「Doing」から「Being」へ

Facebook市川 康夫さん投稿記事

天外さんのコメントとともにシェアさせて頂きました。

奇妙なシンクロ。リーダーもカウンセリングも経営も、「Doing」から「Being」へ:

みいちゃんの投稿。Beingの指導者! 由佐 美加子

今の世界には、こういうリーダーが必要だよねって(勝手に)思う3要件。

①世界にある痛みを自分の痛みとして"感じられる"「共感的当事者」である

②自分の信念やビジョン、世界観が日常の言動に表れている「体現者」である

③自分の信念を決して正しさに転換せず、自分が反応しても分離衝動に支配されない「内省者」である

PS ちなみに全部在り方(being)の話です。

天外 伺朗

昨日は日本医療催眠学会で基調講演をさせていただいた。おのころ新平さんから「カウンセリングをしていて、無力感から虚しさを感じている。どうしたらいいか?」という質問があった。「その虚しさを感じ切ると、次にいけますよ」とお答えしたのだが、懇親会の席上別の答えがひらめいた。「Doing のカウンセリングしているから虚しくなる。Being のカウンセリングが出来るようになれば虚しくなくなる」

 これは、天外塾で「Doingの経営」から「Beingの経営」へ、とお伝えしていることと同じ。カウンセリングでも、経営でも秘訣は同じだ。

Facebook天外 伺朗さん投稿記事

***6年前の投稿***

まだ「ティール組織」以前だが、物事の本質を表現している!天外レポート

No.109 2017.09.06「存在のマネジメント」と名付けた経営のスタイルをお伝えしている。

指示・命令をしないで、何も行動をしていないように見えるのだが、その人がそこにいるだけで、人々が活性化し、組織のパフォーマンスが飛躍的に上がる、という魔法のようなマネジメント・スタイルだ。

「信じられない!」と思う人がほとんどだろう。

一般には、経営者は率先垂範して、人一倍努力をして、組織を引っ張っていかなければならない、と信じられているからだ。

たしかに、優秀な経営者が蒸気機関車のように組織を引っ張って業績を上げている企業はよく知られている。

あなたも自分を磨いて、あの人のように優秀になりなさい、という指導も多い。

だが、よく見てほしい。そういう企業は十年、二十年とたつと経営者も社員も疲弊して凋落に向かう。

おまけに、いくら自分を磨いても、なかなか名経営者には近づけない。

経営者が素晴らしい方策をだしてうまくいったとしても、社員には「やらされ感」が残ってしまう。

最新の組織開発論、たとえばAI(Appreciation Inquiry)やOST(Openn Space Technology)では、ファシリテーターは参加者に「やらされ感」が残らないように細心の注意を払う。

「おかげさまで、素晴らしい体験になりました」、「あなたのお蔭で、私は大きな変容が出来ました」と、参加者がお礼をいうようなら、そのセッションは失敗だ。ファシリテーターが自己顕示欲を十分に抑制できずに、出しゃばりすぎていたことになる。参加者がファシリテーターの存在を忘れており、挨拶もしないで帰っていくようなら大成功。主催者としては少し寂しいが、ここに人間の本質を見ることができる。

「やらされ感」が残っていると、じつは人は成長できないことが最近ではよく知られている。同じように上手くいったとしても、上からの指示ではなく、自分たちが考えてうまくいったと感じた時に、人は初めて成長する。

経営者が有効な手を打って、うまくいったとすると、その経営者の自己顕示欲は満足するだろう。

ところが社員は成長していないので、会社はたちまちだれてくる、だから経営者は、すぐにまた次の手を打たなくてはいけなくなる。

ほとんどの経営者はそうなるような指導を受けてきており、それを営々と繰り返しているのが、普通の会社だ。

経営者はやたらに忙しくなり、やりがいは満たされるのだが、本人も社員も次第に疲弊してくる。

「存在のマネジメント」というのは、「待つ経営」だ。社員が自分で気づいて、行動を起こすのをひたすら待たなければいけない。

経営者が自分で行動を起こすのに比べれば、当然、結果が出るのは、はるかに遅い。かなりの辛抱がいる。

ところが、ひとたび結果に繋がれば、社員の成長を伴うので、組織は自律的に変容を続ける。

経営者だけがアタフタと動き回らなくても、ひなた猫でのんびりしていても、会社はどんどん良くなっていく。

それが「存在(Being)のマネジメント」と名付けたゆえんだ。

それに対して、いままで普通に行われてきたやり方は「行動(Doinng)のマネジメント」と呼ぶべきだろう

ただ、「存在のマネジメント」のつもりだったのが、いつの間にか「放任型マネジメント」になってしまうことも十分に有り得る。そうなると組織は崩壊する。

一体その両者には、どういう違いがあるのだろうか。

ひとことでいえば、経営者の人徳が違うのだが、そういわれてもほとんどの人にはピンとこないだろう。

12年間天外塾を主宰して、おびただしい数の経営者とお近づきになり、私なりに整理したポイントをいくつかご紹介しよう。

ひとつには、経営者自身の心の葛藤が、ある程度解消できていることだ。葛藤が強いと、どうしても自己顕示欲が表に出、常に「自分が役に立っている」という効力感を感じていないと生きていけない。

