「大国主命」と「素戔嗚命」「事代主神」の関係、そして、改めて「出雲」とは?!

http://www.gakuyou.jp/doumotosan/saranarusinsouomotomete18.pdf【18 「大国主命」と「素戔嗚命」「事代主神」の関係、そして、改めて「出雲」とは?!】より

(1) そもそも、「大国主命」とは、一体何者なのか?!7つの名前(顔)をもつ男?!10 人の妻と130 人の子ども?!

ここで、もう一つはっきりさせておきたいのが、出雲の大国主命おおくにぬしのみことと、その出雲(神)の系譜についてである!いわゆる「記紀」における「素戔嗚命すさのおのみこと」の出雲降臨(進出?)、それを引き継いだ大国主命の国造り(+「少彦名すくなひこな」?!)、そして、その後の「高天原(吉備?)」勢力への「国譲り」と、裏の(譲らされる側ではあるが、多分真の?)主役である出雲(神)、とりわけその大国主命とは、どのような人物(神)で、彼ら出雲族(神)は、一体どのような存在で、「記紀」では、どのように描かれているのであろうか?!

「素戔嗚命」との関係(岳父関係?)は後で触れるが、まずは、その「大国主命」が、まさに「出雲」を代表する人物(神)で、異名・別名の多さも含めて、まさしく我が国古代史の最重要人物であったことは間違いないであろう?!まだまだ、ここでまとまった考察(さらなる推理?)が出来るほど、材料が整っているわけではないが、やはり、これまでの流れからすれば(南方系の倭人・海人族=安曇族の先住・拡散、次の半島最南部の伽耶族の渡来と北方系?の百済系倭人との交流・相克<「応神(縢?)」の渡来、その後の→天日矛→神功皇后・武内宿禰→事代主・住吉大神勢力?の活躍?!あるいは「海神わたつみ(住吉大神?)」と「山祇やまつみ(三嶋大神?)」の相克?>)、そこにおける「出雲(神)」、そして、その、いわゆる「大和王権」における立場・関係について、少しはここでも進展させておかなければならない状況にあるので、敢えて挑戦してみたいと思う次第である!

ちなみに、大国主命の異名・別名としては、大穴牟遅おおなむぢ神、大穴持おおあなもち命、大己貴おほなむち命、大汝おほなむち命(『播磨国風土記』)、大名持おおなもち神、国作大己貴くにつくりおほなむち命、八千矛やちほこ神(素戔嗚命の娘・須勢理毘売との歌物語での名。矛は武力の象徴で、武神としての性格を表す)、さらには、葦原醜男あしはらしこを・葦原色許男神・葦原志許乎(「しこを」は強い男の意で、武神としての性格を表す)、そして、大物主おおものぬし神(『古事記』では別神とされる。『日本書紀』では、国譲り後の別名?!)、大國魂おほくにたま大神、顕国玉うつしくにたま・宇都志国玉神(国の魂の意)等である!他にも、伊和大神いわおほかみ(『播磨国風土記』)、所造天下大神あめのしたつくらししおほかみ(『出雲国風土記』)、幽冥主宰かくりごとしろしめす大神、杵築大神きづきのおおかみといった具合いである!何とも、驚くばかりである?!

そして、さらには、この大国主命は、様々な女性(神)との間に、多くの子ももうけている!その数は、『古事記』では 180 柱、『日本書紀』では 181 柱。そして、『古事記』においては、以下の 6 柱の妻神がいたとされる(ただし、日本書紀では、古事記にはみえない妻神が、さらに1 柱おり、『出雲国風土記』では、それ以外にも、さらに何人もの妻神があったとされている?!)。具体的には、須勢理毘売すせりびめ(スサノオの娘。最初の妻で、正妻。)、八上比売やがみひめ(根の国からの帰還後では最初の妻とされる。間に木俣このまた神)、沼河比売ぬなかわひめ(高志こし国における妻問いの相手。間にミホススミ<『出雲国風土記』>、もしくは建御名方神<『先代旧事本紀』>)、多紀理毘売たぎりびめ(間に味鋤高彦根と下照比売の二神)、神屋楯比売かむやたてひめ(間に事代主)、さらには、鳥取ととりの神(八島牟遅能やしまむじの神or 八島士奴美やしまじぬみの神の娘。間に鳥鳴海とりなるみ神!『古事記』には、それ以降の系譜が、9代列挙されている?!)といった具合いである?!

