Facebook新田 修功さん投稿記事
自分を依怙贔屓(えこひいき)する……⁉️🤣 読書セラピー「賢者の一言」
盤珪和尚
迷うということは、いか様なることで、ござるなぞなれば、我が身に贔屓のござるによって、迷いまする。「異僧 盤珪」 春秋社刊おおい みつる著 より
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依怙贔屓とは、「頼りになるものを特別に優遇して引き立てる」という意味です。
我が身を贔屓するとは、要するに自分のことを優先するということですね🤣
「自分のことばかり考えて優先していると、幸せになれませんよ」
……と、盤珪さんは言います。
とてもシンプルで分かりやすい教えですね🤗💕🎶🙏
でも、これがなかなか難しい……😭
だから、たくさんの迷った人が愛や癒しを求めて、幸せになろうともがいているのです😱
誰でも簡単に幸せになれるのにね😉💕
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
Facebook新田 修功さん投稿記事 天国の切符……⁉️🎫💕😇
おはようございます🤗💕 賢者の一言 宮沢賢治
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。
天上どころじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。
こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。」
銀河鉄道の夜 より
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ジョバンニは、どうしてこんな凄いな切符を手に入れることができたんでしょうか⁉️
病気で寝ている母親を心配し、健気に働きながら、父を信じて待っている純粋な姿と、人々の本当の幸せを祈ることができる、美しい心を持っているからだと思います。
また、彼は、クラスメイトたちからのイジメに耐える勇気を持ち、親友に裏切られた時も、悲しくなるけど、けっして友を恨んだりしない優しい心の持ち主でもあります。
私たちも、ジョバンニのように、地球という星に乗って、どこまでも本当の幸せを探す旅をしているのかもしれません。
そして、人生とは、本当の幸せは自分の心の中にある、ということに気づく旅なのだと思います 🙏💕🌈
私たちは、銀河鉄道に乗って旅をしなくても、今、ここ、で、すでに幸せなんですけどね 🤗💕
今日も読んでくれてありがとう🙏😊
Facebook岡部明美さん投稿記事【銀河鉄道の父はヤバかった】
第158回直木賞を受賞した「銀河鉄道の父」(門井慶喜著)の映画を見てきた。
ヤバかった。すっかり油断していた。まさか後半、あんなに泣ける映画だなんて想像もしていなかった。
この映画は、宮沢賢治の文学「銀河鉄道の夜」詩集「春と修羅」「雨ニモマケズ」童話「よだかの星」などの賢治の作品や彼の生き様や作品が後世にどれほどの影響を残したかなんて全く知らない人にでも心打つものがあると思う。
そのくらいどこの家庭にもある悲喜交々の普遍的な親と子の物語だからだ。
この「銀河鉄道の父」という映画は、名作「銀河鉄道の夜」を書いた宮沢賢治の父親である「政次郎」さんの視点から見た家族の物語だ。
父親と息子の想いがことごとくすれ違っていく。
この噛み合わなさ、互いにわかりあえないことの怒りや絶望や諦め。
でもその気持ちの最奥に本当はあった愛に、生きている間には互いに気づけなかった切なさ。
岩手県の花巻市で質屋の二代目としてかなり裕福な暮らしをしていた賢治の父、政次郎。
賢治は政次郎の長男として生まれて当然3代目として家業と宮沢家を継ぐものとして期待されるが、
賢治は質屋という仕事を毛嫌いし、父親に家業は継がないと宣言。
結婚して子どもを作って宮沢家を守れという父の命にも従わない。
文学に熱中したり、突然信仰に生きると言い始めたり、人造宝石職人になると言ったり、
星や鉱石や天体に夢中になったり、日本の「アンデルセン」(デンマークの童話作家・詩人)みたいな物語作家になると言い出したり。
今だったら、「世間知らずの社長のボンボンが何たわけたこと言っとるねん」と周囲の人たちから言われて終わりだっただろう、賢治の生き方は。
詩人であり、童話作家であり、農民の生活向上の為に尽力し、花巻農学校の優れた教師でもあった宮沢賢治。
天文学、地質学、鉱物や植物を愛した賢治だったが、その人生は挫折の人生だった。
賢治が生きている間には、そのいのちの仕事は全く評価されず、作品も全然売れなかったのだ。
作品が高く評価され多くの読者の心を揺さぶるようになったのは、彼が亡くなった後だった。
宮沢賢治は3次元の世界では、挫折と葛藤と失意にまみれることの多かった人生だったが、彼の心の宇宙はいつも至福に満ちていた。
賢治の生き方や活動や作品を後世に残したのは、
賢治の一番の理解者だった早逝した妹トシ、そして弟と父親の政次郎さんだったのだが、
賢治は父の想いだけは受け取らずに僅か37歳でこの世を去ったのだ。
まぶたが腫れるほど泣いた後半のストーリーは敢えて割愛。
父、政次郎さんの役は、役所広司だったが、いやぁ、ほんと惚れ惚れするほどいい役者だなあ、役所広司は❤️
Facebook谷 よっくるさん投稿記事『銀河鉄道の父』を観た。
めっちゃいろいろなメッセージを受け取った。
賢治の作家としての矜持。応援者である父親の愛。賢治の妹と賢治の魂の関係性。
3つの死。そして、利他という生き方。
葬儀のシーンの荘厳さに畏敬の念を感じるとともに、なぜか胸から込み上げるものがあり、泣いた。
人間はすぐに死ぬが、死があるからこそ、この世の生は美しいのかもしれないと思った。
霊的な視点から見て、賢治作品の最初の読者だった妹は、賢治にとってとても大事な人だったに相違ない。
その死が賢治の人間性をさらに深めたのは想像に難くない。
そして賢治は数々の名作を生み出していく。
『永訣の朝』という賢治の代表作のひとつである詩は、死にゆく妹をネタとして書かれている。
これはとても芸術性の高い詩であるが、妹の死がなければ、この詩は生まれなかった。
その意味で賢治の妹は賢治の文学のためにその身を捧げたと言える。
そんな生き方があるか?そんな死に方があるか?この世の幸せという物差しでははかれない、
生と死をこえたところにある美。
それは、ともすれば、ひとの美を美化しているとのそしりは免れないだろう。
だがしかし、それでも、そこに輝く美しさというものがある。
もうひとつ、この映画を観て改めて気づいたことがある。
それは、賢治の死んだ妹は成人していたということ。
私はあの詩を読んで、小さい少女の姿しか想像できなかった。
小さな兄妹の姿を描写した詩だと思い込んでいた。だが、実際は違っていた。
これが文学の持つ力と言ってもよい。読み手の想像を膨らませる力が文学にはあるのだ。
どんなイメージを読者が持ったとしても、作者はそれを否定することはない。
私は、こっそりと、自分の作家としての師は宮沢賢治だと思っている。
もちろん、賢治は偉大な文学者であり、私はその爪の垢を煎じて飲む一学徒にすぎないが、生きているうちに書けよ、とエールを頂いたような気がしている。
よっくる
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