Facebook森井 啓二さん投稿記事 樹齢150年を超える美しいガジュマル
「一本の巨樹の中にも大地の歴史、雨や風の歴史、太陽光の歴史そして各時代の空気の歴史が刻まれている。その尊い巨樹に触れることは、神が記した美しい歴史書を読むことになる。」
光の魂たち 山岳編第二巻より抜粋
Facebook清水 友邦さん投稿記事·
日本の神社に祀られている神は大きく天つ神と国つ神に分けることが出来ます。
国つ神は自然界の精霊や地霊、先住していた人々の祖先神です。
天つ神は高天原に生まれた神々を子孫とする氏族が祀る神です。
天つ神は天孫族と称し海(アマ)の彼方から渡ってきた神(渡来人)のことでもあります。
紀元前5世紀から紀元後3世紀までの弥生時代の間に、海を渡って様々な地域から日本列島に渡来して来た人々がいました。
日本の弥生時代は天つ神と国つ神の二重構造になっています。
先に渡来してきた人々と、後から渡来してきた人々との間で勢力争いがあり、権力の正当性を腐心するために、国つ神が天つ神を詐称するということも起きたと思います。
『古事記』に製鉄を行った鍛冶の神として天津麻羅(あまつまら)が出て来ます。
天津麻羅(あまつまら)は天孫族ではないので神や命(カミ・ミコト)の尊称がもちいられずに呼び捨てにされています。
天津麻良はニギハヤヒが天磐船に乗って降下する時、お供した五人の中の一人であり、物部系氏族の祖神となっています。
また天津麻羅(あまつまら)は天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同神とされ、天の岩屋戸に隠れた天照大神を導き出すため、伊斯許理度売命(いしこりどめ)とともに、八咫鏡を作り、「鉄鐸(さなぎ)」という鈴を作った神でもあります。
奈良県磯城郡田原本町の鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにいますあまてらすみたまじんじゃ)は伊斯許理度売命(イシコリドメ)が中央に祀られていました。
伊斯許理度売命(いしこりどめ)は日本書紀では石凝戸辺(いしこりとべ)と書くので冶金を扱う部族の女性首長だったのでしょう。
古代は母系だったので女性がリーダーでしたが男性原理が強くなると女性はタタラ場から締め出されてしまいました。
アニメもののけ姫に出てくる工房集落『タタラ場』のエボシ御前はイシコリドメがモデルだったかもしれません。
鍛冶職人に信仰される神は金屋子神(かなやごかみ、かなやこかみ・金山姫)という女神で天目一箇神と同神とされています。
鍛治をあつかう氏族は天目一箇神を祖霊神として信仰して来ました。
宮城県多賀城市のアラハバキ神社(荒脛巾神社)の隣では、鍛冶・製鉄の神天目一神を祀っていました。
「海部氏勘注系図」によると天目一箇神は、滋賀県野洲の御上山に祀られている天之御影神(あめのみかげのみこと)と同一神で、海部氏(あまべ)の祖先に当たります。
『播磨国風土記』の託賀郡(多可郡)の条には、天目一箇神が女神・道主日女命(みちぬしひめのみこと)と天目一神との間の子と記されています。
道主日女命(みちぬしひめのみこと)は、「海部氏勘注系図」で天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト=アメノホアカリとニギハヤヒが合体した神名)の妻とされています。
神武天皇は、大物主と勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)との間に生まれた娘を、皇后にしています。
奈良市最古の率川神社(いさがわじんじゃ)は、媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)を祀っています。
日本書紀で媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、古事記で富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすずひめのみこと)別名が比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)といいます。