以上は、ほとんどネット情報からまとめたものであるが、とにかく、こうした異名・別名の多さや妻子の多さは、大国主命(柱となる出雲神→杵築/出雲大社)が、古代において、幅広い地域で、様々に信仰(尊崇)されていたことを示し、その広がりと共に、各地域で信仰(尊崇)されていた土着の神と習合されたり、あるいはその土着の神の子が、彼の妻や子に位置づけられたりしているということであろう?!やはり、出雲(神)は、古代(のある時期まで?)の盟主的存在(「豊葦原中つ国」?)、あるいは中心であったということである?!

(2)「素戔嗚命」「事代主神」、そして「味鋤高彦根命」との関係は?!「恵比寿大黒様」は、何を意味する?!

ところで、その大国主命と関わっては、例の「国譲り」の前(前哨戦?)に、「天雅彦あめわかひこ」(アマツクニタマの子。詳細は不明!)が、出雲のへ攻撃はおろか、そこに同化し、大国主命の娘(宗像三女神の長女・多紀理毘売との間の子・下(高)照姫→伽耶奈留美?)と結婚しているが、その「天雅彦」とそっくりの「味鋤高彦根命」(下(高)照姫の実兄)が、その「天雅彦」の葬儀の時に、その似ていることを「天雅彦」の親に指摘されて(喜ばれ

て!)、不思議なことに?激怒し、喪屋を斬り壊したということである!何とも、おどろおどろしい話である(実は、あり得ない?だから、何かのメッセージ性がある?)?!

しかるに、この「味鋤高彦根命」と「天雅彦」が、瓜二つ、そっくりであったという人物仕立て?は、件の「記紀」の常套手段の一つであろうが(以前にも述べたように、何かの重要メッセージ?)、ここで考えられるのは、彼らが、もともとは同族であったが、あることを境に、関係・利害が相反するものになっていたという寓意?ではないか?!単に、話を面白くする(or 史実をはぐらかす?)ために、そうしたとんでもない?エピソードを挿入したとも考えられるが、記紀の「ドラマ仕立て?」は、そんなに単純ではないようである?!と言うのも、「記紀」で、その「味鋤高彦根命」は、たとえ大国主命の子であるとされているにしても、大和では「迦毛かも大(御)神」とも呼称され(出雲から大和に移住したとする説もあるが?!)、葛城(御所市)の「高鴨神社」(京都の「上賀茂神社」「下鴨神社」の元宮?)の祭神とされている人物である!しかも、その神(人物?)は、葛城賀茂社の鴨氏が祭っていた大和の神ともされ、『古事記』で、最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけである?!単なる、大国主命の子ではないのである?!そこには、いわゆる「賀茂(鴨)族」と「出雲族(神)」の微妙な?関係が暗示されているのであるが、実はそこには、もう一つ、宗像族(←三女神)との関係も暗示されているのである?!これらを、いかに整合的に捉えることができるのかでもある?!

これについては、これもまたネット情報からで恐縮であるが、いわゆる「三貴子(天照大神・月読命・素戔嗚命)」の誕生前に生まれた水蛭子ひるこ(蛭子命)が、かの有名な「恵比寿様」とされ、その後大国主命の子の「事代主命」も、その恵比寿様になったとされる?!しかも、『日本書紀』は、大国主命を素戔嗚尊の子とするが、『古事記』では、彼を素戔嗚尊の六世孫とする。つまり、『日本書紀』では、水蛭子の恵比寿様は、大黒様(大国主命)の伯父(or 伯母)、『古事記』では、大国主命の六世代前の先祖(素戔嗚尊)の兄(or 姉)となる。ただし、恵比寿様を信仰する者の多くは、そのような細かいことは気にせず、水蛭子(蛭子命)の恵比寿様を大黒様の子としているという?!そうなると、恵比寿様(水蛭子)は、大国主命(大黒様)の子の事代主神ということにもなる?!

ちなみに、『先代旧事本紀』では(も?)、事代主神は、大国主命と高津姫神(三女神の長女・タギツヒメ?!)の子とされているが、これについては、「海部氏勘注系図」で、高津姫神は「神屋多底姫」かむやたてひめの別名とされており、『古事記』の、大国主命が、神屋楯比売命を娶って生んだとする記述と一致するともいう。何とも怪しげな関係(「事代主神」と「味鋤高彦根命」は同一人物?!)ではあるが、それはそれとして、重要なこと?は、その事代主神が、三嶋溝橛耳みしまのみぞくひみみの娘の玉櫛媛たまくしひめとの間に媛蹈韛五十鈴媛命ひめたたらいすずひめのみこと(神武天皇の正妻!)をもうけ(『日本書紀』)、彼が、神武の岳父とされていることである?!しかも、第2代綏靖天皇の皇后は、『日本書紀』では事代主の女むすめ、『古事記』では師木県主しきのあがたぬしの祖・河俣毘賣かわまたびめとなっていることから、事代主は、大和在地豪族で、磯城縣主しきのあがたぬし(『日本書紀』)を任じられた弟磯城おとしきとの関連性もあるとされる?!

