八條忠基 @EeoduLzbYVjTprk
暖かい今日の東京。スミレが咲いています。スミレは何故かコンクリートの割れ目のような所を好みます。
昔見し 妹が墻根は荒れにけり つばなまじりの 菫のみして(藤原公実)
浅茅生の 荒れたる宿の壺菫 たれ紫の 色に染むらむ(藤原顕仲)
平安・鎌倉時代から荒れたイメージです。
八條忠基 @EeoduLzbYVjTprk
スミレ(Viola mandshurica )のほか、タチツボスミレ(立壺菫、学名:Viola grypoceras)も見つけました。「壺」(坪)は、内裏の藤壺や桐壺と同じように「小庭」を意味し、「庭に生える菫」という意味です。
八條忠基 @EeoduLzbYVjTprk
なぜスミレが石の割れ目などを好む「ど根性」なのか。Twitterのフォロワー様から教えて頂きました。アリがスミレの種子を運ぶので、アリの巣の周りに生えやすいのだそうです。勉強になりました。Twitterさま、アリがたや。
八條忠基 @EeoduLzbYVjTprk
スミレの種子にはエライオソームと呼ばれる、特殊な付着物があって、アリがこのエライオソームが出す匂いに惹かれて、自分の巣のなかへ種子を運び込みます。アリはエライオソームだけを食べて、種子は巣の近くに捨てられるのだそうです。
八條忠基 @EeoduLzbYVjTprk
そのため時期がくれば、アリの巣から芽を出すというわけ。コンクリートの割れ目を好むのはスミレではなく、アリだったのです!たいへん勉強になりました。
ひさかたの天の鵜岳やさざれ石 高資
国家「君が代」には、一番から三番まであります。(実は恥ずかしながら「君が代」に二番三番があることを知りませんでした。最近Kazuo Nishinoさんから教えて頂きました。)
君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで
君が代は千ひろの底のさざれ石の鵜の居る磯と現はるるまで
君が代は千代ともささじ天の戸やいづる月日の限りなければ
これらに詠まれた「さざれ」「鵜」「戸」は、それぞれ、久賀島細石流(さざれ)、久賀島鵜岳、福江島戸岐に当てはまるのではないでしょうか。また、日、月、天などにかかる「ひさかたの」という枕詞も久賀島の「ひさか」に由来するのではないかと思われます。
http://www.biwa.ne.jp/~m-nakura/sazareisikaisetu.htm 【さざれ石解説】より
「岡神社さざれ石」について
「君が代」に「さざれ石の巌となりて」と詠まれた岐阜県春日村産の「さざれ石」は岐 阜県の天然記念物に指定されている。「さざれ石」の名称は、平安朝の姫君の名前で「さ ざれのきみ」というお伽草子の中のお話がもとになっているという説がある。しかし、「 さざれ石」というのは元来「細石」と書き、小さな石のことであり、石質は各地様々で外 観上小さな石の隙間が炭酸カルシュウムや水酸化鉄等で埋められ固化した石を一般に「さ ざれ石」と呼んでいるようである。滋賀県で有名なさざれ石は「姉川さぎれ石」で、岩質 は砂岩・泥岩・頁岩・粘板岩・チャートのホルンフエルス(Hornfels接触変成岩)や玄武 岩・マンガンノジュール等からなるさざれ石で、色は黒色のものが殆どである。これに対 し、京都の「さざれ石」はチャートの角礫岩、春日村のものは灰白色の石灰角礫岩と、岩 質は全く異なったものである。米国では石灰角礫岩をトウファ(Tufa)と呼んでいる。 岡神社には春日村の「さぎれ石」と全く同じ石灰角礫岩が露頭に見られ、石垣にも多数 用いられており、現在では、観察することすら難しいさざれ石の宝庫となっている。流水 による運搬浸食でできる円礫と違って、角礫は崖下等で岩が崩壊し壊れたままのもので、 どうして岡神社に角礫さざれ石があるのか大きな謎である。 この謎を考えてみると、「姉川さざれ石」は姉川上流の伊吹山北部の古生代に形成され た古生層が、更に北側の花崗岩の貫入(中生代末期)によって熱変成をうけてできたホル ンフエルスによってつくられているのに対し、「岡神社さざれ石」は海水中の炭酸カルシ ュウムの沈殿でできた石灰岩からなる伊吹山が、フイリッピン梅プレート等により横臥褶 曲をうける等の地殻変動の結果できたものと推定される.それが、関ケ原活断層に沿って 断層の南側は相対的に西方へずれてきて現在位置にきたものと思われる.元の位置は石灰 岩崖のある弥高付近と想像できるが、もし、そうだとすると岡神社の移動速度は一般に考 えられているものよりかなり遅いものとなる.また、岡神社が小高い丘となっているのは姉川が南へ直進し天野川と連なり丘の西や東側を流れていた頃、丘をつくる角礫岩の堅さ が浸食に耐えたことを物語るものと考えられる. 姉川流域にあって「姉川さざれ石」とは異なった「岡神社さざれ石」は、大自然の歴史 を宿しつつ、神域として守られてきた貴重な天然記念物であると考えられる.また、この 丘を神の社とした先人達の叡知に頭の下がる思いである.(平成11年3月25日 一色)