大阪府茨木市五十鈴町の溝咋神社は、母の富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめ)別名玉櫛姫(たまくしひめ)と娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)と父親の三島湟咋(みしまみぞくい)を祀っています。
日本書紀は事代主神が三島湟咋(みしまみぞくい)の姫のもとに通って媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)を生んだとあります。
事代主神は製鉄氏族の賀茂氏の祖神で溝咋神社の近隣に鴨神社が鎮座しています。
鴨神社と溝咋神社の近くには弥生時代の集落跡である「東奈良遺跡」があり、そこでは銅鐸の生産が行われていました。
たたら製鉄は、5000年前のアナトリア先住民「ハッティ」を起源として鉄の道(アイアンロード)を通って、中央アジアから日本に来ました。たたらは、インドで熱をタタトル、モンゴル系部族のタタール(韃靼)は猛火をタターラと呼びます。そして、ヒンディー語で鋼をサケラーといい出雲で鋼をケラといいます。
このことから、たたら製鉄法はインド経由できたとも、いわれています。
火のことを〈ホ〉と呼び、製鉄で火を起こす火鑽臼(ひきりうす)のくぼみを〈ホト〉といいました。
神武皇后の母ホトタタライススキ姫(富登多多良伊須須岐姫)のホトとは女性器のことです。
炉を熱して砂鉄を溶かし、炉からドロドロの真っ赤な鉄を流すことを〈ホト〉を突くといいます。
たたら製鉄は〈マラ〉と呼ばれる鍛冶師が巧みな技術で〈ホト〉を突いて生まれた和鉄という子宝をイシコリドメという産婆が取り出すという比喩になっています。
古代の天皇家は、タタラの技術を持っていた物部系氏族から皇后を迎えていました。
製鉄集団は鉄を神として祀る風習がありました。
東北には物部氏とたたら製鉄に関する痕跡が残されています。
アラハバキ神は、大和朝廷の文献である『記紀』および『風土記』などにはまったく登場しない、出所が不明な謎の神とされています。
アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)の名前がついた神社が東北にいくつかあります。
宮城県大崎市岩出山の荒脛巾神社(アラハバキ神社)の地名は、荒脛巾でバス停の名前も荒屋敷です。
武蔵一宮氷川神社でアラハバキ神は客人神(まろうどがみ)としてまつられています。
客人神とは神社の建つ前の地主神、つまり土着の神です。
アラハバキが、現在のトルコのアナトリア半島の古代ヒッタイトの先住民ハッティ人(紀元前3千年-紀元前2千年)のハッティ語の鉄を意味するハパルキから来ているという説があります。
アラハバキ神を祀る津軽半島の洗磯崎神社は以前に荒覇吐(アラハバキ)神社と呼ばれていましたが、そのご神体が鉄鉱石だといわれています。
荒覇吐の「荒(アラ)」は、山伏やタタラでは「鉄」を意味し、蛇はハハ、ハバとも呼ぶのでアラハバキ神は鉄の蛇ということになります。
大和朝廷と戦った蝦夷(エミシ)たちの刀は蕨手刀(わらびてとう)と呼ばれ都に負けない優れた製鉄技術が蝦夷(エミシ)にありました。
蝦夷(エミシ)鍛冶の蕨手刀は日本刀の元型と言われています。
アラハバキ神を氏神としていたのが蝦夷の安倍氏です。
『陸奥話記』には、安倍貞任の与党賊徒のなかに、藤原経清、とともに物部惟正という名が出てきます。
製鉄技術を持っていた物部氏と縄文の末裔が混血したのが蝦夷なのでしょう。
安倍氏はニギハヤヒを祖先とする登美の長髄彦の兄アビヒコを先祖としています。
丹内山神社の神は、滝ノ沢神社の敷地内にある滝に顕現したという文献があり丹内神社には早池峰山拝石が置かれています。
丹内山大神とは早池峰大神である瀬織津姫のことで、丹内山神社は瀬織津姫を祀っていたのです。
丹内山大神を崇敬した藤原清衡の母は安倍氏の血を受け継いでいました。
アラハバキ神を祀る神社の多くに磐座があり、おそらく古代では岩の上で巫女が祭祀をおこなっていたと思います。
沖ノ島の岩上祭祀の最古の時代に鉄製品が祭祀品として使われていました。
鉄が入ってくると人々はその輝きに神の神聖さを感じたと思います。
アラハバキ神とは、蛇を信仰していた縄文の人々と、大陸から製鉄技術をもっていた人々と、混血した神なのかもしれません。
