https://funwari-simple-life.com/bunsapo/word/mai 【「舞う」と「踊る」の違いとは|大和(ヤマト)言葉の選択】より
四季のある日本には繊細な表現がたくさんあります。季節の移ろいを細分化した七十二候(しちじゅうにこう)の表現。また、俳句には季語を入れるのが決まり事ですよね。
文章サポートライターの梨理(りり)です。漢字・ひらがな・カタカナという3種類の文字を持つ日本人。またオノマトペ(擬音語・擬態語)も豊富です。
一般的な日本語を理解するには10000語以上の語彙力が必要になるとか。外国人の日本語習得が難しいと言われるゆえんですよね。豊かな言葉と文字を使いこなすのは、たやすいことではありません。
そのおかげで、私たちは今の気持ちにふさわしい表現を探す楽しみを持てるのです。
大和(ヤマト)言葉の意味を探ります。今回取り上げる言葉は「舞い」です。
「舞」と「踊」の違いとは
「舞い」と「踊り」。ふたつの言葉はよく似ていて、微妙にニュアンスが違います。
肌感覚ではわかる。けれども上手く説明できないということはありませんか?
「踊り」を漢字2文字の熟語で表すなら、文字通り「舞踊」。
また、「舞踊(ぶよう)」に似た言葉に「舞踏(ぶとう)」もあるんですね。
同意語と思っていいのでしょうか。迷うところですね。
「舞い」と「踊り」、さらには「舞踊」と「舞踊」の違いを考察します。
1.「舞」の静謐
日本の伝統芸能である「能」には舞いがあります。「能」の舞台をイメージしてみましょう。
飛んだり跳ねたりではなく静かな表現ですよね。「舞う」は「回る」(旋回する)に通じます。「舞う」とは、見た目にわかりやすく定義してみます。
跳躍がないもの、水平方向にすり足で行うもの。「舞い」は古くは神に捧げるものでした。
特別な訓練を経て舞ができるようになるのです。例語:地唄舞・巫女舞・獅子舞など
2.「踊」の躍動
日本人に一番身近な踊りといえば何が思い浮かびますか?そう、盆踊りですね。
「踊」という言葉には、飛んだり跳ねたりの明るい躍動感が似合います。
水平運動に加えて地面から離れる上下運動も加わります。見た目にも動きの激しさがあるのが「踊」です。
私たちは誰もが日常的に「踊り心」を持っていますね。例語:盆踊り・念仏踊りなど
3.「舞踊」と「ダンス」
日本にはもともと「舞」と「踊」がありました。明治以前まではしっかり区別していたようです。西洋のダンスを日本語に訳すのに「舞踊」と表現したのです。
確かに、バレエに代表される西洋の踊りには跳躍があります。
思いっきり大胆に言ってしまいますと能から発展した「舞」と後年歌舞伎から発展した「踊」
合わせて「舞踊」と呼ばれる「ダンス」は「舞踊」と翻訳される西洋の「ダンス」は重心が高く飛翔のイメージ。重心が低く安定感の日本の「舞」。
こんなところにも民族的特性が出ているのかもしれませんね。
4.「舞踊」と「舞踏」
「舞踊」に似ている言葉に「舞踏」があります。日本の「舞」と「踊」に対し、西洋のダンスを表します。広義には「舞踏」と「舞踊」は同じ意味です。
狭義にはこんな使い分けをされています 舞踊家:西洋のダンスを踊るダンサーを意味する
舞踏家:既存の舞踊に対し新しい自由な創作ダンスを表現する ダンスのない国はないといわれています。その土地に根差した踊りの文化。
大和(ヤマト)言葉の「舞」には優雅な響きがあります。
「舞う」という言葉に、日本人は優美な動きの軌跡を見ているのかもしれません。
例文:雪が舞う・花びらが舞い落ちる・依頼が舞い込む
「踊る」と「躍る」ダンスで使うのは?
