躑躅

https://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0481/ 【Q0481ツツジは漢字で「躑躅」と書きますが、2文字とも「足へん」です。どうしてですか?】より

A

「薔薇」はバラ、「葡萄」はブドウ、「菖蒲」はアヤメ。いかにむずかしい漢字でも、「草かんむり」が付いててくれれば、草花の名前であることはわかります。でも「躑躅」ときた日には、これがあのきれいなツツジを表すなんて!難読漢字のクイズによく出題されるのも、もっともです。

この「躑躅(音読みではテキチャク)」を小社『大漢和辞典』で調べてみると、意外なことがわかります。まず最初に出てくる意味は、「足で地をうつ」。2番目は「行きつもどりつする」。3番目は「躍(おど)りあがる」。てな具合で、なかなかお目当てのツツジが出てこないのです。

でも、「躑躅」の意味が本来はこの3つだったとすれば、「足へん」が付いているのはナットクできるところ。でも、こんな意味を持つ漢字2文字が、どうしてツツジの花を表すことになったのでしょうか。

『大漢和辞典』の「躑躅」のところでは、ツツジという意味が書かれているのは4番目になるのですが、そこに、「羊躑躅(ヨウテキチャク。ツツジの一種)」に関連して、5~6世紀ごろの学者・陶弘景(とうこうけい)の意見として、次のような興味深い話が載っています。

羊がその葉を食べると、「躑躅」して死ぬ。それで「羊躑躅」というのだ。

また、別の本には、次のようにあるとも書いてあります。

食べれば死ぬので、羊たちはこの葉を見ると「躑躅」して散り散りに分かれてしまう。だから「羊躑躅」という名を付けたのだ。

どちらの場合も「躑躅」するとは、「おどり上がる」ことなのでしょうか?後の説では、羊さんもちょっと賢くなったようですね。

何にしろ、このあたりが、ツツジを「躑躅」と書く由来のようです。でも、本当でしょうかねえ。ちょっと、おもしろすぎやしませんかねえ。


http://www.hakueikai.or.jp/akabane/%E8%BA%91%E8%BA%85%EF%BC%88%E3%83%84%E3%83%84%E3%82%B8%EF%BC%89/#:~:text=%E4%BB%8A%E3%81%8C%E6%97%AC%E3%81%AE%E3%83%84%E3%83%84%E3%82%B8,%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%A0%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82 【躑躅(ツツジ)】より

新緑の季節となりました。ツツジや、チューリップ、ネモフィラなどが野原一面に咲き、藤やモクレンが青い空に映えて、色とりどりの景色が春を讃えています。

新型コロナウイルス感染症も、終息はしていないものの、このたびより5類感染症となり、インフルエンザと並んで「(少したちの悪い)風邪の一種」とみなされるようになって、名実ともにウィズコロナの時代に突入することになりました。

今が旬のツツジは、漢字では「躑躅」と書きます。この難解な漢字は二文字ともに足偏で、「躑」がたたずみ、足踏みすること、「躅」は足摺をしてあがく、という意味で、2つ合わせて「行きつ戻りつ足が先に進まない事」を指し、「足が止まるほどに見とれる美しさをもつ花」という意味なのだそうです。ただ、今の私達は、足を止めているわけにはいきません。新型コロナウイルス感染症の蔓延で停まっていた数々の経済活動や本来の人間としての活動を前向きに進めていかねばなりません。そしてそのためにも、コロナから逃れることだけを考える生活ではなく、なによりも体が資本と考え、自分の体全体すべてについて健康に気をつける時でもあるわけです。このコラムで、何度も申し上げていることですが、まだまだ病院から遠ざかっていた方が多いことも事実です。今日もまた、コロナ流行以来のこの3年間、健康診断すらしていなかった人が受診されました。そして蓋を開ければやはり、という結果でした。

コロナウイルスの流行によって、失ってきたものがあまりにも多いと言えます。リモート・ワークが推奨された分、言葉だけは伝わっても、相手の熱気や心意気、誠実さなどまではなかなか伝わってくることはなく、人間同士の真のコミュニケーションに大きな制約がもたらされてきました。私共の世界でもリモート診療という形式がありますが、脈もとれず、聴診器すら当てることができずに、どうして真の診療ができるのだろうか、大きな問題とされてきました。しかし、今回からようやく、本当に心を通わせた人と人の繋がりを考える時が戻ってきたと考えるべきであり、病気の早期発見も当然ですが、より悪い病気にならないように健康を維持しマネージメントする場所として医療機関を積極的に利用していただく時代に戻ったと考えるべきであり、そのことを改めて心に留め置きたいと思っております。

