石田郷子

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E9%83%B7%E5%AD%90 【石田郷子】より』

石田 郷子(いしだ きょうこ、1958年5月2日 - )は、日本の俳人。東京都出身。

経歴

父・石田勝彦、母・石田いづみはともに石田波郷に師事した俳人。1986年、やはり波郷の門人で母とも親しかった山田みづえ主宰の「木語」に入会、山田に師事。1997年、第一句集『秋の顔』にて、第20回俳人協会新人賞を受賞。2004年、「椋」を創刊、代表。2008年、大木あまり、藺草慶子、山西雅子とともに「星の木」を創刊[1]。

作風

「あきらめないで、自分の受けた印象にぴったりした正確なことばを使って表現すること」を信条とする[2]。「思ふことかがやいてきし小鳥かな」「ことごとくやさしくなりて枯れにけり」など、やさしい言葉を使い情感を素直に表した句が多い。十七音にものごとが圧縮されているのではなく、ちょうど十七音の、あるいはそれに余裕をもったことがらが掬い取られている、そんなたたずまいの作品を制作する[3]。また、師の山田みづえは、「空気の流れに漂っている何かをすっとキャッチしたような郷子俳句」と、その特徴を語っている[4]。

著書

句集『秋の顔』 ふらんす堂、1996年

『俳句・季語入門事典』(全五巻)(編著) 国土社、2002年-2003年

句集『木の名前』 ふらんす堂、2004年

『俳句の意味がすぐわかる! 名句即訳 蕪村』 ぴあ、2004年

『俳句の意味がすぐわかる! 名句即訳 芭蕉』 ぴあ、2004年

『石田郷子作品集〈1〉』 ふらんす堂〈ふらんす堂文庫〉、2005年

句集『草の王』 ふらんす堂、2015年


https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19960702,20000413,20070315,20070907,20080729,20090522,20140127,20151212,20160301&tit=%90%CE%93c%8B%BD%8Eq&tit2=%90%CE%93c%8B%BD%8Eq%82%CC

【石田郷子の句】より

 梅干すといふことひとつひとつかな

                           石田郷子

母は必ずアルミニュームの弁当箱に梅干しを入れてくれた。しかし不思議なことに、母が梅干しを食べるのを見たことがない。土用干。ひとつ、ひとつ。生活をみつめるとはこういうことなのだろう。『秋の顔』所収。(八木幹夫)


 花びらの一つを恋ふる静電気

                           石田郷子

いつの間にか、桜の花びらが一つ洋服についているのに気がついた。静電気の作用によるものだ。どこでついたのだろうか。思い巡らしているうちに、小さな薄い紅の花びらが可憐に見えてき、いとおしくなってきた。「恋ふる」という表現が大袈裟ではなく、読者の胸にも染み込んでくるようだ。「静電気」が俳句に詠まれるのは珍しいが、この作品はもともと「エアコン」などとともに、日頃あまり類を見ない新素材を詠み込むという雑誌の企画で実現したものである。お題拝借句というわけだが、あの不快な静電気現象を見事に美化した腕前は流石だと思う。「まとわりつく」「つきまとう」などの言葉を、しみじみと「恋ふる」に転化した想像力の冴え。ここにも、作句の要諦がある。静電気ショックは、受けやすい人とそうでもない人がいるという。体質にしたがうらしいのだが、私は受けやすい性質だ。職場の放送局などはいつも乾燥しきっているので、ドアのノブをさわるのもおっかなびっくりという有り様。心臓に悪い。傍目には見えないけれど、なかなかにつらいビョーキと言えるのではないか。「俳壇」(1997年6月号)所載。(清水哲男)


