大自然を楽しむ

Facebook新田 修功さん投稿記事  子どもに教わる……⁉️🕊💕👶

読書セラピー「賢者の一言」 ティク・ナット・ハン

さあ、あなたの子どもの手を引いて、一緒に緑の草のうえに座ってみてください。

そして、子どもとふたりで、青い草や、草原に咲く小さな花、青い空に思いを馳せてみてください。

一緒に息を吸って、微笑んでみてください。これが平和のための教育です。

子どもの教育というよりは、子どもと一緒に大自然を楽しむことは、大人にとって、とても意義深いことです。

子どもから教えてもらうことが、たくさんありますね👶💕✨

花がどんな風に咲くのか、雲がどんな形に変わっていくのか、空の青さや、雨がどんな風に空から落ちてくるのか……🤗

………………………………✨✨✨

さあ‼️ 子どものように、無邪気に「今、ここ」を楽しみましょう🏃‍♀️💕👼

今日も読んでくれてありがとう🙏😊


https://tabunkaken.com/%E5%A4%9A%E6%96%87%E5%8C%96%E7%A0%94haiku%E4%BC%9A/ 【多文化研HAIKU会】より

講評:貫隆夫(多文化研顧問「俳句連中・まだん」会員)

プロフィール:1940年鹿児島市生まれ。慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得。専攻は経営学。武蔵大学教授、大東文化大学教授を経て、現在、武蔵大学名誉教授。   

講評:坂内泰子(日本語教師、自治体国際化協会 地域国際化推進アドバイザー)

プロフィール:日本文学研究が出発点ですので、芭蕉や蕪村の授業を持ったこともありますが、そんなことをしているうちに詩心(うたごころ)を失ってしまいました。多文化研HAIKU会で、詩心を取り戻し、世界じゅうの人とともにうたう体験を楽しみたいと思います。       

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3月 投句まとめ

兼題「ぶらんこ」

今年度最後の3月の句です。

兼題は「ぶらんこ」でした。ぶらんこに季があることに驚かれるかたもおられるかもしれません。なぜ?と思われたかたはどうぞこちらをごらんください。

https://japanknowledge.com/articles/kkotoba/43.html

ぶらんこに乗る子等はなし嗚呼キエフ      貫隆夫

ウクライナの辛い状況はキエフに限りませんが、生命の危険にさらされて子供たちは公園のぶらんこで遊ぶどころではない事でしょう。いったん「ぶらんこに乗る子等消えてキエフかな」と作ってみて、軽薄な言葉遊びになりそうなので掲句のように改めました。

木の芽張る人類いまだ戦争す        貫隆夫

自然は木の芽が吹いてくる春だというのに、21世紀になっても国家間の問題解決の手段として戦争という暴力が行使されることに慄然とします。

ぶらんこの 背を押す春や 孫の声      増田隆一

驚くほど慎重な2歳の孫も、ぶらんこだけは臆せず乗ろうとします。僕が背中を押すと声をあげて笑います。『この感触は久しぶりだな』と過ぐる自分の年を、手のひらに感じました。

花の下 ぶらんこ揺する マスク顔      増田隆一

公園のぶらんこは、以前に比べ遊ぶ子供たちの数も少なく、外出の手控えがまだ続いているようです。付き添いの親たちもマスクをしていない人は皆無に近く、コロナ禍が去ることを祈らずにはいられませんでした。

わか竹に 木の芽散らして 冬しまう     増田隆一

ようやく最高気温が15度を超え、空気の肌触りが春めいてきました。季節を感じる献立を工夫しましたが、香りのサンショウを見て「あ、冬は終わりだ」と改めて思います。

元宵や千年越しの月近し            陳 康

旧暦の一月の十五夜は、中国の元宵節です。新暦ですと2月後半となります。廟会が開催されたり、恋人同士が面会したり、家族団らんして月を鑑賞したりして、新しい一年間を祈願し、本格的に動き出す為の祭日です。これら伝統的な祭日は、過去数十年間も疎かにされてきましたが、この十何年間程で少しずつ重視され、復活するようになりました。清明・端午・中秋などは、国の指定祭日として追加されましたので、喜ばしい事です。

人去りしぶらんこの下草起きる         陳 康

「ぶらんこ」の兼題で大変に苦労致しました。まったく切口を見つかりませんでした。

ひねりにひねって、何とか上句に仕上げて、一応草の生命力を詠むような句にしてみました。

事情により、私が多文化HAIKU会のお世話をさせていただくのは、今回が最後となります。会の興隆には何のお役にも立てませんでした。ご寛容なみなさまに深謝申し上げます。引き続き、どうぞ俳句と言う名の短詩を楽しまれますように。   (坂内)

(河津桜・横浜永谷川緑道:撮影・増田隆一)

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2月投句まとめ (投句順)  兼題「春浅し」・自由題

寒桜 コロナ忘れる メジロかな      川村千鶴子

健気にも 浅春伝え カンザクラ      川村千鶴子

2月の寒さに負けず、しっかりと開花している寒桜(かんざくら)を初めて見ました。その淡い紅色がとても健気です。寒桜に、留鳥 が遊んでいて、世界の紛争もコロナ禍もしばし忘れました。

2022年2月2日2時、清水門から北の丸公園を歩いて田安門に抜ける散歩道です。

建売に 並ぶ幟(のぼり)や 春浅し     貫 隆夫    

私が住んでいる清瀬市は東京都としては地価が安いせいか、これまで畑だった所や駐車場をつぶして建売の一戸建てがよく売られています。売り出し中の建売には幟が立てられています。3月の転勤など移動の多い月を控えて近所には幟が立っているところが何か所か見られます。

落椿(おちつばき) 花の姿を 掃かれけり   貫 隆夫

花弁がばらばらに散る山茶花(さざんか)とちがって、椿は花の形を保ったままポトリと落下します。まだ十分に花として美しい姿のまま、さっさと掃かれてしまうのは何かもったいないような気もします。

