https://blog.goo.ne.jp/kawakami23takeru/e/f8e9b472e9a46c52a4fd2e25dc6b5a3d 【『旧約聖書』で紅海は「葦の海」という】より
紅海(the Red Sea)のことを葦の海(Sea of Reeds)といい、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)を思わせたり、モーセ(山幸彦)の兄アロン(海幸彦)は杖(如意珠)を投げ、空海は(杖の代わりに)三鈷杵を日本に向かって投げ、ヤーウェイが天から降らせた「マナ」の話をもとに日本では天照大神の「天眞井(あめのまない)」や空海の幼名の付いた『古事記』でいう「天之眞魚咋(あまのまなくい)」の鱸(すずき 鈴木)となり、「日本で初穂料を神社に納める」ように『出エジプト記』でも同じように「ヤーウェイに一年の初穂(はつほ)」を捧げたり、いまだに銘文が解明されず不思議な形をした「七支刀(六叉鉾、ろくさのほこ)」や三種神器を枝に懸ける正体(燭台 メノ-ラ-)が『出エジプト記』に書いてあったり、「失われた聖櫃 ア-ク」が大きさは違っていても高野山では毎日のように維那(ゆいな)に担がれて奥の院に運ばれる姿の大本は「失われた聖櫃(ア-ク)」そのものて、とかく『古事記』には『出エジプト記』と似た話が溢れている。
しかも驚くのは指導者「モーセ」に擬せられた「神武天皇(東征)」や「景行天皇(熊襲征伐)」の崩御年までも『出エジプト記』に書いてあるのだが、原田大六氏と同じように他人の説を無視し自説にあくまでも拘り続ける学者や自称古代史ファンにとっては「どうでも良いこと」に違いない。私がいくら書いても見向きもされないだろう。
①『古事記』によると初代神武天皇(神倭伊波禮毘古命)と十二代景行天皇(大足彦忍代別尊)の崩御年は同じ壹佰參拾漆歲(137歳)だという。
何故か ? いずれ解ることだが、日向(ひむか)から大和へ東征して反対勢力を次々と征伐した神武天皇と日向(ひむか)と土地を命名し九州中の熊襲を征伐した景行天皇は同一人物だと藤原氏(藤氏・唐氏)の史(ふひと)達は考えたからである。
-----------------------------------------------------------------------
『古事記』
「…神倭伊波禮毘古天皇(神武天皇)御年、壹佰參拾漆歲。御陵在畝火山之北方白檮尾上也。」
「…大帶日子天皇之(景行天皇)御年、壹佰參拾漆歲。御陵在山邊之道上也。」
-----------------------------------------------------------------------
それにしても二人の137歳は現代人の寿命と比べても長い。この事について学者たちは当時は長生きだったとか、二倍年歴が使われていたからとか、様々な意見を言ってきたが、『出エジプト記』には「神武天皇用」「景行天皇用」と二か所同じような文章が並んでいる。
-----------------------------------------------------------------------
『出エジプト記』
616 These are the names of the sons of Levi according to their generations: Gershon, Kohath, and Merari. And the years of the life of Levi were one hundred and thirty-seven.
レビの子らの名は、その世代に従えば、ゲルション、コハテ、メラリで、レビの一生は百三十七年であった。
-----------------------------------------------------------------------
620 Now Amram took for himself Jochebed, his father's sister, as wife; and she bore him Aaron and Moses. And the years of the life of Amram were one hundred and thirty-seven.
アムラムは父の妹ヨケベデを妻としたが、彼女はアロンとモーセを彼に産んだ。アムラムの一生は百三十七年であった。
-----------------------------------------------------------------------
この「レビ」とは「イスラエル12氏族の1つの祭司階級レビ族の祖となった人物」であり、日本で云えば「初代天皇」に近い存在であり、「出エジプト」という大遠征で活躍するアロンとモ-セの父アムラムを九州中の熊襲を退治する景行天皇に因んで、『古事記』に取り入れたと思われる。
でなければ寿命が長壽の「共に137歳」は偶然にしては出来すぎている。
②「高野山」という地名は何処から ?
『出エジプト記』には「高野 こうや」と読める場所「荒野 the wilderness こうや」が二十数回登場する。「高野山」という名の山はないという理由は恐らくこれを指すのだろう。
-----------------------------------------------------------------------
『出エジプト記』
427 And the Lord said to Aaron, "Go into the wilderness to meet Moses." So he went and met him on the mountain of God, and kissed him.
主はアロンに言われた、「荒野に行ってモーセに会いなさい」。彼は行って神の山でモーセに会い、これに口づけした。
-----------------------------------------------------------------------
※「荒野に行って」を「高野山に行って」、「モーセ」を「空海和上」に言い換えれば、立派に意味が通じる。
※アロン(海幸彦)はモ-セ(山幸彦)の兄でヤーウェイの神(海神、豊玉彦)から貰った杖(記では潮滿瓊・潮涸瓊という如意珠)を自由に操ってエジプト軍団を紅海の底に沈めている。
※アロンの杖はアーモンドの木で出来ている。そして、この杖にかってアーモンドの花が咲いたという。恐らく、御伽噺の「花咲じじい」の話に転用されたのだろう。
③何故か記紀にもある「エジプトのファラオの王宮」
「エジプト」の漢字表記は「埃及・埃」、とすると「ファラオの住む王宮」は「埃宮」となる。記紀を読んだことのある人は気が付いている筈で、
-------------------------------------------------------
『日本書紀』には「十有二月丙辰朔壬午、至安藝國(あきのくに)、居于埃宮(えのみや)。」
『古事記』には「亦從其國上幸而、於阿岐國之多祁理宮(たけりのみや)七年坐。」
-------------------------------------------------------
いずれも神武東征の安芸国の行宮(あんぐう)の名で『古事記』によると「埃宮」は「たけりのみや」と読む。「たけりのみや」の「たけり」とは日本武尊(やまとたけるのみこと)の「たける」と同じで高句麗の言葉では「将軍」という意味。もちろん学者の大好きな大泊瀬幼武天皇(雄略天皇)にもあるが、「建・武・竹・高」が付けば「高句麗系(筑紫系)」の「武将・将軍」を意味することさえ解ってしまえば、記紀の半分は簡単に理解できる。
-------------------------------------------------------
なお、『日本書紀』巻第二 神代下では天津彦彦火瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の山陵にも「埃 え」を使用している。「…天津彥彥火瓊瓊杵尊崩、因葬筑紫日向可愛此云埃之山陵(ちくしのひなたのえのやまのみささぎ)」
------------------------------------------------------------
あるいは紅海の海水に飲み込まれたファラオとその軍隊の墓場となったことを「埃之山陵」に擬えたのかも知れない。
0コメント