https://note.com/nag1aky/n/na508bb7ddc9e 【キュートなはにかみ:津髙里永子句集『寸法直し』】より
暮らしの中で意外に心に長く残るのは、大きなエピソードよりも小さなことだ。
あの人に言われた一言がいつまでも引っかかったり、安く良い食材が手に入って嬉しかったり、仕事の時間にふと目にした花が美しくてなんだか今日は良い日だった、と心豊かな気分になったり。すぐに忘れてしまう事柄もあるだろう。
でも、そんな些細なことどもが無意識に心に蓄積され、気がつけば自分の物の見方、感じ方というものは形成されてゆく。
作家はそんなささやかな生活の一瞬を大事にして、その繰り返しの中に自身を、そして生きる世界を見つめてきたのではないか。本句集からはそんな印象を受ける。
各章より感銘句を二句ずつ。
切株に母のせておく野焼かな 先に寝る男に梨を食はせけり
噴水のこちら側にて生きてゐる 確保せし職と男とくぢら肉
鳳を載せて晴れゆく山車の空 話すことあつて満月大きくて
妹の家となりけりミモザ咲く コピーしてゆがむ音符も師走かな
地にすれすれの紫陽花母はまだ歩ける 名月を介して清き同衾者
最終章は海外詠。
小鳥来るジャンヌ・ダルクと呟けば 物売の母子船にて素足にて
海外詠は地名と季語のマッチングに腐心して終る危険性もあるけれど、掲句以外の作品も言葉と季語が自然に使われていて、違和感なく読者に届く。
確かな写生で描かれた世界のいずれにも作家独自のユーモアとまなざしが宿る。
常に対象と距離を保ちながら、自分を取り巻くことどもを面白がっている。
だから、17音を構成する季語と言葉は常に風通しがよく、瑞々しさがある。そして、どこかはにかんだ表情をしている。
気に入らぬ内輪やシール貼つてやろ たんぽぽの絮よわが夢何だつけ
春に囁く食器の裏も洗つてね
口語調の俳句も散見されるが、いずれも思わずクスリとしてしまう。まさに「キュート」。17音に言葉を入れるとハイク・ハイクしてしまって臨場感や親近感が薄れてしまうこともままあるが、作家の手にかかると季語や言葉、情景は普段着の姿のまま読者の近くに座ってくれる。少しそっぽを向きながらの優しさで。
寸法直しせずやしぐるるわが裾野
表題句。
普段着の俳句は、自分を人生を生活を寸法直しせず、等身大のまなざしで見つめてきた作家の自画像なのかもしれない。
本句集の章は「衿」にはじまり、服飾の用語がつけられているが、
表題句は「裾」ではなく「裾野」となっている点にダブルミーニングとともに捻りがあると思う。
裾から伸びて広がる「わが裾野」。
そこを基点に、これから作家はまた新たな歩を進めるのかもしれない。
着実に、でも大胆に。
「未来図」を経て、高野ムツオ氏が主宰する「小熊座」同人である作家。
池田澄子氏に私淑しているともあとがきにある。
正調な詠みぶり、そして句材や対象へのアプローチが豊富な点は、さまざまな表現法の俳句作家たちから得た影響とも無関係ではないだろう。
読み返したい大切な一冊と出会えて嬉しい。ご恵贈、感謝いたします。
https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12746190819.html 【津高里永子さんの句集「寸法直し」の紹介が「俳句」6月号にも紹介されていました。】より
昨日、長崎新聞に載っていた神野紗希さんによる、津高里永子さんの句集「寸法直し」の紹介を載せましたが、角川の「俳句」6月号にも紹介されていました。紹介者は柴田佐知子さん。273p。
豊かなる心の鼓動 柴田佐知子
「未来図」を経て「小熊座」同人、「すめらき」「墨BOKU」代表。鍵和田秞子、佐藤鬼房、高野ムツオに師事して研鑽を積んだ作者の『地球の日』に次ぐ第二句集である。十五年間の作品から厳選された四百五十六句が収録されている。
★建国日富士には煙突が似合ふ
〜冒頭の句である。一読するや太宰治の「富士には月見草がよく似合う」の一文が浮かぶ。富士に真向いすっくと立つのは月見草だが、掲句は〈煙突〉だ。情感の大きな隔たりが可笑しい。また上五に堂々と据えられた「建国日」の違和感も不思議な面白味を醸し出している。
★鵺鳴きつることはさておき美容液
〜「虎鶫」を〈鵺〉と記すとたちまち怪しい闇が流れ込んでくるのだが、〈さておき〉とあっさり躱され、あげくに〈美容液〉で止めを刺された。
※「虎鶫」=ツグミより大形で、全長約30cmもある。シベリア東部・中国・日本などで繁殖し、冬は暖地へ移動する。夜、ヒョーヒョーと気味悪く鳴くので昔から「鵺(ぬえ)」「地獄鳥」と呼ばれて嫌われた。夏の季語。
★たんぽぽの絮よわが夢何だつけ
〜〈わが夢何だつけ〉との丸投げ口調は、句跨りの弾むようなリズム感と相俟って春の日差しのような明るさを感じる。しかし角度を変えると、夢を語っていた頃を遠くへと押しやる歳月が現れてくる。そこには歳を重ねた自分を見据える冷静な眼差しがある。軽やかに見える句のうしろに、自己凝視の奥行きを感じる作品。
★おほごとになればなつたで髪洗ふ
〜ここまで度胸が据わっていればもう恐いものなしだ。