雪積もる 花の蕾や 春浅し        増田隆一

節分を過ぎれば春のはずが、首都圏が一面の雪景色になりました。緑道の桜並木には、蕾がたくさん吹き出していて、春の準備は進められていると見えます。蕾に積もった雪が寒そうでした。

川の鯉 鰓洗いして 浅き春   増田隆一

最近の都市の川は、高度成長期のようにコンクリートで護岸を固めず、自然石や葦の植え込みを作って、自然相を残す工夫がされています。葦の茂みの中で鯉がうごめくさまを「鰓洗い(えらあらい)」と呼び、春の兆しです。「あと少し」という気配があります。

店先に 桜餅見ゆ 去るか冬   増田隆一

最高気温が10度に届かない日々が続いていても、節分・建国記念日・バレンタインデーと、カレンダーの行事欄は、着々と春に近づいています。スーパーの和菓子コーナーには「桜餅と草餅」のパックが並んでいました。

枯れ野原 雨後の薫りや 春浅し    陳 康

枯れ果てた野原でも、春がまだ本格的に来ていなくても、一回の春雨だけで命の息吹を感じさせてくれます。

青くして 落ちる葉の先 春浅し     陳 康

同じく生命の季節ですが、何かの原因で、春が来る直前に去ってゆくものもあります。無常を詠んでみました。

(横浜・永谷川の葦群 :撮影・増田隆一)

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2022年・1月投句まとめ

兼題 : 初何、または 何始め

今回から、事情により、句と作者の自注のみを掲出することになりました。(坂内)

初富士を拝む吾なり日本人    貫 隆夫

1月3-5日、娘が会員になっている山中湖畔のログハウスの施設で過ごし、快晴に恵まれ初富士を仰ぐことができました。富士山を眺めていると自然に掌を合わせ拝む気持ちになるのは自分が神道の流れをくむ日本人であるからなのか、世界各地に見られる普遍的な山岳信仰の一形態なのか、よくわかりません。ヒマラヤの「神の山」は神の住む山として山とは別に神がいるのか、山そのものが神なのか、ネパールのご出身のラビ・マハルザンさんに伺ってみたいところです。 

過ちは過去に去るもの年新(としあらた)   貫 隆夫

これまで生きてきて、また昨年1年間だけでも数多くの過ちを犯しました。しかし、幸いなことに過ち(あやまち)は過ぎ去る(すぎさる)の過と同じ字です。過ぎる→行き過ぎる、がその理由です。新年を迎え、いつまでも過去の過ちを引きずることなく、今年は今年の自分を精一杯生きましょう!

初詣 宮(みや)の近くに 和紙の店  川村千鶴子 隣にあるのですが、素晴らしいです。

そびえ立つ ビルの外壁 初清掃     川村千鶴子

雪が降る中、屋上から降りながら、ビルの外壁清掃に精を出す人がいました。

「こっちだよ」 孫のあと追う 初詣   増田 隆一

ようやく小走りができるようになった孫は、両親よりも束縛がゆるい祖父母のほうが自由を謳歌できると知っていて、好き放題に動き回ります。今年の初詣は昨年よりも人混みが濃いようで、見失わないようにするのが大変でした。

初物は 全てと見たり 節の重     増田 隆一

昨年はネット通販のコピーに負けて取り寄せてしまった「おせち料理」でしたが、内容がやはり故郷の習慣とは違っていて、なんだか正月らしい気分になりませんでした。今年は品数が少ないものの、自作で整えました。その年の最初に食べるものが初物ですが、正月のおせちは全てがそれに相当するんでしょうか。

あと何度 拝められるや 初日の出   増田 隆一

高校生の時、井上陽水の「人生が二度あれば」が流行りました。老いた両親の様子を見て、息子がその労苦をねぎらう歌詞ですが、「父は今年2月で65」となっています。自分がその年齢を超えていることに戦慄しました。

今日よりは 仕事始めよ 紅い靴   原田壽子

花鉢を 車庫に並べて 初雪か     原田 壽子

寒い日が続いています。雪もどっさりふりました。

稚児の歌眩しき冬の日差しかな    陳 康

澄み切った冬の日差しを浴びながら、童謡を歌うチビっ子の澄み切った声が聞こえてきました。

眩しく感じたのは冬日であり、チビッ子の純粋さであり、遠く昔の記憶でもあります。

一瞬恍惚とした気持ちを俳句に致しました。

初刈りや肩を縮めて職探し   陳 康

中国に「初〇〇」の様な発想や言い方があまりないので、この句で苦労致しました。

男性ならよく分かると思いますが、この季節だから髪を切ると、頭はかなり寒いです(笑)。

そして厳しい経済情勢の中で職を探すなら、さらに寒意を覚えるものでしょう。とはいえ、新年ですから、頭をさっぱりして、気持ちも新たにして、頑張って頂きたいものです。精一杯努力している全ての方々に、祝意を申し上げます。

(撮影:貫真英)

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12月15日〆投句まとめ

もう2021年も残りわずかとなりました。更新が遅くなって申し訳ありません。今回の兼題(共通してみんなが考える題)は「冬至」でした。

以下、句は投句のまま、投句順、カッコ内は作者の自注、その他は、お世話係坂内が書いたものです。

訳ありの男訪い来る冬至かな   貫 隆夫

(冬至になって作った句ではないので実景ではありませんが、卒業生のなかには離婚や子供の病気など様々な経験を重ねている人もいます。離婚を訳ありと言うのはオーバーかも知れませんが、たいていの人はそれぞれなんらかの事情(訳)を抱えながら生きています。)

冬至のお客さん、艶めいたかたのご登場というわけにはまいりませんね。人間、多少翳があるほうが光の射す希望もあるというもので、よろしくはないでしょうか。

湯豆腐の湯気温かき独居かな   貫 隆夫

(これも実景ではありませんが、一人暮らしをされている方、伴侶が入院中の方などが湯豆腐を食べる情景はこうなるのではないか、と想像した句です。)

