句会

https://note.com/nag1aky/n/ndd0836a7e92e 【俳句:どんな句会に参加するか】より

リアル参加型が主流だった句会も、ネットでさまざまな形態や参加型のものが出てきて、身近にリアル句会がない場合も参加しやすくなったり、作品発表の機会や俳句との出会いを広げたと思います。

特にここ数年の疫禍、俳句制作を途切れず続けることができたのもネットを主流とした句会のおかげ。有難いことです😊

そして、昨年くらいから私の周囲では再びリアル句会の再開が増えてきた感じがします。

私自身もネット句会を継続しつつ、リアル参加も再開するようになってきました。

そこで今回、リアル・ネットにかかわらず「どんな句会に参加したいと思うか」をつらつら書いてみようと思います。

現在、句会に参加している方、これから句会へ参加してみたい方の参考になれば幸いです。

リアル句会の良さ、ネット句会(夏雲句会)のよさ

はじめに、私が思う両者の良さです。

なお、ネット句会については参加経験が多い

「夏雲システムによる句会(夏雲句会)」に限定して書きます。

【リアル句会】

非言語的コミュニケーションから学ぶことができる

句会は基本的に言語的コミュニケーションですが、リアル句会だと「非言語的コミュニケーション」からも学べる良さがあると思います。

非言語的コミュニケーションとは、言葉以外の手段によるコミュニケーション。相槌やうなずき、表情や仕草などが該当します。

リアル句会だと俳句に対する選評を生で聞くことができますが、これはZOOM句会でも同じと思います。ただ、リアル句会だとその場で全体がいっぺんに見えるので、句評以外の周囲の反応、すなわちどのコメントをメモしているかやどの場面で歳時記をめくっているか、またどんな句評に対して他者の表情が変わるか……などを一度に体験することができます。

そういう「言葉以外の反応」を客観的に感じることが、実は意外に自分の俳句制作や句評の栄養になったりします。

後は、「俳句を投句したら、その後で修正できない」点でしょうか。

短時間で17音と季語を選択・確定させる力は確実に上がると思います。

【ネット句会(夏雲句会)】

作品や句評を何度もみてじっくり学ぶことができる

ネット句会の一番の良さは、作品や句評を何度もみてじっくり学ぶことができる「再現性」だと思います。

特に夏雲句会だと、句会が終わっても作品・句評ともにいつまでも残っているので、自分や他者の作品の分析に最適です。

一歩ずつ力をつけたい場合は有効な句会ではないでしょうか。

あとはリアルと違い、一度投句しても締切までは何度も修正できる点です。推敲することで句をブラッシュアップでき、それも気づきにつながります。

気軽にいつでも参加できる

そして、先に書きましたが身近にリアル句会がない場合や仕事や生活の事情で外出しての句会参加が難しい場合などでも、柔軟な参加が可能な点。

今の時代に合っていて、私などは本当に夏雲句会には助けられています😊

また、俳句に興味がある経験の浅い方も気軽に参加できるなど、句会参加のハードルを下げた点や機会を増やした点も本当に素晴らしいと思います。

参加するなら、どんな句会がよい?

最後に、個人的に思う「どんな句会に参加したいか」です。

主にリアル句会での経験を基に挙げます。

①どんな作品が出ているか

作品の質が高いこと、魅力的な作品が揃っていることはもちろんですが、私の場合「どんな切り口の作品が出ているか」が参加を決める大きなポイントにはなります。

ザックリ分けると、私の場合は以下の2タイプの作品が出ている句会です。

・個性的な発想の作品

・オーソドックスかつ伝統的な手法による作品

前者では自分にない視点や言葉を知ることができ、想像力を自由に開放できるので重宝しています。

一方、後者は私にはない文法等の技術や言葉遣い、型の生かし方を学ぶことができ、勉強と情報取得の大事な機会として参加しています。

ベクトルが違う句会に出ることで、自分の作品や表現の幅を増やしていきたいと思っています。

②誰が参加しているか

「句会(句座)は人なり」、参加するたびに思います。

人柄も大事ですが、句会ですので同時に下記も私にとっては大事です。

それは「目標とする人」。主に下記2タイプとなります。

・自分が好きな(タイプや発想の)作品を作る人

・自分の作品を「選んで(評価して)ほしい」人

前者は、目標の人の作品を目にすることで自分の作品や表現を豊かにしたい、また参考にしたいという思いがあります。

後者は、鑑賞眼のある信頼できる人。

そういう力のある人がいる句会か。

いる句会なら、「この人に見てほしい」「この人はこの作品をどう評してくれるか」という腕試しのような感覚が毎回あり、やる気も自ずと湧いてきます。

簡単にいうと、「憧れの人」がいる句会に参加する。

結構効果的と思います、上達にも表現にも。

③どんな雰囲気か

風通しのよいコミュニケーションが可能な集まりか、

句会ではその点も重要です。

よい意見はもちろん、採らない人の反対意見や「ここはこうしたら」という改善案も口にできる。

そして、反対意見等が出ても険悪にならず和やかなムードのまま句会が進行する(これがなかなか難しいことも(^^;)。

句会は選び合うので、ある意味静かな格闘のような側面がある。

そして、プライドがぶつかり合う。

リアル句会だと選ばれた時や最高得点になった時の喜びも応えられませんが、無点で終ったり自分の俳句作品に対して否定的な意見を言われた時は何とも言えない苦い感情に襲われることもあります。

