にんげんの回転木馬さくら散る 増田まさみ
何処へも戻らぬひとよ冬花火 同
手花火の手の入れ代わるニルバーナ 同
空蝉にまだ陽の残る浅きゆめ 同
二つ折り厳禁とあり天の川 同
https://note.com/muratatu/n/n4e8300d5ba72 【増田まさみ句集『かざぐるま』】より
武良竜彦(むらたつひこ)
「あとがき」から
本集は『止まり木』(zozo)に続く第七句集にあたる。収載する作品はすべて高橋修宏氏の個人誌『五七五』に掲載されたものである。各章タイトルと掲載月および句数一章一五句)は発表時の形式をそのまま活かし、六章を構成している。
このたび句集を編むにあたり、句の未熟はもとより句数の寡少は如何ともしがたく、新たに未発表句「かぎぐるま」一七句を七章として追補し、集計一〇七句を以てまずは一集の体裁に漕ぎついた。そのプロセスに於いて、各章それぞれの作品の推敲、入れ替えなども行った。
句集名の『かざぐるま』は、わたしの第二句集「季憶:Mémoires」(1985)に所収の「逆夢の凹凸撫でるかざぐるま」より採択した。ふと捲り返した旧い句集の一句である。「逆夢の凹凸撫でる」のは、たしかに歳月を経たいまも変わらぬわたしの句の出自であり表現の根拠である。内なる〈個〉への慰撫であり拘りであり、同時に生存のあらがいである。
手元の古びた日記の片隅に「こども時代の孤独以外に人を「書く」ことに追いやるものをわたしは本当に知りません」とのメモ書きが見つかった。マルグリッド・デュラスの言葉である。デュラス晩年のこの痛恨の回想が、どこかわたしの幼少期の闇と相応しているように感受したのかもしれない。風が吹いても吹かなくても「かざぐるま」は回る。迂い日の暗黙の約束のように—。
〈個〉に帰する営為と認めながら、「現代俳句」を磁場としつつ創意(表現)を共にする人たちの理解と励ましに出会わなければ、わたしの「俳句」はこの日まで存えることはなかっただろう。あらためて深謝申しあげたい。おわりに 『五七五』誌の貴重な紙面を割き、迷妄するわたしの句群を迎え入れて下さった高橋修宏氏に心から御礼を申しあげます。
作者が謝辞を述べている高橋修宏の評文が、帯に掲載されている。
うしなわれた原郷を思いつづけながらもついに到達しえないという諦念や哀しみが増田まさみの俳句作品にかけがえのない生のさらに死の質感を立ち上がらせるのではなかろうか。
的確な評で、これ以上付け加えることはない。
わたしの好きな句を、本人の自選句と重なるが、次にあげる。
亀鳴くやもう手を振らぬ空舟 白鳥や少女時代の染みひとつ
風もなく回る産屋のかざぐるま まだ蒼き父の化石やさるおがせ
天上のぼんぼん時計老いの春 何処へも戻らぬひとよ冬花火
https://domani.shogakukan.co.jp/949280 【「逆夢」とはどういう夢? 意味やその他の夢の種類などを紹介!】より
「逆夢」とは?
「逆夢」という言葉は、聞いたことがありますか? 「逆」とつくからには、あまり良くないイメージがしますね。本記事では、夢の中でも特に「逆夢」について詳しく取り上げます。
「逆夢」の意味
「逆夢」とは、「現実に起きている出来事と反対の出来事が起こる夢」のことです。「さかゆめ」と読むのですが、「反対」の意味を持つ「逆」という漢字を用いて、現実と夢との対比を表しています。
例えば、現実でお財布を落としてしまったとしましょう。現実では手元にお財布が戻ってきていないのに、夢ではそのお財布が手元にある…、なんて夢は逆夢になります。反対に、上司に叱責される夢を見たと思ったら、現実ではとても褒められたというパターンも逆夢になりますね。
参考:『デジタル大辞泉』(小学館)
そもそも「夢」とは?
ところで、皆さんは夢をよくみるタイプですか? 毎日のようにみるという人もいれば、ほとんど夢をみないという人もいることでしょう。二度寝したら夢の続きをみたり、同じ夢を繰り返したり…。
思ってもみなかった出来事が夢で起こるなど、夢とはとても不思議なものですね。
夢を見る人
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そもそも「夢」とはどういうもの?