さて、最後に漢字についても補足しておきましょう。「舞踊」を平易な大和言葉にすると「おどる」になります。「おどる」を漢字で書く場合、ふたつの選択肢があります。
「踊る」と「躍る」ですね。ダンスの翻訳にはどちらの漢字が適切でしょうか。
一般的にダンスには「踊る」を使います。
リズムやメロディに乗って身体が自然発生的に動く意味があるからです。
ある意味、受動的なのですね。
「躍動感」という熟語があるように「躍る」の方は、飛び上がって喜ぶイメージです。
飛び跳ねるようなダンスの場合、あえて「躍る」と表現することもあります。
わたしたちは無意識の中でも、この雰囲気の違いを受け取っているのです。
この記事では「舞」と「踊」の違い、「舞踊」と西洋のダンスについて、また狭義の「舞踊」と「舞踏」の違いについてもご紹介致しました。
Facebook五島 秀一さん投稿記事
これから、古代の貴人の魂がこの國と世界を導くだろう!
https://ameblo.jp/kokko0803/entry-12768039826.html?fbclid=IwAR2FEBsYmAjTTNviu6t_e0hpA8H21-4V-z23wezBzRr39x8jLXQEWxCRZ7U 【「タイミングは神様だ!」後鳥羽上皇舞い降りし気の舞】より
初めてDr.Shuこと五島秀一氏の勉強会に参加した時の第一声が「僕はいま隠岐島に行ってみたいんだ」でした。さらに聞いてみると海士町(あまちょう)に行ってみたいと仰る。驚きましたなぜならその一週間後に私は隠岐島へ行くタイミングだったから。
そして4年後の2022年5月海士町にある「隠岐神社」にて「Dr.Shu気の舞」の奉納をさせていただきました。
しかし当初は隠岐神社の床がコンクリートということでここで舞うのは厳しいのではとないか等々あったのですがなぜかわからないけれどどうしても隠岐神社でないとダメだと私の直感が叫ぶ。
「五島先生、どうか足を痛めないように慎重に舞ってください」とお伝えして本番を迎えました。
さて隠岐神社に到着するとそこで目にしたのは木をびっしり敷き詰めたステージ...
なんと後鳥羽院遷幸八百年祭のために令和4年になって造られたものでした。
「僕はいま隠岐島に行ってみたいんだ」果たしてこのタイミングは偶然なのでしょうか?!
そういえばDr.Shuは言ってました。タイミングは神様だ!
承久3年(1221年)、後鳥羽院により発せられた鎌倉幕府の執権、北条義時追討の院宣に端を発する承久の乱。この戦いに朝廷方が破れたことにより、後鳥羽院は海士にお遷りになりました。そして19年間お過ごしのあと、都に帰ることなく御隠れになります。院がお遷りになられてから令和3年(2021)で800年となります。
隠岐島で詠んだ和歌
「我こそは新島もりよ 隠岐の海の 荒き浪かぜ 心して吹け」
(私はこの島の新しい島守です。隠岐の海の荒い波風は、心して吹けよ)
後鳥羽上皇は蹴鞠・琵琶・秦箏・笛などの芸能のほか、相撲・水練・射芸などの武技をもたしなみ、太刀を製作・鑑定するなど、文武にわたり多才多芸であった。『新古今和歌集』のほか、日記『後鳥羽天皇宸記』、歌集『後鳥羽院御集』『遠島御百首』、歌論書『後鳥羽院御口伝』、仏書『無常講式』、有職故実書『世俗浅深秘抄』など多数の著書がある。
https://ameblo.jp/ranyokohama/entry-12350628793.html 【丹無道】
https://ilchibrainyoga.com/blog/blog-131/ 【内面の平和を感じるエネルギー瞑想~丹舞】より
https://www.youtube.com/watch?v=PdUm1dsIBIU
人の内面には純粋さがあります。多くの情報によってそれが見えない時があるだけ。
エネルギーを感じながら自由に動いてみると内面の健康と幸せ、平和の感覚が目覚めます。
エネルギー瞑想はイルチブレインヨガ。
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