特に「リアル=ライブ」なので、感情的に不安定な時に参加すると気持ちのアップダウンをもろに感じて厳しい時も……

今より若かった頃、仕事などで忙しく感情的にキツイ経験をしたくないときは私も句会に出なかった時があります。

そうやって心を守っていたというか。

それはそれで一つのやり方なので、よかったのかな。

(句会でネガティブなことを言われたりして、俳句を止めた人もこれまでたくさんいたから……)

★  ★  ★  ★  ★

自分に合った句会を見つけて

俳句を始めた頃はよくわからないので、誘われるまま様々な句会に出ていました。でも、だんだん「自分に合った句会は、どんなタイプなのか」がわかるようになり、自然と数も減って今の句会に落ち着いています。

また参加するだけではなく、自分の経験を基にした句会を運営しています。

私の出ている某句会では自分の俳句のみならず、他者の俳句に対しても選んだ・選ばないを問わず、アイデアを出し合って「皆で作品をよくしていく」という雰囲気が自然と生まれています。

自分の句会もそういう空気や時間、場にできればと願っています。


https://sectpoclit.com/kanshi-2/ 【【第2回】句会は漢詩から生まれた①】より

 10月16日、松山の子規記念博物館で講演をやってきた。題して「句会の子規―様々な創意」。関連展示に合わせたもので、眼を引く資料も多かったが、何と言っても、同館所蔵で、子規の句会を描いた、下村為山の絵が目玉だった。

下村為山画河東碧梧桐賛「俳句革新記念子規庵句会写生図」|愛媛県|ご当地限定ジグソーパズルシリーズ「パズル紀行」|エポック社 (epoch.jp)【リンク切れ】

 昭和10年秋、明治31年ごろ子規庵で行われた新年句会を想像して、下村為山が描いた絵に、碧梧桐が例の独自の書体で文章を記したものである。子規に最も近い所には碧梧桐がいて、それに対して高い鼻に特徴のある虚子はずっと下座に控え、若造という感じで描かれている。最初に子規の門人となったのは自分だという碧梧桐の矜持がうかがえ、実に面白い。この絵が描かれた当時の俳壇は、虚子の俳句王国が完成し、碧梧桐の敗色は誰の眼にも明らかだった。

 さらに目立つのは句会の輪の中心に、やや老いた内藤鳴雪が鎮座して、披講をしているところである。鳴雪は声が良かったし、書生仲間の子規一派の中で、彼だけは漢詩人としても知られており、読めない字はなかったからでもある。

 それにしても、元々常盤会宿舎で、子規たち書生の勉学を監督すべきだった鳴雪が、逆に子規の影響で俳句ごときに魅入られてしまったのは、なぜなのか?後に鳴雪は、元々漢詩に長じていたから、俳句の作法を聞いて、漢詩と同じだと感じて興味を持ったと述懐している(『ホトトギス』大正二年六月)。

 ここに近代の句会、ひいては俳句の成立の秘密がある。漢詩はもともと、題詠から出発し、題に関連する言葉を作法書から引いて、字を埋めて五言や七言を成していくところから始めるものだった。幕末の漢詩の大衆化と流行は、そのマニュアルである『詩語粋金』の爆発的な売れ行きと比例していた。

新撰詩語粋金 – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 子規の当初の句会は「競吟せりぎん」と言って、季語や古俳句の一部を題とし、出来たものから句を詠んで競うものだった。さらに名句の一部を残して、残りの部分にどういう句を入れるか考える「埋字」という修練法も採用した。

  名月や畳の上に松の影  其角

  薫風や裸の上に松の影  子規

 こんな調子で、今なら盗作と指弾される詠み方で、俳句の調べを学んだのである。『俳諧大要』でははっきり、古句の半分くらい剽窃しても、残りが新しければ問題ないと言い切っている。こんな大胆にも思える方法も、俳句よりはるかに上の身分の文学であった漢詩では常識だったから、俳句で許されても子規らの意識の中では不自然ではなかったのである。

 私も京都島原で行われた蕪村忌俳句大会で、この詠法をやったことがある。

  学問は尻からぬける蛍かな  蕪村

 くじで蕪村の句をひき、当たった句の文体に沿って詠むのである。「学問」などというおよそ俳句ではふつう詠まない題材を、まずは大上段に「は」で切り出し、「ぬける」「蛍」と韻を踏んでいることをすばやく見て取って、