岩手県北上市に藤原秀衡が先祖の霊を久那斗権現として祀った伝えられているクナト神を祀る久那斗神社があります。
初代藤原氏の母方は安倍氏で先祖はニギハヤヒに繋がります。
茨城県の古社息栖神社(いきすじんじゃ)も岐の神(くなどのかみ)を祀っています。
息栖神社の伝承では鹿島、香取の神を先導して出雲の神からの国譲りに成功したとされています。
出雲大社から徒歩約10分のところに、出雲大社の境外末社として岐の神(くなどのかみ)を祀る出雲井神社があります。
縄文から継続してきた聖地に祀られていた岐の神(くなどのかみ)は後から来た渡来の神に追い払われたのでしょう。
諏訪地方では縄文時代の遺跡から男性器と女性器を象徴していた棒や石皿や丸石などが出土していますが、諏訪信仰ではミシャグチ神と呼ばれ、ご神体として奉られています。
縄文時代の石器が、後に道祖神や賽の神、クナドの神になったのではないかといわれています。
婚姻史研究の高群逸枝によると、クナドのクナは婚交の義でドは所、つまりクナドは女系集落の境のヒロバでの族外婚の場所を意味すると述べています。
クナドとは交通の要所で他の集落との交易や異性が出会い結びつく場所でもあったのです。
キャサリン・ブラックリッジ『ヴァギナ 女性器の文化史』によるとアイヌの古語でクナトは男根、アラハバキは女陰という話も伝わっています。
岐の神(くなどのかみ)は辻の神(つじのかみ)、塞の神(さいのかみ)、道祖神の原型とされています。
『日本書紀』で、イザナミから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って黄泉津平坂(よもつひらさか)で、投げた杖(古事記では禊をしたイザナギのふんどし)から来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が生まれたとしています。
黄泉津平坂(よもつひらさか)はあの世とこの世の境界でした。
縄文時代の精霊信仰は弥生に移行するとクナト神やアラハバキ神となり、古墳時代になると日本神話に登場する祖霊神へと置き換えられていったのでしょう。
宮城県多賀城の荒脛巾(アラハバキ)神社(阿良波々岐明神社)は布の脛巾(はばき)の名前から足の神様として信仰されていますが、ここは大和朝廷の蝦夷征伐の拠点として造営された城柵があった場所です。
アラハバキ神の神社は、全国に150社以上ありますが、たいていは摂社、末社として小さな祠に祀られています。
権力構造が変わり本来の祭神が、後からきた神にその座を奪われる例は世界中にみられます。
東北の地は、大和朝廷以前の縄文時代にさかのぼるアニミズムの信仰の地でした。
蝦夷と呼ばれた東北の民は文化と神話を奪われ、大和朝廷に同化して姿を消しました。
明治政府は、天皇家の祖霊を最高神とする神社を頂点にした神道の中央集権を進めました。
名もなき氏神を祀(まつ)る小さな神社や祠や道祖神などは、真っ先に廃止の対象となり姿を消しました。
アラハバキ神は神社の社格では最下層に置かれていました。
クナト神やアラハバキ神は、大和朝廷成立以前の先住の人々に信仰されていた神だったので、天孫神話の神に追い払われましたが、完全に消し去ることは出来なかったので、痕跡が今日まで残されたのです。
Facebookごとう 孝二さん 投稿記事 I LOVE JAPAN❤️〜世界を融和に〜
「映画〝君の名は〟に隠された意味」
新海誠監督作品『君の名は。』実は、縄文の女神瀬織津姫(セオリツヒメ)と、縄文の神 邇藝速日命(ニギハヤヒ)※アマテラスとされる。の物語。水神と太陽神の統合の物語。
隠されていたマコト(誠)のことが顕わになりひとりひとりがそれぞれに魂を目覚めさせ
日本を蘇らせ、世界にその意識を広げていくために新海誠監督が宇宙より「創らせられた」作品のようです!!日本には、いにしえの時から、言葉というモノをとても大切にしてきました。
名前というものも言葉です。名前を付けることを「命名」といいます。赤ちゃんが生まれたときに、命名書を書くっていいますよね。アレです。命名 命の名のこと。
その名のモノ、人、事象が持った役割、使命でもあるのです。
そういった意味からも、映画や小説のような、人が想像し創造したとされる分野に於いても、
