マブソン青眼@@mabesoone
🌀「アニミズム俳句」三部作が遂に完結!最終巻『縄文大河』が本阿弥書店から出た。5年に渡る「海のアニマ」(南太平洋の人魚)「空のアニマ」(ヨーロッパの妖精)に、「石のアニマ」(縄文のビーナス)。「573」の無垢句444句で命の螺旋を詠い、「もう一つのニッポン・遥かなる縄文」へタイムスリップ!🌀
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/3-b078.html 【「カミを詠んだ一茶の俳句」 希望としてのアニミズム 山尾三省<3>】より
<2>からつづく
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1)山尾三省は決して寡作な作家ではなく、追っかけてみれば読み切れないほどの作品を遺してくれている。その中にあっても 「聖老人」(1981 めるくまーる社)や「聖なる地球のつどいかな」(1998 ゲイリー・スナイダーとの対談集/山と渓谷社)、「インド巡礼日記」(2012野草社)、「ネパール巡礼日記」(2012野草社)などは、どうしても抜きがたい重要な位置を占めている。
2)しかしながら、もし凝縮された山尾三省の思想や哲学、文学の焦点というものがあるとするならば、私が勝手に名付けた晩年の「三省アニミズム三部作」こそが、その結晶であろうと、以前より思っていた。
3)藤沢周平ワールドめぐりの中で森繁久彌朗読の「一茶」CDに出会い、こうして三省の一茶アニミズムに戻ってこれたことに、大いに感謝したい。
4)このCDはなかなか良く出来ていて、もうすでに何回も聞いているのだが、ひょっと思い立って、そもそもの藤沢周平の原作の「一茶」を読み始めているところである。そうして気づくことは、朗読とはいうものの、かなり脚色されていて、またそれぞれに違う味わいがあるのだった。
5)従って、今現在、そもそもの一茶を元にした、藤沢周平ワールドがあり、森繁久彌ワールドがあり、山尾三省ワールドが林立している状態ということになる。そして、いずれもが、わが心の琴線に触れてくる絶妙なリズムなのだが、中でもよりリアリティを持って原寸大でせまってくるのは、やはり三省なのかな、と思っているところである。
6)三省にはこの 「カミを詠んだ一茶の俳句」(2000 地湧社)の他には、 「アニミズムという希望―講演録・琉球大学の五日間」(2000 野草社)、「リグ・ヴェーダの智慧ーアニミズムの深化のために 」(2001 野草社)があり、この三冊は、折に触れて今後なんども読み返していきたいものだと感じている。
7)この本を前回読んだ時も、藤沢周平朗読CDを聞いた時も、実は見逃していたのだが、晩年に遊行者から家住者になった一茶の身の上は、「不幸」の連続だったうえに、村に大火事がおこり、家作を焼失してしまっていたのだった。
8)三省はこの本を、何かの雑誌等に連載したものを再編集したものではないようだ。つまり書き下ろしである。ひとつテーマを決め、「15年前」から案を練っていたものだった。
9)ぼくが今、こうして取り組んでいるこの本は、アニミズムという宗教的なテーマを主題としてはいるが、それはいわゆる宗教に読者を誘いこもうとしているのではなくて、その反対に宗教というものを人間性全般に開放したいという意図のもとにこそ取り組まれているのでである。p106「つひの栖」
10)アニミズムというとどうも誤解を生みやすい。とくに三省のようなパソコンも使わず、太陽光発電にも懐疑的な御仁が提唱するとなれば、上げ足のひとつも取りたくなるのである。
11)万人が、生という感応道交の事実としてその中に立っているその<光>をこそ、ぼくはカミと呼ぶのであるが、神はもとよりカミという言葉でさえも宗教臭がして厭だという人は、もとよりそれを<物のみへたる光>と呼んでもらってもかわないし、もっと端的に<美>と呼んでも、ただ万象との感応道交と言ってもよいのだ。
ぼくとしては、それをカミと呼ぶことが、美と呼ぶことよりはるかに適切であるのでそう呼ぶのであるし、カミと呼べばまさしくカミとしてそれが現われてくるゆえに、そう呼ぶのである。p174「下々の下国」
12)ひとそれぞれの感応であり、表現であるならば、別段に議論の余地はないのであるが、三省にとっては、この書は遺言に位置する最後のメッセージであり、積極的に表現され、積極的に受け止められるべき一書であるのである。
13)アニミズムをこそこれから作っていく文明の基礎哲学と考えるのは、東京を昔の田畑しかない武蔵野に戻そうというのではなくて、例えば東京に欠けている森林公園を現在の五倍にも十倍にも増やし、東京を流れるすべての河川の水を都市工学の力を借りてもう一度飲める水に取り戻そうとすることにある。