 あたらしき鹿のあしあと花すみれ

                           石田郷子

ひらがなの表記と軽やかなア音の韻律がきれいだ。春の鹿と言えば、その語感から柔らかでふくよかな姿を思い浮かべるが、「美しい秋の鹿とくらべてきたなく哀れなものが春の鹿である」(平井照敏『新歳時記』)と歳時記の記述にある。実際のところ、厳しい冬を乗り越えたばかりのこの時期の鹿はやつれ、脱毛したみじめな姿をしているようだ。調べてみて自分の思い込みと現実のずれに少しとまどいを感じた。鹿といえば観光地や動物園にいる人馴れした姿しか思い浮かばないが、掲句の鹿は容易に人前に姿を見せない野性の鹿だろう。「あたらしき」という形容に、朝まだ早き時間、人の立ち入らぬ山奥を風のように駆け抜けて行った生き物の気配と、土に残るリズミカルな足跡を追う作者の弾む心が感じられる。そこからイメージされる鹿の姿は見えないだけにしなやかで神秘的な輪郭を持って立ち上がってくる。山に自生するすみれは長い間庭を彩るパンジーと違って、注意していないと見過ごしてしまうぐらい小さくて控えめな花。視線を落として「あしあと」を追った先で出会った「花すみれ」は鹿の蹄のあとから咲き出たごとく、くっきりと作者の目に映えたのだろう。シンプルな言葉で描き出された景から可憐な抒情が感じられる句である。『現代俳句一〇〇人二〇句』(2001)所載。(三宅やよい)


 団栗を拾ひしあとも跼みゐる

                           石田郷子

食べられるわけでもなく、団栗を拾うことにはさしたる現実的な意味はない。子供が遊びのために拾うか、大人がなんとなく拾うか。これを前者、子供の動作と受け取ると平凡な風景だろう。遊ぶために団栗を拾っている子供が、その姿勢のまま、虫の動きやら別の植物やら地上のもろもろの様子に気づいて見入っている。そこには子供の好奇心の典型があるだけで新鮮な詩情は感じられない。僕は後者、大人の句と取りたい。考えごとをしながら俯き加減に歩いていて、ふと、散らばっている団栗に目をやる。男は一瞬考えごとを中断して跼(かが)み込み、一個の団栗を手にする。手にした後、かがんだまま、またもとの思考の中に戻るのである。人間の動作の多くは合理性の中で行われるわけではない。日常的行動の端々は不合理や非条理に満ち満ちている。この句のようなひとつのカットが人間というものの複雑さを浮き彫りにする。『石田郷子作品集1』(2005)所収。(今井 聖)


 わが死後は空蝉守になりたしよ

                           大木あまり

ずいぶん前になるがパソコン操作の家庭教師をしていたことがある。ある女性詩人の依頼で、その一人暮らしの部屋に入ると、玄関に駄菓子屋さんで見かけるような大きなガラス壜が置かれ、キャラメル色の物体が七分目ほど詰まっていた。それが全部空蝉(うつせみ)だと気づいたとき、あまりの驚きに棒立ちになってしまったのだが、彼女は涼しい顔で「かわいいでしょ。見つけたらちょうだいね」と言ってのけた。「抜け殻はこの世に残るものだから好き」なのだとも。その後、亡くなられたことを人づてに聞いたが、あの空蝉はどうなったのだろう。身寄りの少なかったはずの彼女の持ち物のなかでも、ことにあれだけは私がもらってあげなければならなかったのではないか、と今も強く悔やまれる。掲句が所載されているのは気鋭の女性俳人四人の新しい同人誌である。7月号でも8月号でも春先やさらには冬の句などの掲載も無頓着に行われている雑誌も多いなか、春夏号とあって、きちんと春夏の季節の作品が掲載されていることも読者には嬉しきことのひとつ。石田郷子〈蜘蛛の囲のかかればすぐに風の吹く〉、藺草慶子〈水遊びやら泥遊びやらわからなく〉、山西雅子〈夕刊に悲しき話蚊遣香〉。「星の木」(2008年春・夏号)所載。(土肥あき子)


