Facebook長谷川 淳史さん投稿記事【セラピューティック・セルフ】
アメリカのとある医科大学付属病院での出来事です。A医師が勤務していた泌尿器科病棟では、医師の態度や治療法について患者の不平不満が絶えませんでした。
ところがある日、消化器科病棟からやってきたB医師が担当になった途端、患者たちの不平不満は沈静化すると同時に鎮痛剤を要求する患者も減り、病棟内は平穏そのものとなりました。
一方、新たにA医師が担当することになった消化器科病棟では、またしても患者の不平不満やトラブルが増え、さらに潰瘍が悪化する患者まで出てきました。
この現象を観察していたモンタナ大学のジョン・G・ワトキンス心理学教授は、たとえ医学知識や経験、技術レベルが同じでも、治療者の人格が患者に大きな影響をおよぼすとして『治療的自我(therapeutic self)』という言葉を使いました。
こうして「どんな治療をするのかより誰が治療をするのか」という問題が明らかになったわけです。どうやら医療関係者は、『治療者という薬(doctor as a medicine)』の効果を最大限に引き出すために、生涯をかけて『治療的自我』を育まなければならないようです。
ちなみに、プラシーボ効果もノーシーボ効果も脳の同じ領域が関与していることが判明しています。患者さんには不安や恐怖ではなく、安心と勇気を与え続けましょう。
Facebook能村 聡さん投稿記事
《ライトワーカーへのメッセージ(再投稿)》
Seeing is Believing ではなくて、Believing is Seeing (見えるから信じるのではなく、信じるから見えてくる)が真実だと思います。
人の精神は、それが在るという信念のマインドセット(パラダイム)の中に、整合的に、当てはまらないものは、「見えていない」のです。スピリチュアルなことも同じです。
だから人ぞれぞれ信じているものが違えば、見ている世界も違うということになります。
そして、これから必要なことは、一人ひとりの癒しです。もともと癒し=ヒーリング(healing)は、はギリシャ語のholos(全体)が語源であるように、地球や宇宙全体とのつながり、ワンネス、すなわち「一なるものの法」への気づきです。それは目醒めや悟り(アセンション)に通じていきます。
目醒めた人がある閾値に達すれば、人類全体の集合意識が雪崩を起こすように大きくシフトしていくでしょう。もうそれは始まっています。
眠っている人はまだ眠りこけていますから、そろそろ耳の横で目覚まし時計を鳴らされることになるでしょう。それは神の恩寵です。
一人ひとりが癒されて、宇宙意識(宇宙根源の創造神)とつながり直し、多くの囚われやブロックへの執着と、自分を束縛している“常識”という名の非常識を捨てる必要があります。
宇宙から地球に降り注ぐ愛のエネルギーなど、それをサポートする働きはもうたくさん天から与えられています。
“上善如水”ですから、もう抵抗せず、水が自然と低きところへ流れ下って、大海のようなあるべきところに集まるようにその大いなる流れに乗ってください。
https://rihadanke.hi-danke.com/2021/05/18/placebo/ 【信じる者は救われる!?思い込みの力!? プラセボ効果とノセボ効果について理解し、リハビリの効果を最大限に引き出す!】より
プラセボ効果(プラシーボ効果とも言われる)とは?
プラセボと言うニセ薬(砂糖やデンプンなど効き目がある成分が全く入っていない薬)を服用しても、患者さん自身が“この薬は効果がある”と思い込むことで、症状が改善してしまうことがあります。これをプラセボ効果と言います。 子供の頃ケガをした時に、お母さんが「痛いの痛いの飛んでいけ~!」と叫ぶと、何となく痛みが和らいだ気がしましたが、これもプラセボ効果の一種なんだそうです。人体の持つ不思議な生理現象の一つで、まさに「病(または健康)は気から」の部分も確かに存在するようです。私はスピリチュアルな人間ではありませんが、「言霊(ことだま)の力」もこれに通ずるのかもしれません。
ではノセボ効果(ノーシーボ効果とも言われる)をご存じでしょうか?
