Facebook【あけみの部屋】(徹子の部屋風(^。^) 岡部明美さん投稿記事 ·
「足あと」
ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。一つは私の足あと、もう一つは主の足あとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、私は砂の上の足あとに目を留めた。
そこには一つの足あとしかなかった。私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。
主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人の足あとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てられたのか私にはわかりません。
主はささやかれた。
私の大切な子よ。私はあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや、試みのときに。
足あとが一つだったとき、私はあなたを抱いて歩いていたからなんだよ。
マーガレット・パワーズ作
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私のタイムラインで先日お知らせしましたが、清水友邦さん(イーハトーブ心身統合研究所所長/「覚醒の真実」「よみがえる女神」著者)
とのライブトークYouTubeを配信しました。
上記の詩は、脳腫瘍と共存して20年になる友邦さんの奥様のチャコちゃんが、体質改善のために行った断食道場で偶然見かけて号泣したという詩「足あと」です。
病気になった時に神さまから見放されてしまったという深い悲しみの中にいたチャコちゃんは、この詩に出会って、
子どもの頃には確かに感じていた大いなる存在とのつながりを取り戻すことができたと言います。
私自身もこの詩に出会った時に涙しました。病の治癒のプロセスで私が最も大切なことだと思ったのは、この「つながり」を取り戻すことだと思ったのです。
ほんとうの自分とのつながり、人との温かなつながり、大自然とのつながり、大いなる存在とのつながり、、、
マーガレット・パワーズのこの詩は、四国お遍路の旅で言われる
「同行二人」という言葉にも相通づるものがあるように思います。
今回の岩手ライブトークでは、友邦さんだけでなく、チャコちゃんにもお話を伺ったのですが、やはり共通する感覚や想いや体験がいっぱいありました。
友邦さんとの対談は回を追うごとにかなり本質的な深い話になっていきました。
3日間で6本の動画を撮りました。今回は2本ご紹介します。
ロケ編①は岩手で最初の自然食レストラン「星耕茶寮」でやりました。ミュージアムのような不思議な古民家レストランです。
オーナー&シェフの佐藤幸吉さんはアーティストでもあり、古民家再生のお仕事もされています。
https://youtu.be/xQhaWF4qazI
②は対談は無しで、岩手が生んだ天才「宮沢賢治」ゆかりの地と、農園カフェ「そら」さんをご案内しています。あけみちゃん芸能レポーターになる!の巻です🍎
https://youtu.be/UfyCQyf_yD4
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先日(28日)のタイムラインに弟のお墓参りに行ってきたことを書いた。
その中で弟は突然死だったけれど、何かシグナルが出ていなかったのか、そのシグナルに気づいてあげれなかったのではないかと悔やんだということを書いた。
長くなりそうなので詳しくは書かなかったけれど、肉体の死に関してはこれは「神の領域」なのでどんなに悲しくても従容として受け入れていくしかない、時間という時の癒しに助けられながら。
私がショックだったのは、弟が亡くなった日、弟の部屋の本棚に「自殺島」というマンガが全巻並んでいるのを見つけた時だった。
どんな内容かはわからないけれどそのタイトルに心臓がバクバクした。
毎月実家に帰って弟といろんな話をしていたのに弟が自殺を考えていたことを私は全く気づけなかったのかと思いショックだった。
そして私はそのマンガを怖いけれど次々に読んだ。そのマンガは自殺未遂を繰り返してきた人や、この社会からやっかい者扱いされて排除されてきた人や、人生に絶望して生きる希望が全くなくなった人達が送りこまれる島だった。
主人公のセイは死にたかったけれど死に切れなかった青年だ。
セイは島での生活の中でいろんなことに気づいていく。
島に生息する野生動物の美しい姿を目の当たりにして、動物たちは皆、生きるために生きてる。
それでいいじゃないか。それだけでもいいじゃないかって。
島に送りこまれてきた人達は生きるために自分たちで米や野菜を作り、漁をしたり狩をしたり、獲物を捕獲するための弓矢を作ったりする。
恋人同士になった仲間の元看護婦の女性が医者もいない島で自然出産する場面にも立ち合う。
セイは、生きることやいのちのことについてさらに気づいていく。
・女性が子どもを産み育てるということはどれほど素晴らしい命の仕事なのかということ。女性たちの出産は皆決死の覚悟なのだということ。
・戦争や飢饉の時にも母親達は皆子を守り育ててきた。
・自分の母親もそうしてきた。だから自分は今ここに存在しているのだということ。
・食べ物を食べるということは多くの命を犠牲にしているということ。
・人が生まれ、生きるということは、多くの奇跡の積み重ねだということ。
・自分たちは親や祖先から受け継がれた“命のバトン”を受け取った者。それを自ら手放してはいけないのだということ。
弟は、生きるということについて、もう一度生きることの希望を見出したくて、自分の人生の意味について深く考えていたからこそこのマンガを全巻大事に読んだのだと思う。
弟は勤めていた会社が倒産して、亡くなるまでの4年間、職がなかった。
私は弟が年老いて認知が進んでいた母の面倒を見てくれていたので弟に毎月仕送りをしていたが「姉ちゃん悪いな。仕事頑張って探しているから」と申し訳なさそうに言っていたが、仕事は最後まで見つからなかった。
亡くなった日の彼の部屋には大量の原稿用紙が束になって机の上に置かれていた。
小説をずっと書いていたことを私は初めて知った。おそらく前日に書いたものだろう、その一行は「この世に必要のない人間なんて一人もいないんだ!!」と主人公が叫ぶシーンだった。
家族であってさえ、親しい友人であってさえ、私たちは他者の心の中で起きていることはわからないのだ。お互いが「わかってもらえない寂しさ」を抱えながら生きている。
それぞれの価値観が違い、不完全な人間同士が関わっているのだから心のすれ違いが起きてくることは普通なことだ。
他者と関わるということは、「わからない」「知らない」ということが前提で、
だからこそ相手を理解したいと思うことは愛そのもので、だからこそ「わかり合えた」と思えた時は心から嬉しいのだと思う。それは奇跡に近いくらいのことなのだ。
弟は素晴らしいものを残して旅立ったのだった。この間、ティムとよしこさんとのライブトークで弟のことでのバイロン・ケイティワークの体験を話した時に思わず涙がこみ上げてきたのはここに書いたことが思わず蘇ってきたからだった。
私は1月に岩手に2泊3日で行って、清水友邦さんといろなテーマで対談したわけだけど、
対談③④では、宮沢賢治は人生が何もかもうまくいかず、挫折だらけの人生だったのに、なぜあのような透明な心や至福感や静寂さが賢治の心の世界にはあったのか。賢治はいったい何を見ていたのか、ということを友邦さんに尋ねた。
清水友邦さんは「賢治は目に見えるこの現実の世界の他にもう一つの世界があることを知っており、その二つの世界を同時に生きていた人。本当はみんな誰もがそうなのだけれど、賢治はそれを自覚的に生きていた人」という話をしてくれた。
お時間ある時にでもぜひお立ち寄りください。
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