本記事で取り扱う「夢」は「睡眠中に、まるで現実であるかのように感じる経験や観念」のことを指します。
多くの場合、夢の中では「夢であるとは知らずに、現実の出来事として誤認する」ことが多いようです。また、夢は視覚(と認識しているところ)から得る情報だけでなく、聴覚や味覚、触覚や運動感覚を伴うこともあります。
ちなみに、今では当たり前のように「ゆめ」と読まれますが、かつては「いめ」と読まれていました。「ゆめ」という読み方は、「いめ」の音変化によるものです。
参考:『デジタル大辞泉』(小学館)
寝る女性
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「逆夢」という言葉はどんなときに使う? 例文で紹介
「逆夢」という言葉の使い方についても押さえておきましょう。
「今日は忘れ物をしたり怒られたり、踏んだり蹴ったりな一日だったよ~。これが逆夢だったらいいのに…」
人と会話するときの用例を紹介します。「これ」というのは、「踏んだり蹴ったりな一日」のことですね。その逆夢、つまり反対ですから忘れ物をせず、そして褒められるのが現実であってほしかったということになります。
「『夢は逆夢』という。むしろ良いことが起きる前兆かもしれないと自分に言い聞かせよう」
「夢は逆夢」とは、悪夢を見た際の縁起直しで言われることわざのこと。とくに科学が発達していなかった古来、夢は人々にとって何かの知らせだと関心を寄せられる事柄でした。夢占いで吉凶を占い、悪夢をみた際には「夢は逆夢」と言うことで、悪夢をポジティブに捉えようとしていたのかもしれませんね。
逆夢のほかにはどんな夢がある? 夢の種類を紹介
逆夢以外の夢にはどのような夢があるのでしょうか? みる夢は人によってさまざまです。良い夢もみることもあれば、悪い夢をみることもあります。また、夢の内容が現実とリンクすることもあることから、不思議な現象として人は古くから夢に関心を抱いてきました。ここでは、夢の種類について、一部を紹介していきます。
1:正夢(まさゆめ)
「正夢」とは、「事実と一致する夢」のこと。事実と反対の夢を指す逆夢の対義語にあたります。「お金持ちになる夢をみた。これが正夢だったらいいのにな~」などいうような使い方ができますよ。
2:初夢(はつゆめ)
新年と言えば、どんな初夢をみたか親族や家族で話をするのもひとつの楽しみですよね。「初夢」とは、「新年の初めに見る夢」のこと。一般的には、元旦か2日の夜にみる夢を指します。
いろんな夢を見る女性
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3:明晰夢(めいせきむ)
「明晰夢」とは、「夢であることを自覚している夢」のことです。「これは夢の中の出来事だ」と自覚することで、夢の内容を自由に操ったり、自分の意思で行動できたりすると言われています。
参考:『デジタル大辞泉』(小学館)
「夢」に関することわざについて
夢にまつわることわざって実はたくさんあるんです。ここでは、よく使われることわざから文学に用いられる表現まで、3つピックアップして紹介します。
1:夢のまた夢
「夢のまた夢」は、きわめてはかないことのたとえです。「ヴァイオリンのコンクールで優勝するなんて、今の私には夢のまた夢だ」などというように、叶う見込みがないということを表現しています。
2:夢か現(うつつ)か
「夢か現か」とは、「夢か現実か分からない」という意味。思ってもいなかった出来事に直面した際、それが夢の中の出来事なのか、現実の出来事なのか疑う気持ちのことを指します。
「目の前に憧れの人がいる。これは夢か現か…」のように、「信じられない!」「驚いた!」などという気持ちが含まれることも。また、悪夢をみたあとに「これは夢か現か、逆夢ならいいのに」と思ったことのある人もいらっしゃるのではないでしょうか?
3:夢の跡
松尾芭蕉の俳諧紀行文『奥の細道』のなかに、「夏草や 兵どもが 夢の跡」という有名な一句があります。「夢の跡」とは、「すべての出来事や物事は、結局むなしいものである」という意味です。かつては人々がいて、様々な思いや夢をはせたであろう場所も、今では跡形もないという様子のむなしさやはかなさを表現しています。
参考:『デジタル大辞泉』(小学館)
最後に
人はなぜ夢をみるのか、どうして人によって見る夢が異なるのか、夢に関する疑問やテーマは非常に面白いですよね。悪夢を見たら「これが現実でも起きるのでは…」と不安になってしまいますが、昔から言われているように「夢は逆夢」と思って気にしすぎないのが吉。むしろ、「逆夢でいいことあるかも!」とポジティブに考えるようにしたいですね。
今日の夜は「夢をみるぞ!」「夢の内容を覚えておくぞ!」などと意気込んで眠って実験してみるのも楽しいかもしれません。
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