プラセボ効果とは反対に、ニセ薬なのに「この薬には副作用がある」と思い込んで、望まない副作用が出たり、本当の薬なのに「こんな治療法や治療者では効くはずはない」と患者さん側に不信感があったりすると薬の効果が減少したりします。これをノセボ効果と言い、これによって薬の効果が30%も低下するとの研究結果もあるそうです。一般的に何事に対しても悲観的な物の見方が関連深いと考えられています。最近はより安価なジェネリック医薬品の使用が促されていますが、「ジェネリックは効かない!安かろう悪かろう!」と思い込んでいる方もいるかと思います。その思い込みがノセボ効果を生み、薬効が低くなってしまうかもしれません。ネガティブな思い込みを捨てると、経済的にも良いかもしれませんね。
やるからには信じなきゃ損
せっかく処方された薬なので、思い込みの力によって負の効果をもたらすことはもったいないですし、前向きに捉えて多くの薬効を期待したいですね。
リハビリにおいても同じだと思います。医者に言われた「もう回復しません」を信じるのではなく、せっかくやるからにはセラピストの提供する施術内容を信じ、自身の症状が改善することを信じて取り組んだ方が、リハビリ効果も得られやすいです。我々セラピストは「この人を信じてもう一度リハビリに取り組もう」と思ってもらえるように自己研鑚に努めていきます。
この記事を書いた人:理学療法士 徳田健二
https://ovo.kyodo.co.jp/news/culture/a-1867138 【周五郎作品が今も愛される理由 ひたむきに生きる人間の美しさ描く 山本周五郎記念事業団が発刊】より
『赤ひげ診療譚(しんりょうたん)』『青べか物語』『樅ノ木(もみのき)は残った』『さぶ』。これらは昭和を代表する、作家・山本周五郎の小説群である。山本周五郎記念事業団は、『山本周五郎の記憶 横浜の光と影を愛した文豪』(発行:歴史探訪社、発売元:メディアパル、2400円=税別)をこのほど発売した。
今回の発刊の狙いについては「横浜で人生の佳境を過ごした周五郎の足跡を辿(たど)り、周五郎が何を考え何を生み出したかを捜す旅、それは、なぜ今なお周五郎作品が日本人に広く愛されているかという疑問への答になるはずである」(犬懸坂祇園氏によるあとがき)と指摘している。
本書の巻末にある略年譜をめくってみると、いずれも山本周五郎が51歳から60歳の時に世に出していることに驚く。周五郎は1967年に63歳で没しているので、晩年の10年と少しの間に先ほどの数々の作品を世に出しているのだ。
■人生の三分の一
筆者も60歳を越え、周五郎の没した年齢に近いので、周五郎がどのように生きてきたのかに興味を持ち、略年譜にさらに目を通してみた。
1903(明治36)年生まれの周五郎は、大正期に10代を過ごしているので、永井荷風、谷崎潤一郎、志賀直哉、武者小路実篤、芥川龍之介、菊池寛などの作品を読んだかもしれない。
20代は大正末期から昭和一桁の時期だ。ちょうどこの頃、新聞に小説が連載されるようになり、大佛次郎や吉川英治が大人気になる。大衆文学の誕生の時期であり、文学史的には周五郎もこの系譜に連なるだろう。1926(大正15・昭和元)年には、『須磨寺附近』が『文藝春秋』に掲載され、自身も作品を発表し始めている。
20代末から40代初めの15年間は、結婚、父親や最初の妻との死別など、さまざまな経験をしている。戦前から戦後にかけてのこの時期は、「戦争」が文豪の心に影響を与えたことも容易に想像できる。
周五郎は昭和21(1946)年、新しい家族を迎え横浜の本牧(横浜市中区本牧元町)に居を構えた。63歳で亡くなるまで、人生の三分の一を本牧で過ごし、ここで数々の名作を世に送り出すことになった。
■観客を観察
本書には、本牧での周五郎の様子が写真や関係者の証言でつづられていて、周五郎が本牧を愛し、そして本牧の人々も周五郎を愛していたのがよくわかる。
決まったルートを散歩し、決まった食堂で昼食をとり、その後、映画を観る。1日の締めに酒を飲む。本牧での生活はこんな具合だった。
毎日の映画鑑賞について、こんな周五郎の言葉が引用されている。「映画そのものより、周囲の観客を(気づかれないように)観察し、会話を聴くのが目的だといってもよいだろう。この習慣は気分転換にもなるし、仕事の材料も得られるから、晴雨にかかわらず毎日やっている」と。周五郎の作品が多くの人に受け入れられたのは、それが人々自身の物語だったからもしれない。
この一言に目が留まったのは、筆者が、同じことをある女性歌手が言っていたのを思い出したためだ。
「私はファミレスなどに行くと、他のお客さんの話に聞き耳を立てるんです。いろいろなドラマもあるし、詩作の参考になることもあります」と。こんなことを言っていたと思う。この歌手がファミレスに行くのに少し驚いたが、周五郎同様、半世紀近くにわたって人々の心に残る歌を出し続けている。そう、松任谷由実さんだ。
本書では「(前略)、『英雄、豪傑、権力者の類にはまったく関心がない』と本人(=周五郎)も語っているように、壮大な作品群の背骨をなしているものは、名もなき市井の人々の生き様だ。殊に貧困や病苦や絶望の淵にありながらも、ひたむきに生きる凜とした人間の美しさにある」(黒川昭良氏、27ページ)と、周五郎作品の魅力を解き明かしている。
映画館で他の観客たちの話を聴くのも、市井の人々の多くの「声なき声」を周五郎なりに収集し、それらを作品の中に昇華させたのかもしれない。しかも、彼の作品に対する評価であった「直木賞」をはじめ「毎日出版文化賞」「文藝春秋読者賞」などをことごとく辞退している。そこからは、彼が「権威」を嫌い、つねに庶民の心を保とうとしていたことを示唆している。
文学作品はどんなに流行したものでも、時間の経過とともに忘れ去られてしまう。しかし、作品だけではなく、その作者がどんな人間だったか、その記憶や記録が作品と結びつくことによって、作品に光が当たり続けるのではないだろうか。「赤ひげ診療譚」ではなく、「山本周五郎の『赤ひげ診療譚』」だ。
周五郎の作品はいずれも60年以上前のものである。本書で文豪の人となりを知り、再度作品を読み直すのも良いだろう。
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