Facebook清水 友邦さん投稿記事
宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」のモチーフになった遠野市宮守のめがね橋
「銀河鉄道の夜」ほんとうの考えと、嘘の考え
みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう。
けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。
けれどももし、おまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も科学と同じようになる。
Facebook引田 香織さん投稿記事 宮沢賢治さんが37歳で死んだ日
今日のわたしと同い年で、この世を去って 今自分はまわりから見れば悲惨な姿だろうけど
僕から見えるのはきれいな青空なんだ 感じるのは、頬を吹き抜ける澄んだ風なんだ
というようなこと、言っていたそうな。(びみょーに違っていたらごめん)
今日、おおよそ4ヶ月ぶりにピアノを弾いた。
あまりに、ひさびさで、ドシソレシと指でさわっただけで涙がブワアとあふれた。
布をかけてカバーはしていたものの鍵盤にはうっすらと埃がかぶっていた。
それを拭きながら、ピアノに謝ってまた泣いた。
明日からわたしは1日1日 賢治さんの年齢を追い越していくんだなと思う
人生で、接点があって大切な人、は素晴らしい。
あなたがいてくれてよかったと伝え合える人 あと、ほんとうに些細で、何気ないこと
(たとえば冷蔵庫に梨があるよ、とか)をシェアできる人の存在。
だけど、なんの接点もないけど大切な人、はきもちを伝えようがないんだけどだからこそ
心の奥の静かな場所で、自分にしかわからない灯りを、照らしてくれていたりする。
誰かと生活をする、というのは前者になることで誰かに歌をうたう、というのは後者になることだ。わたしのおなかには今、新しい命が宿っている。たくさんの人に支えられて守られて
この小さな命を、体の内側で育てていることこの命の中に、数えきれない死があること
文字どおり、人間はひとりじゃないこと わたしたちの命は、結局ひとつだということ
地球のいのちそのものと、繋がっていること このところ、「ほんとうのことば」しか書きたくなくて Facebookの投稿から離れていました。
日々のフレッシュな文章によるライブ感を放棄してあー通り過ぎちゃってもったいないなぁ、
メモくらい残しとこうか、なんてもはや反射神経のような貧乏性を振りはらいながら
やっとかなくちゃいけないこと、やっといたほうが良さそうなこと、じゃなくて「ほんとうにやりたいこと」を見極めたかった。
自分の頭がうるさく喋るのを鎮めてどんどん「ただ生きる者」そのものになってま、頭がうるさすぎて容易ではなかったんだけどそれでもちょっとずつ、掴んできたことはもっと素肌で、浴びるさわる味わう。そう、きれいな青空と、吹き抜ける澄んだ風を。
「わたしが」「生きている」という、至福。贅沢さを、贅沢なままに感じる、受け取る。
「今を」「抱く」という、純粋な体験を それだけを重ねていくことを、自分にゆるす。
病床じゃなくても、やっていい。疲れきる前に、それを堂々とやっていいんだよ。
誰に見せるためでも教えるためでもなくあなたが、あなたを、生きているんだから。
今、あなたが、あなたを、愛する時間なんだから。二度と戻ることのない、いつ終わるかわからないあなたの37歳、なんだから。
自分自身との対話なのか おなかの中の人との対話なのか 神さまとの対話なのか
どれでもないのか、或いはそのすべてなのか 毎日毎日、向き合って付き合っていられる
この夢のような期間があたえられた。
そのことが奇跡のようで、心からうれしいです。なんかやっと、自然に綴れるかな〜と思って
ひさびさに投稿をひらいてみました。読み返したら、力んでるな〜!って思うのかな。笑
まあいいや、今日のところはありがとう賢治さん。
長いのに最後まで読んでくれてありがとう、みんな。また書くね!
Facebook引田 香織さん投稿記事
しとしと雨の降る、新月の朝。おはようございます。こちら、まだ限定公開ですが
(映像とかなにもついてなくてごめん…笑)
いつも応援してくださっているみなさんへ感謝のきもちをこめてお届け!
昨日レコーディングしたばかりの新しい作品
宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」です。
https://youtu.be/8lavN_ct0qs?si=80GIx7zaI3NRm0re
(8分ちょいあるので、お時間あるときにどうぞ!)