病院もまた人が造り、人との真摯なコミュニケーションをしなければならないところであり、その対応には数々課題があることを承知しておりますが、感染症対策は十分考慮したうえで、少しでも安心して受診でき、そして安心して帰宅していただける病院となるよう、引き続き励んで参りたいと思っております。


Facebook加藤隆行さん投稿記事【勘と自己肯定感】

先日、テレビでクイズ番組を見ていて、面白い体験をしました。

問題)なえ = 左  たろ = ?

答え3択) A.田 B.名 C.北みたいな問題があって「なえ」は「ナエ」とカタカナにして

組み合わせると「左」となる。だから答えは「たろ」=「タロ」=「名」。みたいな問題が出る。で、もっといろんな種類が出題されるんだけどこれがね面白いぐらいに出てきて一瞬で答えがわかるの。

その時は「勘」が冴えてたんだよね。こういうのボクが得意ってのもあるんだけどこれがちょっとおもしろいのは「理屈」が分かる前に「答え」がわかる。嫁さんと観てたので「エスパーかよ!」って言われました笑

パッと観ただけで「あ、答えはBだよ」ってわかるのね。でもその理由はわからない。

理屈は後でBが答えである前提で考えてみてはじめてわかるのです。

これってね、ボクがエスパーなんかもしれんけどw実際は脳内でやっていることは過去のさまざまな膨大なる「記憶のデータベース」と一瞬で照合して・パターンとしてこういう場合は

 コレが正解の可能性がめちゃ高いというのを、体感覚レベルで導き出してるのね。

これを一般的に「勘」といいます。ボクは「ビジュアル:映像」でパッと見てこういうパターンを一瞬で捉えるのが得意。嫁さんは「オーディオ:音」で捉えるのが得意。

だから「クイズドレミファ・ドン」(古っ!)とかめっちゃ得意なワケw

曲の最初の 0.1 秒聴いてわかる。ボクのクイズのハナシはつまりこれと一緒。

ボクはドレミファドンは、からきしだからね笑

でね、クイズのハナシの続きで面白いのは「勘」を使って【感じて】答えるよりも

「理屈」から【考え】て答えようとするとことごとくハズレるし、わかんないのよ。

制限時間もあって焦るし。アタマよりも、カラダの「勘」が先。

「感性」とか「フィーリング」とか言う言い方もする。

社会で活躍できてる人たちってみんなこの「勘」を自然に使って生きるのが上手な人たちなんよね。【「カラダ」で感じる】ことを信じていて【「アタマ」で考える】のはその補助だと知っている。

優秀な経営者の方々ってみんなこういう鋭い「感性」を持っている。「あ、これで行こう!」と感じてあとから数字やシミュレーションで理屈で考えて検証し、その精度を上げていく。

だから上手くいく。

そんで、これが出来るようになればなるほど「あ、理屈じゃないんだ」「自分の感じたことを信じていけばいいんだ」と、自分への信頼=自信=自己肯定感がどんどん高くなっていくという仕組み。

人生がうまくいかない人って【アタマ】に支配されてるの。

【アタマ】ってのは数字的には、統計的にはとか、常識とか、フツーとか、一般的には、周りがとか地方だから都会だからとかこっちが得でこっちは損とか男だから女だからとかこうあるべき、ねばとかそーいう「思い込み」。これらの自分への縛りを出来得る限りはずしてカラダもアタマも自分を自由にしてあげてカラダで「感じた」ことを信じてアタマで「考えて」よりブラッシュアップして生きていく。

こっちが好きで、こっちは好きくないこれがいいかも、あれはちょっと違うフツーはこっちだろうけど、なんか違和感ある「カラダ」からの声を信じる。「アタマ」はあと。

これが「勘」の使い方。そして「自己肯定感=自信」の育み方の本質。

まあ長々書いたけどシンプルなこと。「こっちがいいな」「これがいいな」に従って生きてみて。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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