湯気の温かい湯豆腐ですから、お連れ合いの退院も近そうな、喜びが漂います。独居生活も終わりが見えてくれば、お気楽で楽しいものになるからかもしれません。人の気配を感じさせる食べ物の筆頭は鍋物ですが、外国にもそんな食べ物があるのか気になるところです。

明け空の 中の朝餉や 冬至る    増田 隆一

(朝6時といえば、真夏の7月はカンカン照りの朝日が窓からあふれていました。今日の横浜の日の出は6時42分。老夫婦の朝食の時間はまだ真っ暗です。夜を楽しむ文化が少ない日本の冬は、なんとかならないものかと思います)

私はこの句で、結露する窓の向こう側の白んでいく空模様を楽しみながら、暖かいコーヒーなんぞを召し上がるさまを想像いたしました。召し上がり終わるころにはお日様が出てくるに違いありません。

かぼちゃ食べ ゆず湯は粉の 冬至かな   増田 隆一

(冬至の1週間前。かぼちゃはトンガ産でも煮物として食べられますが、風呂の湯船に沢山いれられるほどの柚子は、なかなか安価に手に入りません。バスクリンで我慢することにしました。)

お店の柚子を柚子湯に調達しようと思うと、確かになかなか値段の折り合いがつきません。道端の無人販売で巡り合えるなり、隣の庭のを頂戴するなりできればいいのですが…。海を越えてくるかぼちゃを使うにしても、かぼちゃだけでも伝統を受け継げることを、まずは喜ばなくてはいけない世の中になったのでしょう。

紋付で 挨拶回りや ジョウビタキ     増田 隆一

(俳句の季語としては秋だそうですが、ジョウビタキの姿を見るのは圧倒的に初冬です。オレンジが美しい体に真っ黒の翼があり、翼の真ん中にかわいい白い模様があります。なんだか商家の若旦那が暮れの挨拶回りをしているように見えました)

ジョウビタキの若旦那とは面白いお見立てです。そういわれるとそのように見えてきます。メスが大人しい紋付を着ているのも、また一興です。うちにも挨拶回りに来てほしいのですが、なかなか忙しいようで立ち寄ってくれません。

もう冬至見舞い帰りの空暗し

病む友に寄り添うてはや冬至なり    坂内 泰子

(長年の友人が体調不良です。そういう年齢なんだな、としみじみ思いながら、励ますことしかできません。)

かぼちゃ煮て一陽来復柚子もあり    坂内 泰子

(かぼちゃも柚子も、明るい色の食べ物で、まさに一陽来復を祈るにふさわしいです。祖母が早稲田の穴八幡にお札をもらいにいっていたことを思い出しました。今度私も行ってみようかと思います。)

ほんのりと 白い月あり 冬至朝

人去りて 暗き街 冬至かな   原田 壽子

(冬至という言葉は何となく暗い世界をイメージします。   明日から日が伸びていくうれしさが、なかなか感じられません。)

冬至の遅い夜明け、その空に浮かぶ月、幻想的な一幅の絵のように感じました。

2句目は人が通り過ぎて行った街角を見下ろす視角でしょうか。人一人去っただけで、動きも音も失った暗い街に戻るという発見も、映画の1シーンのようです。

神殿の前や微かな虫の声     陳  康

(秋ごろの試作で、今になって、なんとか終わらせました。人の為の神殿ですが、人から生命価値が弱いとされる虫たちの声も、神様にちゃんと届けて聴かれるのかと、思ったりします。また権力者の耳に、それぞれの国に生息する弱い庶民たちの声も、ちゃんと届けて聴かれるのかと、思ったりします。)

最初、日本の神さびた神社を想像しました。「神殿」はちょっとそぐわない単語のように感じていたのですが、素直に「神殿」と理解すると、どんな神殿だろう?エジプトみたいな石の巨大なもの?東南アジアにあるようなタイプ?極彩色?屋根は?などと、いろいろ想像して楽しめました。虫の声は作者のいうように、弱い者の声かもしれませんが、神を賛美する声かもしれませんし、転生した死者の声かもしれません。俳句という文芸は「言わなくてもわかる」ような共通認識の地盤から立ち上がったようなところがあります。短詩型文芸は世界に多くあると思いますが、日本語の五七五音で、どこまで世界に羽ばたけるか、多様な認識のもとで、日本語にどんな可能性があるか、興味が湧いてきます。

国際ニュース見終えて求む冬至の陽     陳  康

(毎日の国際ニュース番組を見ていますと、暗い話ばかりです。限られた経験の中では、今の国際状況が最も深刻な時期に入っているかと感じて、まさに陽だまりが欲しくなる「冬至」の様です。自然界の冬至なら、日照時間が最も短く、夜が一番長いとの事ですが、冬至が過ぎたら、日照時間がまた少し長くなって春に向かっていきますが、政治の世界はどうでしょうか。)

本当にその通りです。私もまた、冬至から少しずつ日が伸びて、明るくなること、暖かくなることを切に望みます。陳さんのお国とも、春の日ざしの中、ぼんやりと日向ぼっこをしているような関係だとうれしいです。

子の笑みも団子も円き冬至の夜   陳  康

(すこし暖かい雰囲気の句も作ってみました。中国の南方の風習ですと、冬至の日には蝋燭を灯して、丸い蜜柑を飾りながら、親子一緒に「湯円」という団子を手作りします。一部はその日に茹でて食べますが、また一部は新年の中元節までに残します。家族団らんと豊作を祈念する為のものだと思います。)

湯円は台湾で食べたことがあります。甘くておいしかったです。ろうそくの炎の揺らぐ中、蜜柑と手作りのお団子で冬至を迎える風習には、心惹かれます。「全部食べちゃったら、中元節が来なくなるよ」などと制されつつも、ほかほかの湯団に思わず笑みがこぼれる子ども・・・なんて幸せな風景でしょう。