その映画、その小説が持って誕生した役割があります。
もっと本質を突いて表現すると、その映画や小説が、「意志」を持って、「こういうことをするために、世に誕生したい」ことを実現するために、「名」を映画や小説が「自ら決めて」、この世に名乗って生まれてきているのです。
それは、単に映画や小説の題名のみならず、登場人物や舞台の場所、物語の中に登場するアイテムなどの「名」も然り。ということは、です。
『君の名は。』題名からして、超ヤバイですね。
日本語の基本48音は、そのひとつひとつの音が持つ振動数により、一音ごとに思念(言霊)と数霊を持っています。カタカムナというのは、縄文時代以前の上古代の時代に、存在したといわれる、カタカムナ文明に生きた人々が残してくださった言の葉・文字のことで、ひらがなひとつひとつに、意味と数の力を持っている、というのが、カタカムナ言霊、数霊です。
それで、読み解くと、『君の名は。』は、言霊だと「陰陽の統合」という、本質な意味を持っていて、数霊だと九になるんです。
九は「宇宙」を表している数。主題歌の『前前前世』もなんと数霊が同じ、九で「宇宙」。
で、この映画の主人公のふたり、立花瀧と宮水三葉。
『君の名は。』縄文の男女神☆瀬織津姫とニギハヤヒ(天照大神)の物語で触れたとおり、
新海監督は、「三葉」の名を日本神話に出てくる神さまの名「ミツハノメノカミ」から
つけたとのこと。
新海監督は、2011年に発表の『星を追う子ども』でも、古事記の物語を下地にしたり、
『君の名は。』のストーリーを小野小町の句からのインスピレーションでつくったり、と
日本の中に受け継がれる、言霊思想の面を意識されていらっしゃるのではないかと思われます。それゆえの主人公の命名。
さて、このミツハノメノカミですが、セヲリツヒメ(瀬織津姫)の別名だそうです。
えっ? セヲリツヒメって誰?となると思います。ご存じの方が少ないかもしれません、それも当然、歴史の中に、隠された存在の神さまの「名」なので・・・
ココで、セヲリツヒメ(瀬織津姫)について、おはなしさせて戴きますね☆
セヲリツヒメという「名」は、古事記や日本書紀の日本神話には一切登場しません。
その「名」が出てくるのは、神社で唱えられる大祓詞(おおはらえのことば)のみ。
それはなぜ?
セヲリツヒメ(瀬織津姫)が、縄文(クニツカミ)の女神だったから。
ヤマトという日本の「国」が制定されていく中で、その「名」を封印せねばならない「名」だったのです。
まず、伊勢神宮のご祭神をアマテラス(天照大神)とし、実は、セヲリツヒメの夫であったアマテラス(ということは男性神ですね)
を女性神とし、日本中の神社のご祭神の名をセオリツヒメから、別の神名に変えたそうです。
なんでも、その作業は明治頃まで続いたとか・・・
一説によると、これは女性天皇の持統天皇の号令によるものだそうです。
では、アマテラス(天照大神)の正体とは?
もともとは日本神話に登場する、ニギハヤヒのことなんだとか!!
ニギハヤヒの正式名称はなんと、「アマテラス クニテラス アメノホアカリ クシタマ ニギハヤヒノミコト(天照国照天火明櫛玉饒速日命)」
よってアマテラス(天照大神)のまたの「名」をニギハヤヒ。というコトで~
セヲリツヒメ(妻)
アマテラス(夫)※ニギハヤヒとの「名」でもある。
※セヲリツヒメの「名」は、相当に様々な神名に置き換えられており、ミツハノメノカミ以外にも、コノハナサクヤヒメ、イチキシマヒメや、弁財天までも元はセオリツヒメなのだそうです。
セヲリツヒメは水神、月神、そして水瀧といわれてゐます。
もともとは太陽神なのだそうですが、アマテラス(ニギハヤヒ)と男女に分かれることによって、アマテラスが太陽神、セヲリツヒメが水神・月神の役割を担っているのです。
太陽⇒火 水・月⇒水
「火」の漢字は、五つの点が結ばれて五芒星。「水」の漢字は、六つの点が結ばれて六芒星。
5+6=11 数霊11の持つ言霊(思念)は「引き寄る」
「1」は火であり、陽であり、アマテラス(ニギハヤヒ)。
もうひとつの「1」は水であり、陰であり、セヲリツヒメ(ミツハノメノカミ)。
火と水のエネルギー、陽と陰のエネルギーが互いに引き寄り、統合、結ばれることによって、
「2」の世界が出来ます。ニホンです。11は「にほん」ですネ。