だが、一方で、「国譲り」の際、出雲の美保関で青柴垣あおふしがきに沈んだとされる事代主神は、伊豆の三宅島で三嶋明神になったとする伝承もある。富士山の神とともに10 の島を生み、現在の三嶋大社(静岡県三島市)に鎮座したとされる?!また、『古事記』にのみ登場する大山津見おおやまつみ神は、伊予三島(大三島)の大山祇神社の祭神であるが、木花之佐久夜このはなのさくや毘売や石長いわなが比売、神大市かむおおいち比売、手名椎てなづち・足名椎あしなづち(素戔嗚命の正妻・櫛稲田姫の両親)等、多くの神をもうけている!木花知流このはなのちる比売もその一柱とされていて、その彼女は、『出雲風土記』にみえる、素戔嗚尊の子・八島士奴美やしましぬみ神の妃になったともいう?!

(3)「出雲」と「葛城」、そして、そこでの「賀茂(鴨)」と「三輪(纒向)」の関係が、すべてを明らかにする?!

とにもかくにも、何とも複雑で、頭の中が最高に?混乱させられるが、以上、様々な情報(言い伝え)がある中で、改めて確認(整理?)すると、出雲に降臨(進出?)した素戔嗚命の子(ないし6世孫?)の大国主命は(素戔嗚命の娘・須世理姫を正妻として)、自らが行った「国造り」の果てに、「高天原」勢力(吉備?)から、その「国譲り」を強要され、承諾し、不思議なことに?、子?の事代主神が応諾すれば(出雲を代表するということ?)、

一族(「出雲族」)は、天津神(「高天原」勢力)に背かないだろうと言ったとされる?!何故、(冥界→杵築/出雲大社に隠棲した)大国主命は、多くの子の中で、事代主神の意向を尊重したのか、ここが需要なポイントとなる?!

これはおそらく、「出雲の国譲り」に際して、当の出雲(族)の内部に、「高天原」に靡いた勢力と反抗した勢力がいたことを示すものであり、前者が「事代主(系)」と「味鋤高彦根命(系)」、後者が「タケミナカタ」、つまり越・信濃・関東?の「出雲系諸族」であったわけであるが、前者のうちの「事代主(系)」が、最終的には、大和(「高天原」勢力)に靡いた、そして協力したということを、暗に示しているのではないか?!

ただし、その事代主神は大国主命の子とされているが、元々は出雲ではなく、大和の神で、国譲り神話の中で、出雲の神とされたともされる?!すなわち、事代主神は、元来葛城の「田の神」で、「一言主」の神格の一部を引き継ぎ、託宣の神格を持つようになった?!このため、大和葛城(王朝?)において、事代主神は重要な地位を占め、現在でも、宮中の「御巫みかんなぎ八神」の一つにもなっている!ちなみに、「事代主神」の「コトシロ」は、「言知る」の意で、託宣を司る神であり、「言」とも「事」ともされているのは、古代においては、「言(言

葉)」と「事(出来事)」は区別されていなかったためである?!いずれにしても、出雲(大国主)と大和(大物主・事代主)は密接な関係があり、その出雲(神)が、大和(葛城)では、仲良く?「事代主系(宗像氏?)」と「味鋤高彦根系(賀茂氏)」に分かれているようにも見える?!

彼らは、大和纒向(祭政都市)を主導したとされる「吉備」あるいは「尾張(氏)」と組んで、出雲を代表し、そこに、倭やまと氏(←海人族・珍彦or 椎根津彦)とか三輪氏が絡んでくる?!これが、初期大和王権の実体であった?!

余談ではあるが?、三輪(→大三輪・大神おおみわ)氏は、もともとは北部九州に居たとされている?!だから、「宇佐氏」(→「大神おおが氏」)や「宗像氏(神社)」との関係も見逃せない!?大和(葛城)に出雲(族)がいて、賀茂氏や葛城氏(こちらは特定の氏族ではない?!)がそれと関わり、ある時期まで「三輪(纒向)」に加わっていたことは間違いないが、当の「出雲」には、記紀とは異なる「出雲神話」を載せる『出雲国風土記』、「出雲国造神賀

詞」もある?!その意味でも、「記紀」は、ある立場・勢力からの説明(言い訳?)に過ぎないのかもしれない?!

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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