Facebook相田 公弘さん投稿記事·「遊戯三昧(ゆげざんまい)」
藤原東演住職の心に響く言葉より…
「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語は、「無門関」の第一則に出てくる。
我を忘れて、無心に遊んでみないか。仕事も、趣味も、生活でなすことも、さらには人生の運不運もすべて遊び心で生きることがすばらしい。
仕事は成果をあげなくてはならない。「何かのため」という意味づけが不可欠だ。
ところが、遊びは何かのためにという目的がない。その成功とか失敗なんか関係がない。
成果など計算したら、それは遊びではない。人の評価も気にする必要がない。
ただやることが面白い、楽しいからやるのである。
第二次大戦でイギリスをナチから救ったチャーチル首相は、激務の中、家に帰ると暇を作っては庭にひたすらレンガをひとつひとつ積み重ねて塀を造ることに興じた。次の日、庭師がすべて取りこわしてしまうのに。
懸命に働いて、余暇に遊んで気分転換をはかることはそれなりの価値がある。
だがあくまで仕事と遊びが対極にあるわけで、それでは禅の「遊戯三昧」の境地ではないのである。山田無文老師は真の「遊戯三昧」の境地をこう教えている。
「働くことがそのまま遊びなんです。人のためにすることがそのまま遊びなんです。
苦しい目に逢うこともまたそのまま遊びなんです」
◇『禅、「あたま」の整理』知的生きかた文庫
東大教授でありながら、山林王でもあり、大富豪であった、本田静六翁は「仕事を道楽化せよ」と言っている。
仕事を、好きになるまで必死の努力をすれば、それはいつかはその道のプロと呼ばれるようになる。そして、プロ中のプロとなれば、仕事はまるで芸術活動のようでもあり、趣味との境はなくなる、ということだ。
気分転換に遊ぶのもいいが、仕事も、苦も、生老病死、すべてが遊び、というのが最高の境地。「人生とは、冥土(めいど)までの暇(ひま)つぶし』と言ったのは、今東光和尚。
自由自在の、遊戯三昧の人生を歩めたら最高だ。
※【人の心に灯をともす】より https://www.facebook.com/hitonokokoro
https://ameblo.jp/hiroo117/entry-12462308192.html 【遊戯三昧に生きる】より
無能唱元氏の心に響く言葉より…
「普通に暮らしていることって、すっごく幸せなんだ!」
ある日、19歳になったばかりの少女がそう言うのを聞いて、ああ、この「気づき」こそ、「サトリ」というものなんだなあ、と私は一つの感動とともに思い入りました。
この少女の「サトリ」は、座禅修行30年を積んだ禅僧のそれと比べても、いささかも遜色のあるものではありません。
「無味(むみ)、無為(むい)、無事(ぶじ)」の中に、生の喜びを見いだすことは、きわめて稀れであっても、凡人にとっても可能なことなのです。
ただ、そのあとが続かないのですが。
凡人にとってのこの喜びは、しばらくほうっておくと、じきに色あせ、退屈によって、かき消されてしまうのです。これは凡人ならずとも、賢人であっても同じことです。
禅僧には書画をよくする人物がよくいますが、これも悟りすましているばかりでは退屈で、そのひまつぶしを目的として、一つの芸の達者になった人なのではないでしょうか。
陽だまりの中で、数匹の猫がじゃれあって遊んでいます。
子猫はとても遊び好きで、ときには人間にさえ、一緒に遊んでくれとせがむことがあります。
これは、エネルギーが有り余っているからで、それを遊びで発散しないではいられないからなのです。ところが、同じ陽だまりの中でも、親猫はうとうとと眠っており、めったに眼を開こうとはしません。これは「若さ」というエネルギーをもうなくしているからなのです。
これから考えられることは、「若さ」というエネルギーと、「遊ぶ」という意欲は相関関係にあるということです。
猫と同様に、われわれ人間も、人生に「遊び」とその楽しみを求めつつあるかぎり、「若さ」をいつもまでも失わないで済むのではないでしょうか。
禅家は、「人生は遊戯三昧(ゆげざんまい)をもって生きよ」と説きます。
これは、「人生そのものを、ゲームとして、それを楽しめ」と言っているのです。
しかし、この遊びとは、どうもパチンコや競馬、ナイトクラブ、カラオケなどの、いわゆる、娯楽施設における遊びとは、ややそのおもむきを異(こと)にしているようです。
ではどの点を異にしているかと、おおまかな分け方ですが、娯楽型の遊びはおおむね消費的であり、遊戯三昧の方は多分に創作的、あるいは生産的であるのです。
たとえば、音楽の鑑賞は消費的であり、作曲および演奏は生産的であるように…。
後者で特に大切なことは、そこには「自己主張」があり、「自己表現」がある、ということです。
人間は生活の上で、自己表現がなされるとき、自己充足の満足を得ることができます。
そして、この満足を得ることによって、生きる喜びを、心の底から覚えるのです。
しかし、このように遊戯三昧に生きるには、人間にはさまざまな制約があります。
その最も一般的な制約とは、経済的な問題です。
人間は好きなように自由に生きるには、自由に使える十分な資金を必要とします。
チャップリンは、「人間にとって必要なのは、希望と勇気と少しばかりのお金である」と言っております。
しかし、あらゆる制約から解放されて、遊戯三昧に生きるには、「少しばかりのお金」では、どうも足りないようです。
『小さなサトリ―ミニ・エンライトメントが人生を変える』河出書房新書
藤原東演住職は「遊戯三昧」についてこう語る。(以下略)
Facebookごとう 孝二さん投稿記事
「壁はワクワクした瞬間に扉となる」どんなピンチでも面白がれる見方があるのです。
どんな状況でも面白がれる見方があるのです。問題をマイナスとしてとらえるのではなく、
その背後のプラス〝希望・チャンス〟を見ようとするのです。
「陰口ばかり言っていた社員が、いたときはどうするんですか?」「興奮する」
「倒産しそうになったらどうするのですか?」「興奮する」
どんな問題でも、それを解決している未来しか見ていない。
道を阻むすべての壁は、ワクワクした瞬間に、あなたを新しい次元へと導く扉になるのです。
今まで問題をマイナスとしか認識していませんでした。マイナスとしか見えていませんでした。1点に据えられた固定カメラと同じで、違う角度から見ることができませんでした。
しかし、新たな視点を手に入れることができました。壁はワクワクした瞬間に扉となる!