森こそはアニミズムの発祥の地であり、水こそは全生物を産み出した大源だからである。p212同上
14)ここに書かれている三省の遺言は、決して理解され得ない内容ではなく、万人の心を打つ内容ではあるが、それを現実化する道筋にリアリティがない。例えば三省遺言の憲法九条をすべての国の憲法にいれよう、というアイディアでさえ、その本国である日本憲法からさえ消えつつあるのだ。
15)下々の下国人と自覚した小林一茶こそは、日本において最初に現われ出た土からの詩人であり、土を価値とした人であり、したがって場=地域=故郷性を思想とした人であった、ということができる。p228「俳諧寺一茶」
16)三省アニミズム三部作は、この一茶と、インド聖典リグ・ヴェーダと、沖縄という「場」に基点をおいているかぎり、この「カミを詠んだ一茶の俳句」は、日本的文化の真髄を、三省なりに一茶の俳句を借りながら、関係に表現したものと言えるだろう。
17)リグ・ヴェーダではインド哲学的神秘を借り、沖縄という場では、現代性、科学性、政治性を語った三省において、この三部作こそ、科学、芸術、宗教のトリニティを余すことなく表現しようとした「最期」の創作と見ることが可能である。
18)雪とけて村一ぱいの子ども哉 (中略)
子供達が地球という村いっぱいに遊んでいるということが、ぼく達の真実の希望であり、未来でなくて、他に何があろうか。p295「屑屋」
19)三省は、その出発地点においては政治的な視点から始まった人であり、つねに政治的な視点をはずすことはなかった人ではあるが、政治家ではなかった。また科学を重要視するという姿勢を見せながら、いわゆる現代科学の潮流を自らの道とすることはなかった。だから、彼のビジョンは、極めて現実的視点を持ちながら、その解決策はかならずしも実際的ではなかった。
20)百姓として、そして詩人として、彼の表現は、平易でかつ目に写る事象に依拠された日常に彩られたものであったが、その森羅万象のなかに深い神秘を見ようとしてきたのは事実である。三省を科学者や政治家としてみることは出来ないが、また、神秘家という非日常の彼方に追いやることも、勿論できない。三省は詩人なのである。芸術の人であった。
21)三省の遺言をなにかのプロジェクト企画書のようには受け取ることはできない。物事はそうはならないだろう。しかし、そう表現せざるをえなかった三省と、同時代を生き、数少ないとは言え、同じ空間の空気を吸った者としては、彼の遺言をしっかりと受け止め、そして、それは私の生きざまへと統合されていかえるべき質のものであると心得る。
https://note.com/ohanacya/n/n41108af00505 【俳句とアニミズム】より
新川ありさ
「俳句の海に潜る」文化人類学者 中沢新一さんと俳人 小澤實さんの対談本を読んだ。
「俳句の本質はアニミズムだと思う」中沢新一さんのこの言葉は、心動かされる言葉だった。
アニミズムとは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。
太古の縄文時代から続く日本人の持つ自然信仰的な世界の見方。
それこそが俳句の本質だという。俳句は必ず季語を立てないといけない。
動植物と気象を立てて、それを季語にして詠むという芸術の一種のルールがある。
つまりそれは「人間の目で見るな」ということです。
人間の目で世界を見るのではなくて、人間と動植物の関係性で見ていく。
あるいは、例えば鷹を詠むときは、鷹の目になる。動植物の目になって世界を認識することをルールにしているわけです。
中沢新一 俳句の海に潜る
世界は人間のためだけにあるのではないということを歳時記は示している
小澤實 俳句の海に潜る
そんな風に思ったことがなかった。
川柳や短歌といったより自由な形式なものに淘汰されることなく、あくまで季語を入れることに拘る古典的な手法をとる俳句が続いている意味が深いものに思えてくる。
自然と人の世界は分かれすぎているけれど、本来であれば人も自然界の一部。
それを忘れてしまっている。自分も含めて。
自然との境界線が曖昧で、輪郭が薄い状態になれたなら、自然界から奪いすぎることもないだろう。
アニミズムは人間中心の世界ではない世界の見え方を教えてくれる。現代の日本人も無意識にアニミズム的な感覚はあると思う。
10年は前にはなるけれど、トイレの神様がヒットした。トイレにも神様はいるんだよ。という考え方。まさしくアニミズムである。