★栗とわかるやうに栗羊羹を切る
〜確かに美味しく見えるようにと栗羊羹に刃を入れている。日常の些事の中の微かな心情が、平易な言葉で巧みに捉えられている。
★雪壁につながる雪の車庫の屋根
〜一点に焦点を絞ることで豪雪地帯の大景も見えてくる。
★火事跡の水くろぐろと流れ来ぬ
〜鋭い写生である。
★蜩のこゑは葉裏を通りけり
〜「蜩」は夏から秋にかけて明け方や夕方にカナカナカナ・・・・・・と美しい声で鳴く。蜩のもの哀しい澄んだ声を、〈葉裏を通りけり〉という措辞で表現された繊細な感受性に胸を打たれた。
★ブータンの人みな正月らしき顔
〜最終章に纏められた多くの海外詠から一句。〈みな正月らしき顔〉、ただこれだけで、ブータンの穏やかな国民性 が言いとどめられていることに驚く。その地の実感が伝わり読み手の幸福度も上がる気持ちの良い作品。
『寸法直し』は写生・諧謔・抒情と句がのびやかに広がり、津高氏の心の鼓動が豊かに脈打っていた。
【柴田佐知子さん】1949年福岡県生まれ。1986年「白桃」(伊藤通明)入会。1989年 第5回白桃賞受賞。1993年 第7回俳壇賞受賞。1995年 第25回福岡市文学賞・白桃同人賞受賞。1999年 白桃同人賞・第3句集『母郷』により第22回俳人協会新人賞受賞。2003年 白桃編集長を辞し「空」創刊主宰。句集に『筑紫』『歌垣』『母郷』『垂直』など。
https://ooikomon.blogspot.com/2022/03/blog-post.html 【津髙里永子「遺影すでに春のままなる和田悟朗」(『寸法直し』)・・】より
津髙里永子第二句集『寸法直し』(東京四季出版)、帯の惹句は池田澄子、それには、
津髙里永子に頼みごとをして断られたことがない。いつも自分のことは後回し。優しいのだ。優しさが対象を凝視させ、深い思い入れとなり、自身への微苦笑となり、俳句になる。
とある。また、著者「あとが」の中に、
句集名は〈寸法直しせずやしぐるるわが裾野〉からとりました。
近所に洋服直ししてくれる店があり、肩幅や裾丈など、ちょくちょく直してもらっています。ほんのちょっと手を加えるだけで、とても着具合がよくなる不思議さに感心していましたが、そこのご主人から、大きいのを小さくするより、小さいのをひろげるほうがまだ、デザインもバランスも崩れず簡単なんです、とお聞きしたことがあります。(中略)
去年九月に亡くなられた深見けん二先生には、何年も前に句集名を染筆していただいていたのですが、実際に句を集め始めると句集名を変更したくなり、ご逝去なさる二か月ほど前、高弟の山田閏子様を通じてお願いして、書き直して戴きました。感謝に堪えません。
とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。
憲法記念日からつぽの天袋 里永子
特攻魚雷晒さる永久の日の盛 津髙のツは津波の津の字地虫鳴く
愛欲や手折りて氷柱手を滑る 恋猫の脚ともかくも拭いてやろ
遺書書いて呉るるか朧夜のをとこ 噴水のこちら側にて生きてゐる
真鶴の三羽ゆふぐれ二羽ひぐれ 天に人をらぬ薄墨桜かな
蟬鳴くか鳴くかと岩を撫でてゐる 激戦地跡にトーチカ遺る秋
男女仕切られ撫づる嘆きの壁の冷
津髙里永子(つたか・りえこ) 1956年、兵庫県西宮市生まれ。
★閑話休題・・津髙里永子「愛の日に使ふ両面テープかな」(「ちょっと立ちどまって」2022.2)・・
津髙つながりで、森澤程とのハガキ通信・2022.2「ちょっと立ちどまって」よりの句を挙げておこう。
龍天に少女ときどき兎跳び 森澤 程
部屋飼ひの兎ピアノが匂ひ出す 津髙里永子
撮影・中西ひろ美「男雛のみ譲りて逝きし人の名は書棚にありて日々に親しむ」↑
https://miho.opera-noel.net/archives/3974 【第八百三十七夜 津髙里永子さんの第2句集『寸法直し』を読んで】より
今宵は、津髙里永子さんの第2句集『寸法直し』から幾つかの作品を紹介させていただこう。
今年の2月にご贈呈くださった句集のタイトルの『寸法直し』に、まず惹かれた。さらにタイトルの文字にどこか懐かしさを感じたが、目次ページの裏に「題字 深見けん二」の文字が飛び込んできた。
けん二先生には、様々の結社の方々とお付き合いがあり、また、けん二俳句ファンも大勢いらした。きっと私が「花鳥来」のメンバーであったことをご存知で、『寸法直し』をお送りくださったのだと思っている。
奥付がすばらしい! 「2022年2月22日」であった。同じ数字が6つも並ぶ奥付は二度とあることではないから、まさに幸せな第2句集の船出といえようか。
目次は、Ⅰ衿、Ⅱ袖、Ⅲ裄、Ⅳ袂、Ⅴ裾、Ⅵ丈の章立となっている。各章からⅠ句を引いて鑑賞を試みてみる。
■Ⅰ衿
月光に晒されて地のうごめける Ⅰ衿(げっこうに さらされてちの うごめける)
私がゆく毎夜の犬の散歩は、守谷市でも台地となっている場所である。片側は家々が立ち並び、反対側は家がぽつぽつ建ちはじめているが、まだほとんど畑地として広がっている。この畑地からの月がすばらしい!