柚子香る 令和三年の 冬至かな   川村 千鶴子

 (今日は、ヨガ教室で、身体に向き合いました。ヨガは、身体と心に労わりを与えてくれます。そのあと、柚子湯に浸かって一年を振り返りました。令和3年は、私にとって特別な一年でした。)

冬至の晩、令和三年の残された日を数えながら、心地よい疲れを、柚子湯で癒しつつ、一年を振り返っておられる句ですね。特別すぎたこともおありだったかと拝察いたしますが、柚子の香りがわずかでも心身の助けになったことと存じます。

(戸塚駅付近:撮影・増田隆一)

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11月15日〆 投句のまとめ

兼題「新米」 稲やお米についての秋の句、および自由題。 

(以下、投句は原文のまま、投稿順に掲載)

稲刈り機に男一人の田んぼかな        貫 隆夫

(*かつては田植えと稲刈りは家族総出、村総出の作業でしたが、今は田植え機や稲刈り機を使ってやるようになりました。機械化で効率は良くなりましたが、機械一台、男一人、あとは田んぼだけというのは農の風景としてなにか寂しさを感じます。)

確かにその通り、と思います。「結」なんて言葉もありましたが、結び目がほぐれていったのでしょうね。かつて高度経済成長の時代、農業も新しく力強いものを目指すどころか、世の中全体で、農業の未来を放置していたように感じます。一人で稲を刈る風景が、効率的で生産性のある形として、頼もしく思える時代が到来しないものでしょうか。若い担い手、新規就農者が頑張れる環境でありますように。  

鍋囲む和食も確(しか)と文化の日      貫 隆夫

(*文芸や音楽などに加え、食文化も文化の大切な項目です。鍋料理は世界各地にありますが、すき焼きや河豚(ふぐ)ちりなど食材の種類が豊富な日本には様々な鍋料理があります。)

鍋の具材や味やら、しきたりは家庭ごとに異なり、ちゃんこ鍋も部屋ごとに特徴があるとか聞きますし、おもわぬプチ異文化交流が繰り広げられる場でもあります。鍋奉行などという仕切屋さんも出現します。料理人部門でなく、素人部門、みんながつくる和食文化として、鍋物はぜひ継承していきたい和食ですね。

秋高し お米が香る 茶きん鮨    

川村 千鶴子

(*食欲の秋、海鮮丼とかウナギ鮨などお米がベースの美味しいものがいっぱいありますね。確かに今の時期、お米が美味しい。用心しないと。)

茶巾鮨、わたしも大好きです。秋の空の気持ちよさは、食欲を刺激しますね。紅葉狩りのおともが茶巾鮨だったりすると、青・赤・黄と色もまたきれいです。

花びらや枯れ葉と共に焚かれけり

陳 康

(*初冬とは言え、南国では木綿の花がまだ咲き乱れます。落ちてくるピンクの花びらが、みずみずしく、いかにも可憐に見えます。この花びらが、枯れ葉と一緒に集められて焚かれるのを見て、なんとかわいそう!と一瞬、心に痛みが走る程でした。 しかし、後によく考えますと、もし落花を同情の観点から見るなら、同じく役目を終えて同じ木から落ちてきた枯れ葉は、外見が枯れてしまっただけで、もう同情に値しないのか?外見だけで両者を差別してしまった自分に、反省をさせられました。)

陳さんの優しさをしみじみと感じました。木綿の花は、ほんわかとした花びらが素敵です。さて、花びらも、枯れ葉も、地に落ちたら、同じ扱いになることに、ひとたび気づくと、「だから何?」などとは居直り切れません。人が決める価値・無価値の勝手さを改めて感じさせられました。とはいえ、執着は、どこかで断ち切らない限り、庭も家もまるごと「ごみ屋敷」へと向かいかないことも確かで、難しいものです。陳さんの哲学の一句でした。

ぎごちなき稲刈りの子も泥笑顔

陳 康

(*小さい頃に、両親と一緒に稲刈りに出かけた事を思い出しました。農業の仕事をあまりさせてもらえなかった為、遊び半分の気持ちでした。)

こどものころから親の仕事を手伝って技を身につけるという習慣が近代になって失われていきました。農業をするより、現金収入を得ること、そのためには勉強を、と親世代が考えたことは当然だったと思います。もちろん、親の心子知らずで、無邪気に「お手伝い」をする子どもを見て、親たちは、むしろほっとできたのかもしれません。

稲刈りの父の背中や朝日差す      陳 康

(*前掲句と同じ場面です。なにごとにつけ、子どもを庇った世の中の全ての親たちに感謝します。)

子どもは親の忙しさにつられて、気まぐれな早起き。どうやら、お父さんは夜明け前から田に出ておられたようです。そのとき目に映った記憶は、長い年月を経て、親への感謝に変わりました。

新米の 横に並ぶや 鍋パック     増田 隆一

(*スーパーのお米コーナーには「新米届きました」のワゴンが出来ました。買おうかどうか、決めかねている思案顔のお客も、横に並んだ「お鍋の出汁パック」を見ると、決心がつきやすいようです。市場戦略といえばそれまでですが、お米と鍋パックがコンビとなる違和感は、現代ならではのように思いました。)

おっしゃるように、鍋料理と白飯は同時進行しませんね。とりわけお酒を召し上がるかたには違和感が生まれそうです。でも、現実hは、鍋パックを見て、今晩のおかずが簡単に決まり、じゃ、ご飯を炊こうか、お米も買いましょ、となるのでしょう。お子様は汁かけ飯状態で、おじや風。安く簡単に済んでいいかもしれませんよ。

稲架(はさ)掛けも 稲木も見えず 里の秋    増田 隆一

(*60年前に「秋の田圃」と言えば、刈り取ったイネを乾燥させる稲架掛けの稲木や、積み上げられた稲藁を思い浮かべました。今はコンバインが刈り取りと同時に脱穀まで行い、乾燥サイロで強制的に水分を抜くそうです。昔なら工芸品になった稲藁は邪魔者扱いで、堆肥にするには場所が必要なため、ほとんどが燃やされると聞きました。風景は文化とともに変わるものですが、環境保全とのバランスが気にかかります。)

