Facebook相田 公弘さん投稿記事「ため息の力」

「最近、調子がいい人、食欲があって毎日笑って過ごせる人は病気で、『あぁ~』とため息をついたり、憂鬱になったり、気持ちが沈んでいる人のほうが健康的なんじゃないか」と作家の五木寛之さんは語っていた。

年間3万人を超える人がこの平和な日本で自殺している。

戦後半世紀の右肩上がりの時代に誰も体験しなかったような状況が今日の日本にはある。

こんな時代にあって、「何と言うことだろう」と嘆き悲しみ、心が萎えてしまうのは、健康な精神の持ち主なら当然のことである、というわけである。

「心が萎える」というのは、「しおれる」「しなえる」という意味と同義語で、一般社会ではあまりよくないこととされている。

しかし、五木さん言う。

「萎えたり、しなびることで、折れずにすんでいるんです。だから萎えていいんです」

雪国では木の枝に雪が積もると、その雪の重みに絶えかねて太い枝でも折れてしまうそうだ。

ところが、柳や竹のように細い木は、雪が少し積もっただけで枝がしなえて雪をふるい落とし、またもとの状態に戻る。

「そんな木を見ていると人間の心も萎えていいんだなぁと思うんです」

ため息をつくことで、萎えた心をしゃんと元の状態に戻そうとしている。

ため息には命を活性化する力があるんです、と。

もう一つ、現代社会に対する五木さんの文学的なメッセージは「いのちの軽さ」だ。

自殺や他殺の動機はとても軽い。これは心が乾いているからだと思う。

カラカラに乾いたものに、さらに熱を加えると焦げて、握るとばらばらに壊れてしまう。

水分、湿り気が必要だ。現代社会に欠けている潤い、水分、湿り気、これは一体何なのか?

「一言でいうとそれは『情』ではないでしょうか。

愛ではだめなんです。愛情が必要です。メル友だけではだめ、友情が必要です。

熱があるだけではだめ、情熱が必要です」

戦後日本人は「情事」とか「義理と人情」というように、じくじくした人間関係を嫌い、

お互いのプライバシーに踏み込まないような、あっさりとした関係を好んだ。

しかし、今日のようにカラッカラに乾いてしまった社会には、むしろ『情』という水分を補給し潤う必要がある。

「その湿り気は涙ではないか」と五木さんは言う。

「泣きなさい、笑いなさい」と歌った『花』という歌が大ヒットした。

涙を流すことは笑うことと同じくらい大事だ、と訴える。

共に笑い、共に泣き、萎えた心に大きなため息をつきながら、明日の日本を語ろう。

------------------------------------------------------------------------------

この文章を読んで少し心が楽になりました。ため息をついた方が良いんですね。

逆に頑張りすぎると折れてしまう。しなやかに生きたいものです。

泣くことも忘れずに・・・※フェイスブックページより


https://ameblo.jp/shootaka/entry-12798656436.html 【【相聞俳句】3「情」】より

わが情を擦り抜けし猫春の闇  翔

(わがじょうをすりぬけしねこ はるのやみ)季=春の闇(春)2009-03-09    

大高 翔より。

大高翔は、相聞俳句では、どうも失恋路線を邁進中です。

坊城先生の「闇を出づ」とは逆に、“闇へ入る”イメージで詠みました。

人間の情をうるさそうに振りほどき、深い春の闇へと走り去る猫の後ろ姿、描けているでしょうか?

◆坊城俊樹 06

山笑ひ鳥歌ふ情なしとせず 俊 樹

(やまわらいとりうたう じょうなしとせず)季=山笑ふ(春)2009-03-11


Facebook有安 量哉さん投稿記事 『高濱虚子』の《俳句への道》から引用。

 私はパリに行っていわゆるハイカイ詩人の一団と牡丹屋ぼたんやという日本人の経営している料理屋で会ったことがありました。ハイカイ詩人というのは、日本に滞在していたクウシュウという医者が、日本に俳諧と称となえる詩があることを知って、それをパリに帰って、それに倣ならってハイカイという詩を広めたのでありました。

そうして、そのハイカイと称える詩を旺さかんに作って名を成した人にヴォカンスという人がありました。これはもう相当の老人でありました。その人はハイカイ詩人の集りには欠けていました。私は別にその人の家に招かれました。私と同じ位の齢恰好としかっこうと思いました。このヴォカンスでも前のハイカイ詩人の集りでも、十七シラブルの詩を作るという事は俳句の十七字ということに倣っているのですが

俳句に大切な季という事になりますと少しも問題にしていないことを知りました。そうしてその詠ずる所のものは、主として哲理めいたもの、時事諷刺ふうしに類したもの、理想を諷うたうもの、感情を述べるもの、の類でありまして、それらの思想は剥むき出しに諷詠されていました。私はそれらの人々に向むかって季ということを説いてみました。

俳句というものは四季の諸現象を詠うたうもの、また、感情や理想や、たまには哲学めいたものを詠うのもよろしいが、それにしても季に拠よってこれを詠うものである。それが俳句の特色である。そういう事を説明してみましたが、多くのハイカイ詩人はその事を首肯しゅこうしませんでした。

ただ、その席にいたクウシュウ(前に言った如ごとくハイカイというものを日本から持って帰って、それをパリの詩界に移し植えた人)は、こういう句を作って私に示しました。

● Dans un monde de ros

  Sous la fleur de pivoine rencontre d'un instant.

