https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498747429.html 【カタカナ俳句について】より
例えば「コンビニ」とか「レストラン」とか「アニメ」とか「カフェ」とか、そういうカタカナを入れた俳句をいやがる傾向が一部に見られる。
そういう俳句は、カタカナ俳句と呼ばれている。
批判する人たちから言わせれば、「正しい日本語の伝統を守りたい」ということのようだ。
なんとなく「カタカナ俳句蔑視」の風潮がある。しかし…、である。
よくよく考えてみれば「カタカナ」はれっきとした立派な日本語である。
しかも日本で一番最初に生み出された日本語である。「カタカナ」は「伝統」なのである。
そのことを忘れているようだ。
私に言わせれば「カタカナ俳句」を蔑視する人は、逆に「日本語の伝統を軽視している」わけだ。
ちなみにカタカナもひらがなも「漢字」から生まれた言葉で、平仮名は漢字を崩して生まれた。
例
安→あ 以→い 宇→う 衣→え 於→お
これに対し、カタカナは漢字の一部を使用して生まれた。
例
阿→ア(「阿」の右部分) 伊→イ(「伊」の左部分) 宇→ウ(「宇」の簡略(?)または下部分)
江→エ(「江」の右部分) 於→オ(「於」の左部分)
どちらも「立派」な日本語で、むしろ「カタカナ」こそ「古き良き伝統」なのである。
つまりこういうことだ。
批判する人は「カタカナ俳句」ではなく、本当は「外来語俳句」と言うべきなのである。
外来語は基本的に「カタカナ」で表記される。
しかし、これもよ~~~く考えていただきたい。
テレビ、ラジオ、パソコン、エレベーター、エスカレーター…。
自分たちの周りには「外来語」があふれている。自分の周囲を丹念に詠んでいけば、写生してゆけば、外来語は自然と入ってくるのである。
それに、俳句の伝統とは、別に、正しい美しい日本語を引き継ぐこと、守ることではない。
松尾芭蕉の「不易流行」ではないが、「今の詩」を作ることである。
さらにいえば芭蕉も、俳諧の益を俗語を正すこと つまり、俳句の醍醐味はふつうの言葉で詩を作ることと言っている。
カタカナ俳句を作らない、という人は、逆に言えば、周囲、生活に目を向けず、鳥よ、花よ…と詠っている「おめでたい貴族趣味の人」と言うことになるのではないか。
俳句の成り立ちを考えてみてほしい。
俳句(俳諧)が生まれるまで、「漢詩」は漢語、「和歌」は「やまとことば」で詠むものだった。俳句の革新性は「漢語、やまとことば、俗語ごちゃまぜにして作る」ということなのである。その庶民感覚と精神を忘れてはいけない、と私は思う。
たしかに面白がって、意図的にカタカナを多用する俳人のいて、そういう俳人は相手にしていない。
ただ、自分の生活を素直に詠んで、自然と外来語、カタカナが入ることはごく自然なこと、とこれからの俳壇は意識すべきだろう。
そういうことを排除する人(これが結構、お偉い俳人に多いのである…)は、俳句の未来を阻害してしまっていることを自覚すべきである。
俳句の本質の一つに、和漢混合がある。
これは、俳句は「和語」と「漢語」の「混合」の詩ということである。
当時は「漢文」「漢詩」は日本や日本語にとって重要なものだった。しかし、今、漢詩をやっている人なんてほとんどいない。ならば今は(…というかとっくの昔に)和洋混合となっていいのである。
それが俳句が革新的、挑戦的文学である証明なのだ。
もちろん「有季定型」の枠のなかで、革新的、挑戦的に、そして自由にチャレンジすべきではないだろうか。
https://jhaiku.com/haikudaigaku/archives/179 【がいらいご・外来語【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア/蜂谷一人】】より
外来語を使うとハードルが上がります。つまり句会で高得点を得るのが難しくなります。俳句は日本の文芸ですから、外来語はうまく馴染ないという意見の方がいらっしゃるのです。
なるほど一理ありそうです。しかもコンビニエンス・ストアをコンビニ。スマートフォンをスマホと略すなど論外とか。
ところがそういう方でもデパート、テレビなどのカタカナを使ったりもします。デパートメント・ストア、テレビジョンでは長すぎて俳句に用いづらいのでしょう。さらに歳時記にはナイターなどの和製英語もちゃんと載っています。
結局のところ、耳に違和感のある外来語は駄目。安易な略語はもっと駄目。でも、ある程度の歴史を持ち、日本語として受け入れられていれば和製英語でもOKということなのでしょう。
その理由について考えてみましょう。あなたは自分の作品を何年先に残したいですか?そう問われたらなんと答えますか?一年?十年?百年?一年先が目標なら、スマホを使うのにためらうことはありません。一年後にもスマホはちゃんと残っているでしょう。では十年後?スマホがあるかどうかちょっと怪しくなってきました。十年前といえばスマホは出たばかりで多くの方が携帯電話、今日のガラケーを使っていたはずです。百年前?勿論スマホもコンビニもこの世に存在していなかったでしょう。
もしもあなたが百年後に作品を残したいなら、安易な外来語は駄目。外来語は和語とくらべて消えてゆく時間が短いのです。百年後の人が理解できない言葉を使用した句が、百年後に残るはずがありません。ちなみにトリノ・オリンピックでフィギュアスケートの荒川静香さんが金メダルをとったとき、日本中の俳句愛好者がイナバウアーを詠みました。覚えていますか?身体をそらせて滑る技の名前です。トリノ・オリンピックは2006年。すでに知らない世代も増えてきました。あなたは今、イナバウアーを詠む勇気をお持ちですか?
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