  麗人は首から知れるショールかな  泰至

と字を埋めて高得点句となった。ただし、女性陣は誰も取らなかったが。「埋字」は、虚子も『俳句の作りよう』で推奨している。

 鳴雪からみれば若造の子規だが、その背景には松山一の漢学者、祖父大原観山の存在がある。観山先生の孫が勧めるなら、ワシもよかろう。たぶんそんな感じで、俳人鳴雪は誕生したのである。

【執筆者プロフィール】

井上泰至(いのうえ・やすし)

1961年、京都市生まれ。上智大学文学部国文学科卒業。同大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。現在、防衛大学校教授。著書に『子規の内なる江戸 俳句革新というドラマ』(角川学芸出版、2011年)、『近代俳句の誕生ーー子規から虚子へ』(日本伝統俳句協会、2015年)、『俳句のルール』(編著、笠間書院、2017年)、『正岡子規ーー俳句あり則ち日本文学あり』(ミネルヴァ書房、2020年)、『俳句がよくわかる文法講座: 詠む・読むためのヒント』(共著、文学通信、2022年)、『山本健吉ーー芸術の発達は不断の個性の消滅』(ミネルヴァ書房、2022年)など。


https://sectpoclit.com/kanshi-4/ 【【第4回】句会は漢詩から生まれた②】より

 去る11月16日(水)2200から、NHK「歴史探偵」で正岡子規が特集され、スタジオで私が解説をした映像が流された。司会は俳優の佐藤二朗さん。ディレクターの発案で佐藤さんに、「酒」を題に句を詠んでもらう趣向となった。言わばテレビ収録上のミニ句会である。

 とはいえ素手でいきなり、というのは、あんまりなので急遽私の発案で、子規の次の句をアテンドの渡辺佐和子アナウンサーに提示してもらい、句作のヒントとした。

 花なくと銭なくと只酒あらば  子規

 結果がどうだったかは、番組をご覧の方にはご存知の事だが、句作2回目にしては、俳句になった。やはり、埋字同様、句の文体から学ぶのは効果的なのだ。1回目は夏井いつきさんにコテンパンにやられたとスタジオでうかがった。可哀そうに。

 佐藤さんの瞬発力は流石である。決して事前に代作など用意してはいない。妻子を愛されている佐藤さんの実生活が浮かんでくるものだった。ご関心のある向きは、オンデマンドで御覧頂きたい。

 さて、子規は実は下戸である。その割には酒の句が多い。二二〇句は数えられる。検索は、松山市立子規記念博物館のデータベースによる。

 それにしても酒を嗜まない子規が、なぜ酒の句を詠み、また詠み得たのだろうか? 色々な理由は考えられるが、漢詩文の文学世界の存在がやはり大きかったように思う。唐代の三大詩人、杜甫・李白・白楽天は皆酒を愛し、これを詠んだ。漢詩を詠む人間で、この三人を意識しない者はいない。俳人が芭蕉を意識しない愚以上のもので、日本漢詩における杜甫・李白の影響などという研究発表は、中国文学研究者から見れば、当たり前すぎて鼻で笑われるのがオチだ。

 その漢詩世界では、花見と酒は付き物である。ただし、花は桃や杏の花であることが多い。独酌しながら、去り行く花=春を惜しみ、酒を友にして感傷に浸るのである。芭蕉が『奥の細道』で引いた、「月日は百代の過客」にしても、人生は短いからこそ、春の夜を盛大に楽しむべきと酒杯を重ねた李白の文章からのものである(『古文真宝』「春夜桃李園に宴するの序」)。詩の方面では、蘇軾の七言十二句「月夜客と酒を杏花の下に飲む」 など好例だろう。

   花間に酒を置けば清香発し

   争いかでか長條を挽きて香雪(杏の花びら)を落とさん

 漢詩文は人生を語り、美に耽る。気品があるとも言えるし、気取っているとも言える。こうした漢詩を意識した時、俳句は当然別の立ち位置となる。酒に没入する「人情」こそが、俳句ならではのテーマとなる。漢詩が正格の文学として君臨していた時代、俳句はエリートになり切れない、あるいはそこから落伍したことを「軽妙」に笑ってみせる「滑稽」を身上とした。

 ただし、普段着の生活は野卑に落ちやすい。写生は、生々しい下品さと背中合わせなのである。そこでこれを軽やかに笑ってみせるポーズが俳句に要求される。子規句の場合、「なくと」のリフレインがそれにあたる。

 つまり、酒をめぐる漢詩と俳句は、宴会における儀式と無礼講と同様、コインの裏表ようなものであって、別々のものでは決してない。子規は飲めなかったが、句会には休憩時必ず酒をふるまったのである。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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