Facebook小森 圭太さん投稿記事
私が住んでいるのは東京の世田谷区というところです。
23区内なのですが割と緑も多く高いビルやマンションも少ない。なのでバリバリの都会というわけでもないし田舎でもない。それぐらいの環境が自分には心地良いのです。
だから住んでいるのですが。( ̄▽ ̄)東京の中心部といえば山手線の内側です。
ご存知かもしれませんが山手線は環状線になっています。山手線の内側に行くのは月に1、2回程度でしょうか。基本、用事がないと行かないので。
その程度の頻度だと「あれ、あのビルなくなった?」なんてことがよくあります。
いつの間にか新しいビルに建て替わっており、景色が様変わりしているなんてことはよくあることです。
都会はスクラップ&ビルドの新陳代謝が激しいですから。当然ながら新しいビルを建てるには、まず古いビルを壊す必要があります。
この「壊すのが先」という現象。実は多くのことに当てはまります。
「手放すのが先」と言っても良いでしょう。(。・ω・)ノ゙
古い考え方を手放さないと新しい考え方は入ってこない。今の環境を手放さないと新しい環境は得られない。時間にしてもそう。物理的にもそう。
限られた時間やスペースに新しい何かを入れるためには、そのための時間やスペースを作る必要がありますよね。
つまり何かを壊すなり手放すなりする必要がある。
そして、いったん更地にし、そこに新しいモノなり考え方を入れていく、というのが順序。(*^.^*)
実際、この「壊す、手放す」ということを積極的にやってる人ほど引き寄せは加速します。
私のセッション、講座を受講いただいた方を見て私が感じていることです。(*^ー^)ノ
私自身も、自分の軸とは合わない、自分らしくないような行動や仕事、考え方は手放しました。いわゆる『違和感を感じること』です。
それで実際引き寄せは加速したと思っています。
今までの「取り繕った自分」を破壊して「本来の自分」に再生したんです。
そうすると行動の前提意識が「楽しいから、嬉しいから」に切り替わります。
なので、量子の状態も「楽しい、嬉しい」で状態が確定しだす。
さらに「楽しい、嬉しい」と感じる現象を引き寄せ始めるわけです。(*`▽´*)
量子力学的に考えても、私自身やお客さんの事例などを見ていても「間違いなくそうだ」と確信してます。
逆に、違和感を抱えながら今ままでの慣習や常識、社会通念にしばられた状態だとなかなか変化しない。
当たり前ですよね。
今ままで身につけたものを手放さなかったら、結果は同じ現象として現れます。
同じ意識、同じ行動、同じ結果、という物理法則ですから。( ゚∀゚ )ハァーハッハッ!!
もしあなたが「なかなか良い状態に変化しないなー」なんて状態なら「違和感のあること」を手放してないのかもしれません。
そして、手放せない行動の多くは、前提意識が「恐れ、不安」だったりします。
だから余計に「恐れ、不安」が増大する、なんて繰り返しになっちゃう。(x_x;)
それらは「取り繕ったあなた」の行動なんですよ。
本当は必要ないし、すごく違和感を感じている。
でも「こうしなければ!!」なんて意識でやり続けている。
本当のあなたは違和感を通じて「要らない、それは違う」と訴えているんです。
本当のあなたは感性や感覚ですから。
なので。
違和感のあることは、徐々にでも良いので手放していったほうが良い。
だって手放さないと本来のあなたが望んでいることが入ってこないでしょ?