https://ameblo.jp/ultraruper/entry-10882678450.html 【さざれ石】より
日向灘を見渡す絶景の柱状節理の上に鎮座する大御神社
柱状節理は約100万年前、大御神社の沖にある海底火山の活動によってできた大自然の造形物
大御神社一帯を中心に高さ20~70m、南北20kmに渡って見られ、規模は国内最大級
ニニギノミコトや神武天皇の神話を伝え、アマテラスオオミカミを御祭神として祀る大御神社
御由緒もロケーションもこれだけで十分強力な神社なのだが…
さらに超ビックリな大発見が平成15年、境内地拡張の際に見つかった
神社に伝わる古文書によると、ニニギノミコトはこの地で「千畳敷の磐石」にて絶景の大海原を眺望したと伝えられていたが、長く「千畳敷の磐石」がどこにあったのか解らないままであった灌木や雑草の生い茂る薮の中から姿を現したニニギノミコトの神座(かみくら)
周囲30m、高さ4m伝説の磐石は境内の拡張工事によって発見された発見はこれだけでは終わらない驚くことに「神座」を含む周辺の 岩石は国内最大規模の「さざれ石」群であることが判明「さざれ石」とは日本の国歌、君が代に歌われる
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまでの「さざれ石」である
ニニギノミコトが絶景の日向灘の大海原を眺望したであろう「神座」は正に「さざれ石の巌」であったのである
「さざれ石」は雨水で溶解した石灰岩の石灰質の作用により、小石や砂礫がコンクリート状に凝結、固化したものの総称
大御神社周辺のさざれ石は、約2000万年前、この地がユーラシア大陸の周縁部の浅い海岸平野であった時代に、大陸の奥地から川の流れによって運ばれた砂や石が堆積、長い年月の間に固まったもの
最後に「君が代」の意味
天皇を日本の象徴と仰ぐ日本の国は長い年月をかけて小石が粘土や砂などと混じって大きな岩となり、その上に美しい苔が一面に生えるようにいつまでも平和で栄えますように
大御神社パンフレットより抜粋
https://ameblo.jp/ultraruper/entry-10883318078.html 【君が代♪の意味】より
日本国創成の神話に登場するニニギノミコトゆかりの大御神社に実際にあった天然の「さざれ石の巌」
日本の国歌、「君が代」の詩の意味は今まで、いまひとつピンときていなかったのだが…
山の岩は川に削られて小石や砂粒になっていくことは、なんとなくイメージできても、それがまた固まって岩になるとは…
日本という国が石や砂が固まった「さざれ石の巌」の上にできた国であるということを実感
「君が代」に詠まれている通り、ニニギノミコトの時代から現在、そして未来へ
日本がいつまでも平和で豊かで栄えますように
大御神社は日本という国を見つめ直す場所として、一人でも多くの人に是非、訪れていただきたいお薦めのパワースポット
https://ameblo.jp/ultraruper/entry-10883511366.html 【日向灘海底火山活動の跡】より
大御神社周辺で発見された国内最大規模のさざれ石群
かって日本がユーラシア大陸と陸続きであった今から約2000万年前の痕跡
さざれ石となって固まった小石や砂粒は、はるか2000万年前に中国大陸の奥地からこの辺りまで流れてきた
その後、今から約100万年前、日向灘の海底火山活動によって、海底から陸地へ火砕流が流入
さざれ石と海底火山活動によってできた柱状節理との境界?
この他、海底火山の火砕流とさざれ石の境界、火砕流がさざれ石を巻き込んで混在しているところ?も見られる
大御神社のすぐ後ろにある柱状節理
こちらは親亀岩
こちらは子亀岩(手前)と孫亀岩(奥)
世界中で唯一、建国当時の王族の家系が現在に至るまで存続している日本の国を象徴するかのような縁起のよい柱状節理
宮崎県日向市の大御神社は地球のエネルギーのスケールの大きさとはるかなる悠久の時の流れ、日本の国の神聖さを実感できるお薦めのパワースポット
大御神社に隣接する日本の水浴場88選にも選ばれている伊勢ヶ浜海水浴場
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