https://www.nanigashimental.work/entry/2022/05/31/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%9B%9B%E5%AD%A3%E3%80%82 【人生の四季。】より
私たちは、人生という道を歩いています。立ち止まることのできない、時に頼りない道です。
先が見えない道を進まなければいけないことも、あるでしょう。
しかし、何があろうとも立ち止まることも、許されません。泣いても笑っても。
残り時間は減っていくのですから。それぞれの人生を切り開くのは、結局自分自身。
誰かに助けを求めることも、誰かに救いを求めることも。誰かになんとかしてもらおうという行動を起こさなければ、始まらないのですから。
つらく厳しい冬の道。暖かく、過ごしやすい春の道。暑いけれど、気持ちのいい夏の道。
色彩豊かで落ち着く、秋の道。人生にもまた、四季があると私は思います。
一度きりの人生。せっかくですから。四季折々を楽しみながら、歩いていきましょう。
https://www.seguchi-blog.com/h-itsuki/ 【人生の四季~五木寛之氏の講演を聴いて】より
今年はうれしいことがたくさんあった一年でした。
中でもスペシャルにうれしかった出来事をひとつご紹介して本年のブログ更新を締め括りたいと思います。
人生の四季
私にとって今年最大にうれしかったこと。
それはとある不動産会社のイベントで、作家である五木寛之さんの講演会に参加できたことです! (^^♪
説明不要の大作家さんですが、個人的にも最高・最強に大好きな作家さんのお一人です。
誠実な語り口で一生懸命お話してくださり、とってもとっても素敵な講演でした。
テーマは「人生の四季について」
中国では人の一生を自然の移り変わりになぞらえて、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」と、4つの季節で区分する考え方があるそうです。
青春…若々しく、まさに人生の春に喩えられる季節のこと。いわゆる青年の頃。
朱夏…社会に出て働き、家庭を築き、社会に貢献する人生の活動期。
白秋…社会における役割や生々しい生存競争の世界から一歩引いて、澄み切った青空のように静かで自由な境地に暮らす季節。50代後半から70代くらいまで。
玄冬…70代後半からの20年間。
「白秋期から先をいかに前向きに生きていくか」ということが話の核心だったようで、その点を中心にお話されていました。
朱夏の季節を必死にもがいている私にとって正直ピンとくる話ではありませんでしたが、人生は長く、それを長期的に考えることの大切さを思いながら聴いていました。
ささやかな過去を大切にする
もうひとつ、次のような話もして下さいました。(同じことが著書にも書かれていましたので一部抜粋いたします)
(前略)私は、この時の体験があるおかげで、最終的に人間とは信ずべきものだ、と思えている気がします。人間の世界観をつくるものは、知識だけではないと、つくづく思います。むしろ、日々の生活の中で触れ合った人間とのささやかな出来事や体験が、人を育み、悩み苦しむこころを支えてくれる。だから、そういう体験をたくさん積み重ねていくことが、こころを励ます有効な方法なのではないでしょうか。
出典元:迷いながら生きていく(五木寛之)
年齢を重ねれば重ねるほど、こころは弱ってしまう。
うしろ向きに考えたり悩んだりすることが多くなってしまう。
でも、そんなときにこころの支えになってくれるのは、過去のちょっとした体験(思い出)だといいます。
そう語ったあとで、五木さんにとっての何でもないけれどささやかな、でもクスッと笑ってしまうような思い出エピソードを、ひとつふたつ教えてくれました。
五木さんは人間関係に悩むとき、当時のエピソードを思い出して「人間って結局はかわいい存在だよな。捨てたもんじゃないよな。」とご自身に語りかけるそうです。
過去を振り返り、味わうこともあっていい
今を生きることが大切で、過去にとらわれてばかりではいけない。
私自身はそんなふうに考えて生きてきました。
でも、五木さんは過去をもっと大切にしてもいいと言う。
むしろそうしなければ、これから先の人生を楽しく生きていけないと言う。
そんな話を聞いて、私にも過去にとらわれてしまうダメな自分がいるけれど、そんな自分をもっと認めてあげてもいいのかなと感じました。
講演会後は肩の荷が下りたように、何となくこころが軽くなりました。
五木さんの本を読むときも大体同じ。
背中をそっと押してくれるような、自分を肯定できるような気持ちにいつもさせてくれます。
一時間ちょっとの短い時間ではありましたが、実りある話を聞くことができてうれしかったです (^^)v
まとめ
・人の一生を4つの季節に区分する考え方がある
・年齢を重ねれば重ねるほど、こころは弱っていく
・ささやかな過去の体験や思い出が、悩むこころを助けてくれる
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事·
季節ごとに
いま、我がふるさとは、刈り入れを待つ稲穂がたわわに実り黄金の景色です。子どもの頃から見慣れたものですが、毎年毎年、その美しさに圧倒されます。この荘厳なほどの美しさが、いのちを養ってくれるとは。本当に、ありがたいことです。
それにしても、季節ごとに、美しいものに触れることのできるこの国は、詩情にあふれていますね。
秋を「深まる」と言いますが、味わいのある表現で、こういう感じる心を自然が育ててくれたわけです。
「枯れゆく草のうつくしさにすわる」。
山頭火の句。枯れゆくものに向ける、この目です。
見えないものを見るという力・・・。たとえば面影という言葉です。辞書では「記憶によって心に思い浮かべる顔や姿」となりますが、独特のイマジネーションです。
「おかげさま」につらなります。それが、ごく普通の生活の中に確かにあるということが、精神性の豊かを物語っています。
「侘び・寂び」は、難しい文化論のようですが、簡素なものに美しさを見ることです。自然を愛でる方法であるとともに、勝者や強者にはない協調性や調和を至上とする文化。
こんな感覚が希薄になったように思いますが、日本人に自分の国の特徴を尋ねると、年齢などに関係なく、かなりの確率で「四季がある」という答えが返ってくるそうです。四季というのは実際には、日本だけでなく世界の各地にあるのですが、日本人にとっての四季は、季節の変化にとどまりません。時代がかわってもなお心象をも含んだ特別なものです。「おかげさま」のご先祖様から受け継いだもの・・・。
庭先のケイトウ。畦には、彼岸花。
生と死とのまわいを感じつつ・・・物思う季節です。
Facebook新田 修功さん投稿記事 秋の詩が聴こえるかい……⁉️🍂🎶👂
私はひと昔前までは詩というものに興味がありませんでした。
…、と言うより嫌いだったように思います。
詩人の「ああ・・・」とか「おお・・・」とか言う言葉にどうしても馴染めなかったからです。
外国の詩を翻訳する時に、たまたま「ああ」や「おお」になっただけなのでしょうが、どうもキザなロマッチック野郎のお遊びのようにしか捉えていませんでした😅
そんな私が詩を好きになったのは、宮沢賢治さんの「春と修羅」そして、ノヴァーリスの「青い花」などを読んで、魂に風穴をあけられたように感じたからです。
詩の素晴らしさを表現した谷川俊太郎さんの散文があります。
「風穴をあける」 角川文庫 より
詩には歌も絵も理屈もばかばかしさも内蔵されてるんだ。
「詩」は、私たちの心の深みに、そして日々の生活のいたるところにひそんでいる。
詩は地球上のさまざまな言語の違いさえ超えて、私たちの意識に風穴をあけてくれるものだと思う。
そこに吹く風はこの世とあの世をむすぶ風かもしれない。
………………………………✨✨✨
それはきっと、浄化の風だと思います。
目覚めの風かもしれません。
そろそろ全国的に秋の詩が聞こえてきました。
優しい風とともに……。
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
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