入ってこないと当たり前ですが受け取れないですよね。
本当のあなたに不必要なものはどんどん壊したり手放したりする。
そうすれば本当のあなたに必要なものが自動的に入ってくる。
その度合いが進めば進むほど、良い状態が引き寄せられますよ。(^ε^)♪
Facebook清水 友邦さん投稿記事
現代人の心の奥底には不安や恐怖があります。
そのことの自覚がないので自我は不安から逃れようとして様々な行動をします。
砂糖、チョコレートの過食、酒、タバコ、麻薬、性行為、ゲーム、ギャンブル、ショッピング
日常意識のマインドはありとあらゆる物質的快楽を求めます。
これらの刹那的な享楽は永遠のものではないので夢中になっても必ず一時的なものに終わります。
そして、それらは偽りの欲求なのでいくら快楽を得ても本当の満足はえられません。
その不満ががさらなる欲求を駆り立てます。
自我(エゴ)は物質領域の日常意識(マインド)に同一化しています。
マインドは外部の刺激を受ける物質的な感覚的経験の領域にいます。
どんなに素晴らしいことが起きても次の瞬間には、夢のように消えてしまいます。
現代社会は経済的成功を至上のものとしています。
ピラミッド社会の上部に上り詰める人はごくわずかで物質的な成功や富を得たからといって心まで愛に満たされるわけではありません。愛と物質はカテゴリーが異なります。
そしてピラミッド社会を支える大多数の人々は強いストレス状態に置かれて困窮しています。
偽りの欲求に気がついた人は探求の道に入ります。
瞑想は最初、物質的な領域の自覚から始まります。
瞑想者は足が痛くなったり眠くなったりと肉体から生じる様々な感覚に振り回されます。
最初は刺激に機械的に反応してあれこれ考えてしまいます。
マインドは過去の記憶で出来ているので今ここにいられません。
現実は今ここにあるのでマインドと同化しているほとんどの人は現実を生きていません。
頭に浮かぶ思考を自分と思い込んでいます。
瞑想が進むと呼吸がゆっくり深くなるので脳の血流と神経回路が変化します。
脳幹の血流も変化するので強いストレス状態にあった人の交感神経と副交感神経のバランスも変化します。
瞑想を始めて誰でも最初に直面する困難が意識が混濁したり眠くなることです。
瞑想の障害
1心が重くなり瞑想に関心がなくなること
2注意深さが欠けること
3心が沈みこみ、散漫になること
瞑想中に眠くなるのは自然な反応です。
マインドはあるがままがきらいですから問題にしますが体がしたいことを受け入れます。
ある程度、瞑想を継続すると脳の血流の再配分が起きて頭の中の考えを客観視する背内側前頭前野(はいないそくぜんとうぜんや)が活性化します。
物質的な領域を自覚できるようなって身体の気づきが持続できるようになると感情や思考の観察も維持できるようになります。
そして思考に同化しないでいると、より微細なエネルギーの流れを感じるようになります。
自我の統制が弱まると、全身に微細な振動が起きてエネルギーが背骨を伝わって上昇するようになります。
上昇したエネルギーの流れが頭頂まで達すると、強烈なエクスタシーに襲われます。
肉体的感覚が失われ、自他の区別がない、恍惚状態となります。
しかし、思考を伴っているので瞑想をやめると喜びは消えます。
そのためにマインドは再びエクスタシーを求めて執着するようになります。
それと同時に、無意識の領域から喜びだけではなく否定的なエネルギーも浮上します。
禅では魔境といいます。気功では偏差と呼んでいます。魔境の例としてはキリスト教徒が黙想中に出現するサタン、仏陀の瞑想中にあらわれた魔羅(マーラ)です。
それらは神話世界で英雄を襲う怪物や、恐ろしい魔物などに相当します。
自我が分離した影(シャドー)のレべルでは自我のコンプレックスや過去に抑圧した感情が無意識の深層から浮上し、悲しみ、幸せ、動揺、憂鬱、心配、恐怖、喜び、が次々と表層に現れます。身体のレヴェルでは不快な体の不調となって現れます。
瞑想者は自分の心が作り出していることに気がついて、すべてをあるがままにしておきます。
何が起きてもレッティングゴーします。手放すのです。
心のレべルの魔境とは五官からくる知覚、思考や感情を自己と取り違えることにあります。
真の瞑想とは感覚思考感情から脱同一化している状態です。
身体に同化していることに気づく
感情に同化していることに気づく
思考に同化していることに気づく
目覚めるということは自覚する・気づいているということです。
気づきという無限の空間の中で
様々な出来事が現れては消えています。
目覚めが起きると夢の中でも気づけるようになります。
最初はほんの少しだけかもしれません。
頻繁に起きたり起きなかったりするかもしれません。
いずれにしても、眠りから起きていようが眠っていようがどの状態の時にも変わることなく自己(セルフ)は存在しています。
目覚めている時も眠っている時も自己(セルフ)は存在していますが目覚めている自己(セルフ)と物質世界に同化している自己(エゴ)は次元が違う自分なのです。
意識の発達は入れ子のような階層状になっています。
物質的な領域を自覚して高次の意識状態に変容することを脱同一化といいます
高次な状態は低次な状態を含んで超えています。
目が覚めている日常意識、夢を見ている眠りの意識、夢を見ない眠りの意識
どの意識状態にも同化せずそして、すべての領域に浸透して目撃しています。
永遠なる目撃者それを「本当の自分(セルフ)」と呼んでいます。
今まで自分だと持っていた自分は分離して縛りつけられていた自分(エゴ)でした。
本当の自分(セルフ)は生まれることも死ぬこともない完全な自由な存在です。
ただいまここに在ればよかったのです。そのことを確認するために瞑想があります。
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