最近見た新潟の田にも、稲架や稲木はありませんでした。コンバインに乗れると楽なのだそうです。乗り損なうと、コンバインの入れないところを刈る役になり、大変なんだとか。里の秋の風景も変わっていきますが、間違っても田んぼがなくなるような農業にはしてほしくありません。

COP終わり 空の涙か 流星雨   増田 隆一

(*国連気候変動枠組み条約UNFCCCの締結国会合COPが今年も「なんとなく」終わりました。気候変動も海洋プラスチック汚染も、途上国の食糧危機問題すら解決合意に至りませんでした。天体だけは物理法則通りの日常を、何億年も前から続けています。人間の絶滅が地球を救う解決策ではないことを祈らずにはいられません。)

COPまさに「なんとなく」終わりましたね、「開催した」というアリバイが残るのみです。久遠の宇宙の物理的な営みにさえ、気持ちを反映させる私たち人間ですが、そこをこらえて、淡々とクールに解決策を模索しつづけたいものです。涙するのは星ではなく人間なんですよね。

秋惜しみ 新米炊いて 塩むすび   原田壽子

新米に 塩かけにぎり 友思う    原田壽子

(*北の国に住む友から今年も新米がとどきました。新米のおいしさを味わうにはお塩で食べることと教えてくれた友、炊いて熱いご飯を早速おむすびにしてほおばりました。甘いごはんが口中に広がります。友に感謝して食べました。)

お友達から届く新米、素敵ですね。新米のシールが張られた袋詰めの新米とは、食べる前から一味違いそうです。今年も届いたと思うときには、秋も終わり。さまざまなことを思い出しながら、塩むすびを握られたのでしょう。私も断然塩むすび派です。

新米はぴかぴかあつあつ塩むすび   坂内 泰子

(*新米の炊き立ての塩むすびに勝る料理はありません。子どものとき、祖母がにぎってくれました。)

新米にほのかに香る日の名残り   坂内 泰子

(*自家用米をおすそ分けしてもらいました。炊きたてをいただくと、天日干しのせいか、お日さまの香りがいたします。)

光受け苅田のひこばえなお青し   坂内 泰子

(*今月初め、新潟へ行った際、田んぼが青々としていて、まるで田植えを終えたばかりのようでした。聞けば、刈った株が再生する「ひこばえ」とのこと。冬になる前に、田にすき込む農家と、春になってからそうする農家があるのだそうです。)

(文責 坂内)

(南足柄の苅田稲積:撮影・坂内泰子)

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多文化研HAIKU 9月のまとめ

兼題「夜長」、および自由題  (投句順)

寒いと思えばまた暑くなり、なかなか兼題の気持ちになれない毎日でした。地球温暖化は行きつく先もさりながら、そこに至る過程にも怖いものを感じます。

講評:坂内康子

亡き歌手の演歌に更ける夜長かな         貫隆夫

(*私が聴きたいと思う昭和演歌はたいていすでに亡くなった歌手の歌が多くなりました。)

歌はそのときどきの記憶と強く結びつきますね。昭和演歌を聞きながら、ときどき思いにふけっておられるご様子を想像しました。若い時は封建的だの古いのと批判していた演歌も、今になれば、あれはあれで心をえぐるような、土着の響きが体に沁みます。

詫びて捨て謝しては捨ての秋の暮     貫隆夫

(*断捨離で捨てる名刺や葉書、手紙、資料など、詫びたり感謝しながらの作業なのでなかなか捗りません。)

捨てるのは難しいですね。わずかな断片からも、相手の顔が浮かんだり、声が聞こえたりいたします。えいやっと廃棄のほうに回すにしても、詫びたり、謝したり、ずばりそのとおりの的を射たご高吟。

大汗の 日でも涼しき 夜長かな   増田隆一

(*気候変動の証でもあるかのように、お彼岸を過ぎても真夏日が続出しています。それでも、不思議なことに深夜になると上着がいるほど涼しくなるのは、やはり秋だから…でしょうか。)

日中は大汗をかくほど暑い日でも、夜になれば涼風が吹き、お風呂上りにはいつまでも夏と同じわけには参りません。秋は日暮れから忍びよるのでしょう。

住み替えの 迎えの花や 曼珠沙華    増田隆一

(*転居を念頭に思い切って家を買いました。すぐ近くに池があって外周が散歩道として整備されています。そこここに彼岸花が咲いていて、なんだか「ようこそ」と言ってくれているような気がしました。)

曼殊沙華は繊細な顔立ちの花でありながら、力強い赤です。曼殊沙華の歓迎はさぞや心強かったことでしょう。毎年、「祝お引越し〇周年」とばかりに咲いてくれるでしょうから、贅沢でうらやましくなります。

どんぐりを 手に幼な子の 説諭聞き    増田隆一

(*ようやく発語し始めた孫は、どんぐりや小石を拾っては、何やら盛んに弁論しながら説明してくれます。ところどころ演説口調なのは、何か強く伝えたい思いがあるのでしょう。目を見て、一生懸命に聞く必要があります)

社長訓示などより、よほどありがたみをお感じになったご様子。幼子はウソをいいませんし、繕いもしません。「どんぐり説諭」どんな内容だったんでしょうね、私も講筵にお邪魔したかったです。

捨てるには 惜しいとしまう 夜長なり   原田壽子(*衣服を出してはしまい、出してはしまいを繰り返し、結局しまっている私。長い夜は更けていきます。)

捨てる句があれば、捨てない句も登場する「夜長」です。お気持ちよくわかります。もう着ない、と、まだ着られる、のせめぎ合い。おおいに共感できる、秋の夜長の箪笥の前の情景です。

これまでを 謝して生きよう 夜長なり   原田壽子

(*これまでいろいろなことがあった人生、感謝してさらに生きなければと思う、

秋の夜長は考える時間がいっぱいです。)