先日、埼玉県の熊谷にわたしを呼んでくださった「百歳農園」の高島悟さんがお好きな詩だと知ってコンサートに向けて書き下ろした1曲。ちょうど秋分のころに、生まれました。
冒頭には、今は天国にいるアナウンサー今野 東(こんの あずま)さんによる東北弁での朗読とピアノのコラボレーションを収録しています。
東さんの娘さんである、沙南(さなみ)さんとは「日本国憲法前文」のYouTubeをきっかけに
メッセージをいただいて、出会いました。
彼女は、栃木県の那須塩原で子どもたちの育ちを応援するNPOの会を立ち上げ優しさのあふれる素敵な活動をされています。
まだ会ったこともないわたしのライブを企画して演奏のお仕事で呼んでくださったりもしていつも本当に煌めく無敵のパワーで音楽活動を応援してくださっていました。
そんな彼女から、今回実現した「雨ニモマケズ」でのコラボレーションのストーリー
ご自身のお父さまとの思い出や、今のきもちについてまっすぐでピュアなコメントを寄せていただきましたのでこちらで紹介させていただきます。
YouTubeにアップした作品とともに人生の不思議や温かさを
いっしょに味わっていただけましたらうれしいです。
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東さんは、仙台弁で言う「おだづもっこ」で、いたずら好きなお父さんだった。
弱い立場の人のためにとことん働く人だけど、「雨ニモマケズ」みたいには、なりたいけどなれない人でもあった。
まだ小さかったわたしに日本国憲法の価値を教えてくれたのが、東さん。
わたしは「日本国憲法前文を歌う」で香織ちゃんに出会ったから、東さんがお父さんじゃなかったら、香織ちゃんに出会わなかったかもしれない。
10月はじめ、熊谷の日本国憲法についての講演会&ライブの会場。
なぜかこれには行かねばならんと感じて、ちょっと遠かったけど行ってみた。
ライブ終盤で披露された香織ちゃんの「雨ニモマケズ」。
香織ちゃんのやさしい歌声や美しいメロディが素敵だったのはもちろん、わたしには東さんが「雨ニモマケズ」を読む声が一緒に聴こえて涙があふれた。
亡くなって10年。いないことには慣れたけど、東さんの声は特別なんだ。
ライブの後、香織ちゃんにその話をして、東さんの朗読の音源のリンクを渡したら「素敵すぎる。音源に収録したい!」ってメッセージをくれた。
一人で電車を待ちながら、声を出すほどびっくりして、また泣いた。
日本国憲法で出会った香織ちゃんが、今度は東さんとつながるなんて!
10年越しで仕掛けられたのかな、サプライズ好きの東さんに。
こんなに素敵な作品に関わることができて、香織ちゃんの歌声と一緒に、地上ではもう会えない東さんの声を再びみなさんに聴いていただけることに感謝でいっぱいです。
香織ちゃん、ありがとう。
宮沢賢治さん、ありがとう。
天国と地上を結んだ「雨ニモマケズ」の思いがたくさんの人に届きますように。
一人ひとりが自分の命をまっすぐ、精一杯生きられますように。
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メロディーが降りてくる瞬間というのはとても霊的で、野生的です。
さまざまなご縁や、出来事や環境やタイミングが織り重なることで否が応でも「いのちの直感」が研ぎ澄まされるそんな、特別な瞬間。
「ああ、生まれる。」わたしにとってそんな瞬間を迎えることは人との出会いや関係性のひとつひとつを大切に想うことができている証でもあって。つながっている。そう再認識できる歓びに胸が震えるような感覚をもらいます。
曲を書けること。そしてそれを歌って自由に表現することが、許されていること。
問題ばかりが山積みなように見えてもやっぱりしあわせの中を生きている、という事実を
作品を生み出すごとに確認できるということがシンガーソングライターを仕事にしていてよかったと思える一番の理由かもしれません。
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おなかの中では現在 もうこの世に生み出される間近の作品が うにょうにょゴンゴンと動きまわっています。
骨盤は開いていく一方だしあまり腹圧もかけられない、音程とりにくい。
歌い手の体のコンディションとしては非常に厳しい状態なので声自体はNGなのですがそんなことより臨月間近という二度とない大切な時期に「雨ニモマケズ」を形にできてよかった。
お昼、自宅での一発レコーディング(冗談抜きで1回しか歌わなかった!笑)
をサポートしてくれたそうちゃん、夜、編集してくれたくまちゃん、ありがとう。
(くまちゃんは、録音してることなんか知らなくて、ほんとたまたまイベントの帰りにあそびに来たのです!笑)
これが、偶然にも願いの満ちる満月のレコーディングではなくあたらしいはじまりの新月だったというところにも、強いメッセージを感じます。
いつもいっしょに旅をしてくださるすべての方が、しあわせに包まれますように。
Facebook今野 華都子さん投稿記事
今朝の祈り
ー宮沢賢治の魂が呼びかけるー
魂の使命を忘れそうになる時、必ず御霊振りが起こる事が用意されていて「それでいいのか」と問われる。早池峰ウスユキソウを見に行く為の旅だったけど用意されていたのは賢治の魂との邂逅でした。賢治が死の10日前に弟子宛に書いた手紙、その文面は自分宛に書かれた言葉のようで打ち震え涙ながらに自分宛に書き写しました。
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八月廿九日附お手紙ありがたく拝誦いたしました。あなたはいよいよご元気なやうで実に何よりです。私もお蔭で大分癒っては居りますが、どうも今度は前とちがってラッセル音容易に除こらず、咳がはじまると仕事も何も手につかずまる二時間も続いたり、或は夜中胸がぴうぴう鳴って眠られなかったり、仲々もう全い健康は得られさうもありません。けれども咳のないときはとにかく人並に机に座って切れ切れながら七八時間は何かしてゐられるやうなりました。あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは最早二度と出来さうもありませんがそれに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。しかも心持ばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、 同輩を嘲り、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味わふこともせず、幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。あなたは賢いしかういふ過りはなさらないでせうが、しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい。風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。そんなことはもう人間の当然の権利だなどといふやうな考では、本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。いろいろ生意気なことを書きました。病苦に免じて赦して下さい。それでも今年は心配したやうでなしに作もよくて実にお互心強いではありませんか。また書きます。
(昭和八年九月二二日 柳原昌悦宛て)
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賢治(享年37歳)
賢治の息つぎが分かるほど近くに感じています。
理想を目指しながら、今を味わい生きることを心します。
いつも灯台のごとく行き先を照らす灯りをありがとうございます✨💕🙏
今日も自分からいい日にします。
自分の魂にも愛と光りを送ります✨💕
感謝合掌✨
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