セヲリツヒメの使命を、火と水という陰陽、男性と女性のエネルギーの「名」とした、
アマテラス(ニギハヤヒ)とセヲリツヒメ(ミツハノメノカミ)。
この二神は日本の魂を呼び起こす神さま。・・・といったことを踏まえた上で。
なにがどうしてこうして(笑)、ミツハノメノカミが、セヲリツヒメであるのかは、
おわかり戴けたかと思います。
初めは「セオリツヒメ」と表記しておりましたが、本質を突いた表記は「セヲリツヒメ」です。←すっごく重要な点でした。
カタカムナ言霊では、「オ」は「奥深く」「ヲ」は奥に出現する、です。
わたしたちの魂の奥に存在している、日本の魂部分、中心核に存在する神さまは「セヲリツヒメ」なのです。ココで、おはなしを『君の名は。』に戻します。
主人公の男の子のほうの名は「瀧」です。水瀧と呼ばれるセヲリツヒメと重なります。
主人公の女の子のほうの名は「三葉」です。ミツハノメノカミと「名」を変えられたセヲリツヒメと重なります。水神でもあります。三葉(ミツハ)の苗字も「宮水」。宮水神社の巫女。
米を噛み、発酵させる(口噛み酒)という酒という水の儀式も行う。
セヲリツヒメは、その「名」を消し、男性神であるアマテラス(太陽神)を女性神として蔭ながら存在していました。
男性神であり、太陽神(火の神)であるアマテラスが陽ならば、女性神であり、水の神(月の神)であるセヲリツヒメが陰。
※ちなみに、ミツハノメノカミは、イザナミが火事により、陰部を火傷した際に、排泄された、尿の神さまです。
アマテラスとセヲリツヒメは二神でひとつでした。陰と陽でひとつの神だったのです。
その陰の名が消されて、名が判らなくなった。でも、記憶の奥底には、魂にはしっかりと刻まれてゐる。記憶に刻印されているので、胸がざわつく。
ひとつに結ばれならねばならないという思いに駆り立てられる。
でも、名前は思い出せない。存在は確実に、いる。ココに、いる。映画の中の瀧と三葉の心理状態そのもの。互いが互いの名を思い出し、魂の共鳴が起きることにより、自分という存在にも目覚めていく。
『君の名は。』一見、若い男女の恋愛映画かと思いきや、実は、ツインソウル(ツインレイ)の物語。
ワタシの魂のカタワレが、もうひとりのワタシというタマシイが、いる。存在する。
近くにいるように感じる、遠くにいるようにも感じる
もうひとりの「ワタシ」というカタワレ(片割れ)とムスばれることで、肉体として生きていくことに希望を抱いていく物語。
『君の名は。』の映画の冒頭は、彗星が天(アマ)から、地上に突き抜けていくシーンから始まります。
その彗星は、『君の名は。』のポスター画でもわかるように、「分れます」。
彗星は地上に落下すると「隕石」と「名」を変えます。「隕石(石)」⇒「イシ」⇒「意思」
あの、ティアマト彗星は、瀧と三葉の意思のこと。「二人」のタマシイのことなのです。
ティアマト彗星がふたつに分かれて、イシ(意思)となる。彗星はまさに龍であり、「瀧」。
その龍から分れた石(意思)は、「三葉」。
ひとつだった「タマシイ」は、「瀧」と「三葉」に分かれたのです。
わたしたちは、「分れています」。「ワタシ」ともうひとりの「ワタシ」に。
「陰なるタマシイ」と「陽なるタマシイ」に。だから、「自分」と名付けられているのです。
わたしには、もうひとりの「わたし」がいるのです。わたしの「た」のカタカムナ言霊は
「分れる」です。片割れがいるのです。存在するのです。
魂は「タマ」です。霊も「タマ」です。御霊は「ミタマ」といいますし、言霊は「コトダマ」といいます。
「タマ」とは、ふたつの分れた「マ」のことです。陰の「マ」のワタシと陽の「マ」のワタシのムスビ。陰陽の統合。『君の名は。』の題名の持つ言霊も、陰陽の統合。陰陽のムスビ。
瀧の「心」は、2016年から3年遡って「生きている」三葉のカラダの中に入り、2013年に起きた糸守町に存在した人々を守ろうとします。
2013年は、出雲大社と伊勢神宮という陰陽の対となっている、日本の魂である二大神社の
同時式年遷宮がありました。
二大神社のムスビ、陰陽の統合が行われた2013年、日本の魂の復活の年に、瀧は三葉の魂を復活させようとしたのです。
そして・・・この『君の名は。』は単に、個人に於ける自分のカタワレ探し、
個人の魂のムスビのみを描いただけの映画ではありません。
スケールがもっとデカイのです!!
