https://www.manabi.pref.aichi.jp/contents/10001841/0/kouza/section5.html 【『夕焼け小焼け』に表れた日本人の宗教観(一)山折先生】より
第1行目「夕焼け小焼けで日が暮れて」。
今申し上げましたけれども、夕焼けを見ると我々は心騒ぎがする。じっとしていられない。こういう経験をして参りました。日本には、落日を歌った歌が実にたくさん残されているんですね。万葉集からありますよ。古今集、新古今集、平家物語、謡曲、浄瑠璃・・・。それから近代になりまして童謡、学校唱歌・・・。それから流行歌、演歌・・・。いたるところに夕陽を歌った歌が満ち満ちている。これはどうしたことだろう。
歌の世界だけではありません。絵の世界でもそうですね。平安時代の大和絵の伝統をずっと追っていきますと、絵描きといわれている人のほとんどが必ず落日の光景を描いています。これも不思議なことですね。現代を代表する例えば東山魁夷さんは、いくつも夕焼けを描いた大作がございますね。今度また芸大の学長に返り咲かれた平山郁夫さんのユーラシア大陸、シルクロードを描いた絵の中にも夕焼け空が次から次へと出てきます。これはもう間違いない。日本人は夕焼け信仰で千年、千五百年生活してきたんだと言えるでしょう。
私は以前仕事でフランスのパリに行きまして、4週間滞在したことがあります。仕事をそっちのけで私は美術館を訪ね歩きました。西洋人は落日の光景をどのような絵にしているだろうかということを調べるためです。ルーブル美術館なんてのは3日間行っても全部回ることができないくらい大きいのですが、落日を描いた絵はほとんどないんですね。わずかにバルビゾン派、田園派という絵描きたちの中に見出せるくらいであります。私は先ほどイスラエルに行った話をいたしましたけれども、イスラエルでも夕刻になると私は目を凝らして落日を観察をしたのですが、これはもうほとんど胸に響いてこなかった。インドの落日も見ました。アメリカの落日も何回か見ました。やはりそれなりに落日の光景はすばらしいのでありますが、どうも日本列島で眺める落日とは違うのです。
日本人は昔から、あの落日のかなたに浄土をイメージしてきたのではないでしょうか。浄土というのは、人間が死んだ後おもむくべき理想的な国土と言われてきました。これは仏教が日本にもたらした考え方であります。西のかなた、太陽が沈むかなたに理想的な往生すべき国土があるという考え方。沖縄に行きますとニライカナイという海上のかなたに存在する理想の国土が信じられておりますけれども、あれもそうかもしれません。海のかなた、山のかなたにその浄土が横たわっているという感覚ですね。そこへ太陽が落ちていくんですよ。落日を見るということは、自分の運命がそこに象徴的に表されているということでもあります。その太陽がまた翌日になると、東から昇るわけであります。それは人生が必ずよみがえる、季節も繰り返しよみがえってくるという再生の考え方とも結びついている。それを象徴するのが落日ですよね。
“夕焼け小焼けで日が暮れて”たったこの1行が、その千年の日本人の心の遺伝子を、実に優しい言葉で表現しているということになるのではないでしょうか。
https://note.com/coyanagitokage/n/n36b3e8d1b0e5 【記事『なぜ人は夕焼けをきれいだと思うのか』】より
大学一年生の時にゼミの「『謎』を解明しよう」という課題で書いたものになります。画像もありますので楽しんでもらえたら嬉しいです。
ちなみに、文章は全部口語文になっております。
なぜなら!これを見て読み上げたからだっ!
(※100円の投げ銭方式をやってみます。もちろん記事は無料で全部読めるので、よろしければご利用ください。)
なぜ人は夕焼けをきれいだと思うのか、と言う点について発表させていただきます。
私は、夕焼けが大好きなんです。家の屋根からキレイに夕陽が見ることが出来るので、いつも同じ角度で夕陽を撮るんです。こうやって並べてみると日によってだいぶ違いますよね。
それは一体なんでなんだろう?という疑問から始まりました。
また、幼いころに母に「あの古墳に夕日が沈むんだよ」と言われたことを思い出したんです。とある大きな古墳が家から見ることが出来るんですが、そこに沈むと言われて納得したんですよ。これを今思えば、何らかの信仰があるからそういう風に設計されたのではないか!と思い、調べることにしました。
それとともに新海作品や京都アニメーションの作品の良さとして、空の描写の美しさがあげられると思います。これも人の心を夕焼けと言うものが掴んでは離さないということがわかります。
ちなみに、朝焼けは東の空が赤くなる現象のことです。赤くなるっていうけど、黄色やオレンジの色味のほうが強いですね。
でも、こういった科学現象として人間はきれいだっ!って思っているわけじゃないですよね。それに科学がなかったころの日本人は夕陽を一体何だと思っていたのでしょう。今の私たちですら、怖い夕陽を見ると「不吉だ」と思ったりするから、そういった信仰があってもおかしくないですよね。
万葉集の時代からたくさんの和歌に詠まれてきたようです。絵などの作品も多く残っているし、言葉も夕焼けのための言葉が多くありますね。
例えば、黄昏時。夕日が沈む時間帯のことですが、顔が見えなくて「たそかれ?」と聞くことが語源となってます。
また、逢魔が時は夕焼けが沈んだ後のくらい時間帯のことを言います。夕焼けが沈むと外は人間じゃない異界の住人の時間だと考えられていたそうで、魔に会うよ、と言う意味だそうです。
こういったように日本人は夕陽そのものや夕暮れ時を大事に思っていたことがわかります。
昔の日本人は夕陽が沈むということに「死と生まれ変わり」という意味を持たせていたのではないか、と考えました。
その証拠に「お彼岸」という文化は日本にしかないんです。『彼岸』は仏教の考え方で、『煩悩の流れを越えた彼方の岸の涅槃の地』を意味するんですが、「お彼岸」はインドや中国には存在してないんです。春分秋分の日を中日にして前後三日間を合わせてお彼岸と言うんですけど、この考えは日本独特の夕焼け信仰と『西方浄土』の考えから来るようです。
『西方浄土っていったいなんだよ』と思いますよね。かみ砕いていえば、西に仏が行く極楽浄土がある、と言う考え方なんですけど、西を確認するために春分秋分の日は真西に夕日が沈むので、「その先に極楽浄土がある」と思いをはせることから、お彼岸が成立したのではないでしょうか。
そこでより、『西方浄土』について調べると天王寺にある『四天王寺』が西方浄土の信仰の中心地だったようです。
『日想観』という空海が唱えた『西方の浄土を思って日が没するのを見つめる』修行の中心地だったんです。昔は四天王寺の西側は海だったので、夕焼けが海の彼方に沈むのが見ることが出来たんでしょうね。四天王寺の西大門は『極楽浄土の東門とつながっている』とされたため、より信仰が栄えたのでしょう。
また、蛇足になりますが天王寺区の四天王寺の近くの地名は『夕陽丘』というのですが、これは新古今和歌集を編纂した一人である、藤原家隆が日想観を極めるために建てた『せきようあん』が由来となっているそうです。ただ「夕陽がきれいだから夕陽丘だ」と思っていた私はとても驚かされました。
以上になりますが、最後にまとめとして、「夕陽が沈む先に極楽浄土がある」という考えが古くから存在していることから、日本人は夕焼けをより好きだと思っているのではないか、ということがわかりました。
また、現代の作品においても空模様で主人公の心情を表すのは、同じような日々でも夕日は毎日違って、投影しやすいからではないでしょうか。
最後に参考文献を掲示して、これで発表を終わります。ありがとうございました。
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