《露の世に お目にかかったひと時 ぼたんの花の下で》

-------

ポール・ルイ・クウシュウ   Paul Louis Couchoud

というのでございました。これは遉さすがに露という季を入れていて、私に逢あったクウシュウの心もちを述べたものでありまして、俳諧の規則に叶かなっております。が、その他の人のになりますと俳句とは全く縁の遠い季のない唯ただの詩でありました。十七シラブルという型を守っていることのみによって、ハイカイと称えていることを知りました。

私は、それでは俳句ではない、という事を申しましたが、それには合がッ点てんが行かないようでありました。詩というものは感情を述べるものである、思索を述べるものである、そんな季という如きものを必要とするということは合点がいかぬと申しました。

 今、急に季の事を申したところで、それを諒解りょうかいするまでには相当の年月を要するでありましょう。第一歳時記というようなものはフランスにはないのであります。日本でも北村季吟きたむらきぎんがはじめて『山之井やまのい』という季を集め評釈したものを作り、それからだんだん元禄げんろく・天明てんめいを経てその季の数もふえて来曲亭馬琴きょくていばきんのあの綿密な頭で『歳時記栞草しおりぐさ』なるものを拵こしらえ、明治・大正・昭和になって種々の歳時記が刊行されるようになり、季題というものの集輯しゅうしゅう排列がやや整備したものになっている現状であります。日本ですらそうでありますから、今俄にわかにパリで季の事を言った所でそれが人々に受け入れられるということは無理な註文ちゅうもんであります。私は徐々と彼らに日本の本当の俳句というものを知らしめるために、俳句の翻訳ほんやくを試みてそれを毎月の雑誌に載せ、せめて季ということに親しまそうと試みましたが、モロッコに居るフランス人がそれに刺戟しげきされて季のあるハイカイ詩を送って来たこともありましたが、その後大きな戦争が起ってその事は中絶してしまいました。最近にヴォカンスと戦後はじめて書簡の往復をしましたが、ヴォカンスはやはり季ということは問題にせず、ハイカイ詩を作っておるということを言って来ました。

 僅わずかの間の旅行でありましたが、この六十日ばかりの旅の間、各地の天然の風光が俳句には成りにくいような心持がするのでありました。それは前に申しましたように、その土地の人々の住居と自然の風景とが日本ほど親しめない、ということが一番の原因であったかも知れません。また山川草木の上の気候の現象が顕著でないのに原因するかも知れません。

ベルリンに行った時分に、ヴェルダーという所に車を駆って行ってみました。そのヴェルダーという所は桜の名所となっている所だそうでありまして、沢山の桜の木がありまして、その桜の下には沢山のテーブルがあって客が殆ほとんどいっぱいに占領していました。が、どうもその桜というのが私に与える刺戟が薄うございました。

またその桜を見ている人々の容子ようすが、私に句を作らすという雰囲気ふんいきを作ってはくれませんでした。ベルギーのアントワープの郊外にヒヤシンスやチュウリップが沢山に咲いている花畠を見に行きましたが、その時もその花畑の中にラジオの車が据すえてあって盛さかんに唄うたを歌うていた以外には少しも感興を唆そそるものはありませんでした。

また、ロンドンのキュー・ガーデンに吟行のつもりで行ってみました。折節おりふしロンドンの子女しじょは春のさかりの梨なしの花や日本から移された桜の花の咲いておる中に三々五々歩を運んでおりましたが、その光景が日本の花の盛りに見る感じとはどことなく違っておりました。

 これらは天然その物、季節その物の感じが日本とは違っているのか、またはその天然、季節に対する人々の感じが違っているのか、とにかくそこに俳句というような花鳥風月を詠う詩を生み出すべき原因が虧かけているように思われました。今日まで西洋に花鳥諷詠詩というものが興らなかったという事も、やはりそうであるべき運命であったのかと思われました。

尠すくなくとも今の所、「季寄せ」「歳時記」というものが制定されず、人々をして人間生活の外に花鳥風月の世界のある事を知るに至らしめない原因があることを思わしめました。

 斯かく考え来りますと、我ら日本人が祖先からこの天然の種々の現象に心をとめ、四時の遷うつり変りに情を動かし、この大自然と共に豊富な生活をしてゆくことは天恵といわねばならないのであります。