ここで詠まれた「謝して」の言葉の中には、きっと、あのときのこと、あのかたのこと、あそこでああしたこと、などと、一杯の思い出が込められているのでしょうね。ありがたいと思い出せることが、幸せを生み出す力なのだと聞いたことがあります。携帯の画面にアンテナが立つように、心の中に幸せアンテナが3本しっかり立った夜長、いい時間をお過ごしです。

おしゃべりの果てに優しい夜長あり   坂内泰子

(*夜が明けるまでおしゃべりができたのは、若いときの話。 今や、しゃべり疲れて、さあ寝ようというとき、夜長のおかげで、まだ何時間か夜が残っている、というのが嬉しいです。)

波の音夜長揺らして島の宿

坂内泰子

(*島の民宿、質素な宿の床に入れば、波の音で眠りに誘われます。)

電チャリが峠を越えて秋の海

坂内泰子

(*島では、電動アシスト自転車(電チャリ)が活躍します。初めて乗ってみたのですが、まあ、楽なこと、楽なこと、とても峠越えとは思えませんでした。)

雨音に旅愁はびこる夜長かな

陳 康

雨で閉じ込められる宿の夜、雨音を聞くにつけ、旅のわびしさがしみじみと感じられるということですね。旅愁は古来、旅の詩情の一つでした。旅の憂いを受け止めつつも、なお愛おしむような気持で好まれてきたかと思います。それに照らしあわすと、もう少し、雨の旅愁を優しくとらえた言葉にしてはいかがでしょう。「はびこる」でなく「染(し)む」「染み入る」などをすぐに思いつきますが、もっといい表現もありそうです。

アルバムの黄ばむや父の里夜長

陳 康

お父さんのお里で見つけた古いアルバム。昔の写真をずっと大事にされてきた、おじいさま、おばあさま、あるいはもっと前のかたの存在がうかがえます。アルバムを紐解きながら、両親祖父母の足跡をたどる夜、同じ年齢のご自分と比べたりしながら、夜が更けていきます。

母料理チャット向こうの夜長し

陳 康

どなたかがお母様に料理の作り方を聞いておられるのでしょうか。「夜長し」とありますから、簡単な手料理ではなく、媽祖廟のお祭りやお正月のような、伝統料理やしきたりのお尋ねでしょうか。伝統が「チャット」を介して新しい世代に伝えられるのが、いかにも今風で面白いです。ついでにあれもこれも、と話が尽きませんね。そういえば、中国の人に、お正月の紅包を携帯で送ると聞いたことがあります。

♰ 安らかに 天に召されて 往きました ♰

川村千鶴子

金婚式を目前にして、召されてしまわれただんなさま、先生の率直なつぶやきに、ひとしお心打たれます。ご冥福をお祈りするばかりです。

(中秋の名月:多文化研の会員が撮影)

(略)

https://tabunkaken.com/%e3%82%88%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%9d%e3%80%81%e5%a4%9a%e6%96%87%e5%8c%96%e7%a0%94%e3%81%b8%ef%bc%81/ 【ようこそ、多文化研へ!】より

Global Awareness

多文化研理事長 川村千鶴子

「多様な学びのプラットフォーム」

(1)多文化研は80年代からGlobal Awareness(格差への気づき愛)と問題発見・解決ALを実践してきました。

「国とは?国境とはなに?」「国際法と国内法の関係」「非正規滞在」「共創経営」「一元的な管理」「社会統合」「太平洋の環境問題」など根源的かつ難解な課題に挑戦してきました。地域に根差す開発教育、異文化間教育、多文化教育、環境教育を蓄積し、統計データを読み解き100冊を超える書籍を出版しWebでも紹介してきました。トランスナショナルな地域社会から世界を読み解き、批判的・論理的思考力、価値創造力ある多くの専門家を輩出してきました。

(2) 格差と分断をいかに防ぐか

所得格差・学習歴格差、民族格差、健康格差、情報格差による社会の分断が深まる一方、他者への排外主義が声高に叫ばれています。多文化主義は絵空事に追いやられてしまいます。特定の民族の尊厳を傷つけるヘイトスピーチやゼノフォビア(外国人嫌い)も横行しました。「民族的差別撤廃法」など法規制も大事ですが、多文化研は、見えにくい偏見や差別の構造を可視化し、日本社会を問い直し、日本の出入国管理政策や難民政策を多面的に再考しています。

   幸福格差

多文化研は、安心の居場所「安心の学び舎」を継続しています

(3)ライフサイクルの視座とオーラル・ヒストリーの聴取

オーラル・ヒストリーの聴取は、歴史に「生の声」を与えます。

多様な移動のナラティブを聴取し、移民の歴史や地域特性を知り、丹念に歴史的変遷を捉えることを心掛けています。

(4)多文化共創アクティブ・ラーニング

多文化共創アクティブ・ラーニングでは、メディア・リテラシー、制度の壁、医療の現場、労働と雇用制度、入管法と在留資格など国内だけでなく送出国の現状やグローバルの視点をもって、問題解決の道を拓く科学的考察力が求められています。多様性を活力にできるビジョンのある出入国在留管理政策と社会統合政策への道を拓くための多文化社会論や移民政策論の専門家が生まれました。

(5)多様な学びのプラットフォーム

多文化研には、居住中心主義を貫く自治体職員、企業経営者、報道関係者、市民団体、大学・日本語学校・専門学校の教員や学生など立場と専門性を異にする会員がいます。国籍も多様で18歳から87歳までが膝を交えて議論します。平和学、社会学、経済学、国際政治学、法学、文化人類学、経営学、言語学、教育学、心理学、日本文化学、物理学、機械工学、数学、通信情報工学、環境科学のほか、国際医療・看護学・ケア学などなど幅広い学際的視座から議論できるのが特色です。