今尚、持ってはいるものの意識をすることのなくなっている力。このアニミズムが今、必要なのではないかと思う。
芭蕉の持つ目の凄さが、この本を通して伝わってきた。
人間の持つ生者のルール、様々な人間的な部分を薄くして、自然に対して浸透膜のように接することができないとこんな句は詠めないと芭蕉を評していた。
彼の宇宙観を知りたいと思った。
面白かったのが小澤氏が選んだアニミズム的俳句10選この中の一つに高浜虚子の句があった。
凍蝶の 己が魂 追うて飛ぶ 高浜虚子
美しい言葉選びだと惹かれるものがあったけれど、中沢新一さん曰く、虚子の俳句はアニミズム的なようで実は近代的な思想をもとに作られているということだった。
生きている凍蝶の肉体が、別れ出てしまった魂を追っているということは、魂と身体とを別のものと捉えているということである。
小澤さんがこの言葉を受け、いくつかの虚子の句を再検討してくれたけれど、確かに自然モチーフでアニミズム的に見えるものの、そうではないものが多かった。
一方、10選に挙げられた句でこういうものがあった。
採る茄子の手籠にきゆァと鳴きにけり 飯田蛇笏
かごに入れる時に茄子と茄子が触れ合ってきゆァと鳴いた。
なんとも茄子がいとおしく感じられる。
茄子が精霊のように感じられる。植物の中に宿っているような、一体になるような、この感覚。
この感覚なんだ。
私が中学時代授業で作った俳句の数々は、まるで本質を理解していなかったなぁと思う。
言葉の寄せ集め。簡素なコラージュのようで。
アースダイバーな芭蕉をはじめとする俳句の偉人に学び、自分もアニミズム的な俳句を作ってみたくなった。
面白いではないか!
あと、とても面白かったのが
「なぜ俳句を縦に書くか」
俳句を縦一行に書くことに神の依り代をみることができないか
と以前小澤さんは問題提起を行ったらしい。
諏訪大社の祭御柱祭の深山から切り出したもみの巨木をはるばる曳いてきて神社の境内に立てる御柱を挙げて、縦書きの俳句とそれらの依り代が似ているということだ。
縄文から続く柱や石を立てる行為。芸術行為。
そこに日本人の精神史を組み立てることができるのではないかという話にも広がった。
それは世界にも見られるかもしれないので、もっと世界の根源的な感覚かもしれない。
俳句の海は、遡れば深い、人間と地球の歴史。
天 地(あまつち) の 間 に ほ ろ と 時 雨 か な
最後が高浜虚子で締めくくられたのも、なんだか俳人高浜虚子への敬意も感じられてよかった。
自然と中沢新一さんを追いかけているようで、すっかりファンになってしまっている。
同時代を生きているって、すごいことだ。嬉しい。
https://izbooks.securesite.jp/kyoshi62.html 【凍蝶の己が魂追うて飛ぶ 虚子】より
昭和八年一月二十六日
丸之内倶楽部俳句会
冬ともなると、まれに生き残っていたような蝶を見ることがある。
ふらふらと、あるいはゆらゆらと飛んでみてはまた落ちる。もう、秋の蝶の末裔ともおもえないくすんだような色を見せて、やがて死を迎える。
昆虫学的にそのような種類の蝶がいるとは書かれていない。あくまで、冬まで生きながらえた蝶のことである。
この蝶はあたかもその飛翔の先にある自身の魂を追って行く。それに追いつかないときには死を意味する。
この句を詠むと、いつもつぎの句を思い出す。
冬蜂の死にどころなく歩きけり 村上鬼城 大正六年『鬼城句集』
これは蜂だが、同じように死を迎える寸前の景。その死に場所をうろうろと歩き回って探している。蝶は飛ぼうとするが、地蜂らしき蜂はただ歩く。もはや飛ぶ元気はない。
鬼城の代表句だが、虚子はこの句を、次のように言う。
「人間社会でもこれに似寄つたものは沢山ある。否人間其物が皆此冬蜂の如きものであるとも言ひ得るのである」
どうもこの句評には賛同しかねる。
たしかに、身体に不自由なものを持っていた鬼城ではあったが、蜂の擬人化と、人間社会への倫理や洞察をここに句評にするのは、虚子らしからぬ月並みな評だ。
掲句にしても、けっしてそれを老残の死にゆく者への挽歌とは言わないはず。あくまでの写生の延長にあることは、虚子の句も鬼城の句も同様ではあるまいか。
凍蝶か凍蝶の死か吹かれあり 俊樹
拙句もまた、これが人間の死生論云々などということはなく、単に冬の蝶の最期の姿態を諷詠したに過ぎぬ。
だから、「をり」でも「けり」でもなく、「あり」というそのままの状態をしか写生していないのである。
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