句意はこうであろう。広がる大地をじっと眺めている作者の目に、この時、月の光に照らされている満面の大地が、もそっと動いたかのように見えたという。「うごめける」は、動いているようにも感じられるというほどの幽かな動きである。「地のうごめき」を感受できることこそが、作者の詩的な力なのであった。
■Ⅱ袖
紫陽花を活けて瓶ごと不安定 (あじさいを いけてびんごと ふあんてい)
紫陽花は、細い茎のてっぺんに重たげな花の毬をかかげている。大好きな花だが花瓶に活けることが案外にむつかしい。一方に偏ると花の重さで花瓶がふらふらと傾きそうになるからだ。
「瓶ごと不安定」とはそういうことであろう。「不安定」という言葉は、決して詩的ではないと思うが、「ゆらゆらと」「ふらふらと」などの副詞ではなく、敢えて「不安定」ときっぱり言い切ったことで、一句に強さが出た。
■Ⅲ裄
糸瓜垂れ律の無言を聴いてゐる(へちまたれ りつのむごんを きいている)
正岡子規の晩年の姿である。律(りつ)は子規の妹。子規は、正岡家の長男であり家長であった。明治28年日清戦争からの帰途二度目の大喀血をした子規は、以後寝たきりの生活となった。庭に糸瓜を植えていたのは、咳止めになるヘチマ水を採取するためであったが、子規の病室の日除けでもあった。
句意はこうであろう。子規の寝床から見上げる棚には糸瓜が垂れている。妹の律は、兄の身の回りも家事も、黙ってもの静かにこなしてゆく。その妹律をだれも褒めることはない。
だが、庭の糸瓜棚に垂れていて、律と同じく無言のまま垂れている糸瓜は、律の無言の胸の内の言葉をちゃんと聴き取っているのですよ、となろうか。
■Ⅳ袂
被災地の広さに冬日浮いてゐる
(ひさいちの ひろさにふゆび ういている)
「被災地」とは、東日本大震災が起こったいわき市の太平洋岸に沿った地域のこと。茨城県から福島県のいわき市への県境が勿来の関で、少し手前の茨城県側に五浦(いずら)がある。津波が届いたらひとたまりもないほど広がる海岸線だ。
早朝の東北自動車道を北へ走りながら、右手の海岸をちらっと見ると、太平洋に朝日が上ってきた。被災地から眺める、広々とした太平洋の東の海に上ってくる冬日の出である。まさに浮いているようであった。
■Ⅴ裾
寸法直しせずやしぐるるわが裾野 (すんぽうなおし せずやしぐるる わがすその)
普通に考えれば、「寸法直し」は仕立てるとき、しばらく着ていてどうしても直したい場合で、購入したお店、あるいは仕立ててもらった洋装店で寸法直しをしてもらう。句意はむつかしそう!
寸法直しをしていなかったなあ、何年か過ぎれば、やがて時雨に遭って濡れそぼってしまうように、私の服の裾はだらっとしてきましたよ、という句意でいいのだろうか?
■Ⅵ丈
くろぐろとオーロラを待つ針葉樹(くろぐろと オーロラをまつ しんようじゅ)
第2句集『寸法直し』のあとがきには、「この15年間の暮らしの中では無理をしてでも時間を作って海外へ旅することが私のメリハリの一つとなっていた」とあり、Ⅵ丈の章には海外詠が置かれている。
句意はこうであろう。オーロラを観に北極圏に近い北国を訪れたときのこと。津髙里永子さんたちがオーロラを待っていたのは、スギやカラマツのくろぐろとした針葉樹林帯の暗さの中でしたよ、となろう。
集中、一番自然な形で、私はこの客観描写の作品に入ってゆくことができた。
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