https://ameblo.jp/ranyokohama/entry-12574502034.html【龍国日本・2.11建国記念日】
Facebook縄文古代文字を楽しく書く会いと きょう さん投稿記事
日本からタツ(龍)がいなくなった日
縄文時代の日本にはタツ(空の龍)とミツチ(海の龍)という生き物がいました。タツもミツチも、人が危ない場面におちいった時、その命を助けてくれる存在でした。でもこの生き物が音読みで「リュウ」と呼ばれるようになると、忽然と消えてしまったのです。日本の国はコトタマ(言霊)の国といわれ、一音一音をとても大切にしていたので、タツというコトタマとリュウという音では全く違う世界(生命)が生まれてしまうのです。日本古来のコトタマはそれ自体に音以上の意味が込められているのです。ヲシテ文字でタツやミツチと書いて見ると、その意味がわかると思います。
Facebook斎藤一人さん投稿記事
日本は「龍の国」だって知ってるかい?日本地図が龍の形をしているのは単なる偶然じゃないの。どの都道府県にも川があって水に恵まれているのは、龍神様に守られている証拠なんだよ。台風などの「嵐」もエネルギーを循環させるためには必要なんです。
ひとり
Facebook布施 純郎さん投稿記事
最近は神社⛩️系YouTuberの番組を見たり、神社参拝や龍グッズ集めがマイブームです。
今回、ホメオパシー獣医師の森井啓ニ先生の「神の国 日本の美しい神社」を購入して拝読しました。
本の内容は、私たちは、物質界に存在していますが、その基盤は見えない世界にあります。この物質世界での物事は、肉体を持つ私たちと、肉体を持たない存在たちの共同作業で成り立っている世界なのです。
それから、鳥居をくぐる前は、鳥居の先に広がるご神域を見渡し、敬意の年を込めて一礼し、ご神気をうけながら、身魂を鎮めて入ります。
また、鳥居の中に入ると言うことは、外界の世界に向けていた意識を内側の世界に向けて行くと言うことの象徴です。
お神札とお守りは、神様の御分霊の象徴です。それは、自分自身も分霊の分け御霊であること。自分自身の身体の内側にも真我と言う内在神がいることを常に思い出すためのものになります。などです。
この本には神社を訪れる時の心得や効果を分かりやすく説明しています。今まで、家族などと話ながら、漫然と参拝していた自分には、目にウロコと言った感じでした。納得ができ、とても清々しい本です。
さて、この写真は、2021年11月。井上正康先生との初めての会合で、森井先生、高松佐和子先生との写真です。この日の会から、関東有志医師の会ができて、森井先生も参加していただきました。
それから、10年前に亡くなった愛猫チョコは腎不全で、他の獣医師に余命3日と言われました。
しかし、森井先生を紹介され、診ていただきホメオパシー薬を処方され、元気になりました。また、私は嫌がる猫へ水分補給の注射を毎日行い、その後の2年間は元気にすごし、あの世に戻って行きました。
話は、それましたが、是非、この本を手に取ってお読みください。そして、この本の内容を思いだして、神社に参拝してください。
最後に、瞑想の勧めより、
私たちの魂は、至高霊の分御霊であり、霊光を放つ能力が内包されています。分御霊を最も効率よく顕現する方法が瞑想です。
FacebookKNOB ノブさん投稿記事
1月1日 ·謹賀新年新たなる 龍の一年始まりました 誠におめでとう御座います
たかあまはらに ましまして 天と地に みはたらきを
あらわしたまう 龍王 は 大宇宙 根源の みおやのみつかい いっさいを うみ いっさいをそだて よろずのものを みちびき 道ひらき いのち 開きたまう まっすぐで やさしく
愛 光 大調和を成す 存在 一日一日 一瞬一瞬 どんなときも まもりみちびいてくれる 龍は ひとりひとりのすぐそばに 日出る龍の国 日本から 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十
本年も どうぞ宜しくお願い申し上げます KNOB拝
Facebook斉藤 一治さん投稿記事
日本では古くから龍神様が信仰されてきました。
龍神様が川や湖などの水辺に住むと描かれているのは、水が生命の源であり、無限の象徴だからです。
水は絶えることなく循環し続けるため、龍神様は無限の力を持つ存在とされています。
龍神様は瀬織津姫様です。
日本は豊富な水に恵まれた国であり、それも龍神様の加護の一つとされています。