 たべのこすパセリのあをき祭かな

                           木下夕爾

中七の連体形「あをき」は下五の「祭かな」にかからずパセリの方を形容する。この手法を用いた文体はひとつの「鋳型」として今日的な流行のひとつとなっている。もちろんこの文体は昔からあったもので、虚子の「遠山に日の当りたる枯野かな」も一例。日の当たっているのは枯野ではなくて遠山である。独特の手法だが、これも先人の誰かがこの形式に取り入れたものだろう。こういうかたちが流行っているのは花鳥諷詠全盛の中でのバリエーションを個々の俳人が意図するからだろう。この手法を用いれば、掛かるようにみせて掛からない「違和感」やその逆に、連体形がそのまま下五に掛かる「正攻法」も含めて手持ちの「球種」が豊富になる。今を旬の俳人たちの中でも岸本尚毅「桜餅置けばなくなる屏風かな」、大木あまり「単帯ゆるんできたる夜潮かな」、石田郷子「音ひとつ立ててをりたる泉かな」らは、この手法を自己の作風の特徴のひとつとしている。夕爾は1965年50歳で早世。皿の上のパセリの青を起点に祭の賑わいが拡がる。映像的な作品である。『木下夕爾の俳句』(1991)所収。(今井 聖)


 いちにちのをはり露けき火消し壷

                           石田郷子

季語は「露(けき)」で秋の句なのだろうが、「火消し壷」が多用される時季の冬句としても差し支えないだろう。いまではすっかりアウトドア用品と化してしまった火消し壷も、昔は家庭の台所で重宝されていた。一日の終りに燃えさしの炭や薪を壺に入れて火を消し、また翌日の燃料として再利用する。消し炭は火がつきやすいので、朝の忙しい時間にはありがたかった。句の「露けき」は「いちにちのをはり」にかかっていると同時に、「火消し壷」にもかけられていると読んだ。火消し壷というと、たいていは灰だらけなのだけれど、句のそれは新品なのか洗い立てなのか、しっとりと露を含んだような鉄の色を見せて立っている。まことに気分がよろしい。火消し壷のそのようなたたずまいに目が行くということは、その日の作者の心の充実ぶりを暗示していると思われる。よき一日だったのだ。ところで我が家から火消し壷が消えたのは、いつごろのことだったか。思い出せない。「星の木」(12号・2014年1月20日刊)所載。(清水哲男)


 漣のぎらぎらとして冬木の芽

                           石田郷子

冬の日差しは思いのほか強い。鴨の池の辺などに立っていると、北風がひるがえりながら水面をすべる時眩しさは増幅されて光の波が広がるが、それは確かに、きらきら、と言うより、ぎらぎら、という感じだ。ぎらぎら、は普通真夏の太陽を思わせるが、その場合は暑さや汗や息苦しさなどのやりきれなさをひっくるめた印象だ。真冬の光の、ぎらぎら、は冷たい空気の中でひたすら視覚的で白い光の色を強く思わせる。思わず目をそらした作者の視線は近くの冬木の枝に、まだ固い冬芽のその先のきんとはりつめた空の青さが目にしみる。『草の王』(2015)所収。(今井肖子)


 今日はもう日差かへらず蕗の薹

                           藤井あかり

蕗の薹は「フキノトウ」という植物ではなく、「蕗」のつぼみの部分。花が咲いたあと、地下茎から見慣れた蕗の葉が伸びる。土筆と杉菜のように地下茎でつながっている一族である。しかし、土筆が「つくしんぼ」の愛称を得ているような呼び名を持たないのは、そのあまりにも健気な形態にあるのだと思う。わずかな日差しを頼りに地表に身を寄せるように芽吹く蕗の薹。頭の上を通り過ぎた太陽の光りが、明日まで戻ることはないのは当然のことながら、なんとも切なく思えるのは、太陽に置いてきぼりにされたかのような健気な様子に心を打たれるからだろう。雪解けを待ちかねた春の使いは、今日も途方に暮れたように大地に色彩を灯している。本書の序句には石田郷子主宰の〈水仙や口ごたへして頼もしく〉が置かれる。師と弟子の風通しのよい関係がなんとも清々しい。『封緘』(2015)所収。(土肥あき子)

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