 縁と庭とは極めて親しいものとなっていて、人を煉瓦の壁の中に閉じ込めずに、草木の間に常に開放するように出来ておる日本の家屋に住んでおるという事は、極寒極暑ごっかんごくしょの世界に居るものの知らないところで、温帯殊ことに我が日本に特に恵まれた自然の賜たまものではないでしょうか。そうして俳句という自然詩が生れ来ったということは何よりの幸福ではないのでしょうか。

 日本でも都会生活がすすんで来、高層ビルデングが建ち並んで来ると、自然に生活が西洋風になって来る、それのみでなく、西洋の文芸の思想が日本人の頭に浸潤してくるとその思想も西洋化してくる、一応はそういう風に考えられもするのでありますが、しかしながら天然の風光が明媚めいびで

また、四時の巡環が順序よく行われる、その天恵を享受しているこの日本にあっては、祖先伝来の特殊の文芸である花鳥諷詠詩が存在して居るということを忘れてはいけません。のみならずこの世界に独歩せる民族的文芸を更に更に発達せしめなければならぬのであります。また西洋から浸潤して来る新しい文芸思想を花鳥諷詠詩たる俳句に移し植えようとするのは無理な註文といわねばなりません。

俳句は私等の父祖より伝わって来ている伝統の文芸でありまして、私たちはこれを守り育ててゆくことに義務と誇りを持って居るのであります。その土地に育って来たものはその土地に育つべき運命を持っているものであります。ロシアの文芸、フランスの文芸、それらはその民族の生んだところの文芸であります。その民族の匂においと誇りとを持っているものであります。

我が日本の文芸もまた日本に生れるべき運命を持って生れて来た文芸であります。これまた民族としての匂いと誇りとを持っているものであります。私はどこまでも俳句というものは季というものをおろそかにすることは出来ない性質の文芸であるという事を、牡丹屋におけるハイカイ詩人の集りの席上でも、ヴォカンス邸の集りでも強調したのでありました。しかしながらフランスの人々が、季という事に重きをおかないばかりか、季ということを問題にしようともしないという気もちもほぼ分るような心持がしたのであります。

それはフランス始めその他の地方でも見た景色、山川草木に現れる四季の変化、その色彩、その感覚というものが、日本の内地におけるものとは異ことなったものがあり、その四季の変化が人に及ぼす力、また人のそれを受取る用意、それらは日本人とは大いなる相違のあることを見たからであります。

 私はその点において、日本を振り返って蓬莱島ほうらいとうという言葉を思い出しました。(私は以前に、「日本百景」の俳句集を毎日新聞社で発行する時、その書物の題字を何と書いたらよいかということを社長の本山彦一もとやまひこいち氏に聞かれて、「蓬莱島」でよかろうと答えて、その通り書かれたことがあった。)日本は東海の孤島ともいうべきものでありましょう。アジアの大陸、ヨーロッパの大陸、アメリカの大陸等に較くらべたら寔まことに渺びょうたる島であります。

しかしながらその比較的小さい範囲の中に山岳があり湖沼があり高原があり平原があり、河川があり瀑布ばくふがあり、火山があり温泉があり、海岸線の屈曲は非常に多く、白沙青松はくしゃせいしょうのところもあれば断崖だんがい絶壁のところもあり、黒潮の北上、寒波の南下、種々雑多のものを小さい島に纏まとめております。しかも春夏秋冬四季の変化は比較的順調に行われ、草木花鳥の色彩は濃厚であってしかも温雅(熱帯地方で見るような強烈でしかも単純な色ではなく

また欧洲大陸で見るものに較べると、色の数が多くしかもこまかい)、また行燕帰雁こうえんきがんその他春夏にかけて飛ぶ蝶ちょうのかずかず、秋冬にかけて鳴く虫のかずかず、それら自然界の現象は複雑多岐にわたっているのであります。その外ほか前にもいった如く、人々の生活その物が自然に接触していて、われらは常にその中に嬉遊きゆうしているような感じがするのであります。われらは四時の変化に富んだ自然界に住む民族であります。

 従ってこの蓬莱島にあってはおのずからその風景を礼讃する傾きが生じて来て、前言った如く和歌、物語の類をはじめとして、遂ついにそれを専門に諷う俳句の如きものが生れ来ったのは偶然でないのでありまして、フランスでハイカイと称える詩が興ったとしましても、それは十七シラブルという俳句の形は取り入れましたが

それもたしかに要求の一つではありますが、肝腎かんじんの季ということを忘れていたのは残念な事であります。振り返って我が日本の俳句を見る時は、あるいは日本にしてはじめて興る文芸であるかとも考えられて、ここに尊い誇らしい心持がするのであります。

(『玉藻』、二七、七)



コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000