしょう。

言うなれば、イメージからイメージ。

そこから相手に意図を伝え、また真意を知るなんて、かなりの高度な想像力が要りそうです。

昔の人であっても、和歌は貴人で学才がなければできなかったものでしょうが、元々の日本語を知るには欠かせないお手本であるのは事実なのです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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