三葉は、ミツハノメノカミで、セヲリツヒメでしたよね。
火の神、水の神のムスビで成っている、日本の根源という存在の神さま。
その名を隠された⇒振動数が響かなくなった根源の神さま(魂)が存在することを、わたしたちが知り、いえ、思い出すために、新海誠監督が、無意識のうちに、物語の閃きを受け取り、
真実への目覚めという封印を解く使命を受け取り命名して、画に映して、音にして創られた作品。
セヲリツヒメ(水神・陰)+アマテラス(太陽神・陽)の封印を解くことにより日本人の魂の真実を顕在化する役割を使わされた作品です
この映画、数霊的には、「9」なんですが、「8」という数とも広く共振している映画です。
8という数字は、とても日本的な数字。漢字「八」はまさに富士山の形で、末広がりという縁起のよい数という意図を持たせてゐる。
この映画の中では、映画をご覧になった方はおわかりだと思いますが、映画の舞台となる架空の町、糸守町にある、糸守湖が、∞を凝縮させたような形。
ポスターの十字(統合)の光には、もうひとつの陰なる十字が重なり、八咫鏡(ヤタノカガミ)を連想させる光となってゐます。
そして、主人公 立花瀧と宮水三葉のそれぞれの氏名の数霊総数が8。
ボスターをご覧になってわかるように、映画公開日は8月26日(金)※土曜公開の映画が多いところ、なぜか金曜日。
8に、2+6=8で、88です。
で、面白いのは、カタカムナ言霊で読むと、『君の名は。』の「な」は核という意味を持っていて、ティアマト彗星は、宮水神社を核として落ちて、新糸守湖が出来、∞の形の湖になります。
公開日の金曜日の金(キン)、数霊で読むと、総数が77となって、ナナ。核のことです。
なぜ、日本が世界で唯一核が落とされた国なのか?
日本は世界の中心「核」だからなのです。『君の名は。』はその公開日まで、めっさ「日本」なんですよ!新海誠監督の氏名も、「誠」で、日の丸の「赤誠」ですし。声優を務めた、神木隆之介くんと上白石萌音ちゃんの氏名も「神」「木:キ」「隆:リュウ」「上:カミ」「白石」「音」と、ここまで共振しますか?と目が点になる要素満載ですよね。
今まで長きに渡り、隠され続けた一番奥底に眠っていた日本人としての魂の封印を「ひも解く」ことは、陰なるタマシイ、陽なるタマシイのムスビに繋がります。
目にみえるものばかりが、重視されてきた世界に、目にみえないもの、魂の部分にも光が差し込み、本当のワタシという意識が目覚めていきます。
『君の名は。』が、世界85か国での公開される、ということは、まさに、世界の核である日本が、意識という精神的領域で、世界を先導していく、そのきっかけとなっていくのではないでしょうか。
折しも、日本映画界には、覚醒が起きておきています。
『シン・ゴジラ』、『聲の形』すべてつながっています。題名が物語っています。
平成28年は申年で、神の年。5.26伊勢志摩サミットが行われ、世界の首脳が伊勢神宮を参拝。翌日27日には、歴代アメリカ大統領として初めて広島を訪問。被爆者とハグをした。
オバマ大統領広島スピーチ
「私たちは〝一つの家族の一部である〟という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。」
8.8天皇陛下が生前退位をご表明された年。全全全部、つながっている。
(あくまでも個人の解釈です)(イマココにいる幸せ〜人生を創造するココロと宇宙法則ブログより)
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