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一月二十七(土) 実朝忌 源頼朝の子・鎌倉幕府三代将軍
代表歌より
・もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原
・いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母をたづぬる
辞世の歌
・出でていなば主なき宿と成りぬとも軒端の梅よ春をわするな
拙句
戦乱の今も止むなく実朝忌
青滴
http://sakuramitih32.blog.jp/archives/70333.html 【252 もののふの 矢並つくろふ 籠手の上に 霰たばしる 那須の篠原 】より
もののふの 矢並つくろふ 籠手の上に 霰たばしる 那須の篠原 源実朝
(もののうの やなみつくろう こてのうえに あられ たばしる なすのしのはら)
意味・・武士が箙(えびら)の中の矢並を整えていると、その籠手の上に霰が音をたてて飛び散っている。勇壮な那須の篠原の活気みなぎる狩場であることだ。狩場の凛(りん)と張り詰めた勇壮な雰囲気と、霰のもつ激しさが溶け合っています。
注・・矢並つくろふ=矢の並びの乱れを整える。 籠手(こて)=手の甲を保護する武具。
那須の篠原=栃木県那須野の篠竹(しのたけ)の群生する原。鎌倉時代は狩場であった。
作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。28歳。
鎌倉幕府三代将軍。鶴岡八幡宮で甥に暗殺された。
出典・・金槐和歌集・348。
https://ameblo.jp/sakuramitih32/entry-12834660913.html 【・いとほしや 見るに涙も とどまらず 親もなき子の 母をたづぬる】より
いとほしや 見るに涙も とどまらず 親もなき子の 母をたづぬる 源実朝
(いとほしや みるになみだも とどまらず おやも なきこの ははをたずぬる)
詞書・・道のほとりに幼き童(わらわ)の母をたづねて いたく泣くを、そのあたりの人にたづねしかば、父母なむ身まかりにしと答え侍りしを聞きて詠める。
意味・・いじらしい事だなあ、見ていると涙がとまらない、両親のいない子が母を探している。まだ子供なのに親を失って母親恋しさに泣き続けている。泣いてもどうにもならないが、
親を慕(した)うのは子供が愛情を求めるいわば本能である。境遇や環境からいえばどうに
もならないだけに、それによる悲しみは深い。
注・・いとほし=気の毒だ、かわいそうだ。たづぬる=尋ぬる。探し求める。
身まかり=死ぬこと。
作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。頼朝の二男。第三代鎌倉将軍。甥に暗殺された。
出典・・金槐和歌集・608。
https://www.jlogos.com/d006/5450154.html 【出でて去なば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな】より
【名言名句】
出でて去なば主な き宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな
【解説】
二十八歳で兄頼家の遺児|公暁に殺害された悲劇の将軍実朝の辞世の歌。
骨肉相|食む政治の泥沼の世界から逃れて、和歌に没頭した実朝は、『金槐和歌集』という歌集をもち、後世に影響を与えた。
自らの死を予感し、主人がいなくなっても、梅は春を忘れずに咲いてほしいという願いは、実朝の生涯とその死を考えるとき、哀切の思いをかきたてる。
このように、辞世の句は、歴史の営みと人間の生涯をわれわれに語りかけてくるもの。「誰にかも昔をとはむ故郷の軒端の梅は春をこそ知れ」(『金槐和歌集』)という一首もある。
【作者】源実朝
【生没年】1192~1219
【職業】鎌倉幕府三代将軍
【参考】この歌は『吾妻鏡』にみえる。『吾妻鏡』は鎌倉時代に成立した歴史書。一一八〇年の源頼朝の挙兵から一二六六年までの八十六年間を将軍の代ごとに日記形式で記述している。作者不明。
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=820 【金槐和歌集】より
日本大百科全書
金槐和歌集きんかいわかしゅう
鎌倉幕府第3代将軍源実朝(さねとも)の家集。「鎌倉右大臣家集」ともいう。「金槐」の「金」は「鎌倉」の「鎌」の偏、「槐」は「槐門」(大臣の位)の略で、鎌倉右大臣とよばれた実朝の家集を意味するといわれる。伝本は、藤原定家筆で、末尾に「建暦(けんりゃく)三年(1213)十二月十八日」(実際は12月6日建保(けんぽう)と改元)と記し、1213年成立の実朝(当時22歳)自撰(じせん)とみられるものと、末尾に「柳営亜槐(りゅうえいあかい)」(将軍で大納言(だいなごん)を兼ねた人。室町将軍足利義政(あしかがよしまさ)をさすか)の奥書を有し、1687年(貞享4)の板本に代表される他撰本の2種が存在する。建暦三年本は、春・夏・秋・冬・賀・恋・旅・雑に分類した663首を収め、実朝の絶唱「箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」「大海の磯(いそ)もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも」「山は裂け海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」などの、万葉調とも王侯調ともいうべきおおらかで重厚味ある歌の大部分を含む。柳営亜槐本は、建暦三年本の歌に56首を増補し、春・夏・秋・冬・恋・雑に分類し直した再編本で、「もののふの矢並つくろふこての上にあられたばしる那須(なす)のしの原」などを収める。実朝の歌は、賀茂真淵(かもまぶち)、斎藤茂吉、小林秀雄、吉本隆明(たかあき)、中野孝次らから高く評価されている。
[樋口芳麻呂]
柳営亜槐本(りゅうえいあかいぼん) 上巻 「秋部」 源実朝(さねとも)著 1687年(貞享4)刊 国立国会図書館所蔵
改訂新版・世界大百科事典
金槐和歌集
きんかいわかしゅう
源実朝(みなもとのさねとも)の家集。1巻。1213年(建暦3)成立。《鎌倉右大臣家集》ともいい,《金槐》の書名は,〈鎌〉字の偏と大臣の異称槐門とによる。藤原定家の伝える写本のほか流布本に1687年(貞享4)板本・群書類従本の2系統があり歌数約700首。模倣的な習作群のなかにあって,〈萩の花くれぐれまでもありつるが月いでて見るになきがはかなさ〉など清新な感覚・陰翳に富む青年の心の姿を伝える秀歌も多く,賀茂真淵,正岡子規,斎藤茂吉,小林秀雄らに称揚された。
[光田 和伸]
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