大谷石・大谷寺・大谷観音

風死して観音の裾ゆれ止まず  五島高資

空高し岩より観自在菩薩  高資

五月雨の黄泉へと沁みる岩屋かな  五島高資


神立ちて巌に千手の仏かな  高資

千足る手の眼に神を迎へけり  高資

 石造千手観音菩薩立像・伝 空海作(国指定特別史跡・重要文化財)


黄泉の燈に氣の滴るや大谷石  高資 

みはしらの紫立つや黄泉涼し  高資

涼しさや黄泉に活けたる竹の華  五島高資

活けられて黄泉に爆ぜるや竹の花  五島高資

根の国へ霧を灯せる大谷かな  高資


https://yuki.liblo.jp/archives/18017825.html 【カトリック松が峰教会 (宇都宮市)】より

栃木県宇都宮市松が峰1丁目。栃木県宇都宮市の中心部に位置し、大谷石造りの聖堂が目印の教会です。ブラタモリでも紹介されました。

案内板より…『この建物は、本格的なロマネスク様式(11~12世紀に西ヨーロッパに広まった美術・建築様式)に基づいた教会堂で、現在わが国に残る最大の大谷石建造物である。設計者は、スイス人建築家MX.ヒンデル(函館のトラピスチヌ修道院を設計)である。本教会の創立者カディヤック神父は、教会堂建築のために資金を集め、昭和7年(1932)11月に完成した。教会のアンジェラスの鐘は、第二次世界大戦中の金属回収によって供出され、現在のものは昭和57年(1982)に鋳造されたものである。』

1888(明治21)年にパリ外国宣教会のカジャック神父によって川向町に建てられ、「宇都宮天主公教会」として創立。

1932年11月20日に現聖堂が竣工し、11月23日に献堂式挙行。

設計は当時横浜に住んでいたスイス人建築家のマックス・ヒンデル氏。施行は宮内初太郎氏(施工統括)と安野半吾氏(石工棟梁)によります。

大谷石建築としては現存最大級のロマネスク・リヴァイヴァル建築で、1998年12月11日に国の登録有形文化財に登録されています

沿革…『当教会(旧宇都宮天主堂)は、1888年(明治21年)に創立者のカディヤック神父によって、川向町に宇都宮カトリック教会として発足し、その後、松が峰町に移転した。最初の聖堂は、1910年(明治43年)現在の敷地内に建てられ、その石壁の一部は今も残されている。当時、松が峰一帯は、草やぶと雑木林で、北隣は監獄であった。カディヤック神父はその後、東京副司教という要職を務めながら宣教を続け、500名以上の信徒を育て、本格的な聖堂の建設を準備し始めたが、実現前の1930年(昭和5年)に帰天された。聖堂は2年後に完成し、1938年(昭和13年)には教会の幼稚園が設置された。太平洋戦争中、第4代目主任司祭のミカエル神父は、浦和に抑留されたが、終戦後いち早く復帰し、戦災を受けた聖堂を修復された。再開された宣教は、多くの信徒と県内10余りのカトリック教会を生み、また当教会からも多数の聖職者が巣立っている。1970年(昭和45年)には、創立80周年記念事業として信者会館が落成し、翌年教会の信徒使徒職協議会が組織され、次の年にはパイプオルガン設置の機運が起こり、資金集めのためにバザーも行われた。信徒会館建設より30年以上が経ち、老朽化が進む中、教会会館建設委員会が立ち上げられ、信徒を中心に多くの協力と祈りによって「マリア会館」として2012年(平成24年)11月に出来上がり、聖堂献堂80周年と会館の完成が共に祝われた。』

教会聖堂…『当聖堂の建設は、カディヤック師により、当教会の助任司祭で、後の東京関口教会の主任司祭となったフロジャク師に委託された。当時横浜に住み、教会関係の建築を手がけていたスイス人建築家マックス・ヒンデル氏に、設計・施工・監督がゆだねられ、第2代目主任司祭プジェ師の尽力により1931年(昭和6年)に着工、翌完成された。鉄筋コンクリート造り、大谷石仕上げ、銅板葺きで双尖塔を備え、塔部が4階、他部は2階建ての近代ロマネスク建築である。コンクリート製の聖堂では、日本で一番古い教会の一つとされている。1932年(昭和7年)11月23日の献堂式には、教皇使節・司教・多数の教区長・修道院長も参列し、シャンボン東京大司教によって、日本で最初の聖別された聖堂となった。1945年(昭和20年)7月の大空襲によって、大屋根が焼け落ちたが、終戦後の資材が乏しい中で修復が行われ、2年後に完成している。その後、2階入り口の改修と、ミサ形式の改革に伴う祭壇の改造が行われた。1976年(昭和51年)から翌年にかけて、パイプオルガン設置のために、建物と一体であった祭壇を移動し、窓には色ガラスが入れられ、堂内の照明も一新された。1982年(昭和57年)献堂50周年を迎え、1階入り口の改修や聖櫃台が設置された。創立100周年記念事業として、1985年(昭和60年)に祭壇と窓の改修工事、1987年(昭和62年)には小塔補修などが行われた。1998年(平成10年)12月、市や県・国において、その文化的価値が認められ、「登録有形文化財」として認定された。しかし、建築後60年余りを経て、外壁の崩壊が進み、修復工事をすることとなった。2001年(平成13年)4月、信徒をはじめ多くの人々の協力により修復工事は完工した。また、エレベーターも設置され、聖堂のライトアップもされるようになった。』

エレベーター塔雨どいのカエルの彫刻「カン蛙(かんがえる)」(栗原俊明制作)。

「さわやかに朝の祈りの鐘鳴れとねがひて過ぎぬ君が教会」。大正5年、宮沢賢治が詠んだ短歌。「君」とは、当時盛岡天主公教会のフランス人司祭、アルマン・プジェ神父のことです。昭和6年、プジェ神父は松ヶ峰教会に第3代主任司祭として着任。その年は松ヶ峰教会大聖堂完成(1932年)の1年前にあたります。日本文化に強い関心を寄せたプジェ神父と宮沢賢治には深い親交がありました。賢治の作品の中にはふたりの交友を物語るものが多数残されています。宮沢賢治の童話に「蛙のゴム靴」という作品があります。そこに登場する3疋の蛙の1疋がこの「カン蛙」です。(カン、ブン、ベンという3疋の蛙が仲良く暮らしていました。人が花見をするように蛙たちは雲見をするのが大好きです。ところがある日、カン蛙がゴム靴を手に入れて…)。

(以下略)


秋の燈や歌のあふれる天主堂  高資

聖塔や額に触れる秋時雨  高資

双塔に生れてや翔る春の雲  高資

暮れ泥む大聖堂や春の雲  高資




コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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