(6) CBL(Community Based Learning)による地域貢献

留学生・技能実習生・特定技能外国人・難民の方々・障がい者の方々も単に支援される存在ではなく、自立し地域の構成員として貢献しています。PBL(プロジェクト型学習)に加え、地域との連携を重視するCBL(Community Based Learning)によって持続可能な多文化社会への貢献が可能となり、社会統合の道が拓かれます。市民として、義務と社会的責任を全うし共創・協働を実現しています。各種イベントや防災訓練、スピーチコンテスト、図書館、移民博物館、医療機関など公共施設への貢献を知るグッドプラクティスに照射することにより、多様性の潜在力を実証できます。

(7)ICT(インターネット)やクラウドの活用

ICTは情報コミュニケーション技術の頭文字です。情報がどのように流通し、どういう形で授受しているかも、多文化社会を研究するうえでの大きな要素です。動画、情報の共有、統計数値の分析、記録、写真、モデル化、白地図や図表の作成、カード付箋使用などStudy Skillsの向上が欠かせません。質問や考えをSNSで送信することもでき、画像共有ソフトを利用することで、遠隔地同士でのフォーラムの開催も可能になりました。近未来については、AIの分野への視野を広げると「共創」の概念も広がります。

(8) プレゼンテーションとディスカッション・タイム

「正解がない」こともあります。対話的能動性とコミュニケーション力を磨き、意見の対立や葛藤を恐れず、実践知を活かし、他者の発言から気づきを得て、共創的課題解決力を身につけてきました。いかにして格差の分断を防いでいくか、国籍重視を超えて、多様な人々の協働と連携が共創価値を生み出します。世界に広がる幸福の連鎖は、内発的社会統合のビジョンを萌芽させる可能性を感じつつ、一人ひとりの創造性と科学的考察力をあたたかく見守ってきました。

(9) 社会的ニーズの変遷にそうアクティブ・ラーニングの蓄積とSDGs

ALは多文化社会の専門職を養成し、自治体や市民団体との連携はもとより、中小企業・農家・工場との交流と指導。外国人収容所の訪問、中小企業や自治体職員研修会、市民活動と教育機関で活躍しています。地域に密着した実践活動を展開し、長期的な視野をもって生活の質の向上に繋げています。

日本独自のSDGsの可能性を発見してきました。

(10)多文化研リラックス、バーチャル句会や多文化研ウォ―ク

ニューヨーク、モスクワ、ロンドン、アムステルダム、バンコク、ミネソタ、厦門(中国)、ヤンゴン、ソウルなど海外在住の会員がいます。多様性を肯定的に受容し、活力にして生活の糧を得て共創社会に貢献する知恵や実践力は、体験と共感が必要です。多文化研リラックスでは、各地の様子やリテラシーの共有と多文化共創アクティブ・ラーニングが、想像力を逞しくするきっかけとなります。海外体験や日常的な気づきを多文化研リラックスに投稿できます。四季折々の俳句を投句しバーチャル句会を継続しています。イタリア、ネパール、ミャンマー、中国の会員も句会に参加しています。

(11)外国人労働者の増加と社会的ニーズの変遷を捉えて

2019年4月に改正入管法が施行され、法務省の外庁として出入国在留管理庁が設置されました。深刻な人手不足状況に対応し、一定の専門性・技能を有し、戦力となる外国人を受け入れる在留資格「特定技能」の運用も始まりました。「特定技能」によって、5年間に14分野あわせて最大34万5150人の外国人の受入れが予定されると言われています。受入れ分野別の内訳では、介護(60000人)、外食(53000人)、建設(40000人)、ビルクリーニング(37000人)、農業(36500人)、飲食料品製造(34000人)、宿泊(22000人)等。「特定技能1号」の取得には、技能試験と日本語試験に合格する必要があるとのこと。外国人技能実習制度による技能実習2号を修了した外国人は試験が免除となる。介護、外食、宿泊に関する技能試験が実施されています。多文化研は、彼らが架け橋となり、日本社会の多様性への理解が進み、送り出し国との良好な関係性を築いていくことに協力しています。労働環境、技能実習生のライフサイクルと意識変化、家族の民族文化・宗教・母語や子どもの就学状況にも光を当てています。中小企業の多文化共創企業研修にも着目しています。技能実習法も施行され、技能実習制度も改善され、介護の在留資格もできました。社会統合・多文化共創のビジョンも受入れの基本となる法整備などさらなるインフラ整備を進めています。

<人生100年の時代を迎えて>

李  錦純  <関西医科大学看護学部・大学院看護学研究科教授、博士(人間科学)>

国際人口移動の活発化に伴い、移住先の国で定住・永住し老後を過ごす人々が増加しています。出身国以外の国で高齢期を迎える移民の増加は、先進国や開発途上国にかかわらず全世界的な現象となっています。

日本でも外国人の高齢者が多く暮らしています。在日外国人の高齢者とは、戦後から長期在住しているオールドカマーだけではありません。在留外国人統計(2021年6月末)によると、在留外国人総数は2,823,565人、65歳以上の高齢者は194,253人に及び、高齢化率は6.9%となりました。65歳以上の在日外国人の国籍(地域)別内訳では、圧倒的多数を占めるのは「韓国」および「朝鮮」*で、67.3%を占めます。それに次ぐ「中国」籍高齢者が11.3%であり、過去20年間で2倍に増加しています。その他の国籍(地域)の高齢者人口も増加しています。

かつては在日外国人の高齢者の80%以上を占めていた「韓国」および「朝鮮」籍高齢者は、近年、その実数は増えていても相対的な割合は低下しており、高齢者人口の多国籍化が進んでいます。在留期間に制限がない永住者・特別永住者数は110万人に上り、今後もさらなる多国籍化・多様化の進展が見込まれます。

在日外国人の高齢者は、共に地域社会を支える主体であり、共に老後を支え合う地域社会の構成員です。多文化「共創」の観点は、多様化が進む高齢社会に対応可能な地域包括ケアシステムの構築に、新たな示唆を与えるものと思われます。