ひすいこたろう予祝引き寄せの法則より。
Facebook宮井陸郎 シャンタンさん投稿記事
全ての望みが絶たれたとき、そのときから全てが始まりました。
津留晃一
「絶望感」という言葉はこの三次元世界では最も否定的な言葉のひとつであると言えるでしょう。「私は今、絶望のどん底だ!」という話を聞かされた時、「おめでとう、良かったね」と励ます事の出来る人が、果たしてどのくらいいるでしょう。
エネルギーの次元から見れば「絶望的だ!」という状態とは、最も覚醒エネルギーのポテンシャルが高い状態のことです。
バネでいえばその弾性限界ぎりぎりまで引き伸ばされた、最も反発力を蓄えた理想的状態のことです。
絶望とは望みを絶たれた状態、理想の消えた状態、目標を見失った状態であるといえるでしょう。こんな時、あなたはどこへも行く事が出来ず、ただそこにいるでしょう。
目標のないあなたには行くべき先がないからです。私もそんな絶望感を体験させていただきました。苦しさから逃れようと、あらゆる可能性に手を伸ばし、万策が潰えた時、エゴは悲鳴を上げ絶望の淵へと落ちていきました。深い深い沼の底でエゴは身動きしなくなりました。
そしてそこがこの三次元成長ゲームからの出口でした。
全ての望みが絶たれたとき、全ての夢が消えたとき、全ての目標を失ったとき、エゴが動きを放棄したそのときから全てが始まりました。
覚醒ゲームの始まりです。謎解きゲームの始まりです。
進歩、発展、向上という三次元成長ゲームとは、自我の成長ゲームでした。
覚醒ゲーム、謎解きゲームとは、自我の退化のゲームであるともいえるでしょう。
そんな夢ある絶望的状態を体験し始める人達が、今、増え続けてきました。
このメッセージの読者の全員が、そんな理想的絶望感をすでに体験し終えている人達かもしれません。
しかし、せっかくのゲームを長引かせたいのか、苦しみや困難の中でこの後半のゲームを遊んでいる方々が多く見られます。
「イヤー、よくわからない」という言葉とお友達になっている方々です。
「ウーム、難しい」という言葉の好きな方々です。「簡単にうまくいくはずがない」という確信を持っている方々のことです。
現に今、あなたが「難しい」という考え方を持っているとしたら、おそらくこれまでの覚醒への道のりは高く険しいものだったに違いありません。
あなたの「難しい」という考え方があなたの今を創っているからです。そしてあなたは自ら創り出した「難しかった」という体験から、真実難しかったという学びを深め、その「本当に難しい」という新たな思いがさらに未来へ険しい道を築きます。
あなたは過去の体験から出られなくなっているわけです。
「楽をして儲かるはずがない」という考え方を親から教育されたあなたは、安易な儲け話に乗って大損をした体験を味わったことがあるはずです。
そんなあなたは「やっぱり親の言うことは正しかった、うまい話には気をつけよう」と自分の正しさを確信します。
自分の思いが損を引き寄せたのだとは気づけません。こうして先人の信念を未来へと受け継いでゆくわけです。
教育と称して、失敗の知識を蓄積し続けてきました。戦争の失敗を学んだものは、その知識により何とか戦争を避けようと、争いごとに意識がフォーカスし続けます。
そしてまた争うという同じ体験を引きつけて、失敗を後輩への遺産として受け渡してゆきました。過去の恐怖を後世へ残すとは、過去の体験を未来へ確実に誘導しているにすぎません。
あなたは「今」その考え方を変える力を持っています。
「難しい」という思いを「簡単にいく」という思いに切り替えることが出来るのは「今」です。
あなたはこれまで、「今」ある力を使おうとしてこなかっただけです。
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