そうすると、自分が先頭に立って戦っていないと、精神が不安定になってしまうのだ。逆にいうと、自らの精神の安定のために「闘う人生」を選択している。

葛藤のエネルギーは強力なので、成功をもたらすことも多いのだが、当然「待つ経営」は不可能だ。

こういう人は「行動のマネジメント」しかできない。

もう一つ、ごく最近気づいたことがある。それは、カウンセリングの基本であるカール・ロジャーズのクライアント中心療法の三要素(下記)が、経営者にも要求されるということだ。①受容 ②共感 ③自己一致 受容というのは、相手がいかなる行動をとろうが、その人の生命体っとしての全存在を受け入れる、ということだ。「この人はダメな人」という否定はしない

「共感」というのは、たとえば悲しんでいる人に対して、「ああ、あなたはいま悲しいのね」と、その人の情動を受け入れることだ。

よく誤解するひとがいるが一緒に泣くことではない。「同情」と「共感」は全く違う。

「自己一致」というのは、装いや格好つけ、裏表がなく、自分の内部と外に表明される態度や言葉が一致していることだ。

カウンセラーの場合には、限られた時間、カウンセリングルームの中でだけ、この三つの条件を満たせばいいが、経営者の場合には、はるかに長い時間要求されるので、努力してできるものではない

自然体で、この三つの要素が身についていることが大切になる。

「自己一致」というのは、意識レベルだけでなく、無意識レベルも含む。

だから「こうあってはいけない」と無意識レベルに抑圧して、表面的には見えないようにしている部分人格や衝動も問題になる。

ユング心理学では、それを「シャドー」と呼ぶし、由佐塾の塾長、由佐美加子さんは、その一部を「マインドセット」と定義している。

たとえば、「私は価値がない人間だ」というマインドセットの人は、それを認めることは耐え難いので、そこから離れて、「価値がある」ことを証明する方向に全力で走り出す。

それは闘いの人生になり、時に社会的成功をもたらすが、元々のマインドセットのエネルギーからは離れてしまっているので、焦燥感や不安感はなくならない。つまり、いくら社会的に成功しても闘いの人生からは足を洗えない。

これは、中々理解ができないかもしれないが、私自身も体験をしている。30歳代でCDの発明者として世の中から賞賛を受けたが、焦燥感や不安感は一向になくならず、もっと成果をあげなければいけない、と焦っていた。

社会的成功は一切人生のサポートにはならないことを思い知った。さすがにこの時、焦燥感が少し病的であることに気が付いた。

本当の意味での自己一致というのは、一見ネガティヴに見える「私には価値がない」というエネルギーも統合することだ。つまり、「価値がない自分」も自分の一部だと受容することだ。

首尾よく受容できると、「CDを発明したから私は価値がある」のではなく、成功しなくても、何もしなくても、ひなた猫でも、人間としての「存在」そのものに価値があることに、心の底から納得できるようになる。

「存在」というのは、そういう意味であり、この状態になればごく自然に「存在のマネジメント」が実行できる。

天外塾では、「葛藤のエネルギー」しか使えなかった方に「真我のエネルギー」が使えるようになるお手伝いをしているし、由佐塾では「メンタルモデル」の統合の方向を示唆している。八木塾では、AIやOSTの体験的ワークを通じて「存在のマネジメント」にせまる。

三つの瞑想ワークもそれぞれ「存在」へのアプローチだ。

経営者だけでなく、すべての人のすべてのの人生が「存在」に向かって一段とステップアップし光り輝く日々へ向かうお手伝いができることが、私たちの無上の喜びだ。

天外塾では、受講中の半年間、「考えない、判断しない、行動しない」ということを実行してもらう。これは、経営者にとっては、ほぼ拷問。だが、半年たつと、見違えるように「感じる」力が鋭敏になっている。

「DOING(行動)のマネジメント」から「BEING(存在)のマネジメント」へ変容する。これは、受講生の投稿。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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