(李錦純2022年2月)

*2015年末の統計より、「韓国・朝鮮」は「韓国」と「朝鮮」に区別してデータが公表されるようになったが、本稿では合算して算出している。

多文化共創社会(Co-Creation through Multicultural Synergy)

川村 千鶴子  <大東文化大学名誉教授。博士(学術)>

ぜひご一緒に新しい時代をきり拓いていきましょう。

留学生、難民、障がい者、高齢者、LGBT、一人親家庭、無国籍者、無戸籍者など、多様な人々との相互ケアを通して幸福度の高い社会を創造する社会を指しています。国と自治体、企業、教育機関、医療機関、市民セクターの主体的協働が「共創価値」を生み出すとき、新しい協働・共創の精神で「安心の居場所」を創造することができます。

多文化研は、大学教育の推進だけでなく、企業のグローバル教育、地方公共団体職員研修、医療機関など社会人教育の一助ともなり、外国人材と企業と地域が、Win-Win-Winの関係性を構築するための「学びのプラットフォーム」です。

(図1:学びのプラットフォームの今日的意義と社会的ニーズ 作成:川村2019)(国・中小企業経営者・自治体・住民・教育機関・医療機関との連携が欠かせない。)

(川村千鶴子)

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Learning an immigration control policy and co-created value

Corporate training and curriculum reform

As a future challenge, corporate training and curriculum reforms in educational institutions are necessary.

For foreigners to work together, they need to acquire a status of residence that enables them to work, understand the legal position of foreign residents in Japan, including restrictions on their vocational choice according to their status of residence, and have correct knowledge about status of residence.

The active learning of directly experiencing the precious experience of working together is also necessary.

Projects to support foreigners in their job searches and Japanese-language classes have been held in many parts of the country. For the employment of foreigners, it is necessary to implement training programs that encourage considerations for helping them work without anxiety, paying attention to the fact that they are not used to the Japanese language or Japanese employment systems. In addition, it is also necessary to establish a system which nurtures experienced local government officials with much expertise on social security, enabling them to work within the system for a long period of time.

Everyone talks feeling at home

No longer anyone else’s business

As is widely known, Japan will be able to employ foreigners as specified skilled workers (i) in 14 job categories.

The government has decided to accept up to 345,000 foreign workers in the next five years in industries facing serious shortages of labor, such as nursing care, construction, janitorial services, agriculture, food and drink and manufacturing. The Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism will dispatch Japanese engineers to Southeast Asian nations to increase the number of foreign specified skilled workers in the manufacturing industry. Those engineers will teach Japanese construction methods with the aim of realizing more successful applicants for specified skilled workers’ qualification examinations. The government will first dispatch Japanese engineers to Vietnam in October and then to the Philippines and Indonesia (according to the August 12 edition of the Yomiuri Shinbun). Local trainees will learn Japanese construction techniques and engage in construction. The construction industry will accept up to 40,000 foreign workers with specified skilled workers’ qualifications in the next five years, beginning from the current fiscal year. Local citizens, companies, local governments, educational and medical institutes, religious facilities and civil groups will work in collaboration and the practice of co-working and co-creation will help revitalize local regions.

Long-term measures based on the management of diversity and co-creation have begun.

Academic institutions, such as many Japanese-language schools and vocational schools, are promoting curriculum reforms in collaboration with local regions. Medical institutions have launched medical interpreter training courses. People have come to recognize the necessity of specific institutional infrastructure, such as consultation counters for stateless persons, support for the protection of applicants, granting of citizenship to second-generation refugees, statistical surveys of children with ethnic roots in foreign countries and education in their mother tongues. It is also important to bring in the energy and eagerness of growing Asia through the group-supervised acceptance of technical intern trainees that started from 2010, to develop through the globalization of companies from inside and to understand the practice of employment, spreading circles of trust. An accumulation of learning and co-created value leads to a better understanding the revised Immigration Act and the discovering of issues.

When foreigners build self-confidence in their home countries, hand down stories of their own precious experiences in Japan from generation to generation and remain strongly committed to contributing to their home countries, I am sure that local technical cooperation will create synergy.

I believe that the economic development we hope for is to have a management philosophy of working together, to mutually improve the quality of life and to contribute to building a global society with a high degree of happiness instead of just making up for the exhaustion of workforce.

A multicultural synergetic society is a society that aims to realize a society with a high degree of happiness through a caring, diverse population, including foreign students, immigrants, refugees, persons with disabilities, elderly people, LGBT individuals, single-parent families, stateless persons and persons without family registration. The spontaneous collaboration between national and local governments, companies, academic and medical institutions and the civil sector produces synergy and its trust constitutes co-created value. (Kawamura: 2014, 2015, 2016, 2017, 2018)

Lastly, if examples of good practices in which efforts to employ and co-work with foreign human resources with emphasis placed on their human rights contributes to local revitalization and international contribution become known more widely both inside and outside of the country, it will lead to more people understanding the potential of diversity, which will contribute to cross-border collaboration and people adopting long-term perspectives. If successful cases of the new “specified skilled worker” status of residence in particular are produced one after another from now, I expect that the relationships of trust created from that process will be recognized as the value of a better multicultural society instead of only aiming for the alleviation of the increasingly serious labor shortage.

Translated from “ZOOM UP ‘Nihon de shurosuru gaikokujin tono kyosei ni mukete’: Tomoni hataraku kyodo-kyoso no kachi—naze raifusaikuru no shiza ga hitsuyo nanoka— (ZOOM UP ‘Coexisting with Foreign Workers in Japan’: The Value of Co-working and Co-creation: Why Is a Life Cycle Perspective Necessary?),” CLAIR FORUM, Nov.2019 Vol.361 (Courtesy of Council of Local Authorities for International Relations) [February 2020]

Note: ZOOM UP http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/articles/index-361.html (Japanese only)

KAWAMURA Chizuko, Ph.D., Emeritus Professor, Daito Bunka University

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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