日本列島を見てみると、その形が龍のように見えます。
遊び心を持ち、楽しいことに心から打ち込むことで、龍神様は、あなたを背中に乗せて幸せな世界へ連れて行ってくれます。
瀬織津姫様と一緒になって、明るく笑って陽氣暮らしをしましょう。
Facebook古代史の真実…小野 龍海 さん投稿記事
伝説の「龍宮城」(前編)
岡山県にはインドにいたナーガラージャこと、龍王達が渡来して土着していた痕跡がある事を突き止めて、調査を続けている事はご存知の方もおられることと思います。
その中で龍王の中の筆頭、「シャカラ龍王」が支配下においた島が、今は地続きとなっている岡山県倉敷市児島となります。
シャカラ龍王には別名があり、それが「龍宮」と「大海」になりますが、浦島太郎の物語に出てくる「龍宮城」とは、シャカラ龍王の別名に由来し、龍宮と名乗りをしていた時の城の事だろうと見当をつけています。
シャカラ龍王とは称号の一つでもある事から、個人としては複数人あったであろう事が想定されています、そのせいで「龍宮神社」などが全国に複数箇所に残っていますが、龍宮城のモデルとなったのは初代のシャカラ龍王(龍宮)がモデルだと推測していました。
地域の昔話を見ると、「児島の漁師にとっては龍宮城はおとぎ話ではない」と信じられているなどの記述もあり、近世頃まで信じられていた様子が残っていたからですが、龍宮神社の多くが内陸部であり、あったとすれば海の中、そう島だっただろうと思うからです。
そうしていたところ、『岡山県児島郡誌』(大正四年刊)を読むと、今の地図には表示されない「龍宮山」の名前と「大海神社」の名前が児島の中に載っていました。(いずれも場所は不明。)
龍宮城とは龍宮(シャカラ龍王)の支配地域にあった事はモチロンの事だろうと思います、ですので龍宮城とは龍宮のいた宮(城)を指す言葉と考えるのは当然だろうと思います。
龍宮山の場所を求め児島の図書館へと向かいましたが、図書館には求める史料はありませんでした_| ̄|○、しかし司書の方が協力してくれ、他の図書館や歴史資料整備室などに連絡をしてくださり、地元の福田史談会が発行していたものの中についに見つけます、
『史上の福田・伝説 4上 天石門別保布羅神社 石洞神社 高橋 彪 編著』
があり、その中に龍宮山とは今の「岩瀧山」だろうという事が分かりました。
今度は岩瀧山がドコにあるかを探す必要がありましたが、コレはすぐに分かり、倉敷市広江にある事が分かりました。
現地には「磐座群」、「天石門別保布羅神社」、「石洞神社」が残っていましたので期待して、磐座群へと向かいました。
磐座群では「人の手によるもの」という認識が出来、「簡易の井戸跡」も残っていて、大ヶ島で知った最初期の鳥居と思われる「縦岩」も認識できました。
この磐座群は超古代の砦のような場所であり、政治的な話をする場であり、龍宮が亡くなった時には「石洞」を作り安置した場所である事を認識しました。
情報の多くが残っているのは「神社」の方でしたので、今回は前編として、磐座群と古代の「吉備の穴海」をご紹介します。
浦島太郎には重要なキーワードがありますが、「亀」については「鶴と亀」でも言及している通りで「太伯系の大一族を中心とする亀グループ」があった事をお示ししています。
大一族がいたのは「古代の大ヶ島」でシャカラ龍王の支配した「児島」の隣になります、児島周辺の島には漢字一文字の島名が多く見られ、古代豪族の「姓」とリンクするのではないかと私は考えて居ます。
亀(太伯系の亀グループの誰か)を助けた浦島太郎は大亀(亀一族の筆頭、大一族)により亀船にのって、西日本の大王となっていた龍宮の宮、龍宮城へと招待され「乙姫」(乙一族の姫)により歓待されました。
児島の周辺には「乙島」、「亀島」、「王島」など龍宮城の舞台となった要素の名を冠する島があるのです。
また児島には「八王子」の伝説もあり、この八王子はシャカラ龍王の子供達が児島に土着した事を示していると考えられ、加えて「きびの児の島」から「児島」という名称になった事と一致し、「吉備の国」とはシャカラ龍王(龍宮)の日本名が「きび」に由来する事を証明している事にもなります。
龍宮城とは伝説にあらず、実在した龍宮(シャカラ龍王)の城を示す名称であった事を、まずはしって頂たいと思います。
そして古代豪族の「姓」は単姓に始まり、「復姓」へと発展していった様子を地図の情報から読み取って頂きたいと思います。
龍海
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